#01 大船
本日は#0と#1の同時投稿となります
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八月二十五日。
そろそろ夏休みは終わる時期だが、ミンミンゼミはお構いなしに夏の空気を盛り上げる。
この様子だと、鳴り止んでくれるのは九月も半ばになりそうだ。救いと言えば、たまに夕方になるとヒグラシが鳴いてくれることだろう。
額の汗をぬぐいながら、大船卿玄は自宅の扉を開けた。
「ただいま帰宅しました~、よんよんっ」
帰宅の挨拶をどれだけ愉快に言おうと、現実の暗い室内から返答はない。はぁ、と小さくため息をつく。
大船卿玄は現在、一人暮らしではない。最近まで使っていなかった部屋に、今、一人の同居人がいる。
「入るぞ~」
三度ノックしてから、大船は部屋の扉を開けた。
そこは、まるで穴倉だ。
悪魔が巣食う岩窟というには、いささか表現しきれない要素がある。それは堕落というだけではない――自傷や自棄といったニュアンスだ。
大船卿玄が部屋の奥を覗くと、そこには一人の少年がいる。
長すぎず短すぎない黒い髪。小柄な少年で、顔は可愛らしく目もつぶらだが、すっと通った鼻筋が少年を利発に見せていた。だが今はそれだけでなく、大人の社会に毒され荒んで歪んだ表情が自暴自棄な印象を与える。
上宮斉明――上宮家の次期当主候補だった少年だが、上宮家が事実上消滅した事に伴い、その肩書は自然消滅したと言っていい。
――しかし……。
ひどいものだと思った。部屋はまるでゴミ屋敷の様相だ。
得体の知れない袋や、箱の類、杖。用途不明の道具が溢れている。これらは全て彼の手で作られたものである。傍目から見ればゴミ屋敷か、あるいは雑貨屋さんの倉庫といったところか。
だが――これは、裁定委員会や追求者であれば、いずれも喉から手が出るほど欲しがる逸品である。
追求者とは、解脱の対となる概念『解創』を用いて、自由を追求する者達である。
解脱が業を捨てて自由になるのに対して、解創は業を深めて昇華する事で自由になるための力とする。つまり解創とは、あらゆる指向性を持つ願いの規律、力の創造……すなわち道具を指し示す。
だが裁定委員会などでは、普通の道具とは異質な力を持つものと区別する意味で、追求者や解創者が用いる、常軌を逸した『願いを為す力』を解創と呼称する。
追求者の目的は一つ――解創を追求することだ。そのために色々な道具を作り、使い、新たな道具を作るという行為を繰り返すのだ。
そのために、新たな知識を欲する。その最も有効な手段は、他の追求者の道具を手に入れ、それを解析することだ。『上宮の神童』と言われた上宮斉明の製作物であれば、なおさらだ。己の自由の追求のために、彼らは道具を欲するだろう。
「ずっと引きこもってるねぇ~、斉明くん」
ここに来てから、彼はずっとこの部屋に引きこもっている。食事もここで。ここから出るのは風呂とトイレくらいのものだった。
「なんか問題ありますか?」
嫌味と思ったらしく、斉明は、ふんと鼻を鳴らした。
「いやぁ~、そろそろ夏休みが終わるじゃない? そろそろ学校に行く気にならないかなーって……」
大船の言葉を聞いて、斉明は鼻で笑った。「そんな話か、どうでもいい」とでも言うかのようだ。事実、彼は興味が無いのだろう。尊敬していた祖父を失い、自分の命のために一家が全滅したとあっては、まともな精神状態でいる方が無理な話だ。
「転校するかい?」
「転校するしかないんでしょう、どうせ。資料、読みました」
斉明が机の上に置いていた資料を取ると、卿玄に押し付けた。
「こら、勝手にこういうものを読んだらダメだろ」
卿玄は一応、枚数を数えて抜けが無いか確かめる。
「大丈夫ですよ、後で戻すつもりだったんで」
そういう問題ではないが。
「僕の後見人、まだ決まってないんでしょう? ここ……大船さんの自宅で住む事になるんなら、この近隣の小学校に通うしかないですからね。けど、暫定的処置っていっても、裁定委員会が僕の面倒見るって、どうなんです?」
本当に小学四年生かと疑いたくなる言葉遣いと内容だった。この聡明さも、おそらく今は亡き上宮家の当時の当主、上宮富之の意図したことだろう。
「どうって? 委員会としてはキミがここにいてくれた方が都合がいいけど?」
この手の話題に関して斉明は鋭いので、下手に説明せずとも、こっちが言いたいことを言えば伝わる。そういう点では、話すのが楽な相手ではある。
「いえ。そっちが管理する分は都合が良いんでしょうけど、僕の解創の技術的な成長を促したいのであれば、委員会で匿っておくより、外に出そうとするのが当然かなって」
斉明は、言葉遣いこそ丁寧だったが、口調や言い方には、言葉遣いほどの丁寧さは無く、あくまで『形だけの丁寧さ』でしかない。それは大船との微妙な距離感を指し示している。
「まさしくそのとおり。で、そのためにも小学校には通ってもらいたいわけだよ」
「一般教養を身に付けるためですか?」
委員会が求めるものは、異様な作り手としての才気だけだろうに――そう言いたげな、皮肉な口調だった。
「イヤかい?」
「別に。……あ、夏休みの宿題って、どうなるんですかね」
唐突に話題が小学生らしい悩みになって、戸惑った。
「たぶん転校先のは、やらなくていいと思うよ。突然決まったことだしね」
「そうですか……まぁ、何でもいいですけど。それで、いつごろ決まりそうですか?」
「君の後見人か。君が転校する意思があるなら、いま一人、後見人候補の追求者が見つかっててね、その人の家の近くにある小学校に、転校してはどうかという話がある」
「そうですか……」
斉明が嫌と言わないのであれば、話を続けられる。大船は説明を始めた。
「斉明くん。裁定委員会には『参考資本』というものがあるんだ。知ってるかい?」
「いえ、全然」
斉明は素直に首を横に振る。彼が賢しい理由の一つは、未知のもの、新しいものに対して素直な事だろうなと大船は考えていた。創造と作成に長けた斉明の発想力の源泉は、斉明が知りうる知識や発想だ。つまり逆を返せば、彼の創造力と作成の才能のズバ抜けた高さが、彼の素直さを物語っているということだ。
「裁定委員会は、追求者が作った『参考資本』というものを管理していて、それを別の追求者に貸したりして追求の手助けをする……という事をやっている」
「へぇ……意外ですね。裁定委員会って、そんなこともやってたんですか」
もう一つの方――解創の社会にとって不利益となる人物の裁定――を目の前で見た斉明からしてみれば、こういう明るい方面の話題は、意外に思えて当然と言えた。
「お金はとるけどね」
「はぁ……」
余計な一言をつけてしまったらしく、あからさまに斉明がため息をつく。
「まぁまぁ。その参考資本を提供した人にも、お金が行くシステムになってるんだよ。そういう参考資本で収入を得ている追求者もいる。それだけで生活していける人は稀だけどね」
斉明が得心のいった顔をする。
「つまり僕の後見人は、その提供者ってわけですか?」
「そうだ。向こうから希望してきてね。誰もいなかったから、こっちも了承したわけさ。あとは君が良ければだ。どうする?」
「どうも何も、実際に会ってみないと分かりませんよ、そんなの」
即答して、斉明はそっぽを向いて部屋の隅に歩く。
「今から行けますか? その人のところ」
「ああ……大丈夫だが……」
斉明は旅行用のリュックサックの中身を確認しながら言った。意外と乗り気で大船は少々意外に思ったが、話は早く済んだ方がいい。大船は戸締りを確認すると、斉明とともに自宅から出て、駐車場に停めていた車に乗り、出発した。