第64話
「じゃあ気を付けてね」
後部座席の扉を閉めると、車は走り去っていってしまった。来た事の無い場所に取り残され、僕に不安が襲い掛かる。しばらくボーっとその場に立ち尽くしてしまったが、終電が迫っている事を思い出し急いで駅へ向かう。
終電に近い時間だが、電車にはまだ大勢のサラリーマン達が座っていた。仕事終わりに一杯飲んできたのだろう。皆、緊張感の無い様子で気持ち良さそうに座っている。
そういえば何ヶ月も酒を飲んでいない。僕も今日の仕事終わりはビールでも飲もうかな。
もうすぐ日付が変わろうとする時間。
電車が三駅分進み目的の駅に到着した。僕と同じくパラパラと人が駅に降り、皆改札に向かって歩き出す。
僕はできるだけ人には近づかないように流れから外れる。
この人達が全員家路につこうとしているとは限らない。今回は夜中に京神テクノロジーを襲うという事で、交通手段が電車の場合はそろそろ集まってきていると思った方がいい。あと2時間もあるのに奴等と行動を共にしていたら、何がきっかけでバレるか分からない。
改札の外までやってきたが無事に誰とも出会う事は無かった。改札を出て直ぐの所にコインロッカーを見つけたので、背負っていたリュックを入れておく。これで安心して時間を潰す事ができる。
これからどうするか。
これからの2時間は奴等と出会わないようにしたいので、人通りも少なくなるこの時間に下見などはしたくない。京神テクノロジーとは反対方向で時間を潰すのがいいか。
そう思い、車の中で見ていた地図と現在見ている風景を合致させようとしていると、何処からともなくラッパが奏でるレトロな音楽が聞こえてきた。思わず足が音を探して動き出した。
全く馴染みが無い筈なのにノスタルジックな気分にさせるこの音の元へたどり着くと、赤い暖簾に赤い提灯、簡易な椅子と机が設置されたラーメン屋の屋台が道路の脇で営業していた。
席は一つだけ空きを残し、あとはサラリーマン達が座って美味しそうにラーメンを啜っている。気温も夜になって大分落ち着き、屋外で食べるのに丁度良いかもしれない。
お腹は大して減ってはいなかったのだが晩ご飯も後悔していたところなので、迷わず残り一つの空いていた椅子に座る。
「いらっしゃい!」
店の大将は威勢のいい声で挨拶してくれる。忙しそうにラーメンを作り、中は火を使っているからか大将は暑そうに流れる汗を袖で拭う。活気がある店の雰囲気に期待度が上がる。
さて何を食べようかとメニューを見ると、メニューはラーメンが一種類だけ。それにトッピングを追加できるという事らしい。僕は煮卵とチャーシューを追加した。
大将は返事をして麺を鍋に投入する。隣の客の食べるラーメンを見るとスープは豚骨醤油のようだ。
凄く待ち遠しい。
「へい、お待ちっ!」
来た! どんっと僕の正面にどんぶりが置かれる。まずは刺さっている蓮華を手に取り、スープを一口。
……うん。
続いてどんぶりの上に置かれ一緒に出された割り箸をパキッと割り、麺をズルズルッと啜る。
……なるほどなるほど。
チャーシューも一口。
……そうか。
まぁこんなもんか。不味くはないが特別美味しくもない。凄く普通だ……
僕は何故こんなに期待していたのだろう? 別に文句を言うような味ではないのだが、いちいちこの店のやる事が僕の期待を煽ってくるので、正直ガッカリしてしまった。屋台で細々とやっているような店がそこまで美味しい訳ないか。僕が勝手に期待度を上げ過ぎたのがいけなかったのだ……
改めて周りを見るとサラリーマン達は、酒を飲んだ帰りに〆のラーメンをただ黙々と食べているだけに見えてきた。
僕も黙々と食べる事にしよう。
ズルズルと麺を啜り半分くらい食べ終わった頃、蓮華を持った左手が痺れ出した。麺を掴んだまま箸が止まる。
やはりこの時間でも連中は集まりだしているのか。
……いや、違う。段々と痺れが増していく。
どんどん痺れが大きくなり、とうとう震え出す。箸を持ったまま右手で左手を押さえ、動かないようにして少し顔を伏せ、後ろの気配を探る。
左手の痺れが激しくなったとき、僕の後ろを一人歩いて通過していった。
その気配が遠ざかるにつれ、左手の痺れが治まっていく。
良かった。通り過ぎてくれた。
一息つき顔を上げると大将が不審な顔をして僕を見ているので、何事も無かったように再び食事を開始した。
やはり今回は危ない奴が来ているようだ。心構えができたので事前に確認できたのは良かった。
気を引き締め直し、残りのラーメンを完食した。




