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  #18 久篠乃

 久篠乃は斉明とともに部屋を出て、一度休憩を取っていた。

 あまりの強烈さに驚いた彼には、色んな事が衝撃的で、整理が追い付いていないのだろう。普通に使うという段階を通り越して『探り手』による直接的な解析が生んだ使用の理解は、今までまともに使う事を経験したことの無い上宮斉明にとっては、ちゃんと歩いた事も無いのに走れるようになったも同然に違いない。

「どう?」

 リビングのソファに座っている彼に、久篠乃は麦茶を注いだグラスを差し出す。彼はそれに口を付けて、心を落ち着かせる。

「想像以上でした……なんていうか……視野が広がったというか、自分の手の届くところが広がったというか……」

 使うという事を実際に体験して、見えてくるものが爆発的に増えたのだろう。これでまだ一つの道具しか使っていないというのだから、途方もない気分にもなる筈だ。彼の動揺は久篠乃にも想像はできた。

 今後も様々な道具を使っていくにつれて『感覚』を手に入れて作る事に生かせれば……良いものが出来上がるに決まっている。

 だが……これを作るために、上宮斉明(、 、 、 、 )はどんどん増えていくだろう。たぶん彼は、そこに恐怖を覚えている。

 いや――そのような常人の感性は不要だ。上宮斉明という人間……参考資本提供者に求められるのは、使う人間への共感と、それを生かした道具の作成だ。決して自我への執着ではない。少なくとも原本の斉明はそう判断したのだ。

 だがいざ自分が原本ではない別人だと言われると……そういう理屈云々は抜きとして、自分という人間の価値を貶められたようなものだろう

 原本は派生のことなど眼中になく、上宮斉明という人間と、原本自身のことしか見ていない。派生である彼が、どのような悩みを抱いているかなど、いったいどの程度考えているのだろうか? さっきまで原本と同じだった彼は、おそらく分かっているのだ。「原本は派生の事を大して考えていない」と。

「やっぱり怖い……自分が、自分じゃないって……」

 うつむく彼を見て、正直久篠乃も、どうしたものかと戸惑い視線を外した……久篠乃以外の大人であっても戸惑っただろう。むしろ後見人として、久篠乃は前提の知識がある分、まだ動揺は少ないんだろうなと思った。

 現状が理解できてくると、次は先の不安が浮かんでくる。彼は苦しさから逃げるように、首輪の『使い「手」作り』のフタに触れた。

「怖いですよ。僕という存在は、この『使い「手」』一つに集約される……僕がこうして、上宮斉明として振る舞えるのは、あくまで原本が、僕に振る舞ってもいいように許可しているからに過ぎないんです」

 もちろん、現在の『使い「手」作り』などの仕組み上の問題をいえば、原本の意思で戻るのは不可能だろう。だが原本が戻れば、『使い「手」作り』を破壊する事は可能だ。逆に『使い「手」』たちは、自分の頭蓋を砕けない。生体としての機能が停止してしまうと、『使い「手」』の彼らも身体を使えなくなる。

 ふと彼の顔を見ると、理性的な表情が抜けていくのが分かった。感情的になっている……それは恐怖からの焦燥だった。

「僕は……次にいつこうして目覚めるのか分からないんです。道具が作り終わったら目覚めることになってる原本には分かりませんよ……僕の気持ちは」

 派生は、原本と完全に別人というわけではない。原本の性質をすべて継承し、さらに独自の性質――特定の道具を使う才能と共感――を得た存在だ。性能という観点から見れば、『使う才能』以外は、派生は原本の互換といえる。

 だがそれは、あくまで性能から見た話。存在理由はまるで別ものだ。

 あらゆる道具を作る自分を生み出すため――存在し続けることを自ら規定した原本。

 使うための道具を、ただ一つ作り出すために作りだされた派生。

 特定分野の性能から見れば派生の方が優れているし、原本にはない特性を有するため、使う才能を手に入れ『させられた』派生は、原本は知らない苦労や努力をしている。

 なのに最終的にその評価を得るのは原本。派生はただの道具的存在だ。原本に利用させられるだけの存在でしかない。何かを作り、それを差し出すのは原本の役目。その社会的評価は、原本にだけ注がれるのだ。

「使った経験のあるあなたの気持ちを、原本に派生させないための『使い「手」』ってことは、当然自覚してるのよね?」

 確認のために問うと、彼は首肯した。その反応を見て、久篠乃は少しだけ安堵した。

「ええ……それでも原本の考えが気に入らなくなるものなんです」

「正直、キミの気持ちは分からないわ……私は、自分の派生じゃないからね」

 彼は苦笑した……するしかなかったのだろう。諦観したような、自虐したような、そんな廃れた笑みだった。それを見て久篠乃は胸が苦しくなる。この七か月、あれだけ苦労して『使い「手」作り』や『使い「手」』を作ってきた斉明……その体験も継承している彼は、ここまでの道のりを歩んできた当人の筈だ、という感覚に違いない。けれど実際には、そんな彼は突如として除け者にされて、こんなに悩んでいるなんて……。

 だからこそ久篠乃は、彼を慰めずにはいられなかった。

「でもさ……キミのことは私が認めるわ。『使い「手」』を知ってるのも、ちゃんと理解してるのも、今は斉明以外には、今は私だけだろうから」

「それは、僕が上宮斉明から派生した存在だからですか?」

 皮肉であり、もはや嫌がらせに近いセリフだった。派生という存在は、上宮斉明を前提とした存在だ。もしそうでなければ久篠乃と接点は無いと……だが、久篠乃は否定した。

「いや……それもあるけど、それだけじゃないわ。キミが短刀を使いこなしたのは見てた……あれはキミじゃなければできなかった」

 確かに原本には不可能な所業だろう。だが彼はかぶりを振った。

「確かに短刀を使うのは原本には無理だし、僕だからできたのかもしれませんけど……僕が出来た事の意味って、それは原本の為になるからでしょう?」

 久篠乃は思わず生唾を飲んだ――図星だった。

 でも違う――そう思い、久篠乃は考えを巡らせる。

「確かに、それはね……でも、作ったのは別よ」

 彼の視線が久篠乃に止まった。見つめられることに気まずさを覚えながらも、久篠乃は続けた。

「あの短刀を使って……それをもとに何か作れば、その成果物は原本じゃない、キミが作り出したものよ。たとえ裁定委員会や、他の追求者がどう言おうとも」

「たとえって……道具を使って作るのは、参考資本の為じゃないですか……」

「委員会より私を信じて」

 思わず久篠乃は口走っていた。

委員会(アイツら)がなんて言おうと、どうでもいいじゃない……一緒にいた私が覚えてることが、一番正しいじゃない……」

 自分でも信じられないような言葉が、口から絞り出されていた。独善を通り越して、もはや単なるエゴだった。言った後で彼の反応が恐ろしくもあったが、彼は彼で、その言葉を聞いても被りを振っていた。

原本(じぶん)さえ信じられない派生(ぼく)に、久篠乃さん(たにん)を信じろっていうんですか?」

「キミを道具として使ってるのは原本だけよ……私は今、キミとこう話していても、道具だなんて思わない」

「そんなの関係ないですよ。僕は久篠乃さん……というか、派生(ぼく)以外の他人が信じられません」

 他人――それは原本を含めてという意味だ。使用一つ経験しただけで、彼は既に、原本の斉明とは別人だ。原本が一体どんな反応をするのか……使った経験が邪魔になって、派生には、もう原本の考えが分からない……。

 辛いとか、苦しいとかいう感情が()い交ぜになって、その身体を蹂躙していた。小さな矮躯はしおらし(、 、 、 、 )(、 )、崩れ落ちそうなほど弱弱しい。

 久篠乃はソファから立ち上がると、そっと彼の頭を抱いた。

「久篠乃さん……?」

 彼の口から自分の名前が漏れて、温かな吐息が胸をくすぐった。

 理屈云々を抜きにして、抱きしめてやるくらいしか、自分に出来ることが分からなかった。

「私は変わらないわ……キミが道具を使えなくても、使えるようになっても」

 ぎゅっと強く抱きしめると、弱弱しいく強張った彼の身体から、力が抜けていくのが分かった。

「どんな斉明でも関係ない……原本だろうと派生だろうと。原本の役に立つからとか、派生は原本の道具だからとか、そんなの関係ない……私は、そのとき私と一緒にいてくれる斉明と一緒に過ごしたいの……それだけなの……」

 抱きしめていた斉明が、とんとんと久篠乃の膝のあたりを軽く叩いた。久篠乃が離れると、斉明は気まずそうに視線を右下に落としていた。

「ずるいですよ、そういうの。説明させずに納得させて……」

 彼の表情や声色が、少しだけ明るさを帯びているのを感じ取って、久篠乃は微笑んだ。

「そうね……斉明は、もう集合なのかもしれないわね。原本が基準とかじゃなく、あくまで集合の一人ってこと」

「集合?」

「そう。だから逆に、特定の道具を作ったら、それに関してはキミ個人が成しえた結果だから……その道具については原本に対しても、原本が作ったんじゃなくて、キミが……派生っていう別人が作ったとして話すから……」

 道具を使い、作ることが彼のアイデンティティなのだとしたら――それを彼の物として話す。たとえその相手が原本だったとしても。それが久篠乃なりの配慮だった。

 たとえ久篠乃一人であっても、派生の『活躍』を認めたのならば、まだ彼にも救いがあるだろう。

「ありがとうございます……僕なんかの為に、色々気を遣ってもらって……」

「そうやって自分を卑下しないの。それより、いい加減キミ個人の仕事、しない?」

 やって貰わないといけない事があるとはいえ、まだ精神的な面が本調子ではない。『個人』という単語を付け加えたのが、久篠乃なりのフォローであり、また予定を進めようとする狡猾な一面でもあった。

「そうですね……なんにしてもやらないと……」

 翳った斉明の表情で、久篠乃は胸が痛んだ。いくら狙ってやったとはいえ、今の斉明の苦痛は自分の苦痛でもある。

「それに作りたいって思えてきました……使って得た知識や経験を反映した道具を作ってみたいって……今までとは、なんか違う感じです」

 今までの上宮斉明の製作意欲は、単純に自分の思うものを作りたい、という願望だった筈だ。だが『使い「手」』は『探り手』により使用の知識を、そして実際に体験して得た経験を生かした作成は、七か月前に目指した作成……使う事を考慮した作成だ。

「じゃあ、作ってみましょうか」

 二人は部屋に戻る。斉明は大学ノートの資料を見ながら言う。

「この作り方で使うための道具……一通り揃ってるんですか?」

「ええ。鋼材から切り出しをして、ヤスリで削って、焼き入れをするの……けど、そのまま短刀を作っても仕方がないから、何か別の物に出来る?」

「分かりました」

 作業は三段階。この全てで『探り手』が活躍する。特に焼き入れは、普通に使う道具とは違う方法だ。本来なら炉を使うところだが、追求者としての作成……切り出しと研磨の段階で作り上げた解創を殺して(、 、 、 )しまわないように、『焼き入れるために追求者が使える』道具を使う。

 まずは切断――大まかに切り出して、少しずつ削っていく方法もあるのだが、作業時間の短縮のため、解創の宿った金鋸を使用することにした。

 作業台に事前に置かれていたのは、縦一メートル、横五十センチ、厚さ五センチの巨大なステンレス鋼材だった。

 再び『探り手』を着けた彼は、右肩から異様に生えた黒い腕で金鋸を握った……その瞬間、彼が僅かにブルリと震えるのが分かった。金鋸に宿る解創の情報が流入しているのだ。

 金鋸を鋼材に当てる……まるで初めて扱うとは思えない、手慣れた腕の動き、目つき、表情……戸惑いの色は無く、まるで慣れ親しんだ道具を扱うように、金鋸を引いていく……。

 あの頃が懐かしい……思い出したのは、あの日、定規と鉛筆に苦戦して手間取っていた斉明の姿だった……それは記憶への望郷だった。

 後ろは肉厚に――刃の方に行くにつれて薄く切断していく。金属を切っているとは思えない切れ味になっているのは、切断する金鋸の性能もさることながら、『探り手』を活かした彼が使いこなしているからこそ発揮されているのだ。

 出来上がった物体は、元の短刀とは大きくかけ離れていた。

 刀身は六十センチ、幅は七センチ、最も厚い部分で一センチ。刃の断面は二辺の長い二等辺三角形。柄の部分には、ヒルトを付けるために、いくつかの穴が開いており、更にその後ろに、二センチほど余らせた部分がある。

 次に彼は、久篠乃が手渡したヤスリを使い、刃の部分を磨き上げていく。鏡のように光を反射する曇り一つない刃は、まるで銀食器と見紛うほどだ。

 最後に焼き入れと焼き戻しの作業に入る。

「室内でこれ使うんですか?」

 そう言いながら、彼は彼で冷却用の道具を準備していた。細長い水瓶(みずがめ)で『冷却』の解創だった。

「そうよ」

「正気ですか……」

 久篠乃が用意したのは、一メートルほどの四角柱の中身を刳り貫いて、ハンドルを付けたような物体だった。中には黒い鉄板のようなものが仕込まれている。『焼き炉』の解創――追求者が道具を作るために使う解創だった。

「火事になったらどうするんですか、これ……」

「その時はその時で消火するしかないけど……」

 彼の黒い『探り手』の腕が『焼き炉』のハンドルを握る。数秒後、ぼぅ、と熱を帯びてくる。

 火成りの杖が何もない所から火を成すように、焼き炉もまた同じように、熱を帯びていた。

具合(、 、 )は分かる?」

「はい……」

 使用者の加減によって、焼き炉の温度は変化する。これは紛れもなく使う才能が無ければ使えない炉だった。

 柄の後ろの余らせた部分を作業台の万力で挟んで固定し、そこに焼き炉を入れるようにする。温度を急激に上げると材質が耐えられないので、温度は徐々に上げていく。

 焼き炉の内部の鉄板は、次第にオレンジ色の淡い光を放つ。呼応するように刃全体も眩しい光を帯びてくる。

 作業を見守る久篠乃の額にも汗が滲んでいた。熱を真に受ける彼は、雨粒のように大きな汗をだらだらと流していた。

「そろそろ冷まして。一気に冷却させ過ぎると(ひず)みが生じるから、ある程度下げたら、そこからは徐々に下げて」

 久篠乃の指示通り、彼は十分に熱した刃を、水瓶で一気に冷ます。水が蒸発し続ける怪音が部屋に木霊した。焼き入れる為に必要だった高い温度より低くなったところで、彼は『冷却』の解創を調整し、冷却する速度を緩める。

 焼き入れは済んで十分な硬さは入ったが、その分、脆くなっている。ガラスと同じで硬すぎても脆ければ、刃としての実用性に欠ける。そこで、ここから『焼き戻し』という作業を行い、展延性を確保する。

 再び『焼き炉』で刃を熱するが、今度は先ほどよりも温度を低くする。

 解創を使う事による作成の連続……『刃』を作る作業なのに、別の機能を持つ道具を使う事を意識しなければいけない分、その作業は複雑化する。だが彼はやってのけた。

 最後にゆっくりと冷まし終わると、万力から外す。万力で挟むために余らせた部分と柄の境界に金鋸を当てて、一度だけ軽く引くと、ぽきりと折れた。万力で挟んでいた部分は焼き炉の影響を受ける前の状態で、逆に柄と刃は影響を受けた後の状態なので、材質の構造が全く別物に変異しており、物質的な結合は不安定だったのだ。

 あとは柄の部分に合皮のヒルトを付けて完成する――出来上がったのは、剣鉈だった。

 刃の質を確かめるには、実際に物を切って試した方がいい。久篠乃は先ほど鋼材の切れ端を手渡す。

「とりあえず、それでも切れる?」

「ええ……」

 受け取った彼は、それを宙に放り投げると――一直線に剣鉈を振った。

 黒い腕はまるで意に介さず――投げられた鉄塊は、すっぱりと二つに割れて床に落ちる。

「……ってコラ! 投げたら危ないでしょうが!」

 久篠乃は握り拳を固めて彼の頭をどつく。

「痛っ! ……大丈夫ですよ、足元に落ちないように投げましたから」

「そういう問題じゃない! って……」

 久篠乃は改めて剣鉈を見る。鉄塊と剣鉈……元は同じ金属を切ったというのに、そこには刃こぼれ一つない。使う才能を得た彼の底知れなさと同じように、剣鉈の解創……切断の解創も深まっている証拠だった。

「けど、ちゃんと物は出来てるわね……作る時にも、道具を使って作業もできるし、剣鉈のほうも短刀のノウハウも活かせてる」

 使う才能が決定的に欠けていても、『探り手』による解創の理解は、それを補うに余りある。並の人間……いや、並の追求者以上の『使う才能』以上の性能を獲得したのだ。

「けど……多分問題もあります。余計な情報が無いからこそ、今の性能が発揮できてるに過ぎませんから、他の道具を使えば使う程、駄情報が増えて、一つの道具を使用する上でのセンスは劣化するんじゃないかと……」

 経験すればするほどに、劣化していく記憶……今後も『逸品』を作り出すことを考えれば答えは一つだ……毎度毎度、『使い「手」』を変えるしかない。

 つまりこの剣鉈の作成が、彼の最初で最後の作品だ。

「これで……僕の役目は終わりですね」

 この悩みを、原本は知らないのだろう。久篠乃は複雑な心境だった。

「そうかもね……けど、そうじゃないかもしれない」

「いえ、たぶんそうだと思いますよ……それに短刀や剣鉈なんて、今後そんなに作るとは思えませんし」

 気休めを気に留めない彼の眼差しには、諦観の念があった――それが久篠乃には痛々しかった。

 これからも一緒だろう。何か一つの道具を作るために、それを使うための、オンリーワンの人格……『使い「手」』の作成が求められる。今後、彼が委員会との協力者となった場合、五年、十年と、いくつの道具を作る事になるだろうか? その度に『使い「手」』を作っていれば、その数は膨大なものになる。

 彼は分かっていても言わない、今後の上宮斉明の行く末を。

 そしてそれは、彼ではない方も同じだろう――今日の彼の仕事を一通り話せば、同じ発想に至るはずだ。

「じゃあ……そろそろ……その……」

 仕事は終わった。彼に、もうやることは無い。

「じゃあ、あっちの部屋行こっか」

 二人は斉明の自室に行く。彼はベッドに寝転がる。朝と同じ光景を見ているはずなのに、その気持ちは違った。朝は緊張……今は、気まずさと不安ばかりだった。派生の仕事が予定通りに行ったことは喜ばしいが……解決の見通しの立たない問題は、単なる課題ではなく、一人の人間の人生を左右しかねない問題が、明確化したことにより生じたものだった。

「じゃあ……その、また……」

「ええ」

 彼は瞼を閉じると、首輪の開閉器を切る――しばらく、死んだように眠った表情になる。久篠乃が頬を軽く叩くと、気づいた斉明が目を開いた。

 目覚めた彼は、はっとしたように辺りを見渡す。その視線は窓の日差しと、ついで時計を見ていた。

「成功……したみたいですね」

「ええ」

「どうでしたか? 僕の……派生。ちゃんと動いてましたか?」

 久篠乃は「動いて」という言い方に、思わず眉根を寄せた。派生はあれだけ悩んでいたというのに、原本である斉明は、道具としてしか扱わないことに、複雑な感情を抱いた。

「ええ。ちゃんと(、 )いてくれたわ」

 久篠乃はそうとしか言えなかった。

「そうですか……ならいいです……成果物、見せてもらっていいですか?」

「ええ……」

 二人は、再び自室を出て仕事部屋に戻った。

 扉を開けて最初に目についたのは、作業台に残された剣鉈だった。その刃は照明の光を照り返していた……その輝きが、久篠乃の胸に突き刺さった。これを作った彼は、もうここに居ない……あのガラスの糸の中だ。

「これを、派生が……?」

 作業台に置かれている剣鉈に、斉明は目を輝かせて駆け寄った。その姿は無邪気だが、だからこそまっすぐ見られなかった。

「……そうよ」

 斉明が剣鉈を見る視線は、間違いなく初めて見る目だった……その姿を見ていて、頭では分かっていても、違和感が拭えなかった。さっきまで、それを作っていた当人が、なんでそんな顔をするのか? と。

「こんなのが作れたんですか……」

 道具を使えない斉明は刃物は扱えなかったし、そしてこの剣鉈を作るために、その過程で道具を必要とすることは、すぐに見て取れたのだろう。その驚きに、久篠乃は分かっていても戸惑った。

「それを派生が作ったのよ」

「これが……すごい……やりましたね……」

 まるで自分が作ったように、斉明は目を輝かせていた。先ほどまで初めて見た表情をしていたのに、そんな顔になったのは……その剣鉈を作った派生を、彼自身が作ったからなのだろうか……。

「ええ……派生はよくやってくれたと思う」

 久篠乃の表情が暗鬱としたものだと気づいたらしく、斉明が怪訝に眉をひそめた。

「派生と何かあったんですか……?」

 久篠乃は、言いようのない違和感を抱きつつも、先ほど派生と話したことを端的に説明する。

「ちょっと話をね。何かというか……その剣鉈は派生が使って作ったんだから、それは派生の物でしょうっていうか……」

 言えば分かってくれるかと思ったが――反して、斉明の表情は、久篠乃以上に驚きと戸惑いに塗りつくされた。

「なんですかそれ……僕の道具が作ったものなんですから、これは僕の物なんじゃ……」

 一瞬――久篠乃の頭が、混乱で白く染まった。

 同じ顔、同じ声音、まったく同じ人物の少年が、さっきとは全く違う事を言っている。一人の言い分に整合性の取れない現実は、悪夢に等しかった。

 くらくらして、思わす壁に手をついた。こういうことなのか――と。

「大丈夫ですか?」

 斉明の心配は、まぎれもなく本心だ……これは、斉明の皮をかぶった別人などではない。それが余計に久篠乃の心を揺さぶった。

「ゴメン……雰囲気というか、言ってる事っていうか……なんか、さっき(、 、 、 )と全然違てって……」

 一番考えないといけなかったのは、自分自身だったのかもしれないと久篠乃は歯噛みした。

 使う事を考慮した道具を作るため、使う事を原本に波及させないようにしたが……その一部始終を見ていた久篠乃は、派生の影響を受けている。

 原本と派生――その切り替えに戸惑うのは、本人だけではなく、二人(、 、 )を見ていた周りの人間も同じなのだ。

「そうですね……久篠乃さんは派生のこと、知ってるんですよね……」

「ええ……それを作った派生の気持ちも、分かってあげて」

「じゃあこれは、派生の物ですか? 僕じゃなくて……派生を作ったのは、僕なのに」

 子供を育てた親が『子供の物は自分のものだ』と言うのとは、まったくニュアンスが違っていた。彼が作り出したのは、また彼なのだ。人物という点において、存在が二つあるというだけで、その二つに性格も性質も差異は無い。

「もちろん、これから作ったものを委員会に提供する時には、斉明の物って……」

 胸に痛みが走った――委員会(アイツら)がなんて言おうと、どうでもいいじゃない――派生には、ああ言ったのに、原本には、どうでもいいと言った裁定委員会の認識を優先させるのか?

「ごめん、斉明……傷つくかもしれないけど、はっきり言っておいた方がいいと思う」

 それは良心の呵責であり、自分の為でもあり、そして斉明の為でもあった。こんな事を言ってしまっていいのかとも思ったが、それでも久篠乃は、事実を知らせることの方が大事だと判断した。

 今後彼は、この『使い「手」』と一緒に人生を歩まなければならない――なら後見人として、彼に楽をさせるのではなく、それと向き合わせることを優先させなければいけない。

「上宮斉明は、もうキミ一人じゃないのよ」

 口から出た言葉は、もう取り返しがつかない――だが斉明は意外にも取り乱したりはせず、ただ苦々しく微笑むだけだった。

 記憶にない自分の痕跡を他人に聞かされた時、いったい彼はどう思うのだろうか?

 それは自分からの疎外だ。上宮斉明という人物が、自分ではないものとして、自分の知らないところで知らないことをしうる――まるでドッペルゲンガーが、自分の知らない自分として振る舞っていたように。

「でも、大丈夫よ斉明。私が一緒にいるわ……私が、キミの知らない全部の斉明を知る……そうすれば、キミが知らない斉明が、キミを傷つけることもない」

 久篠乃が出来ることは、それだけだ。自分の知らない上宮斉明のやったことを原本が知らないのであれば、それを説明してやればいい。

 斉明――多種多様、(よろず)において優れた才能を発揮する――その名前が、こんな皮肉な形で実現するとは、いったい誰が考えたのだろうか?

 (よろず)の数だけ彼が生まれる――そういう群体、それが斉明の在り方だったと……。

 『使い「手」』という道具が、こんな結果を生むことになるということを、斉明も久篠乃も、ちゃんと理解できていなかったのだ。

 原本だって、原本なりの悩みを抱えている。その悩みも、次の派生は知るだろう。だが、その派生を作り出した『あとの』悩みは、また次からの斉明しか知らない。そうして斉明という存在は、いつまでも悩みを抱え続けていく事になる……。

 せめて誰かが隣にいて、その悩みを洗い流してやらなければ、彼はいずれ、己に対する呵責に耐え切れず、己自身を滅ぼすだろう……。

 彼個人の悩みと言えば、それまでだ。だが久篠乃は、どうしても放っておけなかった。

「大丈夫よ、斉明。あなたたちを、私はずっと見守ってるから」

 今の斉明に、全ての上宮斉明を管理するだけの能力は無い。

 だが久篠乃と一緒なら、まだ希望はある。一人で持て余すのなら二人で。そうやって管理していけば、斉明は『使い「手」』に疎外されずに済むだろう。


 悩みはある、不安はある。それでも彼らは突き進む。今見るべきは今だけだ。その先に待ち受けるものに、疎外される予感は抱いても、立ち竦むことなど己が許さない。

 あるいは己の才能が。

 あるいは己の衝動が。

 あるいは己の信念が。


 斉明は歩み、久篠乃は彼の悩みを受け止める。いずれ一つになれる日を夢見て。

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