#05 久篠乃
窓の外を見ると、すっかり日が暮れていた。時計を見ると、十九時半だった。
「今日はこのくらいにしとこっか……どっか食べに行く?」
台に向かって作業していた斉明が顔を上げた。
「夕食ですか? 構いませんけど……」
子供らしくない口調に、思わず久篠乃はむっと来る。これから同居人として生活していくのに、この他人行儀な距離感は何とかしたい。とりあえず好きなものを食べさせれば、好印象になるのではないかと短絡的に考える。
「なに食べたい?」
「ハンバーガーがいいです」
即答だった。ファストフードとは、なんと楽な事だろう。しかし、そんなのでいいのだろうか?
「ハンバーガーでお腹太る?」
「僕は好きですけど……篠原さんが嫌ならいいです」
遠慮されると、まるでこっちが子供のようだ。子供に気遣わせたくなどない。
「分かった。ハンバーガーにしよう」
自分の格好を見直す。白いTシャツにデニムのハーフパンツという格好だった。店内は冷房が効いていそうなので、自室に戻って灰色のカーディガンを羽織る。
戸締りを確認して、玄関に向かう。靴を履いているときに、下駄箱に置かれたヘルメットを一瞬見る。そういえば一つしかないな、と思った。今後のことも考えて、もう一つ買っておいてもいいだろう。
「バイク運転できるんですか?」
ヘルメットを見た斉明が言った。
「免許取ったからね」
高校生なので、学校バレたら問題になるが。
「けど、ヘルメットが一つしか無いから今日はダメよ。すぐそこだから歩いて行く」
エレベーターに乗って一階に降りて、エントランスを抜けて外に出る。日はすでに沈んでいたが、顔が視認できる程度の明度は確保されていた。街頭や、周囲にある店舗から漏れた光のおかげで、深夜でなければ暗闇になる事はない。
一番近くのファストフード店までは五分とかからない。さて何を話したものかと思う。できるだけ、早くこの子のことを分かっておきたい。
久篠乃が斉明の後見人に立候補したのは、もちろん斉明を考えての事もあるが、自分の為でもあった。上宮のことを知らないうちに上宮が滅びたとあって、やりきれない思いがあった。そんな折、裁定委員会が上宮斉明の後見人を探しているという話を耳にした久篠乃は、せめて今からでも知っておきたい……斉明の口から上宮について訊けるだろうと思い、斉明の後見人に立候補したのだった。
やがて沈黙に耐えかねたのか、先に口が開いたのは斉明だった。
「篠原さんは……」
「ストップ。篠原さんはナシにしよう。なんかヤだ。あたしは斉明って呼ぶ」
「構いませんけど……僕は、なんて呼べばいいですか?」
「久篠乃でいいの……なんなら、お姉ちゃんでもいいわよ?」
後半は冗談っぽい口調で言ったつもりだったが、真に受けたらしく斉明は赤面していた。年齢にしては賢いようだが、こういう事に関して免疫は無いらしい。可愛いものだなと久篠乃は微笑んだ。
「……久篠乃さんは、どうして参考資本の提供者になったんです?」
「うーん……どうだろ……」
道行く車の赤く灯ったテールランプを眺めて、少し昔を振り返る……それほど、気分の良い思い出は無かった。
だが、この子になら話してもいいんじゃないかとも思った。同じように追求者の運命によって、不幸を経験した……同じ立場のこの子であれば。
「篠原は結局、三家交配が破棄されたから私以外にマトモな追求者ができなくてね……国枝に嫁に行く話が生まれる前からあったんだけど、それも有耶無耶になっちゃって……篠原としては、追求者自体なかった事にしたかったみたい。もともと土地を持ってたし、それで普通の一般的な生活を送ることに決めたそうよ」
「久篠乃さんは?」
「色々まぁ……家族とうまくいかなくてね。私は追求者としての才能で生きていきたいと思ったから……」
解創を作り使う才覚のある久篠乃にとって、普通に生きていくなど冗談ではなかった。自分を普通の人として生かそうという親や親戚は、久篠乃にとっては嫉妬にまみれた大人が、追求者としての自分を押し殺そうとしているようにしか見えなかったのだ。
「だから久篠乃さんは家を出て、裁定委員会の参考資本の提供者になる事で、追求者として生きていこうと……」
「そうよ。普通に働いて生きていく気も無かったし。だから今は、こうして高校に通いながら学費も自分で工面してるってワケ」
「そうなんですか……」
「どうかしたの?」
斉明が思っていたのと違うらしく、彼は気まずそうに視線を落としていた。邦宗の時もこんな感じだったなと思いだす。参考資本提供者という――解創に対して不誠実に見える――立場からか、道楽者と見られやすい。
「家から仕送りとかあるんだと思ってました。生活に余裕があるように思えたんで。家、広いですし」
「ああ、何かと広い方がやりやすいしね。自分の部屋と仕事部屋は分けたかったし。少し広いくらいの方が好きなのよ」
たとえ一人でも、仕事とプライベートは分けたかったし、狭い部屋は囚われているようで好きではなかった。だが、広すぎるのは広すぎるので、それはそれで寂しいと思っていたのかもしれない。いくら目的があるとはいえ、同居人が増えることに抵抗を抱かなかったのも、そういう部分があるのかもしれないと自己分析してみる。
「斉明は? どう生きていきたい?」
「えっ……」
ちょっと早いかと思ったが、心に留めておくくらいはさせておいた方がいいかと思い、尋ねてみる。意外な質問だったらしく、斉明は返答に窮す。
「これからの事よ。上宮の次期党首って肩書きは無くなったでしょ? だからこれからは、どうやって生きていく?」
「…………久篠乃さんが後見人になるのを裁定委員会が認めたってことは、僕のことも提供者にしたいって考えてるからじゃ?」
苛立ちから久篠乃は頭をかく。他人の事ばかり推察したがるのは何故なのか。この子の性分なのだろうか?
久篠乃は立ち止まって、面と向かって斉明に問う。
「キミがどうしたいかを訊いてるのよ斉明。私が言うのも委員会が言うのも関係なくって、キミがどう生きていきたいかよ? 委員会はあなたを利用したがってるし、私も、そりゃできれば手伝ってくれたら嬉しいよ? けどね、そんなのは大人の事情。問題は、キミ自身がどうしたいかよ」
こちらの言葉は理解できているだろうに、斉明は明らかに戸惑っていた。
「嬉しいなら、その通りに教育した方がいいんじゃ?」
こちらの言葉が理解できてないということはないだろう。なら斉明は純粋に、久篠乃の問いの意味について疑問に思っているのだ。そこまで悟り、やっぱり、この質問はまだ早いのかもしれないと思った。その才覚ゆえ、大人に振り回されてばかりいた子だ。自分の未来など、自分で考えるものだという認識は、未だに無いのかもしれない。
才能が有り、それを褒め伸ばす曾祖父がいて、それを疎ましく、また利用しようとする親戚がいて、賢くならざるを得なかった少年――そんな子が、主体的に将来のことを呑気に考えていられたとは思えない。彼は作り手になることを、次期党首になることだけを見ていたはずだ。
「……分かった。この話はまた今度にしよう……ほら、もう着いたし。お腹減っちゃった。斉明は何食べる?」
店舗の明かりに誘われるように、二人は店内に入っていった。
斉明はハンバーガーとコーラ、フライドポテトを注文した。嬉々とした表情というわけではないが、黙々と食べるその姿は、年相応の少年のものだ。
「おいしい?」
久篠乃はフライドポテトをつまんで口の中に放り込む。ひどく脂っこい味が舌に染みた。
「ええ、まぁ……」
斉明はあいまいな返答をする。もしかして手料理を食べたがるというわけでもないのか? 上宮家の一件より前に、両親は交通事故で他界していると裁定委員会からは聞かされている。両親を思い出さないために、無意識にそういう家庭料理などは避けているのだろうか?
「斉明は、料理とかしないの?」
「いえ……包丁とか、使えないんで……」
「ああ、そっか……」
定規とペンですらあの様なのだ。包丁など使った日には冗談ではなく指が飛びかねない。どういう話題から入っていけばいいだろうか? 少なくとも追求者関係の話をするのは良くなさそうだ。
「学校は転校することになるけど、平気?」
「ええ。特に気にするようなこともないですし」
「そう? 仲の良い友達に挨拶とかしておかなくて……」
「別に。友達いませんでしたし」
作り手として生きていく事を課された少年に、一般的な人間関係を築けという方が無理な話かもしれない。
「もし作れなかったんじゃなくて、作らなかったんなら、作っていいわよ? 上宮はどうだったか知らないけど……」
「余計なお世話ですよ」
久篠乃が続きを言い切る前に、斉明は話を終わらせた。
「というか、僕の個人的な部分にも口出しするんですか? 追求者や後見人としては、もちろん久篠乃さんの意見を聞きますけど、僕個人の私生活に、久篠乃さんが口出しする理由がありますか?」
斉明の剣幕を見るに、どうやら相当苛立っているようだ。さて、どう返したものか。
早いのは、それも後見人の仕事の一環と言ってしまえば早い。渋々ながら聞き入れるだろう。だがその後の人間関係は? ギスギスしたものになるに決まっている。あくまで仕事だけの付き合いにしてしまうのは避けたい。
少し考えてから、久篠乃は口火を切った。
「篠原さんじゃなくて、久篠乃って呼んでって意味、分かる?」
「……一緒に生活するうえで、名字で呼ばれるのは面倒だからと思いましたけど」
一応、そういうところを分かってはくれていたらしい。ならこの辺りから突いてみるとしよう。
「名前で呼んでくれるって個人的な頼みも聞いてくれたんんだし、ついでに他の個人的な事も聞いてくれない?」
「理由があれば納得します。けど、さしたる理由もないのに、人間としての口出しはされたくないです」
確かに、会ったばかりの人間に、色々とやかく言われるのは気になるものだろう。少し焦り過ぎていたかなと、久篠乃は己の言動を反省した。
それを踏まえて、まず自分がどういうつもりなのかを、斉明に理解してもらうことにする。
「私はね、斉明。たんにキミの追求者としての後見人……教育係にだけなりたいわけじゃないのよ。さっき『どう生きたいか』を訊いたけど、私はキミに、同じ上宮の血を引く人間としても……」
同じ上宮の血という単語に反応したらしく、斉明は早口でまくしたてる。
「同じ血を引いてるから同情ですか? 久篠乃さんのことは、追求者としてはいい人なんじゃないかとは思ってますけど、そこまで踏み入って欲しくはないです」
「あら、昼間はあんまりよさげな反応じゃなかったのに……」
照れくさそうに、斉明はそっぽを向いた。
「久篠乃さんが作ってる姿を見て、気が変わったんです……なんだかんだいって、ちゃんと追求者をやってるんだなって……けど、それはあくまで追求者としての久篠乃さんであって、人としてではありません」
流石にこの年齢でポーカーフェイスは無理らしい。言動や表情から、久篠乃はそれが本音だと見て取り思わず微笑する。今はそれで……。
「それで十分よ」
その一言を聞いて、そっぽを向いていた斉明が視線を戻す。
「ちょっと安心したわ。頭ごなしに否定されるかと思ったけど、キミは、なんだかんだ言って、ちゃんと人の話は聞いてくれるし、人のことは見てるのね……。なら大丈夫。私は色々話をするけど、とりあえず聞いてくれるだけでいい。私の言う事を必ず聞けとか、そんな野暮な事は言わないわ」
わざわざ言う通りにしなくても、こっちの言い分をちゃんと聞いて考えてくれるのならば、むしろその方が良い――という久篠乃の意図を察したらしく、斉明は再び視線を横に逸らした。
「なんか……少しずつ騙されてる気がします」
追求者としても、人間としても、斉明に少しずつ認めさせているのは久篠乃とて自覚していたが、当然、騙すつもりはない。久篠乃は笑った。
「そんな気は無いって……」
この分なら、追求者の後見人としても、個人的な同居人としても、うまくやっていけそうだ。久篠乃は少し安心した。




