#01 斉明
二〇一三年、七月一日。
上宮斉明は篠原久篠乃と一緒に、裁定委員会に作業状況の報告と相談をしていた。場所は久篠乃の家のリビング。裁定委員会側の担当者と話を進める。
斉明が『使い「手」』を完成させてからというもの、斉明は久篠乃の参考資本の作成を手伝うようになっていた。それほど大きなものでなければ斉明に回している。
その判断は久篠乃だけではなく、裁定委員会側の人間と相談して決めることになっていた。
裁定委員会側の担当は、変わらず国枝邦宗だった。
「えっと……こっちが依頼したいのは四件分だ。合計で十二人日。完了は十三日頃でいいかな?」
会話は主に久篠乃と邦宗で進めるので、斉明は聞いているだけで済む。その為、この時間の斉明は割と退屈していた。授業ほどではないが、やることが無いのに話だけ聞くというのは、手持ち無沙汰だった。
「それなんですけど……斉明が来週から、テスト週間に入るので、出来れば二週間の間は斉明の仕事は入れないように……」
久篠乃が寝ぼけたことを言う。そんなのは不本意だと、斉明は口を挟む。
「いいですよ別に。テスト勉強なんてしなくても、どうにかなりますし」
「ダメよ、それも斉明の仕事の内よ」
「久篠乃さんだって、テスト週間だからって仕事控えたりしてなかったじゃないですか」
「私は私、斉明とは立場が違うの」
斉明が一緒に住むようになり三年が経った。久篠乃は今年で二十歳であり、高校はとっくに卒業していた。斉明が想像していた通り、久篠乃は大学に行かず、そのまま裁定委員会の参考資本提供者兼、委員会が使用する解創の道具の作成者となった。
「学校か、懐かしいねぇ……斉明くんは、いま中学一年生だったか」
邦宗が話を振ってくる。仕事に関係が無い雑談でも、邦宗は度々、こうして斉明に話かけてくるようになっていた。
「ええ……まぁ」
渋々斉明は失礼にならない程度に応じる。
「懐かしいなぁ……つい、この間まで小学生だったのに、時間が経つの早いもんだよ。青春時代はあっという間に過ぎ去るからね、満喫するのもいいんじゃないかい?」
「はぁ……」
「で、話を戻しますけど……」
斉明と邦宗が話している間に、紙に何か書いていた久篠乃が話を戻す。
「斉明が平日に費やせる時間は、十七時から十九時までの二時間ですから……五日で一・二五人日、土曜日は八時間が丸々使えて一人日で、一週間あたりで二・二五人日。テスト週間は一週間と、次週の金曜日まで……と言っても金曜日は最終日なのでその日からは動けますから、それプラス四日間……一人日分。テスト週間に作業できないのは、合計で三・二五人日ですね」
「その三・二五人日は、どうやって取り戻そうか?」
邦宗から納期をずらそうか、という提案はない。あくまで委員会としては、予定通りの期日に納品して欲しいようだ。ある意味、こちらに配慮のないセリフともとれるが、久篠乃はさりとて気にした様子もなく続ける。
「私がやってしまってもいいですけどね……私が二週間の間に、一日ごとに余計に〇・二五人日分作業すれば……十三日で消化できますので、二週間後までには間に合います」
斉明は、思わず眉根を寄せた。
久篠乃は、一日フルタイムで作業に没頭している。なので稼ぎの方では問題が無かった。今では依頼の方が少なく暇が出来てしまうという有様だった。とはいえ自分に割り振られるべき仕事を、余計に久篠乃にさせて負担を掛けるというのは、斉明の望む話ではない。
「そうだねぇ……まぁいつものことだけど、できたものから分納してもらいたいから、ちょっと気になるかな……」
分納とは、複数の成果物をまとめて一度に納品するのではなく、できたものから数度に分けて成果物を納品することである。今回は依頼が一度に四件入ったが、出来たもの一つごとに納品するので、四度にわたって納品を行う。
「分納したものから、こっちで確認するとして……確認で問題があって、差し戻しが発生した場合には、どうしようかってことさ。もちろん篠原さんの仕事を信用してないわけじゃないけどね」
差し戻しがあった場合、作成や確認のテストで余計に作業日数がかかる。そうなった場合には納品できなくなる。普段なら斉明の一日の作業時間が〇・二五人日と余裕がある為、なにかあっても修正などの作業の時間にも余裕があり、作業工数のスケジュールを組むうえでギリギリになることはなかった。
うーん、と久篠乃はしばらく悩んでから、苦々しく言った。
「じゃあ斉明には悪いけど、差し戻しが発生した場合には、一時間くらい作業してもらう方向でいいですか?」
それじゃ結局、作業するのは実質久篠乃さんじゃないですか――そう言いたかったが、これ以上やっても押し問答になるだけだ。とりあえずは、これで納得するしかないだろう。斉明は黙っていたが、邦宗としては問題ないらしく「じゃあそれでいこうか」と了承した。
「それと……これは別件なんだけど……」
邦宗は一瞬、言い淀む。だが義務感から斉明に視線を移して言った。
「キミの持ってる『使い「手」』と『使い「手」作り』についてなんだが……期間限定でいいから、参考資本として提供して欲しい」
そのセリフは、斉明と久篠乃の度肝を抜くものだった。
この三年間、こうして人と関わり合う事を経験した斉明は、感情に任せて声を張り上げたりはしない。気持ちを押し殺して問いただす。
「……なぜ裁定委員会が、僕個人の道具に興味を持たれるんです?」
斉明が冷静さを保てたのは、相手に躊躇が感じられたからだろう。邦宗が、こちらにとっては都合が悪いという事を分かっていて、なおかつ尋ねるのに負い目を抱いているのが、口調などから分かったからだ。
「資材管理部としては、今までの斉明くんの仕事には納得してる。だからこそ、それだけの仕事をこなせる斉明くんの道具を知ることで、今後に活かしたいんだよ。それに……テスト週間の間は、どのみち使わないだろう?」
久篠乃の配慮を逆手に取ってきたか……やっぱり余計だったじゃないかと、斉明は歯噛みした。とはいえ、これが邦宗個人の本意というワケでもあるまい。
斉明とて、久篠乃と邦宗の微妙な距離感と関係は知っていた。面倒ごとを避けたい斉明としては、この話を久篠乃が関わる前に一蹴したい。
退けたいだけで、具体的に方法が思いつかなければ久篠乃のフォローが必要だが、今回は邦宗に強引さは無い。テスト週間がどうのというのも、十分な理由があれば、それ以上は追及してこないだろうと予想した。邦宗が欲しいのは斉明からの了承ではなく、むしろ『斉明が暇でも斉明が道具を貸与しない理由』だろう。訊くところまでは邦宗の義務だが、成果を出すところまでは望んでいない。
「開示しなければ裁定する……とでも言いますか?」
斉明は、あえて相手が頷かないような極論を言う。裁定委員会とて、十分な理由が無ければ裁定などできない。依頼という体裁である以上、それを断ったからと言って、裁定の対象になるはずもない。
「いやいや、まさか……こちらとしては、この間に時間が開いてるから、貸して欲しいというだけだよ」
「それは無理ですよ。そんなことしたら、委員会が僕に依頼する必要、無くなっちゃいますからね」
言わなくても向こうはそのつもりなのかもしれないが、それくらい気づいていると斉明の口から言うことが重要だった。
「そうか……そりゃあ残念だ」
「すみません」
心にもない謝罪をすると、邦宗も頭を下げた。
「いやいや、いいんだこっちこそ……無理を言って済まない」
その後、打ち合わせは滞りなく終わった。
「邦宗さん相手に、けっこう強引に突っ撥ねたわね」
邦宗が帰ってから、久篠乃が最初に言ったのはそれだった。だが口調がいつも通りと分かると斉明は安心した。断り方などで怒られたりしないか、少し不安だったのだ。
「そうですか? 邦宗さん個人としては、本意じゃなさそうでしたけど」
「まぁね……邦宗さんだって、斉明に害意があるわけじゃないし」
「それを言ったら、邦宗さんが言ってた『使い「手」』の話だって、裁定委員会に害意があるわけじゃないでしょう」
「斉明の事を考えてないといった方が正確かな?」
「…………そうですね」
斉明からしてみれば、むしろ自分の事を邦宗が考えているというのが複雑だった。
「しかし、大人相手によく言うようになったわね」
あのくらいの話が出来ないと思われていたのであれば、心外である。
「そりゃ貸与できない原因が僕にあれば、邦宗さんが責められることもないでしょうし」
「どういうこと?」
久篠乃の疑問は、どういう意味か分かっていないのではなく、斉明の考えていることが分からないという風だった。
「たぶん、あの様子だと邦宗さんは、テスト週間の事が無くても『使い「手」』の貸与については訊くつもりだったんでしょうけど……テスト週間という話も聞いてしまったなら、それについても指摘したうえであの話をしないと、指摘せずに貸与の話を断ったら、上司の人に怒られるでしょうからね」
「そうねぇ~」
「? なんですか?」
「いやいや……なんていうか、斉明もそういう事が分かるようになったんだなって」
斉明の心境は複雑だった。
正直な事を言えば、邦宗に対して、あまり良い感情を抱いていない。それなのに邦宗に対してそういう気を遣うのは何故かと考えると、久篠乃の前で邦宗を追い詰めるようなことはしたくない、という気持ちなのだと自覚していた。だが、なんでそう思うかと考えたところで、おかしくなる。
久篠乃の前でそんなことをするのを想像すると、妙な罪悪感のようなものを抱く自分がいた。ただ悪いことをするというのではなく、久篠乃の気分を害したくない――傷つけたくないという気持ちだ。自分が久篠乃の事を大切に思っていることは自覚している、だが、具体的なところに関すると、途端に分からなくなる。
この気持ちは、なんなんだろうか? 恋愛のような『好き』にしては、些か違う気もする。しいて言うなら、姉の彼氏に嫉妬するような感覚に近いんじゃないだろうか?
だが、その人物が久篠乃に好意的な人物なら――こちらも敵意を示しにくい。そんな微妙な感覚だった。
「ところで……邦宗さんは良いとして、もし裁定委員会がそれでも欲しがるようなら……チャンスがあれば、すぐさま隙を突いてくるって事ですよね」
「まぁ、そうでしょうね。邦宗さんに一任するとも思えない……何か機会があったら、手を出してくるでしょうね」
久篠乃や斉明の担当は邦宗であるが、『使い「手」』と『使い「手」作り』は、一管理部員に任せていいようなものではない。量産できれば、今後の裁定委員会の活動にも大きな影響を与えるようなものなのだ。ちょっとやそっとで諦めるとは思えない。
「僕が不祥事を起こしたりとか……ですか?」
「ええ……」
斉明としては、そんな展開は望んでいない。だが委員会は、むしろ望んでいるかもしれない。
「裁定委員会としては、斉明を保存しておきたいんでしょう」
「でしょうね……」
ここにきて『使い「手」』をガラスで作ったのが悔やまれる。『使い「手」』は、それ単体でも長期間、高温多湿な環境でも記録が飛ばない耐久性を持っているため、記録の保存に適している。
とりあえず事実でもあるので「『使い「手」』と『使い「手」作り』は、上宮斉明をコピーするための専用の道具だから、ほかには転用できない」と説明できるが、そういう事なら記録済みの『使い「手」』をよこせと言ってくるだろう。
稀代の作り手『上宮の神童』。それを保存できる技術となれば、裁定委員会は喉から手が出るほど欲しがる筈だ。何より斉明自身が作ったという事実が、その完成度を保証している。
『使い「手」』や『使い「手」作り』は、上宮斉明専用に調整されている道具ではあるが、それを言っても委員会は諦めないだろう。それを作った斉明本人のコピーの『使い「手」』があれば、『使い「手」』と『使い「手」作り』を他者用に調整したものを作らせることも可能だと考えるはずだ。
他者に譲渡した『使い「手」』などが、いくら消えても原本である斉明に影響がないとはいえ、自分の知らないところで自分の一部が利用され、あげく死んでいく可能性があるというのは、不愉快でならない。貸与するだけで解析される可能性もある。そうなると他の追求者が再現に成功するかもしれない……。
そういうことは避けたい。今の斉明にとって、己の技術と力、その成果である道具こそがアイデンティティになっていたからだ。
――それもこれも原因は、自分自身にあるけど……。
『使い「手」』と『使い「手」作り』――斉明にとって最大の製作物は、今後の彼の人生の根幹に関わるものだ。
だが逆に、強すぎる強みは、逆に他人を引き寄せる弱点となりうる。
寄ってくるものを排除するために、必要な準備はしておかなければいけない。いくら時間が経とうとも、信用出来る人間が少ないことに変わりは無かった。