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  #08 久篠乃

 二週間が過ぎた。とりあえず今月分の仕事は滞りなく進み、納品後のチェックも問題なしということで、久篠乃は一息ついていた。また明後日には邦宗との打ち合わせがあるが、それまではゆっくりできそうだ。

 斉明の作業の進捗も気になっていたので、ちょうどいい。斉明は一人で大丈夫と言っているし、既に右手を作ったのだから左手の『探り手』も作るうえで心配はいらないだろうが、それでも気になるものは気になる。

 斉明の『派生』と唯一直に話して作業できるのは、今でも久篠乃ただ一人だった。裁定委員会の人間は作業自体には立ち会わないし、『原本』である本人は、当然『派生』と会話することなどできはしない。

 左の『探り手』を作るように斉明に提案したのも久篠乃だった。比較的小さな道具は片手で扱える物が多いが、今後大きなものを作ることになると、両手で扱う道具も増えてくる。よって『探り手』も両手分あった方がいいと考えたのだ。

 久篠乃はリビングにて、一人でテレビを見ていた。それほど面白い番組は放送しておらず、仕方なく再放送のクイズ番組を見る。

 今日は日曜日なので、斉明は出かけている。斉明の行く場所といったら、もっぱら図書館か本屋だった。たまにホームセンターやら質屋に立ち寄って、何か珍しいものや参考になるものは無いか、色々見て回っているらしい。昼の一時から出て、今は午後五時とまだ帰ってないので、今日は両方に行っているのだろう。

 斉明の一人歩きの行動範囲は割と広い。携帯電話も一応持たせているが、急ぎで電話して出るかどうかはコインの裏表のようなもので、まるで猫のようだ。

 ――ま、そんな斉明をどうにか面倒見れてるだけで、私も後見人、それなりにできてるのかしら……。

 つい心中で自画自賛してみる。しっかりしていても、自分の事になると斉明は束縛を嫌う性質なので、扱いが難しい。

 しばらく、ぼぅっとテレビを見ていると、不意に呼び鈴が鳴った。ソファから立ち上がってインターホンのボタンを押すと、画面にエントランスの様子が映し出される。服装から、何かの業者の人間であることが分かる。

「はい、篠原ですが?」

『宅配便でーす』

 緊張感のない間延びした声がスピーカーから聞こえてくる。エントランスを通すことも可能だが、今日はずっと室内にこもっているのに気付いて、気分転換がてら、久篠乃は下りることにした。

「今から下りますんで、待っててもらっていいですか?」

『あ、はーい。分かりましたー』

 すぐに戻るとはいえ、最低限の警戒は怠らない。久篠乃は戸締りをして玄関の鍵を閉める。エレベーターに乗って一階に降りる。ガラスの扉の向こう側に、段ボール箱を持った業者がいた。

「どうも~。こちらにサインお願いします」

 渡されたボールペンで久篠乃がサインすると、業者は帽子を脱いでお辞儀をする。

「はいすいませんー、ありがとうございましたー」

「こちらこそ、ありがとうございました」

 業者の人間が玄関口に停めてあるトラックに戻る。通販などは頼んでいないと思い、ふと気になってあて先を見る……特に書いていない。

 久篠乃は部屋に戻ると、作業部屋に向かった。こういうものはたまに来る。なにか追求者関係のものだろう。見た目の割に重さがあるので、結構ぎっしりと入っているに違いない。

 エレベーターから出て部屋の前に来ると、いったん段ボールを置いてからポケットに入れた鍵を使って入る。

 作業部屋に入ると、重い段ボールを作業台に載せた。

 ナイフを使って止めてあったテープを切断する。開けてみると、中にはぴったりなサイズの発泡スチロールが入っていた。それ以外には特にない。手紙などが入っていてもいいだろうに……。

 仕方がない。とりあえず蓋を開けててみる――ふと、中から何か漏れ出す気がした。かなり密閉されていたのだと理解する。密室にしていた部屋の窓を開けたような感覚だ。

 いや、漏れだしたというのは気のせいではない――鼻をつく臭気に、思わず久篠乃は眉根を寄せた。

 生臭い。なんだこれは……。

「……えっ? なにこれ……」

 それは色鮮やかで、かつ不気味で突飛な代物だった。白い体に鮮やかな橙と黒の斑模様――表面のぬめりが照明の光を不気味に反射している。

 鯉の死体だ。

 保冷材などの類は入っていない。臭いからしても腐っているものとみて間違いない。死んだ魚の目は、不気味に久篠乃を見返している。

 わずかに吐き気が込み上げて、久篠乃は口に手を当てる。冷凍便の配送ミス……というわけでもあるまい。悪戯にしてはやり過ぎだろう。

 ふと気づく。鯉にひれ(、 、 )がない……いや、もぎ取られている。あるべき位置には根元の断片らしきものが残っており、毟り取ったらしいと予想できる。

 送り主が何者かは知らないが――悪辣な趣向を凝らしたメッセージが窺える。

 裁定委員会に連絡するべきか? 斉明には見せない方がいいか? そんなことを考えていると、先ほどとは違う(にお)いが充満し始めているのに気付いた。……目に染みる。さっきよりも刺激の強い匂いは……なんだか焼き魚のような……。

 鯉の腹が風船のように膨らんでいる。鯉の口や鰓の隙間から煙が燻っているのが見えた――突如、鯉の腹から破裂するようにして火が噴き出した。

「うわっ!」

 しゃがんだ久篠乃に火は届かなかったが――代わりに火は鯉の死体を包み込むと、腐肉を薪の代わりに火勢を増していく。

「ちょっと――ッ!」

 久篠乃は近くにあった布を手に取るが、その前に、火は火柱になって天井に届かんばかりに伸びると、一気に火勢が衰えて、たちまち消え去った。

 嘘のように消え去った火――残ったのは、網膜に映る火の光の残像と、周囲に立ち込める異臭、そして作業台の黒い痕だけだった。

 久篠乃は火事にならなくてよかったと一安心するが、むしろ苛立ちは募るばかりだった。今の燃え方は異常、明らかに解創によるものだ。

「燃えカスは……残ってないわね」

 作業台に視線をやるが、段ボール箱すら残っていない。おそらく段ボールと発泡スチロール、そして鯉の死体『だけ』に対象を絞った『火葬』か『焼却』の解創だろう。対象を限定する代わりに、その燃焼度は普通と非ではなく、燃えカスすらも残さない。

 メッセージ的なものが見えながらも、しかし証拠は残さない。挑発的だが用意周到……こんなことを自分にする人間に、久篠乃は心当たりがあった。

「国枝邦明……」

 忌々しい名前がこぼれてた唇を、久篠乃は苛立ちから軽く噛んだ。

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