#02 大船
「篠原久篠乃。変な名前だろう? 若い追求者の名前は変わってるって、相場が決まってるのかね?」
大船は斉明を見ながら言ったが、久篠乃の資料に目を落とす、変な名前の当の本人は無反応だった。
「この人……若すぎませんか?」
「ああ。年は十七だから……君の親戚で言えば、雅ちゃんが同じくらいかな?」
「多分ぴったりです」
斉明の言い方には、何か確信があるようだった。
「? 知ってるのかい?」
「いえ。生年月日の西暦が一緒だったから……」
何かありそうだが、ここで言っても隠し通されるだけだろう。胸中に留めておくだけにした。
「若いと言ったけど、若い追求者ってのは大切だよ。上宮だって、大半は爺さんばっかりだっただろ?」
「指導力に問題があるんじゃないですか? 何かと年食ってる方が、経験則とか教えられていいと思いますけど」
「情報部の人格テストは良好だ。作り手主義にも使い手主義にも偏らない、我々に都合の良い
人物だ。指導力は二の次だよ。たとえ追求者として優れていても、裁定委員会に歯向かうようでは無意味だ」
「なるほど」
斉明は納得したようだ。歯に物着せぬ物言いこそ、斉明にとっては楽なものらしい。変に相手の言葉の裏を読まなくて済むからだろう。
「ところで……」
斉明は、一度窓の外を見る。
「こんな高速道路ぶっとばして、どこに向かってるんです?」
「篠原久篠乃のところだよ」
「そんなことは分かってますよ」
斉明は持っていた資料をペラペラと振る。
「住所だけじゃ、どんなところか分からないんですけど」
「行ってみれば分かるさ」
「先に教えてくれてもいいじゃないですか」
「ぶっちゃけ、俺も知らない」
「……は?」
斉明の目が点になった。
「おじさんが何でも知ってるわけじゃないのよ~斉明くん」
緩いカーブに差し掛かり、大船はステアリングを切る。
「迷わず辿り着けるんですよね……?」
「大丈夫。カーナビって便利な道具があるんだ。知ってるかい?」
「知ってますよそのくらい」
斉明は吐き捨てて、窓の外に視線を移した。
辿り着いたのは、地方都市のマンション密集地帯、その中の一つだった。三十階建てのマンションは、同一の構造が三十ほど繰り返されているわけだが、その繰り返しに歪みや違いは一切ない。その整列だけで、妙な美しさがある。
「こんな都会に追求者がいるんですね」
車から降りた斉明が、マンションを見上げながら言った。晴れの日の青空に映える白い塔は、周囲の雑音さえなければ、神聖な建築物にすら見える。
「意外かい? 都会というか地方だけどね……」
「はい。追求者って、自分の望みだけに意識を傾けたいから、俗世から離れたがると思ってたので」
純粋に、知識欲を満たそうとする眼差しと表情――子供らしいとは言えないが、彼らしい、健康的なものである。
「自分の家を隔離してしまえば、それを一つの郷に出来るんじゃないかな」
「まるで、結界ですね……」
斉明が嘯いた。どう返したものか……とりあえずボケてみる。
「ダムが崩れることかい?」
「聖なる領域と俗なる領域を分けて区域を区切る……たしか仏教用語です。個人のエゴの世界と、生活のための社会を区切るのであれば、ソレもある種の結界でしょう?」
ボケは無視されたが気にせず、大船は別のところに反応する。
「詳しいね~。仏教なんて、追求者とは無関係な事だろうに」
「別に。両極端は相通ずるってだけです。解脱であれ解創であれ、自由を望むと、到達点に近づくにつれて、その二つは似通ってくる」
流石は上宮の党首として教育を施されただけあり、解創に造詣が深い。彼の活躍で自分の株が上がるかと思うと嬉しいが、子供の純粋な気持ちを裏切っているようで気が滅入る。まったく嫌なものだ。大人になると、素直に喜べるものが少ない。
エントランスで部屋番号を入力すると、スピーカーから「篠原ですが」と声がした。「大船です」と応じると、ガラス製の自動ドアが開いた。
二人はエレベーターに乗る。大船は『24』のボタンを押した。上に行くほど見晴らしがいいのだろうが、天変地異でビルが崩落するのを考えると不安でもある。
エレベーターが上昇しきり、扉が開くと大船は先に出た。斉明が付いてくるのを確認して、それなりの幅のある通路を歩く。同じような扉、同じような壁が繰り返すように続いている。部屋番号のプレートが無ければ、そこに差異は無い。
目的の部屋番号のプレートを見つけた。部屋の前の呼び鈴を押すと、間もなく扉が開いた。