#09 斉明
それから斉明は、久篠乃の手伝いは勿論の事、趣味としての作成からも疎遠になっていた。期間にして二週間に及ぶ。
だが決して、何も考えていないわけではなかった。むしろ前よりも、色々と悩むようになっていた。
解創の事。
追求者のこと、参考資本の事。
そして、篠原久篠乃という同居人の事……。
その日のクラスの空気は、普段よりは浮ついていた。だがやはりキャーキャーワーワーと騒ぐことはなかった。
朝のホームルームの教室。普段なら勉強している生徒もいるのに、今日はなんだか騒がしい。何かあったのだろうかと、皆の雑談に聞き耳を立てると、どうやら今時珍しく、女子の靴箱にラブレターが入っていたらしい。
古風な……斉明は呆れて、机に頬杖をついて目を瞑る。しばらくして、近くで雑談していた男子生徒が、どういうわけか斉明に声をかけてきた。
「上宮って好きな女子いんの?」
そういう話題が出る頃合いなのだろうか? この手の話は、てんで理解できない。
「いないよ」
「ふーん……」
男子生徒は自分たちの話の輪に戻る。そしてふと思い出したのは……雅だった。
久篠乃の姿も浮かんで、なぜか胸が痛んだ。仕事を手伝ってないことの後ろめたさかと思ったが、得心がいかない。胸の痛みは、思い浮かんだ久篠乃ではなく、雅の方で傷んでいるように思えた。
痛みの正体に迫った気がした。久篠乃のもとで、自堕落に生きているからかもしれない……。
雅はどうしているのだろうか? 心から人の心配をするのは、ずいぶんと久しぶりな気がした……いや、今までもずっと、自分の事で手いっぱいだったかもしれない。
だが雅は別だった。こうして自分は、彼女のことを考えている……なぜ? その答えには心当たりがあった。
――まさか……。
そう思って、首を横に振る。けれど、否定する根拠は一つもない。それがよりいっそう、確信を持たせた。
だが言葉にするのはおろか、そうだと考えることすら恐ろしかった。
コンピュータの授業中、斉明は何度目かの溜め息をついた。
そもそもなんで五十音表記じゃないのか。斜めにずれた上にバラバラに配置されたキーボードには、悪意すら覚える。教室にはパソコンが得意な奴が一人いるが、手元を見ずに打てているのが信じられない。
自分の名前を打つ番になる。「うえ」までは良かったが、一向に「宮」の「M」が見つからずに困惑する。もう飽きたと投げたくなるのを、どうにか抑えて虱潰しに探す。
「どうしたの?」
パソコンは、男女二人一組で使っているので、隣で暇をしていた女子が声をかけてきた。彼女自身の順は終わっているが、他にやることもなく斉明のやりようを眺めていたようだった。せっかくなので斉明は単刀直入に訊く。
「次の文字の場所が分かんない」
「ここ」
女子生徒は下の段の右から五番目の指差す。なんですぐ見つけられるのだろうか?。
落胆を通り越して苛立ちが募ってくる。なんで世の中は、物を使わないと生活できないようにできているんだろう?
いつの間にか、斉明にとっての作成は、単なる作成ではなくなっていた。
色々と考える事が出てきてしまった。作った道具をもらった人の事、それを使う人の事……いままで作るときは、ただ自分の満足のための追求でしかなかった。
けど、久篠乃の手伝いをしているときは違った。作る間に他人を意識しないといけない。
作成というのは、実際に作業する段階では一人だけの作業だ。たとえ共同作業だとしても、実際に手を動かし、集中している間、意識から、あらゆる『外』は締め出される。
そんな断絶された意識の中で作業する、孤独な追求の中で、なんで他人を考えないといけないのか――そういう意識が斉明にはあった。
作る段階では自分より無能な存在が、いざ道具が出来上がったら喜んで横からかっさらって、自分よりもうまく使ってみせるのは、不愉快だった。
それでも、そこまでは百歩譲って耐えたとして――いざ使う段階になってから文句をつける使用者に、なんで作る自分が配慮してやらないといけないのか? 久篠乃の言っていることは、つまるところ、そういう事だ。
委員会には、委員会なりの考えがあるというのは分かる。だが、それに合わせてやるなんて……。
どうして久篠乃は、使う側を意識した作成をできるのだろう? 斉明には、まるで理解できなかった。
自分には、久篠乃以上に作る才能がある。だからこそ作ることに誇りと自信を持っていて、そこに久篠乃以上の意地を持つのは、至極当然だろう。
間違いではないだろう。久篠乃に言っても、それを否定することはないはずだ。傲慢ではなく厳然たる事実として、自分の才能は抜きんでているという自覚はある。
けれど裁定委員会の評価では、現状では何もできない自分よりも、数々の参考資本を提供してきた久篠乃の方が認められている筈だ。
作る才覚が、そのまま社会的な地位に直結しないというのは理解している。所詮他人は、それがどういう価値を持っているかよりも、それが自身にとってどういう価値を持っているかの方を優先するのだから。
久篠乃の作る才覚は、斉明も認めている。その手際の良さは惚れ惚れするし、自分と違ってやり方がスマートな印象もある。これだけの力があって、自分の力に誇りを持っていないわけがない。そういう事もあって、そんな久篠乃が、なんで自身よりも他人を優先するのかが、不思議でならない。
参考資本の提供者になるためには、そうするしかなかったと結論付けるのは、斉明の中で解決にはならなかった。なぜなら『ならどうして参考資本の提供者となる事を受け入れられたのか』という新たな疑問が発生するからだ。
作ることにプライドがあるなら、なんで他人を優先できるのか。
久篠乃には、力はあっても、それに対してプライドが無いのだろうか?
それとも、プライドがあってもなお、使う側、提供される側を考えられる理由が、事務的な理由でなく、本心としてあるのか?
久篠乃の考えは、まったくもって分からない。もちろん「どうしてですか?」と訊けば早いのかもしれない。けど訊きたくなかった。
ここで久篠乃に訊くのは――うまく考えられないが、そこを訊くのは、ズルい気がした。友人に答えだけ教えてもらって宿題を済ませるのと似たような感覚だった。
そこに至るまでに、過程を手に入れなくてはいけない。大事なのは結論よりも、むしろその過程なのではないか? そういう事について、斉明は同世代の人間よりも深く理解していた。
斉明は、願い、作ることで業を解創という力に昇華する追求者である。解創という力を生み出すために、その過程――願い、作る事がどれだけ大切なのかは、身をもって知っている。
ある意味、この行為も追求者としての追求の一環なのかもしれない。今までは願い、作る事で叶えてきた。だがこれは別の方法……いや、それよりも前の段階。『この結論に至るためには、どう願えばいいか』――そういう追求、思考、熟考。
まず作り出すのは、どう願うかの『どう』の部分……そこに至らなければ始まらない。
そういう煩悶もあって、委員会や追求者、解創の話題について、斉明は少し敏感になっていた。久篠乃が時々真剣な口調になると、思わず身をすくめてしまう。久篠乃が「そろそろ再開する?」と切り出してくるんじゃないかと思ってしまった。だが毎回違った。毎度毎度、杞憂に終わっているとはいえ、少々参っていた。
「どうしようか」
だからその日、リビングでテレビを見ながら嘯いた久篠乃の言葉に、斉明は内心で緊張していた。
「何がですか?」
手伝いの事かと思いつつ、斉明は恐る恐る尋ねる。
「ん? 高校の文化祭の日。私は一日以内から、斉明、お昼どうする? 一人で大丈夫?」
そんなことかと、ため息をつきたくなる。
「あ、それとも斉明、くる? 文化祭」
どう返したものか。正直、そんなのどうでもいいのだが……。
「まぁ、行ってもいいですけど……」
「なにそれー? いやならいーわよ。他当たるから」
ぶーぶー、とヤジを飛ばす久篠乃が面倒になって、つい斉明は大声を上げる。
「分かりました! 行きます! 連れてってください!」
「はいはい、どうも……ま、気分転換と思って。面白いかどうかは別してさ」
「面白くないのに気分転換になるんですか?」
「ちょっと予防線張ってみた」
それを本人の前で言っちゃ意味ないだろうと、斉明は呆れたが……同時に、こういう下らない会話が出来るのが、少しうれしかった。