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  #17 branch_20110326_0821_10.09

 彼は瞼を持ち上げて目を開ける。広がる視界は変わらない。映っているのは硬い表情を浮かべた久篠乃の顔だ。

「どう……?」

 耳から入る声にも違いは無く、ちゃんと聞こえていた。いつもとまるで変わらない。

「分かりません……全然違わない」

 先ほどの記憶では、確かに首輪の――『使い「手」作り』の開閉器を入れていた。ということは、今はもう『使い「手」』になっているはずなのだ。

 だが、実際こうしてみると、自分が派生――『使い「手」』であるなどという自覚は、まったく湧かなかった。視覚などの感覚に、普段(記録)との違いが見られないという事は、それはそれで、原本が良い仕事をしたという事になるだろう。

 確認用の手段として用意している物があった。首輪に仕込まれた視覚を含む五感を切るためだけの開閉器だ。これは脊髄から『使い「手」作り』までの間で信号を消すので、もし今の自分が原本(、 、 )の上宮斉明であれば、これの影響は受けないはずだ。

 恐る恐る視覚の開閉器に手を伸ばす……指が感覚した瞬間、ふっと視覚が途切れた。もう一度押すと視覚が戻る。それが繰り返される。手が少しずつ震え始めていた。

「どう?」

「ええ……やっぱり切れます……ってことは、派生を作るのは成功したんですね」

 いや……僕は、その派生そのもの(、 、 、 、 )なのか……まるで実感が湧かない。今の彼には、上宮斉明のすべての記憶も引き継がれている。だから主観的には、彼には自分が『派生である』という実感が湧かず、それを逃げ道に出来ていた。

 だが実際にこうして、視覚が任意に切れることが、その逃避に終止符を打った。

 今の自分は、ガラスの針とガラスの糸が作り出す現象に過ぎない。人間の脳の仕組みを絡繰りで再現したところで、果たしてそれを人間と呼んでいいものなのだろうか?

 自分が……いや、自分の原本が作ったというのに、いざ自分がそれ(、 、 )だと言われると、途端にその発想を生んだ原本に、憎悪に近い感情が湧いた。

「どうする? 大丈夫……」

 久篠乃に心配をかけても始まらない。彼は力強く頷く。

「ええ……辛いとか何とか言ってる場合じゃありませんから。すぐに始めましょう」

 とにかく使ってみなければ何も始まらない。最初からそう願っていたじゃないか――ふと思い、顔をしかめた。この感情すら原本の複製でしかない。

 だが原本の複製であろうとも、彼の願いであることに違いは無かった。

「『探り手』を試してみます」

 二人は斉明の自室を出て、仕事部屋に移る。

「そうね……とりあえず、これで行きましょう。初っ端から依頼をこなすのも、難しいでしょうし」

 久篠乃が手を伸ばしたのは、ファイルではなく大学ノートだった。それから、作業台の下から、一つの箱を取り出す。

 漆塗りの箱だった。蓋を開けると、閉じ込められていた乾いた匂いが鼻腔をつく。

 身近な鞘に黒い柄。久篠乃が白い手袋をしてそれを取り出す。鞘を抜くと、武器とは思えないほど美しく光を反射する刀身が現れた。刃渡りは腕ほどしかない。片刃で、日本刀と違い反りが無く真っ直ぐで、肉厚な刃は『鎧通し』と言われる脇差の一種だ。

「この短刀、結構前に作ったものだけど、逆に解創自体は単純だし、割と出来がいいから……こっちが資料。多少の参考にはなるかも」

 解創も『鎧通し』……鎧の上から下の人体に貫けるように作られた代物だ。実際に使ったことがあるのかは不明だが、頑丈そうな作りを見れば、確かにこれが逸品であることは間違いない。

「作るだけですか? 試すのは?」

「ああ、試すなら……こっちに」

 久篠乃が作業台の下から、両手重そうに持ち上げて載せたのは、四方三十センチ、厚さ三センチほどにもなる鉄板だった。足に落としたら骨折してしまいそうだ。

 力を試すという点では、いきなり複雑な解創を成すよりも、こういう単純にうまいものの方がいいだろう。

 斉明は作業台の上に置きっ放しにしていた黒い物体をこちらに寄せる。『探り手』だ。その付け根辺りにある糸のようなものを引っ張り出す。

 端子のように改造した糸の先端を、首の『使い「手」作り』に接続する。びりっっと首の根辺りが痛んで、思わず眉を顰める。

 目を瞑り、深呼吸して『探り手』に意識を向ける…………表面を撫でる空気の流れを感じ取れる。感覚に従い握り込んでみると、黒い手が思い通りに指を握り込んだ。

「挙動に問題はなさそうね」

「そうですね。手記も残してありますし、多少無茶に使っても大丈夫です」

 本来は解創の作り方を、手記として残すことは珍しい。手記という形にする時点で情報量は劣化するし、道具そのものが残っていれば好きなだけ情報を収集できるため、ほとんど必要性が無いからだ。

 だがその道具が『壊れる』事を前提とするのであれば、作成の手順を踏まえた手記を残しておくことにも意味が生まれる。

 斉明はもう少し『探り手』を捻ったり曲げたりと動かしてみるが、特に異常は無さそうだった。

 ここまではいい。だが自由に動く第三の腕……というだけではダメだ。問題は、これがちゃんと『探り手』として機能することだ。

 付属の固定具を使って『探り手』を右肩辺りに固定する。身体の重心が右に傾くのが少し気になる。

「じゃあ……」

 斉明は普段の己の腕と変わらぬ動きで『探り手』を操作して、机上の短刀に手を伸ばす。

 この短刀を握った瞬間――自分は、自分とは別人になるのだ。

 つい『探り手』の動きを止めてしまう。彼は今更気づいたのだ。これが本当の意味での『派生』なのだと……。

 人格も記憶も『使い「手」』に情報として移されたとはいえ、原本と同じ経験しかしていなければ……それは原本が過ごさなかった時間を、単に過ごしているに過ぎない。確かに原本がいない時間を過ごしているが、決定的な差は生まれない。

 だが今から道具を使い、原本には無い新しい経験するということは……原本には戻れないことを意味する。原本という純粋な作り手から、使う事を覚えた追求者に変わってしまうのだ……。

 自己同一性(アイデンティティ)の変化が発生する……。

 まるで『死んだらどうなるんだろう?』という感覚に近かった……それは、何かの向こう過ぎ去った後の自分を、まるで予想できない恐怖だった。

「大丈夫よ、斉明」

 彼の表情を見ていたらしい久篠乃が言った――彼は、声をかけてもらったことよりも、その言葉の内容に疑問を抱いた。

「斉明――僕が?」

 言葉にしてみて、やっと彼は自覚した。自分が斉明ではない、別の存在である可能性を。

「ええ……大丈夫、私がいるから」

 久篠乃も、どう言ったらいいのか分からないのかもしれない。けれど気休めには十分だなと彼は思った。

 『探り手』は滑らかに動くと、小判型の滑らかな柄を握り込む――瞬間、流れ込んできたのは、色の濁流だった。

 これが『探り手』……斉明は、この時初めて道具を使い、初めて使う道具の意図を知った。

 しいて言うなら、要素を観察して情報を得る感覚が、何倍にも膨らんだような……そんな感覚だった。意図が分かる。流れ込んでくる……首の後ろでキィキィとガラスを削るやかましい音が聞こえる気がした。

 当人は知る由もないが――『探り手』の機能……持った道具の解創の理解は、人が通常の程度の使用で培う経験の情報を、補うどころか軽く追い越していた。追い越すことを予想できなかったのは、ひとえに彼が『普通に使う』事を知らなかったからである。

 これがどうやって作られて――どう使われるべき道具なのか。

 これを使うために、自分がこれを持った手を、いったいどうやって動かすべきなのかが――それが知識ではなく感覚として染み渡る……。

 自転車に乗ったり、鉄棒で逆上がりをしたり――これは、そういう感覚が近いのかもしれない。今の彼は『探り手』よって、そういう『これをどうするべきか』という感覚を瞬時に理解していた。

 そしてこの感覚を覚えていい。仮に作る才能に影響が出ても、原本にまでは届かない――。ふと、それが安堵になっていることに気付いた。

 自分がダメ(、 、 )になっても、代わりがいるのだ……。彼の口元が小さく歪んだ。いっそ原本とは、別の人生を歩むくらいの気持ちで行こう。

 少しだけすっきりした。わだかまりが解決した。けどこの解決も、原本は知らないのだろう……少し、憐憫を抱いた。

「これ……まず使ってみていいですか?」

「いいわよ」

 彼は『探り手』の手のひらの上で、短刀をくるりと回して逆手に持った。それは無意識の動きで、他でもない自分自身が驚いた。刃物を扱うというのに、こんなに使いこなしている自分がいるということに。

 逆手に持った短刀を鉄板に突き刺す……勢いはいらなかった。

 そもそも道具は解創を成すもの。それに対して刺そうとする対象は、ただの鉄板でしかない。

 まるで熱したナイフでバターを貫くよううな軽々しさで、『鎧通し』の短刀は、鉄板をやすやすと貫通した。

 ――切れる……刺せる……。

 あまりのスムーズさに、むしろ危うい感じすらした。だが、これは危ないものではないと頭の中の追求者の才覚は言っていた。

 今までのぎこちない使用と失敗は、他人の物を借りて、知らないものを扱うという感じだった。だが今は……慣れ親しんだ物、まるで自分の一部、ともに歩んできた物と以心伝心で動くような……そんな不思議な感覚だった。

 ――これが使うという事なんだ。

 何より驚きなのは、使う事そのものが簡単に出来てくると、そちらに注視する必要が無くなり、視野が広がるという事だった。これで、もっと他の可能性も模索できる。

 今ならば分かる――あの日、剪定バサミの話をしたとき、久篠乃がその結論に至れた過程が分かった。

 使ってみないと、分からないこともある――それは、こういう事だったのか。

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