#04 斉明
小一時間後、久篠乃が帰ってくるのが見えた。雨なんて降っていないのに、カーディガンのフードをかぶっている。
「…………」
まもなく玄関の扉が開いて、久篠乃が帰ってきた。
「ただいま~」
「おかえりなさい」
「夕食どうした? ちゃんと食べた?」
久篠乃の問いかけに、斉明は間断なく応じる。
「ええ、ハンバーガーとポテト」
「また?」
またとは心外である。斉明は弁明する。
「またって、前に食べたの、結構前じゃないですか」
「いやいや、なんか毎回ワンパターンだなーって……」
確かにワンパターンというのは否定できない。斉明が好む外食と言えば、ファストフードだけだった。
「あ、そうだ……」
久篠乃を疑うなんて真似はしたくないし――第一、久篠乃が狙う理由もない。だが疑ってかからなければ始まらない。
「久篠乃さん……昨日の会談って、どうなったんですか?」
「昨日のって、個人的な奴? どうしたの突然?」
想定していた返答だったので、斉明は考えていた通りに応じる。
「まぁ……委員会との取引とかは、一通り分かってきたんで……そろそろ個人的な取引みたいなのも、知りたいかなと思って……」
「へー、そう」と久篠乃は言った。斉明の返答に違和感は抱かなかったらしく、淀みなく続けた。
「まぁこれと言っては特に問題は無かったけどね。来月からの仕事だし、月の頭から二週間でやればいいから」
「そうですか……時間は大丈夫なんです?」
「裁定委員会からの依頼と並行して進めるけど問題は無いわ。もともと委員会の依頼をこなす余り時間でやろうって予定だったし」
「あ……」
ふと斉明は久篠乃に近寄って、カーディガンを凝視する。……ほんの僅かだが、木材のような匂いがした。
「どうかしたの?」
斉明はカーディガンに手を伸ばす……実際には何も付いていなかったが、手の中に用意していた糸くずを、取ったかのように見せつける。
「なんか糸くずついてました」
「ありゃま。ありがと……どこで付いたかな」
疑問に思っているようだが、斉明は気にせずゴミ箱に捨てる。
「じゃあ僕、そろそろ寝ますんで」
「あらそう? おやすみー」
「お休みなさい」
斉明は自室に戻って扉を閉めると、ゆっくりと息を吐く。
やっぱりそうだった……。
おそらく久篠乃は、あの白いカーディガンを使わざるを得なかったのだ。大急ぎで箪笥から引っ張り出したのだろう。だが白いカーディガンに合わせてコーディネートするのに、合うボトムスが無かったから、急遽ミニスカにレギンスという格好にしたに違いない。
そしてカーディガンは……近寄ってみて初めて分かったが、金属の糸のようなものが縫い込まれていた。あれならフード付きなのも納得がいく。あれは防御用の解創の道具だったのだ。それを用意した理由は一つしかない。久篠乃は明日香の事件を知っていたのだ。上宮関係者という事で自分が狙われる可能性を考慮した、と考えれば、辻褄は合う。
それにしても同窓会に行く予定があったのならば、断ればいいだろうに……それが出来ないのが、篠原久篠乃という人間なのかもしれない。
そして何より斉明にとって重要なのが……。
――久篠乃さんは、どこで事件の事を知ったんだ?
問題は、どこで知ったのかだ。まず犯人の線は除外していい。カーディガンを用意したのは、自分が狙われる可能性を考慮しての防御の策だ。それすら斉明に信用させるためのブラフかもしれないが……斉明もさすがにそこまでは疑わない。
となると、独自の情報網から入手した可能性だが……そんなものがあるのだろうか? 三年一緒に住んでいるのに分からない。
――もしくは……僕を盗聴してたか、か。
斉明と情報部員の間の話を聞く手段があれば、分かっていてもおかしくない。
おもむろに斉明はベッドから這い出た。
――大丈夫……。
三年前の会ったばかりの頃ならば、こうは考えなかったかもしれないが……今なら大丈夫だという確信を持てた。裁定委員会の口止め? 知ったことではない。
部屋から出てリビングを通過し、久篠乃の自室のドアをノックする。
「久篠乃さん、起きてますか?」
すぐにドアが開くと、久篠乃が出迎えた。斉明が久篠乃の部屋に尋ねるのは珍しいことなので、久篠乃は困惑顔だった。
「あら斉明。どうかしたの?」
「ちょっと話したいことがあるんですけど……いいですか?」
「うん、いいけど……」
久篠乃がドアの方に寄る。何かと思ったが、自分を通すためだと気づいて、斉明は戸惑った。リビングで話すつもりだったが……まぁ、久篠乃の部屋でも問題は無い。部屋に入る。
「あ、そこの椅子にでも座って」
そう斉明に薦めつつ、久篠乃はベッドに腰かける。
「で、話って?」
大丈夫だとは分かっていても、やはり葛藤が生まれて緊張する――もし違ってたら――……斉明は唇を舐める。
「さっき着てたカーディガン……あれ、解創の道具ですよね? どうしてあれを着ていったんですか?」
「…………」
久篠乃は硬い表情で沈黙に徹する。あと一押しだと斉明は思った。
「何か襲撃される心当たりがあったんですか?」
久篠乃は硬い表情を崩して苦笑いを浮かべると、小さく溜め息をついた。
「あの事件のこと知ったって、気づいてたんだ……それならそうと、言ってくれればいいのに……」
「いえ……今さっき気づいたんです」
たじたじといった感じで、久篠乃は頬を指で掻く。
「斉明のことが心配でね……外に出てる時とかは監視できるようにしてたのよ……」
そういえば……昔、久篠乃と喧嘩になった日、久篠乃が思いのほか早く自分を見つけたことがあったなと思いだす。
「それこそ言ってくれればいいじゃないですか」
強い語気だったが、それは怒りからでも苛立ちからでもなかった。逆に久篠乃はバツの悪そうに語気を弱める。
「あんまり過保護だと、それこそ斉明が気にするかなって」
「気にしませんよ。もう三年も一緒にいるんですから」
「そう……ありがと」
伏し目がちに久篠乃は呟いた。けれどそれは後ろめたさからではないと分かって、思わず微笑みそうになる……それを堪えて、斉明は照れ臭くなって話を逸らす。
「それはともかく……どうやって監視してたんです?」
「ああ……道具ね」
久篠乃は立ち上がると、おもむろに部屋の窓を開ける。たちどころに窓から入ってきたのは、体長五十センチ超の黒い鳥だった。
「カラス……いや……」
その挙動に、ほんの少し違和感を抱いた斉明は、たちどころにそれが生物としてのカラスでないことを見て取った。
「えぇ……カラスの死体を元に作ったものよ。素材自体は同じものだから、仮に壊れて回収しそこなっても大丈夫。拾われても死骸にしか見えないし、風雨なんかによって自然分解もする……逆に小まめにメンテが必要なんだけどね。『追跡』の解創とか、その他いろいろ仕込んでる」
「音は、どうやって拾うんですか?」
「こっち」
久篠乃が机の引き出しから取り出したのは、携帯電話だった。
「なんていうか……文明っ子ですね……」
「便利だからいいじゃない! 分かりやすかったんだから」
裁定委員会にはウケそうだが、自分が使いたいから秘匿するだろう。カラスから手に入れた情報は電子的なものではなく、解創の技術によって携帯電話に送信されるということだろう。
「それで、話は全部聞いてるんですよね?」
「ええ。鳩子の明日香ちゃんだっけ? 通り魔に見せかけて襲われたって話でしょ?」
「犯人が誰か、心当たりとかは?」
「そりゃ分からないけど……斉明の事を狙ってもおかしくはないと思う」
「同じ理由で、久篠乃さんを狙う可能性もある……もしかしてですけど……例の国枝の跡取り……あれの可能性はありますかね?」
またしても久篠乃は首を横に振る。
「分かんないわ。これだけじゃ判断のしようがないもの」
「そうですね……」
そこで二人とも考えが行き詰まる。結局その夜は、今後は外出するときのために、自衛手段を整えておこうという話にしかならなかった。
次の日といえば、テスト週間中に出来なかった仕事をこなしていた。といっても、裁定委員会からの依頼は使う事を考慮した作成だったため、斉明は『使い「手」』によって依頼をなすことになった。
使うことを考慮しなくていい作成であれば、斉明は『使い「手」』を使わずに作成していたのだが……作成する過程で道具を使う事が増え、その場合も『使い「手」』を使うため、原本である彼自身が作る機会はかなり減っていた。
使う事を考慮した作成をできるようになる事――それが、上宮斉明に求められていたことであり、事実それはできている。
しかし『使い「手」』を作った彼自身が、作る時間を減らされるという事実に……承知していたとはいえ、少し憂鬱になる。
ベッドから起き上がると、いつも通り久篠乃がいた。様子を見るに、特に問題があったというわけでもないらしい。
「作成、うまくいきましたか?」
「ええ、ちゃんとやってくれたわ。確認作業も問題なし」
ついさっきベッドに寝転がったと思ったら、時間が経過していて作業も終わっている……慣れてきているが、この妙な断絶感に対する寂寥感は拭えない。
「未だに、変な感じです……これ、なんか時間が飛ばされたみたいで」
主観的には二時間程度のタイムスリップのようなもので、感覚としては手術前の麻酔に近い。それと全く違う点は、自分が感覚しない間にも、自分の身体は何かしら活動しているという点である。
「ま、休んでおきなさい。身体の方は疲労してるんだから」
「そうします……」
原本である斉明自身は何もしてないのに、なんだか神経がすり減っているような感覚がした。……この疲弊は、本来なら派生だけが抱くべき感覚だろう。それを自分に押し付けられるのは……利を得ず損だけ負わされたような気分だ。
「ところで……左の『探り手』の状況、どう?」
ふと久篠乃が尋ねてきたのは、原本である斉明が今のところ成しうる、数少ない『作成』の一つだった。
道具を使ったりするうえで、右の『探り手』を一つでは心もとなく、両手でする作業も多いので、左も作ることになっていたのだ。
「ええ。右の改良型と同じものを左でも作ろうかと」
三年前に『探り手』の試作が終わってから、斉明は携帯機構を有した改良型の『探り手』を実作業の使用に投入していた。久篠乃によると、それによる問題等は、特に発生していない。『探り手』や『使い「手」』、そして『使い「手」作り』において、斉明が気にしているのは、試しに使ってるところを自分の目で見れない点だった。
「そう……根詰め過ぎないようにね」
「はい」
久篠乃が部屋から出て行ってから、斉明も自室を出て作業部屋に戻る……この『探り手』だけは、自分が作りたい。いくら自分が使う事が無い道具であっても、上宮斉明の派生たちの作成に影響する以上、そこにだけは原本としての意地があった。




