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  #03 斉明

「はじめ」

 金曜日の四時間目。それが本日最後のテストだった。皆が一様に白い用紙をひっくり返す音を聞きながら、斉明は肘をついた姿勢で溜め息をついた。

 中学になって、テストに英語という項目が追加されたのは、まったくもって迷惑甚だしい。なんで日本に住んでいるのに、外国の言語を学ばなければならないのか。

 グローバル社会などという言葉も、追求者である自分には知った事ではない。だが委員会や、それに久篠乃は、そういう一般教養も学ばせたいわけだから、蔑ろにするわけにもいかないというのが腹立たしい。

 中学には、一般的な公立校に進学した。理由としては、元の小学校から順当に入る中学校は、基本的に部活に入るのが強制だという話を聞いたからだった。小学校には家の事情と説明して至って普通の中学校に入ると、斉明と同じ小学校出身の生徒は一人もいなかった。そもそも浮き気味な自分に近寄ってくる人間など一人たりともいるわけがなく、自然と孤立していた。

 そのこと自体は、別にいい。仲の良い友人が出来て、家の事情を変に勘ぐられても面倒だ。とはいえ、不便な事もある。例えばテスト勉強。久篠乃に訊くつもりもない。

 高をくくって何もしなかったツケが回ってきた。学校の授業は真面目に聞いていなかったし、何が何だかさっぱりわからない。この様子だと英語は平均点を下回りそうだ。

 ――まぁ、面倒なものはどうでもいいや。

 赤点にさえならなければ、補習も何もないのだ。分かる欄だけ答えて、分からない欄は適当に埋めると、ぼう、と目だけ動かして、教室の窓越しに、廊下の窓の外の景色を見る。

 青い空と白い雲――この景色で憂鬱になる人間は少ないだろうな、なんて思う。三年も経つのに、斉明はどうしてもあの夏の日を思い出してしまう。

 何も考えずにいると鐘が鳴って、周囲から息を吐く声が聞こえてきた。最後に見直しくらいはしとけば良かったかなと思うが後悔にまでは至らず、そのまま後ろから回ってきたプリントともども前の人に回す。

 その後は、掃除の後に下校となる。部活に入ってる人間は部活に行くが、帰宅部の斉明には無関係だった。

 ――帰るか……。

 鞄を持って教室を出て、昇降口に向かう。自分の下駄箱の手前で話している男子生徒が二人いた。「どけ」と言うのも面倒なので、横を素通りしようとしたが、カバンが相手の膝にぶつかった。

「あ、ごめん」

 軽く頭を下げて言って通り過ぎると、舌打ちが聞こえた。斉明は構わず自分の靴を出す。ぶつかられた方が毒を吐く。

「なんだこいつ、ちゃんと謝れや気持ち(わり)ーな」

「ほら、こいつクラスでぼっちだから……」

 ――それ今関係ないじゃん……。

 面倒ごとは嫌いだ。さっさと立ち去るに限るだろう。靴を履くと、そのまま日差しの強い外に出る。

 ――ぼっちか……。

 そういう事は、あまり考えたことが無かった。自分の周りには常に大人がいたし、考えることも、作る事か、もしくはそれに関する事ばかりだったからだ。

 富之がいなくなってからは久篠乃がいた。だからそれで十分でもあったが……久篠乃の言う通り、ちゃんと友人を作るべきなのだろうか?

 だが線引きが面倒だ……いっそのこと、追求者か裁定委員会の人間が転校してくれば楽なのにとも思う。それなら参考資本や依頼品などについて、日常的に話すこともあるし、連絡も楽に済む。久篠乃が後見人から外れてからも、そいつと繋がりがあれば、委員会と連絡するときに便利……。

 ――ダメだ、考える方向性が違う気がする……。

 どうしても自分が考えると、分かりやすい利便性を求めてしまう。一緒にいて楽しいとか、面白いとか、そういうのを求めるのが健全な友人関係だろうに、これでは本末転倒だ。

 久篠乃の為にも、友人一人くらい作っておいた方が安心させられるかもしれないと思いつつ、具体的な方針が浮かばず考えあぐねる斉明に、声をかけてくる人物がいた。

「上宮斉明くんですか?」

 スーツを着た人物だった。スーツの色は黒ではなくグレーで、緑っぽい色のネクタイをしている。気難しそうなメガネの男だ。

「そうですけど……」

「ちょっと、こちらに乗ってもらえますか?」

 男が示したのは、路肩に停車する白いセダンだった。

「どちら様ですか?」

 周りに聞かれないように、小声でも聞こえるくらい近づいて尋ねると、男も声をひそめて応じる。

「情報部の者です」

 それだけ聞くと、斉明は後部座席に乗り込んだ。スーツの男も乗ってエンジンがかかったところで、上からガサッと軽いものが当たるような音がしたが、斉明以外は気づいていないようだったので、斉明も無視した。

 セダンが発車する。どこに行くのかと思ったら、先に情報員の男が「あなたのお宅に送らせてもらうだけです」と言ったので、一安心する。

「何かあったんですか?」

 情報部の人間は、基本的にはこっちを『お客様』として扱うので、たとえ相手が子供であっても敬語で話す。ホテルマンと一緒だ。よほど仲が良ければ別かも知れないが、そういうことは互いの立場上、あまりない。

「キミの鳩子にあたる上宮明日香さんを覚えていますか?」

 忘れるはずもないが、突然ここで名前が出てくることに驚いた。裁定委員会が上宮家関係者という理由以外で、明日香に興味を持つ理由もないはずだ。

「ええ。それが?」

「昨夜、何者かに襲われて重傷を負いました」

 何を言っているのか分からない――事故、ではない。何があった? 動揺がそのまま表情に出るのが分かった。

「命に別状はないそうですが、上宮家の人間として狙われた可能性もある為、裁定委員会では警戒を強めております」

「……全く関係ない事件に巻き込まれた可能性は?」

「なにぶん犯行で不自然な点……解創を使ったらしき形跡はないため、警察も普通に捜査してしまっているような状態です。報道が広がらないように規制するくらいはできましたが……」

 一般に解創が漏れなかったのは不幸中の幸いだが、逆に一般社会に深入りされる理由を作ったともいえる。そのため裁定委員会は証拠隠滅にも動きにくい。本当に無関係な事件なら、変に手を出しても状況を混乱させるだけだ。万が一にも、警察が裁定委員会という存在に気付いてしまう事になれば、大失態である。

「このことは、決して篠原久篠乃には漏らさないように」

「……は? どうしてですか?」

 三家交配に辿り着いたか――と思ったが、違った。

「事件当日、篠原久篠乃にアリバイがありません」

 襲撃されたと思わしき時間を説明されると、斉明は昨日の久篠乃の予定を思い出して応じる。

「その時間なら、一般の追求者との会談に出かけていました」

「篠原久篠乃が、貴方に嘘を言っている可能性もあります」

「…………」

 そこまで疑われていたら是非もない。斉明は押し黙る。

「それに情報漏洩して欲しくないというのもあります。追求者の間でも、あまり広く知れ渡って欲しくもありません」

 もちろん根本的な解決もしなければいけないが、裁定委員会としては事態収拾――解創が一般社会に漏洩する可能性を潰していくのが急務だ。余計に手を出して、状況を悪くしたくないのだろう。

「そしてこれは……あなたに対する、裁定委員会からの提案……と言っても、実質強制ですが、事が解決するまでの間、あなたに外での監視を付けます。外出する時にも、尾行させて頂きます」

 人数のそう多くない裁定委員会が、斉明に人員を割くとなると、よほど自分が襲撃されることを恐れているようだ。……たしかに、委員会にとっては重要な協力者であることに違いは無いが……それだけだろうか?

「外出って……学校はどうするんです?」

「まだ正式には何も決まっていませんが、それまでは登下校をこちらで監視し、護衛させて頂きます」

「そこまでする必要がありますか?」

「と言いますと?」

「僕にこれだけ手厚いと……何か裏があるんじゃないかと疑いたくなるんですけど」

 斉明は本心をそのまま告げた。

「警備にも二種類ありまして……今回は秘匿して警備するよりも、威圧的に警備する……つまり追求者にはこちらが警戒していると見せつけることで、変な事を起こさせたくないという狙いがあるんです」

「なるほど……」

 確かに、事件を起こされて収集するよりも、事件が起きないようにした方が裁定委員会としても楽に済む。いくら監視しての護衛といえど、それはあくまで一般人にバレない範囲だ。襲撃犯には分かるようにする、ということだろう。

「では、またこちらから伺います。今日の事はくれぐれも、篠原久篠乃には漏らさないようにしてください」

「……分かりました」

 セダンが停まると、もう家の前だった。


 帰ってくると、リビングと自室を往復している久篠乃の姿があった。なんだか随分と慌てている。

「ただいま帰りました」

「あ、おかえり~。テストどうだった?」

 急ぎながらも斉明に話しかけてくる久篠乃だったが……その格好に、思わず斉明は度肝を抜かれた。黒いTシャツに白を基調にしたチェック柄ミニスカート、黒のレギンス……ずいぶん女性らしい格好だった。

「えぇ……まぁ、まずまず」

 久篠乃の普段のボトムスは、いつもはジーンズや綿パンが多く、足は出してもハーフパンツのように膝より下くらいまでしか出さないので、いくらレギンス越しとはいえ太腿まで見える今日の格好は異常と言えた。

「どうしたんですか、その格好」

 久篠乃は銀色の小さな腕時計を付けながら、斉明の質問に答える。

「あ、いやこれはその……ちょっと外出用というか……」

「どっか出掛けるんですか? って、そういえば、同窓会でしたね」

 今日は金曜日なので、少し遅くに帰っても明日が辛い事が無いようにするためだろう。

「そうなのよ……忘れてたんだけど、斉明、今日は夕食、一人で済ませられる?」

「別に構いませんけど……帰ってくるの何時くらいになりそうです?」

「うーん、十時くらいかな?」

 その頃ならまだ起きている。大丈夫だ。

「ええ、分かりました」

 再び自室から出てきた久篠乃は、さらに銀色のネックレスと、白いフード付きのロングカーディガン、同色のハンドバッグを持って出てきた……軽く眩暈がしそうだった。ネックレスは金属光沢でぴかぴかと光り、ハンドバッグも合皮だろうが艶は綺麗で、カーディガンも照明の光を浴びて、なんだかキラキラと光っている。

 女性は靴を多く持っているものと聞くが、久篠乃が持っているのは六足くらいだった。斉明には多いのか少ないのか分からないが、今日選んだのは踵のないパンプスだった。

「じゃあお願いね! 鍵持って出るから、外出るときは全部鍵締めて大丈夫だから!」

 そう言い残して、久篠乃は玄関から出て行ってしまった。


 小さく息を吐く。誰もいなくなると、途端に閑散とする。この家の悩みどころと言えば、広いのに人が少ないところだろう。

 一週間ぶりに、斉明は仕事部屋に向かう。

 幸い、久篠乃の作業に差し戻しは発生しなかったので、予定通りに進めれば間に合う――だというのに、まったく集中できなかった。

 あんな格好の久篠乃は初めて見た……なぜかこっちがドギマギしてしまう。

 あの格好に理由があるとすればなんだろうか? 男がらみ? らしくない女っぽい格好にも納得がいく。が……。

 ――馬鹿馬鹿しい。

 まったく作業に手が付かない。それに久篠乃に片思いの相手がいることくらい、何も不思議はないではないか。

 ――あ、いや、邦宗さんもいるのか……。

 なんとなくだが、三年も一緒にいると久篠乃と邦宗の仲が、単なる仕事や家の付き合いの物だけでないと察していた。少なくとも邦宗は好意的だ。だが久篠乃は、どう思っているんだろうか。やっぱり邦宗の事を……。

 なぜか胸が痛んだ。なんでこんな思いをしなくちゃいけないんだと考えて――ふと思い出す。最後に部屋に取りにいったロングカーディガンにはフードが付いていた。ファッションとしては、そういうものもあるのかもしれないが……。

 さすがに久篠乃の部屋に入るのは気が引ける。とりあえず帰ってきてから考えよう。


 斉明は当然のように、夕食はファストフードで済ませていた。ハンバーガーとコーラ、ポテトチップス。濃い味付けのジャンクフードは、単純明快で斉明の好みに合っていた。

 一人の食事は、久しぶりな気がする。

 夏休みの前までは両親がいたし、その後も曾祖父の富之や曾祖母の米、その他の親戚と食事をしていた。

 その後は――久篠乃のもとに来る前は、荒んだ生活を送っていた気がする。何もやる気がしなくて、けれど作っている間は、色々と忘れられた気がする。食事は自分の部屋で一人でしていた。

 あれから三年も経つのか――長いようで、短いような、そんな感覚だった。今でもたまに、あの夜の光景がフラッシュバックすることがあるが、頻度や苦痛は、以前よりも幾分かマシにはなっていた。

 ふと、あの時一緒にいた人を思い出す。

「雅姉さん……どうしてるかな」

 おそらく裁定委員会からの後見人が付いたはずだが、他の曾孫たちと違い、雅には追求者としての才能があった。委員会はどういう対処をしたのだろうか? あれから、どうなったんだろうか? 詳しい話は大船から聞けるかもしれないが……。

 やめよう。あんなことがあったんだ。もう雅とは関わるべきじゃない。同じ追求者としての才能を持つ雅に、なんとなくシンパシーを感じている。だからこそ、雅の事を思えば猶更もう関わるべきではなかった。

 雅にはあんな苦しい思いをさせたのだ――だというのに、また追求者の世界に関わって、苦しんで欲しくない。

 ――久篠乃さんならいいのか?

 ふと、自分に対して意地悪な考えが生まれた。斉明はかぶりを振る。久篠乃は自分で篠原に背き、参考資本提供者になったのだ。それだけの強さがあるのなら、自分の気遣いなんて不要じゃないか。雅と違い、その意志の強さは並大抵のものではない。

 これでは、まるで久篠乃をぞんざいに扱っているような気持ちになる。そうじゃない――問自答は繰り返される。

 雅の事も好きだし、久篠乃の事も好きだ。けれどどっちに対する「好き」という感情も、恋愛的なそれとは別物のような気がする。

 雅に対する好意は――同じ血を引く、同族に対するもの。

 久篠乃に対する感情は、尊敬する師に対するもの。

 どちらの感情も、三年前から変化はない……筈だ。過去の事なんて、正直よく覚えていない。

 考えても解決しない悩みの答えを求めるかのように、斉明は窓の外を眺めて、久篠乃の帰りを待ち続けた。

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