#16 久篠乃
作業部屋から引き払って、久篠乃は自室の椅子の上に座って、考えに耽っていた。
道具の意図を瞬時に把握する『探り手』。
『探り手』で『使う』事を理解する為の斉明自身のコピーである『使い「手」』。
そして『使い「手」』を作り、読み込む『使い「手」作り』。
斉明はこれほどの三つの道具を、たったの七か月で完成させてしまった――もちろん、まだ試験をしていないので、完成しているかどうかは未確認ではあるが。
上宮の神童と言われただけはある。流石だと評価する一方で、それ以上の不安もあった。
なにせ斉明の作った道具は――常識的に考えて、異常な道具なのだから。
上宮斉明に使う才能を学ばせることにリスクが伴うのならば、そのコピーに学ばせればいい……
客観的に見れば、斉明は使う事を覚え、それを考慮した作成をできるようになるだろう。だが本人にしてみればどういうことか?
派生ではない原本の斉明にとっては、目が覚めた時には『使うことを前提とした道具』は作られた後である。これが、果たして斉明が作ったと言えるのか?
――だけど……。
コピーも紛れもなく上宮斉明という人格であることに変わりはない。人間の脳ではなく、ガラスの道具に刻まれたその人格を、常人と認めていいのであれば、という前提だが。
斉明自身は、何の迷いもないだろうか? それとも、まだ気づいてないだけだろうか?
そんな決意を固めるよりも早く、斉明は道具を作り上げてしまった。
斉明には悪いが、後見人である自分の方が、先に参ってしまいそうだった。斉明と全く同じ別人が生まれたとしても、果たしてそれを斉明と認められるのだろうか?
そういう事もあって、試験の日まで時間を置いた。同時に今週の土曜日は六曜の大安だ。少しでも縁起のいい日の方がいい……馬鹿馬鹿しいゲン担ぎだった。
――なんで私が不安になってるのかしらね……。
こういう時には、当の本人よりも保護者の方が気兼ねするものらしいと、久篠乃は実感した。斉明はいつのまにか、久篠乃自身より大切になっていたのかもしれない。
「はぁ……」
ため息をついて、久篠乃は背もたれに寄りかかる。
邦宗の事もあり、久篠乃は板挟み状態だった。久篠乃が斉明に対して抱く感情は、母親や姉が、子供や弟に抱くそれと同じだ。
もし久篠乃が邦宗と一緒になるとしたら……斉明は、久篠乃が上宮家を裏切った国枝家の一員となる事を、快くは思わないだろう。それに邦宗だって心境は複雑に違いない。
――どっちかに絞るしかなさそうね……。
最初の頃は、斉明が成人すれば、その時また自分の事は考えればいい……というくらいに考えていた。だがそれが、こんな早く覆される事態になるなどというのは、予想外だった。
あんな道具が完成してしまえば……果たして斉明は常人どおりに生きていけるのだろうか?
自分とまるきり同じ人格を生み出して、それに自分の望みを叶えさせることに伴う悩み……そんなの、今まで他の誰も抱いたことのないものだろう。
もし斉明がその悩みを抱いた時、相談できる相手は限られている。まず解創を使える存在。そして信頼できる人間に絞られる。それは後見人であり、かつここまで斉明が『使い「手」』や『使い「手」作り』、そして『探り手』を作るのに協力した、久篠乃以外に他にいない。久篠乃とて作業を全て見届けていたわけではないが、何も知らない他の追求者よりは、ずいぶんとマシだろう。
仮に斉明が自分に相談を持ち掛けてきた時に、果たして自分に、斉明を救えるだけの助言ができるのだろうか……。
「後見人、失格だな……」
自分から後見人をやると言っておいて、自分がこんな悩みを抱いていると知ったら、斉明はどう思うだろうか? もしかしたら気遣ってくれるかもしれない……これじゃどっちが保護者か分からない。情けないったらありゃしない。
結論の出ない考えに耽っていたところで、ドアがノックされた。珍しい。「どうぞ」と呼びかけると、ドアが開いた。開けたのは当然ながら斉明だった。その表情は、少しだけ落ち込んでいるように見える。
「どうかしたの?」
「いえ……なんとなく」
「なぁに~、甘えたくなったの~?」
久篠乃は茶化すが、斉明の表情は消沈したままだった。
「どっちかっていうと、心配で……」
「明後日の事?」
どうやら、雑談を楽しみたい気分ではないらしい。久篠乃は表情を真剣なものに戻す。
「ええ……人としてどうのっていうより、その、自分が大丈夫かなって……」
斉明の心配の内容を聞いて、久篠乃は少しだけ安心した。人間としてとか、倫理的とか、そんなことを言い出したらキリが無くなる。
「ま、ちょっと落ち着いて話した方がいいかもね……色々、思ってることもあるんでしょう」
「ええ。うまく言葉に出来ませんけど」
むしろ明確に分かっている方が異常だろう。それに斉明はまだ小学四年……今年で五年になるが、どちらにしても幼過ぎる。普通の人間なら……いや、追求者であってもまず縁のないこんな悩みを、こんな年齢で抱えることになれば、そのストレスは尋常ではない。
「明日の夕飯、どっかに食べに行かない?」
「どうしたんですか、急に……」
「いいからいいから……たまには息抜きでもしましょ」
「そうですね……分かりました」
なかば強制的な久篠乃の提案に、斉明は何かを感じ取ったらしく、首を縦に振って了承した。
「食べに行くんじゃなかったの……」
久篠乃は眉根を寄せていた。ダイニングキッチンのテーブルに乗せられた紙箱を開ける斉明は、年相応の表情で年長者に応じる。
「いいじゃないですか、食べたかったんですから」
金曜日。斉明が頼んだのは、デリバリーのピザだった。少なくとも斉明と一緒に住むようになってからはピザなんて食べてないから、半年以上は食べていない筈だ。
そういう点ではいいのだが、個人的には、もっと豪勢なものをイメージしていた。とはいえ自分が食べたいものよりも、斉明が食べたいものの方がいい。
ピザとは別にコンビニで買っておいたジンジャエールをグラスに注ぐと、グラスは透明から麦色に染まった。
「じゃあ乾杯でもする?」
「何にですか?」
「まぁ……明日、いよいよ試験だし」
「前祝いですか?」
斉明は苦笑したのを見て、久篠乃もまたぎこちない笑みを浮かべた。
きん、というグラスのぶつかる小気味のいい音。二人は控えめに乾杯する。
サラミとウィンナーソーセージの乗ったピザは胃にもたれそうなイメージだったが、ケチャップソースの酸味とスパイスのバジルが効いて、更にタマネギなどの野菜も豊富で、意外にも脂っこくなく、ぺろりと平らげられた。
舌鼓を打ちつつ、久篠乃は斉明の表情を観察した……昨日の夜ほどは憂いの色は無い。口数は少ないが、単純に食事中だからだろう。
しばらくすると、二人の食事のペースは落ちる。少しすると先に斉明が食事を切り上げた。全部で二切れと半分しか食べていないが、斉明は食が細い方なので心配ない。明日の朝にでもまた食べるだろう。
「たまには、こういう食事もいいですね」
「そうね」
斉明はファストフードのハンバーガーのような濃い味付けが好みのようなのだが、こっちの方が野菜も多くてバランスも良さそうなので、久篠乃としては、気に入ってくれたのならばピザを食べてくれる方がうれしい。
久篠乃も四切れほど食べ終わって、残りをラップして冷蔵庫にしまう。斉明は自室に戻らず、リビングのソファに腰かけていた。
しばらく久篠乃は問いあぐねていたが、斉明が時々、ちらちらと久篠乃を見る様子を見せる。こちらに言いたいことがあると察しているようだった。自分が情けなくなって、久篠乃は踏ん切りをつけて切り出した。
「斉明はさ……その、自分が使いたかったんだよね? けど最終的には、使う事を知りながら、斉明自身は知れないってなったけど……」
予測していたらしい斉明は、それほど考える間もなく応じた。
「そうですね……今でもありますけど、その気持ちは持ち続けないといけませんから」
「自分のコピーに道具を使わせるためには、コピー元になる今の自分に使いたいって気持ちが無いとダメよね……けど、それで希望が叶うのかな?」
「さぁ……実感が湧きません。まだ使ってませんし……でも、多分かなわないと思います。叶ったら、それはそれで問題ですから」
使う経験を培い得られる使用者としての見解――それが、作る才能への影響する可能性を考慮したが為の『使い「手」』なのだ。
派生を生み出す元である原本は、使いたい気持ちを持ち続けなければいけない。でなければ原本を元に生み出される派生は、道具を使おうとはしないだろう。
だが原本は、使いたいという気持ちを解消することはできない。派生を生み出し続けるためには、原本自身は使うという行為をしてはいけないのだ。原本は、苦しい思いをし続けていくしかない。
原本と派生、互いのアイデンティティを守るために、原本は道具を使ってはいけない。
「今までじゃ、ぶつからなかった問題よね」
「そうですね……作ったものを、こういう形で心配したのは、今までありませんでした」
現実に自分が作った道具と、それがちゃんと自分が思う通りの理想を体現しているかという悩み。
追求者が、ただ追求のために作ったものであれば、こういう心配は杞憂である。マッチで火成りを、刀で人斬りを願い、叶い作れれば、望む通りの結果を得られる。
追求者が、望みとは別の解創を抱く時がある。解創の道具を、その意図をバレないようにするために、例えば刀に火成りを成したりすることがある。
今回の場合は、この問題の、更に根源的な部分に疑問を抱くことになった……それは使うために作った『使い「手」』と『使い「手」作り』、そして『探り手』の解創が、果たして斉明の『使いたい』という願望を、叶えてくれるかどうかという話である。
解創は、己の本心を叶えるための、願いを叶える力として昇華された形だ。だが今回、その願いを叶えるという行為すらあやふやだ。客観的に見れば、上宮斉明という人間が使用している事実に変わりはない。だが斉明の……原本の主観から見れば、自分は使っていないのに、周りから見れば願いが叶ったことになっている。
さらに問題は、それだけではない。
「追求者の社会では、魂のようなものは輪廻転生し、その業が解創者の解創だという話はあります……追求者の願いは、この業を自身の魂にではなく、道具に付けることによって、自身の魂が業に……解創に縛られることを回避しています。願いって、人の魂と世界の接触によって生み出されるものと解釈できます。その場合、『使い「手」』には、魂があるって言えるんですかね?」
自身でも分かっていなかった不安が一気に形を成したかのように、斉明はだんだんと心中を吐露していく。
「魂が輪廻転生するものだとしたら、僕に作りだされた『使い「手」』に、それが宿るんですかね? 人間ではない、ただのガラスでしかない『使い「手」』に……」
「……仮に使えるとしたら、人間の魂……いや、少なくとも追求者がそうだと定義してる魂のようなものは、記憶の積み重ねによって象られたモノを差すのかもしれないわね」
象られた輪郭とは、すなわち存在の性質だ。解創者で示すなら、
あるいは生まれながらに持つ存在の原因――先天的解創者。
あるいは経験によって手に入れた方向性――後天的解創者。
人の願望とは、生まれた時から持つ衝動か、生まれた後に思いついた想念を発端とする。斉明の『使い「手」』の場合は、原本の想念をコピーし派生となるが、派生にしてみれば、彼らにとっては衝動ともいえる。『使いたい』というその想念は、彼らが生まれた時から持っているからだ。
だが振り返ってみれば、コピーと言えども人間とは違う。情報としてガラスの糸に刻む段階で、欠落が生まれ、それが原因で解創が成せないのではないか――斉明が危惧しているのは不確定な要素による、原本とは違う派生の心の動きの違い……それによる、解創が使えないという事態だ。
「もしそうなら『使い「手」』は、僕という人間……記憶の積み重ねの象りを丸ごとコピーしたんだから、人間って……少なくとも人間のコピーとは言えるのかもしれませんけど……そのコピーでも解創が作り出せたら……」
「斉明の持つその力は、他人においそれと開示していいものじゃない……ってことね」
「ええ……裁定委員会にも目を付けられるでしょう」
追求者を量産できるという事は、解創の大量生産もできるということだ。そんな手段が存在する場合、手に入れた者が行きつくのは……。
「業って……願望って、なんなんでしょうね……」
解創とは、願い、祈りの執念を根源とした、ある願望という指向性を有した莫大な情報の集合でしかないのか。
上宮斉明と篠原久篠乃は、所詮は小学四年生と高校二年生の子供でしかない。そんな問題の答えなんて、知る筈もなく、導ける筈もなかった。
こうしてみると、課題ばかりだなと久篠乃は思った。そもそも『使い「手」』が機能するかという話、斉明自身の『使いたい』という願いが叶うかという話、そして『使い「手」』を狙うであろう裁定委員会。
これが疎外という問題だ。斉明が作り出した『使い「手」』という道具が、斉明にとって解決できない災いとして具現する。普通の追求者の道具であれば、それは己の力として完結している。だが斉明の力は、斉明の許容を超えている。解創を成す力と、それを管理する力が、釣り合っていないからだ。
「まだ早かったのかもしれませんね……僕がこんなもの作るのなんて……」
斉明がポツリと呟いた。作る能力があっても、それを管理する能力に疑問符が付く現状で、出来上がった道具は爆弾となりかねない。当然、こんな経験は、久篠乃にはない……。
「けど、今回失敗しても、次は無いってわけじゃないわ。確かに今は持てあましてるだろうけど……」
「『使い「手」』を何度も使ってるうちに、分かってくることもある……と」
「ええ……」
「それはそれで、大丈夫ですかね……」
「そもそも尋常じゃない道具だし、『使い「手」』を動かすことは、斉明自身の作る才能に、影響はないと思うけどね」
正直、自信は無かった。『使い「手」』の場合、「使う」というより「扱う」という方が適切なニュアンスかもしれないが……。
斉明は、道具を使っていくにつれて、だんだんとその使用の質が雑になっていく事は、彼の道具を使った解析の段階で確認済みだ。現状では『使い「手」』の本質は、斉明自身が誰よりも深く理解している。だが扱うということが使用ならば、その質が雑になっていくと……おそらく斉明は『使い「手」』すら満足に扱えなくなる…………。
息を吐くと身体から力が抜けてしまい、ソファに深くもたれかかった。少しだが頭痛がした。ふと見ると、斉明が心配そうにこちらを見ていた。
「ごめん。なんか私の方が参っちゃって……」
斉明は心配させまいとしているのか、小さく笑みを浮かべて見せた。
「久篠乃さんが心配してくれるのは嬉しいです。けど……今悩んでも、仕方ないんじゃないですか? できた時に悩めばいいことですよ、そんなの」
「そうだね」
しばらく沈黙が続く。こうも課題が多いと、どこから解決していくべきか分からない……いや、解決も何も、明日の試験がまず大事だ。
そろそろ寝ようかと思った時、ふと斉明が呟いた。
「けど、感謝はしてるんですよ……」
予想外の言葉だった。そうは思ってくれているかもしれないが、それを実際に言葉にされると、なんとなく久篠乃は気恥ずかしかった。
「たぶん、久篠乃さんと一緒に居なければ、硯先輩の作品とも縁が無かった……こうして、使う事を理解するべきって結論には、至れなかったと思います。僕は作り手主義の追求者の家系の人間だったから、作ることを基準に考えてました。けど……こうして『使い「手」』を作る事が出来ました……久篠乃さんのおかげです」
「私は、たいして何もしてないけどね」
久篠乃が肩をすくめると、斉明は苦笑した。
当日。
ふと久篠乃が目覚めると、時計は午前七時を指していた。窓を開けると、雲が見当たらない青い空が広がっていた。曇天でなくて良かった、なんて思っている自分の貧弱さに呆れる。こんなことで一喜一憂しているようではいけない。斉明の手腕を信じるしかないのだから。
午前中の内には一度テストする予定だ。朝食を済ませておこうと自室を出てダイニングに出ると、既にパジャマ姿の斉明が、昨日の残りのピザにパクついていた。
「おはようございます」
「おはよ……調子はどう?」
「大丈夫です」
「そう……」
久篠乃は自分の分のトーストを焼く。
「昨日は、よく眠れた?」
「ええ……そういう久篠乃さんは、あんまり寝れてなかったみたいですね」
久篠乃の表情を見て、斉明は冷静に分析していた。まったく小学生らしからぬ可愛げのない態度だが、今日は頼もしく思える。
解創の道具の試験は、作業部屋ではなく、斉明の自室で行う事になった。斉明はベッドに腰かける。
「特に準備とかは?」
「いえ、全然。あと必要なのは……」
「これね」
久篠乃は部屋から持ってきていた『使い「手」作り』を取り出す。
――これが……斉明の今後を左右する……。
こんな小さな道具が、一人の人間の人生を決めるなんて信じられない。だが、斉明がこの道具をどれほど手間暇かけて作ってきたかを知っている身としては、心境は複雑だった。成功したらしたで嬉しいが、それが本当に幸福なのかは、見当がつかない。
「じゃあ……」
斉明が、久篠乃の手にある首輪に手を伸ばして何か言いかけたが、久篠乃は構わず、首輪を持った手を斉明の首に回す。
「あの、自分で着けられますから……」
「いいから……その、着けさせて」
久篠乃は安心させようと声を出したつもりが、切迫した声色になってしまった。斉明はこくりと小さく頷いた。
「はい……」
なぜか斉明の声は、掠れるような声だった。
『使い「手」作り』を斉明の首に巻き、留め具をひっかける。ふと見ると斉明の耳が赤い。どうやら照れているようだ。可愛いなと思いつつ、悪趣味だなと思った。これではまるで犬の首輪でも締めているようだ。
「ほら、終わったよ」
軽く肩を叩いてやる。斉明は首輪を右手で摩る。
首輪に付いている小さな箱の蓋を開けて、斉明はベッドサイドに置いていたガラスの糸の束を入れた。『使い「手」』だ。蓋を閉めると、斉明は横になって目を瞑った。
試験は、さほど時間は掛からない。ここに久篠乃が一緒にいるので、何かトラブルがあれば、すぐに対応できる。
「大丈夫?」
「大丈夫ですよ……これでも、結構自信はありますから」
久篠乃の最後の質問に、斉明は顔色を変えなかった。
斉明が目を瞑る……使う派生に、思いを馳せて、首輪についている開閉器を入れた。