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  #09 斉明(on=branch_20130718_1738_10.57)

 斉明の休日の移動手段は、基本的に徒歩だった。自転車にも乗れないし、かといって電車を利用するほど遠くに行くこともない。

 先にホームセンターに行ってから、斉明は図書館で過ごしていた。日が傾き始めたので、そろそろ帰ろうと思い立つ。

 ふと、たまには普段通らない道を通ろうと思った。いつも同じ道では行き帰りですら飽きてしまう。

 さすがに三年も住んでいるので、家に帰るのに迷うことはない。方向さえ間違えなければ、いつもと違う道を通っても家に帰れる。

 大きな道を通る普段とは違い、個人商店や低いマンションなどが所狭しと立ち並ぶ区画に入る。建物の高さはないが密集しており陰が多く、夏場の陽射しを避けるのにちょうどいい。低い位置にある電線が、さらに一帯を暗く見せている。

 入り組んでおり、まっすぐに進めるわけではないが、斉明は迷う事もなく進んでいく。脇道に入っても家の方向に進んでいけば、いずれ知っている場所……家の周囲に出る。

 ――それにしても……。

 これほど色んな建物が密集していると混乱しそうになる。一戸建ての個人宅が密集している場所があるが、その隣の区画には、三、四階建ての小さなビルがあり、そこは看板を見ると歯医者や塾だと分かる。

 混乱しそうになる理由が分かった。集まっているものが雑多なのだ。たとえば建物の役割が区画ごとに整理されていれば、自分のいる場所を指し示す参考になる。方眼用紙のように街を区画化し、左上から順に医療機関をアイウエオ順に……という風に法律などで決めていれば、初めて見る場所でも迷う事はないだろう。

 だが普通に生活している街で、そこまで分かりやすい整理はありえない。個人の資産の都合で打算的に土地を確保するため、ある程度区画ごとに一戸建てやマンションが固まっていても、一つ道路を挟んだ向こうの区画は、まったく別種の区画になっている事はザラだ。

 ほら来た、と斉明は思う――十字路の四つの角は、コンビニと不動産会社のビルと入居者不在のビル、そして眼科だ。四○平方メートル程度の十字路の中心に、まるで関係のない建物同士が、ひしめき合っている。

 建物は二階建て程度でも視界を狭める。手前の建物が奥の景色を遮断するからだ。たとえ自分の近くに目的の建物があっても、その手前の建物と遠近法に当て嵌めたうえで高くなければ視認できない。

 日常生活の中なら困る事はない。日常的に行く場所の範囲は限られているため、そこまでの行き方と位置関係さえ把握していればいい。逆に日常的ではない旅行などで、行き先が自分が未知の場所であっても、カーナビや地図といった道具があれば、疑似的に現在地を確認し俯瞰することで、それほど迷わずに済む。

 だが地図が無ければ、自分の居場所を知ることは途端に困難になる。自分の周囲にある建物が、この町のどの辺りに在るのかが分からないからだ。唯一助けになるのは街区表示看板や道路標識だが、それも目的地の住所と現在の住所の相対関係を知っているか、予測できなければ無意味だ。俯瞰することを前提とした街の作りは、俯瞰できない者にとっては迷宮も同然なのだ。

 ふと見上げると電線にカラスが留まっていた。あの中には何千ボルトという電流が流れているというのに、お互い(、 、 、 、 )に当たり前に馴染み過ぎていて、思わず斉明は苦笑した。

 部屋は住人の心を表すというが、ならば町のや家は住民たちの集合的な意識を示すものなのだろうか? 周りに人はいるけれど、決して親しい人とは限らない。現在進行形で俯瞰できない以上、手前の人に隠れて奥の人が消えても事に気づけない――そんな、薄い関係。

 たとえ街の全ての建物が一戸建てであっても、手前の建物に奥の建物が隠れて見えないのは共通だ。だが前者なら、これほど薄い関係にはならないだろう。

 ビル――特定の面積の土地に、一戸建てより大きく広い体積を内包できる合理的な建築物。けれど、その高さ(合理性)陰を作り(隙を無くし)遮蔽(連帯)感を生み出し(消し去っ)ている。

 いずれ連帯感よりも合理性が優先されて、この地方都市もビルだらけになるだろう。自分も大きなマンションに住んでいるだけあって、斉明は薄っすらと実感が湧いた。人は他人との繫がりよりも自分の都合の方が大切だ。

 その時、ぱん、と小さな音がした。二度、三度。斉明は周囲を見渡す。音源らしきものは見当たらないが、右後ろあたりということは分かった。ビルに隠れて見えないが、どうやらその向こうの個人住宅で布団を叩いている人がいるらしい。周囲の人間が騒音に迷惑しているのかもしれないが、遠くから聞こえてくる分には、のどかなものである。

 ふと思う。いずれ人は自分の存在を能動的に主張しなければ、周りの人にすら気づいてもらえなくなるんじゃないだろうか?

 ――なんてね。

 肩を竦めて再び歩みを進めると、斉明は大通りに出た。


 大きな四本車線の道に出る。ここならあとは道に沿って行けば家に着くな、と思う。

 おそらく午後五時を過ぎた頃だろう。日が長くなっているとはいえ夕方だ。西日は薄い黄色がかった光になっていて、それを浴びている世界は眩しかった。歩道橋の艶のある塗装が眩しいまでに光を反射して、道路の白線は立体感を失う程に白く輝く。普段は真っ黒なアスファルトすら光を照り返し、すっかり黒さを忘れていた。

 ふと横断歩道を渡ろうとするが立ち止まる。自転車用の信号機だったからだ。危ないというのもあるが、それ以上に曲がって進入してきた自動車の運転手に、白い目で見られるのは御免こうむりたい。

 横断歩道が無い代わりに歩道橋がある。四本車線の向こうに歩道橋の先があるが、そこは道路の中ほど……浮島のような場所にある。歩道橋と浮島より向こうに横断歩道があるが、そちらは信号機が無く歩行者用の横断歩道だった。さらに向こうには児童公園がある。

 変な場所だなと斉明は思った。きっと歩道橋を作ることに決まったはいいが、立地が悪いために、このような事になったのだろう――などと予想してみる。

 斉明は歩道橋の階段を登ろうとしたとき――ふと後ろから背中を叩かれて、思わず振り返った。

 不気味な人物だった。背丈は一九〇センチを優に超えている。この季節に黒いコートを着てフードをかぶっており、中には包帯で巻かれた顔面が見える。

 あまりに異様な風体に、斉明は思わず息をのみ、引き下がった。周囲に歩行者はいない。自動車の運転手などは、歩道橋の階段に隠れた長身の異様に気づかない。パトカーが通っていれば職質でもかけられそうだ。

 異様な黒い人物は、身振り手振りで示してくる――どうやら、ついて来いという事らしい。斉明が怪訝な表情を浮かべると、長身の人物は袖口から何かの先端を取り出した。西日を浴びて凶暴に輝いているのは……何かの刃だ。

 続いて黒い人物は、周囲の自動車などを指差す……どうやら断れば、周囲に危害を加えるという事らしい。

 ――例の襲撃犯か……?

 明日香を襲った犯人の可能性が大だろう。だがどうしてそれなら、無防備な斉明の背中を切りつけなかったのか?

 ――白昼堂々ってワケにもいかないのかもしれないけど……。

 それ以外の狙いがあるのだろうか? だとしたらこの誘いは罠だ。とはいえ斉明も、この誘いを断れるほどエゴイストではなった。それにここで危害を加えるのをみすみす見逃せば、裁定委員会からの尋問が待っていそうだし、自分で片づけなければ、それはそれで委員会の監視を強める結果になり不本意だ。

 斉明は小さく頷くと、黒い人物は斉明の横とを通り過ぎて歩道橋を渡る。斉明は黒い人物の背中を見つめながら考える。

 ――よっぽど警戒してるのか……?

 この異様な格好は、正体を見透かされないための解創の道具なのかもしれない。

 歩道橋から降りて、短い横断歩道を渡って公園のすぐそばの道を通る。公園の周りに生えている桜の木からの木漏れ日が、陰のある道に光と影の(まだら)模様を作り出していた。こんな状況でなければ、その風景を素直に楽しんでいたことだろう。

 ふと児童公園に目をやる。ブランコなどの遊具はあるが、赤や青、黄色の(カラフルな)塗装は色褪せて、部分的に塗装が剥げて茶色い錆が目立っていた。芝生は所々で白い地面がむき出し、鉄棒は一番小さな段の棒が僅かに湾曲している。公園の退廃っぷりを示すように、遊んでいる子供は皆無だった。

 児童公園の横を通り過ぎて、車道を横断する。耳を澄ますが、背後にある四本車線以外からは自動車の通過する音が全く聞こえない。

 すぐ目の前に川が現れた。幅は五メートルほどしかない。アスファルトの地面からはコンクリートの橋が生えており、向こう岸の石垣に繋がっている。川の深さがそれほど無いとはいえ、柵も無ければピッシリと成形されているわけでもなく、まるで縁の欠けた落雁(らくがん)のように頼りない。

 黒い人物が、その粗雑な橋を渡るので、斉明もついていくしかない。罠を仕掛けていても、端から川底までは二メートルと無い。落下するような仕掛けがあっても尻もちをつく程度だろう。

 横合いを見ると、向こうにも石橋があった。柵があるが、さらに向こうには柵のない、こっちと大差ない橋もある。

 二人は橋を渡ると右に曲がった。右手に白い手すりに沿って歩いていく。左手には個人の敷地と思しき畑のような場所があるが、鉄の柵があって入れない。柵といっても胸くらいまでの高さしかなく錆びついていて、まるで拒もうという意思がない。

 形骸化された柵は、逆に人の手が入っていない事実を示す。守り拒む筈の道具は、その状態が劣化していれば、逆に危険を呼び込んでしまいかねない。

 ふと左手にアパートが見えた。コンクリートの外壁は黒ずんでいて、相当な年季を感じさせる。アパートの裏手には、車がギリギリ一台しか入れないような細い道がある。黒い人物はそこに入っていく。

「どこに?」

「…………」

 斉明の問いに対して、黒い人物は無視を決め込む。もしくは喋る気が無いのかもしれない。さっきも身振り手振りだけで指し示してきた。もしくは喋れないのか……。

 細い道に入っていくと、かなり住宅が密集してきた。奥には竹林が見える。

 家屋の種類は大きく二つ。木製のかなり老朽化した一戸建ての家と、綺麗な外壁の新しい住宅だ。そんな小さな住宅街の中に、小さなドッグランのようなものもあるが、少なくとも今は営業していないらしく、犬も人も見当たらない。

 ここにある古い住宅は、いずれ全て新しい家に変わっていっていくのだろう……そんな未来を予期させる場所だった。

 だが人の気配が感じられない。ラジオくらい聞こえてもいいものだろうに……とはいえ洗濯物が干してあったりするので、家の中に引きこもっているだけだろう。

 住宅地の最奥にくると、現れたのは竹林……その手前にある空間は、工事中らしく白いシートで周囲から遮ってあり、公園で見かけるような鉄網の扉が据え付けてある。針金で何か看板が括り付けてあるが、黒い人物は無視してその扉を開けた。斉明が続いて中に入ると、黒い人物は扉を閉めた。

 中は学校のグラウンドの様相を呈していた。砂の地面が一面に広がり、奥にある竹林だらけの斜面が崩れないよう、コンクリートで補強されている。今後、業者が作業に使うためなのか重機が置いてある。ここにも家が建つのだろう。

 すぐ近くに二階建ての建物があるが、窓から見ようとしなければ、斉明たちの存在には気づかれないだろう。

 すると黒い人物は奥の重機に歩み寄ってエンジンをかけた。閑静な住宅街に重低音が木霊する。鍵はどこに持っていたのか知らないが、相手の意図は読み取れた。

 ここでは日常的に重機を使っているから、地域住民は「今日も工事か」くらいにしか思わないという算段だろう。これならひと暴れして大きな音を出しても、アイドリング中のエンジンの音が、かき消してくれる。

 ――しっかし……。

 この黒い人物の目的が、自分に対して手を出そうという目的なのは分かる。あわよくばここで捕らえるなり殺すなりしようという意図も分かる。斉明がここから逃げたところで追ってくるし、周囲に迷惑をかけないためにも、ここでこの黒い人物を打ち倒すか、退けるしかない。

 ふと――視界の隅の竹林に、黒い翼を羽ばたかせてカラスが降り立った。

「…………」

 カラスに視線を向けないように注意しながら、斉明は即座に戦略を練りあげる。


 重機付近にいる黒い人物との距離は……二十メートル程度。斉明が何も攻撃手段を持たない以上、先に動いたのは相手だった。

 長身に見合った長い右腕を振り上げると――斉明に向かって、振り下ろした。

 何かが飛び出してきたのを悟って、斉明は身体を左に捻った――通過していく物体を、斉明は視認した――手の平ほどの直径のドーナツ状の刃だった。速度はあっても、腕を振り上げる予備動作で軌道がバレバレだ。『投擲』あたりの解創だろう。いくら斉明が作り手とはいえ、この程度なら避けることは造作もない。

 が――斉明の動体視力は、それだけではないと警鐘を鳴らした――刃の表面に透明な何かが塗られている――!

 斉明は左前に飛び出した。

 フェンスに刃が激突する(やかま)しい音と――ばきり、と金属が割れる奇妙な音――。

 割れた刃から散った火花が、刃の表面に塗られた油に引火する――斉明の後ろのフェンスから、熱い炎が迸った。

 投擲するための刃に、投擲とは別に『燃焼』の解創を宿した油を塗ってあったのだ。発火する仕組み自体は解創ではないと、斉明はたちどころに見破った。

 背中に熱いものを感じた斉明は、火が着いた事に気づいて背中から地面に転がった。

 どうにか火を消し去った斉明が視界に捉えたのは――二つ目の刃を投げようと、腕を振り上げる黒い人物の姿だった――振り下ろされるまで、あと一瞬しかない。

 ――だけど……。

 その一瞬の隙が、仇となる。

 二発目が発射されると斉明は読むと――制服に隠して付けていた首輪の開閉器を、かちりと入れる。

 ――on=branch_20130718_1738_10.57

 腕が振り下ろされる一瞬よりなお早く、ガラスの糸に人の魂が刻まれる――その瞬間、上宮斉明の身体を支配したのは、斉明と全く同じ人格を持つガラスの糸の別人――『使い「手」』だった。

 (、 )は直前の感覚で自分が上宮斉明とは別人であると悟ると、まるで躊躇なく初めてその道具を使う。

 服の繊維の隙間から黒い糸が湧きだすと、糸は束となって形を成す――それは、まるで華奢な人の腕のような物体だった。

 人の腕より一回り細いが、一回り長い黒い腕。それはまるで巨人の腕の骨のようにも、人に化けた絡新婦(じょろうぐも)の脚のようにも見える。

 黒い人物から投げ放たれた円形の刃に、彼は第三の腕を突き出して応じた――大きな手は親指と人差し指で、円形の刃の中心をつまむようにして器用に受け止める。

 第三の腕――すなわち『探り手』は、一瞬で受け止めた刃の解創を読み取ると――投げられた刃の勢いをあえて殺さず、腕を振って体を横に一回転させ『投飛』の解創を為し、その刃を投げ返す。

 相手の力も利用した投擲は、受け止めた時の倍に近い加速がついていた。

 あわよくば右ひじから下を落とすつもりだったが、すんでのところで回避される。

 だが彼は確かな手ごたえを抱いていた。自衛の手段としての『使い「手」』と『使い「手」作り』、そして『探り手』は、この過酷な戦闘という場面においても十全に機能している。

 とはいえ、彼は油断や傲慢とは無縁である。追求者同士での戦闘経験などほとんどない彼は、可能ならば、すぐにでも逃げたいところだった。

「まだやります? 僕は追いませんよ」

 不意を突く一撃が失敗し、彼を殺すのが難儀だと分かれば、退く可能性もあったが――黒い人物はお構いなく、左腕を振るっていた。

 とっさに回避しようとした斉明だったが、挙動が先ほどと違うと判断した。事実、黒い人物が取りだしたのは、黒い杖だった。

 ――折り畳み式? 袖の中に仕込んでたのか?

 黒い人物はどこからか得物を取り出し、右手にしっかりと握った。黒い木製の棒状の物……黒檀であると察する。

 ――なんだ?

 追求者が杖に何かしらの解創を為し、実力行使の際の『武器』として使う事は珍しくない。だがそこに何の解創を為すかは人によって千差万別であり、一体どんな道具なのか読み取るのは難しい。

 かんかん、と杖を突く音が、二度、響く――杖を地面に突き刺すと、黒い人物は懐から手のひらに収まるほど小さな瓶を取り出すと、それを宙に放り投げた。

 再び右手で持った杖が振るわれて、放り投げられた瓶を砕き割り――軽く杖が三度突かれる。

 ビンからこぼれた液体が――異様に蠢く空気に乗って蛇のようにしなると、彼のもとに奔ってくる。

 ――これは……!

 彼は知っている。この解創は『対流』の解創――次に何をするのかは、頭で考えるより先に理解していた。

 黒い右手が、蛇のようにしなる液体のすぐそばを通過して風を掴む――彼はそれだけで『対流』の解創を逆算する。

 彼が無しうる解創は、もう一つではない。『探り手』で別の道具に触れれば、あっという間にその解創を解析できるのだ――そして解析したものは、その道具の質が単純ならば、即席で作り直すことができる。

 黒い右手が『対流』を作り直した瞬間、杖がひとたび大きく突かれた。

 空中から突如として拭きだした火炎が、空気も人も吹き飛ばした。今の火炎をまともに浴びれば、たちまち火達磨になっていただろう。

 だが彼は砂煙の中を駆けていた――瓶から漏れた油に誘導された『火成り』の火を諸に浴びることなく、その油を誘導した『対流』を作り直し、方向をずらしたのだ。

 これが上宮斉明の真骨頂。使わずとも、道具そのものを作り直してしまう事で、相手の思惑を空回りさせる技術――たとえ熟練の追求者であっても、特定の条件下でなければできない所業を、彼は『探り手』によるバックアップを得ること――解析による作り直しの手順の最適化を経ること――で、狙って成し遂げたのだ。

 ――この解創……どこかで……。

 古い記憶が脳裏をかすめる中――彼は黒い人物との距離を、残り二メートル弱に縮めていた。自分の策で生じた砂煙で視界を失うとは間抜けに過ぎる。それを見逃す彼ではない。

 まだ距離があったが――第三の腕の肩と肘を縮めると、思い切り胸板に向かって殴りつけた。さしたる膂力ではなかったが、動揺させるに十分な力だった。

 よろめいた隙を突いて『探り手』で黒い人物の手を掴むと、思い切り捻って杖を落とした。地面に落ちる前に左手で拾うと、その杖で思い切り黒い人物を横殴りにした。

 解創を使わないとはいえ、完全に不意を突いた一撃――だが驚愕はむしろ、彼のものだった。

「なっ……!」

 ぱらぱらと落ちる白い粉のような物体……それは、剥離した(、 、 、 、 )(、 、 )だった。

 思い出した――杖にはオリジナルがある事を……そしてそれを、三年前に誰が使っていたかを。そして、今になって見えたこの解創も名前だけは聞いている。

籠守り(かごもり)……!」

 上宮斉明の曽祖父――上宮富之の防御における隠し玉。悟らせない防壁により、不意の一撃、敵の秘策を防ぎきるための道具だ。対象人物を閉じ込める形の六角柱。その表面には、大量の肉抜きが施されており網も同然。だが穴の形を正六角形のハニカム構造にすることで、耐久度……防壁の性能を衰えさせない工夫が施されている。

 あまりの再現度に驚愕する中、黒い人物の長い腕が喉に伸びてくる――彼は喉だけは掴まれまいと下がるが、代わりに襟首を掴まれた。そのまま強引な力で引き寄せられる。

 巨大な鉄の籠に、したたかに胸を打ち付けて、潰れたカエルのような情けない嗚咽を漏らす。

 持ち上げられてから手が離される――彼が落ちる僅かな時間で、黒い人物は右手を懐に入れると、中から何か取り出した。

 それは一メートル半はあろうかという刀だった――。

 ――くっそ……!

 懐から出したが、いったいどこにそんなスペースがあるというのか……。

 籠守りの解創は、使用者の意思で網目の隙間を開ける為隙が無い。とはいえ接近戦で、しかもこっちは杖を持っている。杖を『探り手』に持ち替えて、その意図を把握する――『研削』と『対流』と『火成り』の解創――やはりかと舌打ちしながらも、この状況では頼もしい。何が来るかにもよるが、工夫次第ではこの流れを変えられる――!

 だが黒い人物が取ったのは、刀による白兵戦ではなかった。

 その切っ先を彼に向ける――切っ先から陽炎が立ち上る。

 全身から汗が噴き出した――オリジナルにそんな挙動は無かったが――彼は、その正体を看破した。

 ――これは……!

 裁定委員会第十六課、その課長が使い、炎上する屋敷を吹き飛ばした――熱と圧で物を切断し吹き飛ばす二重解創――『大蛇殺し』。

 ――上宮だけじゃない、むしろ、あの夜を匂わせてくる……!

 これはまるで、上宮家と裁定委員会の間で起こった、あの夜に使われた数々の解創の見本市だ――察しつつ、斉明は歯噛みする。

 大蛇殺し――以前は向こうが急いでいたため途中で止めてくれたが、今度は敵に、そんな遠慮はない。しかも今回、防御に類する道具はない。ここで即席に作るにしても、その材料が無い……危機的状況に歯噛みしながら後退し、次の手を模索していた直後――黒い人物の足元に鉄の矢が突き刺さった。

 さらに二つ三つと追い越すように鉄の矢が地面に突き刺さり、危険を察知した黒い人物が引き下がる。

 後ろの扉から現れた援軍に、彼は振り返る。

「久篠乃さん!」

 そこには長身の女性の追求者が立っていた。やはり監視用の解創――カラスの遺骸――で、監視をしていたのだ。

「斉明、大丈夫?」

「はい……」

 ふと気づくと、黒い人物は竹林の方に後退し始めていた。形勢が不利だと判断したらしい。こちらも追撃する意思はない。じりじりと後退しながら手持ちの武器で牽制すると、敵はこちらを見据えたまま竹林の中に消えていった。

「もしかして今のが……」

 久篠乃が歩み寄りながら、竹林の中を睨み付けた。珍妙な姿の襲撃者が誰かというのに、既に彼女は予測がついていたからだろう。

「ええ……」

 ――例の襲撃犯か……?

 狙いは自分だったのか? だがそれなら、こんな場所に誘導した理由は? もっと別の時間に狙えばいいものを……それとも別に理由があったのか? 上宮家殲滅時に使用された解創を使った理由は?

 様々なヒントを残しているというのに、その自問に、ついに答えは出なかった。

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