#04 久篠乃
展開図を書き終えて我に返ると、斉明が作業台の展開図を見つめていた。その視線は、授業に取り組むような真剣さと、絵画を鑑賞するような好奇心の二つが同時に内包されていた。
「そんなに、これが気に入ったの?」
「はい……」
お気に召すような、そんな大層なものだろうかと久篠乃は思った。
この展開図は、裁定委員会から依頼された『浮き毬』という解創のための展開図だった。
これは形だけの試作品で、本番は障子紙を使って作成し、下に『高音』の解創の鈴が付く。毬を空中に浮かせて周囲にバラまいておき、鈴は特定の振動に反応して、人には聞き取れない高音域の音を発生させる。その音を専用の方法で聞き取ることで、索敵用の道具として使用するのだという。
「なんなら、描いてみる?」
久篠乃は定規とボールペンを差し出すが、斉明は首を横に振った。
「いえ、僕は……」
斉明は都合が悪そうに視線を外す。今後の事を知るのも兼ねて、久篠乃は更に薦める。
「いいから、とにかくやってみなさい」
「……分かりました」
気まずそうに斉明が呟くのを聞いて、久篠乃は気になった。上宮の神童と言われた子だ。この程度の作業で気兼ねするだろうか?
久篠乃は、さっき自分が書いた展開図を、壁に着けてあるクリップで止めた。
「いい? これと同じように書けばいいから。ちなみに完成品はこっちね。ミニチュアだけど、参考にはなるでしょ?」
久篠乃は小さな折り紙の作品を取り出す。風鈴のようではあるが、普通の風鈴より口の部分が大きいのが特徴だ。和紙で作り、中を暖めることで気球のように浮かばせる。
斉明は震える手でボールペンを握った。何をそんなに緊張しているのだろうか? 心配になり、久篠乃は軽い口調で話しかける。
「別に、今から作ったものを委員会に出すわけじゃないから、気楽にどうぞ」
斉明は手の震えが止まってから、定規をあてがい、線を引き始めた――思わず、久篠乃は眉根を寄せた。
最初に引いた線だけで、二ミリ以上はズレているのが見て取れた。「あっ」と声が漏れる。定規で生乾きのインクが擦れてしまった。ここまでくると使い手以前に、一般的な不器用とかそういうレベルの問題だ。
斉明の表情が暗くなっていくのが分かった。理由は言うまでもない。自覚はあるらしい。やがて、その手が途中で止める。
「すみません……その、物を使うのは、てんでダメで……」
斉明の顔は青ざめていた。物を使うというのは、ペンや定規の事だろうか? 言い分からすると、他の道具を使わせても、同じになるらしい。
「そう……」
この微妙な空気に、互いに言葉も少なくなっていた。空気が悪いのも嫌だが、それ以上に、本当にこれが、上宮の神童と持てはやされた上宮斉明なのか――?
「折ってみようか」
「え?」
「これは展開図って言ったでしょ? 折り紙を作るうえで、折り目をどうつけるかの設計図。だから実際に作ってみて」
「どれでやるんです?」
「これよ」
久篠乃は壁のクリップに挟んでいた、さっき自分が展開図を描いた一メートル四方の紙を指さす。
「でもこれ……」
「大丈夫よ。それは本番の紙じゃないから」
「でも展開図を描くのも手間が……」
「いーのいーの。そんなの子供が気にしないの」
練習くらいさせた方がいいかと思ったが、まぁ別にいいだろう。最悪破れても、また小一時間掛ければ描ける程度のものだ。
久篠乃は展開図を斉明に渡す。
「ほら、やったやった」
斉明は気まずそうに受け取って、その小さな手で折り始めた――久篠乃は目を見張った。
先ほど線を引いていた時の手際の悪さはどこへやら。最初に、すっ、と線を引くような軽々しさで、寸分の狂いなく山折にする。本来、指示を与えないと出来ないはずだが、斉明は、ちらりとミニチュアの完成品を見るだけで、どこをどう折るか……きちんと折るのか、折って広げるのか、折り目に沿って膨らませるのかが分かるようだった。
折られた紙と紙の隙間に指が入ると、折り目に沿って広げて、両サイドを指で線を引くようにして折り畳む……一メートル四方の紙を相手にしているのに、苦戦することなく折り上げていく……。
折るのが初めてとは思えない早さだった。斉明の手は、不器用な子供の指から、精密機械のマニピュレーターに早変わりした。
二十分と経たず、斉明の前にはミニチュアよりも大きなサイズの、風鈴もどきが出来上がっていた。
「……こんなもんですかね」
「上出来よ」
斉明が謙遜すると、久篠乃は呆れて声を重ねた。
「さっきと、まるで違うじゃない。ふざけてたワケじゃなさそうだけど……どういう事か、説明してもらえる?」
抵抗があったらしいが、やがて諦めたように、斉明は口を開いた。
「……僕には、使う才能が無いんです」
「使う才能が無い?」
「ええ……作る才能があったからか、使う才能は、てんでなくて……」
折るという行為は、なるほど作成だろう。だが線を引くのは? 定規を使った、ペンを使った。そういう行為は無理らしい。
一体どういうことだろうか? これはあまりに極端すぎる。確かに上宮は作り手主義の追求者の家系ではあるが……。
それに、久篠乃自身も上宮の血を引く一人であるが、自分は普通に道具も使える。斉明個人が作る才能に突出しているにしても、これは不自然だ。
「大爺様は、何か言ってた?」
「不要なものだから気にするなと」
不要か。何かを作る時は、もちろん今回のように手だけで作れる場合もあるが、何か使う事は珍しくない。それを「気にするな」とは、一体どういうことなのか……。
――使わなくてもいいか、使えるようになるか、のどっちかよね……。
久篠乃は後者と予想したが、だが具体的なビジョンが浮かんでこない。これほど使う事に関しては不器用な斉明が、使えるようになる切っ掛けとは何だろうか?
久篠乃は斉明の在り方に、富之の意思が介在しているような気がしてならなかった。