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  #06 邦宗

 資材管理部の国枝邦宗は、ひとしきり書類を整え終わると、椅子に座ったまま伸びをした。今日は根を詰めて仕事をしたなと思う。

 彼の仕事は、主に追求者と接触して参考資本を提供してもらったり、参考資本を貸与することだ。予定は貸与管理表で管理し、もし貸与期限までに返してきそうにない追求者がいれば、実働部や人事部の派遣代理課等に回収を依頼したりもする。

 邦宗の担当の中には、篠原久篠乃と上宮斉明がいた。前者は貸与希望の多い道具の提供が沢山あり、後者は数々の逸品を作り出す一種の『ブランド』である。どちらも大口の取引先で、若い邦宗に任されるのは、ひとえに彼の実績と信頼の賜物だった。

 さて、休んでばかりもいられない。邦宗はパソコンを操作する。

 いまどきインターネットや社内ネットワークにも繋がっていない、完全にスタンドアローンなパソコンだった。入っているものと言えば、文書作成や表計算用といった事務ソフトと、あとはせいぜいプリンタドライバーくらいのものだった。

 表計算ソフトのファイルを立ち上げる。参考資本提供者一人ごとにファイルが一つ用意されており、シートごとに一つの道具の管理表になっている。(くだん)の篠原久篠乃の場合、ファイル容量が大きくなりすぎるため、三つもファイルがあった。

 一人ごとに一つのファイルで管理するのは、全部のシートでの貸与による発生金額を、月単位で金額計算をするのに便利だからだ。資材管理部で作成されたテンプレートを使っているので、邦宗がやる事と言えば、提供された道具ごとにシートを作成することと、貸与希望者がいれば名前と貸与期間を入力する事だけだ。あとは集計結果のシートにテンプレート時から記入されている関数が、勝手に金額を計算してくれる。

「流石に人気だねぇ……」

 集計結果のシートを見ると、来年の四月まで貸与予定が決まっている。まったく大した人気ぶりだ。

 続いて斉明のファイルを開いた。数こそ平均より少ないものの、金額だけなら軽く平均を越していた。一応、上宮斉明名義の口座に振り込んではいるが、通帳は久篠乃が管理しているはずなので、どうなっているかは分からない。

 ――まぁ、篠原さんだから大丈夫だろうけど。

 せいぜい使っているとしても、斉明に小遣いを渡すときに引き出しているくらいのものだろう。後見人としての彼女は信用できる。

「ええっと、今日の分は、っと……」

 自分が外出している間にも、メールや電話で貸与依頼の連絡は入っている。重複しているかいないかを確認して、返答していかなければいけない。

 時計を見ると、まだ午後六時半だった。大した数は無いので、二十分と使わないだろうし、連絡しても大丈夫な時間だろう。

 自分の携帯電話に来ているメールや、デスクに貼ってある付箋を確認して、一つ一つ返信の処理を済ませるが……。

 ――妙に多いな。

 依頼の数は、いつもより少し多いくらいだ。だが特定の人物の道具に対する依頼が多い。それを除けば、今日はいつもよりだいぶ少ないくらいだった。

 それは上宮斉明の道具に対してであり、数は十九にも及んだ。一つ一つの貸与期間が短いとはいえ、数が多いため金額は相当になる。

 儲けが出るのは喜ばしいことだが、邦宗は素直に喜べなかった。貸与の仕方に違和感を抱いたからだ。普通の追求者の道具の貸与であれば、一日二日で道具を貸与してもらう事は珍しくないが、それでもせいぜい、数は五つから六つ程度だ。

 そして上宮斉明の道具の貸与の場合、もっと数少なく、かつ長期間になる事が多い。一つの道具で一か月以上という事もある。実際に貸与した追求者に訊いたところ、解析に時間が掛かるためだそうだ。使う分には問題ないレベルではあるが、それを解析して作るとなると、少々難しい部分があるらしい。

 そこまで踏まえると、十九もの道具を、一日二日で連続貸与というのは妙である。まさか参考資本を奪取するつもりだろうかと思ったが、そんなわけもあるまい。全部の道具を一度に貸与するわけではないし、仮に一つ奪取しても被害としては少ない。それに向こうは余計なリスクを負うだけだ。

 依頼者の名前は海老谷(えびや)未海(みう)となっている。

 ――よほど目を付けているのか……?

 上宮斉明は『上宮の神童』とまで言われた子だ。その可能性は無くもない。だが、これは異常ではないか。調べてみると海老谷未海は、一度も委員会に対して貸与希望を出したことのない人物だった。ちょうどいい。電話番号は送られていたので、携帯電話で連絡を取ってみる。

 数度のコール音の後、相手は出た。

『もしもし……』

 応答したのは、掠れた女の声だった。

「もしもし、海老谷未海さんのお電話でよろしかったでしょうか?」

『はい……そうですが……』

「資材管理部の国枝国胸と申します。参考資本について貸与依頼を出されていますが、間違いございませんでしょうか?」

『はい……そうです』

「一応決まりなので、一つずつ依頼を確認させてください。依頼の方は控えていらっしゃいますでしょうか?」

『はい……一つずつ言っていけばいいですか?』

 十九の依頼の確認を取る。とりあえず漏れもなく問題ないし、電話をかけてきた本人と確認も取れた。

「正式に貸与依頼書を提出して頂く事になりますが、依頼書の用紙の方を書いてもらわなくてはいけませんので、お会いできる日を確認したいのですが……」

 貸与依頼書は郵送することも可能だが、あえて邦宗はそれを言わなかった。もちろん訊かれたら嘘はつけないので「郵送できる」と答えなければいけないが、相手はその事については問い返してこなかった。

『明日の、午後二時とか空いてますか?』

 邦宗は自分の手帳を取り出して、予定が無いか確認する。

「ええ、大丈夫です。では明日に依頼書の方をお渡ししますので、その場で書いて頂きたいと思います。場所は……資材管理部のオフィスで大丈夫ですか? 場所は……」

 邦宗は最寄駅からの行き方を説明する。

「ではまた明日の朝にでも連絡させて頂きますので、よろしくお願いします。それでは失礼します」

『はい……失礼します』

 邦宗は通話を切った。


 翌日、時間通りに海老谷未海はオフィスに訪れた。

 腰まで伸びた黒い長髪は手入れが行き届いておらず、目の下にはある薄っすらとあるクマと、こけた頬が、やつれた印象を与える。

「それで……連絡していた件ですけど……」

 しゃがれた声は、若い女の瑞々しさをまるで感じさせなかった。レコードに録音された音を再生しているように、無味乾燥としている。

「え、えぇ……こちらが正式な依頼書となります」

 邦宗はファイルを取り出し、中から正式な依頼用紙を取り出す。十九もこの紙を用意するのは、さすがに初めてだった。

「希望されている貸与の予定ですが、貸与予定が決まっている物がありますので、若干、貸与する順番が制限されます」

 邦宗は、希望された参考資本の貸与管理表を見せる。管理貸与表は、特に機密という事は無い。『誰に貸与するか』を除いた『どの期間に貸与されているか』は、希望者と貸与期間を相談するために公開していいことになっている。

 未海は管理表に一つずつ目を通し、若干の確認を済ませると、それで満足したようだった。

「特に問題ないので、そちらのご都合に合わせます」 

「ありがとうございます。ではこちらの方に記入を……」

 ひとしきり作業が終わると、邦宗は雑談とばかりに話しかけてみる。

「ところで、どうしてこれほど一度に貸与を希望されたんですか?」

 未海が上目遣いに邦宗に視線を向ける……感情の読めない暗い瞳は、ただ見られているのか、それとも睨まれているのか判然としない。

「……私事ですけど、短期のアルバイトで生計を立てておりまして……そのバイトの雇用期間が終わって、次の仕事が入るまでの空いてる期間に、一気にやろうと思って、まとめて貸与を希望しました」

 追求者でもスケジュールを組んで追求活動をしている者は、それほど珍しくない。特に若い世代……働きながら追求者として活動している者には顕著にみられる。海老谷未海もその例に漏れないらしい。

 追求者は一般社会から切り離された存在であるべし――という考えの者は多い。特に裁定委員会にも、立場を問わず、そういう考え方をしている人間は多い。解創が一般社会に漏洩する可能性は、極力少ない方がいいからだ。

 だが追求者の数が衰退している昨今、少しでも可能性のある人物がいれば、たとえ多少追求者として問題があっても、今後の解創の発展のために、できるだけ補助して管理したいというのが裁定委員会の意向だった。それにあまりに常識が無さすぎる追求者は、裁定委員会と上手く噛み合わず、結果としてトラブル要因になりかねない。

「そうですか……追求者の方も大変ですよね、追求者一本で生きていけるほど、世の中甘くありませんし……」

 邦宗は未海を警戒させまいと、世間話を吹っかけてみる。

「……資材管理部の方は、どうなんです?」

「こっちは追求者と違って、給与は支給されますから……まぁ、そんなに多くもありませんけどね」

 せいぜい世間から見ても中の下程度の月給でしかないが、解創を知るものとしては、この世界に背を向けるのは憚られたし……また、こういう仕事に従事していれば、もしかしたら追求者としての才覚を手に入れる機会があるかもしれないという、淡い希望も持っていた。

「そうですか……責任感がお強い方なんですね」

 とんでもない、と邦宗は謙遜する……謙遜だけでなく、自分はそんな立派な人間ではないという自覚があった。

「まぁ家が追求者の家系でしたので、その影響というのが大きいですけどね……海老谷さんのお宅も、追求者の家系だったんですか?」

 一瞬――その眼が初めて色を灯した。ぞっとするような憤怒と憎悪と……そして恐怖が綯い交ぜになった……暗く淀んだ色だった。

「…………そうですね、そんなところです。もうだいぶ衰退して、今では追求者は、ほとんどいませんけど……」

「ほとんどという事は、海老谷さんの他にも、追求者の方が?」

「ええ……」

 それが本当なら裁定委員会としては喜ばしい。まだまるで知らない海老谷という追求者の家系だったが、もし見込みがあれば、復興にも手助けができるかもしれない。

「もしその方と会う機会があれば、ぜひともご一報ください。こちらとしても、何かしら協力できるかもしれません」

「まぁ、機会があれば……」

 未海は皮肉っぽい笑みを浮かべた。その表情に違和感を抱いたが、それ以上問いただそうにもできず、邦宗は黙るしかなかった。

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