第59話
「おはようございます」
いつものように食堂へ朝の仕込みをやりに来た僕だが、確認しなければいけないことが一つあった。桃子はいつものように野菜を切っているので、僕も手伝うために隣へ行く。
「前田さん、おはようございます!」
今日も桃子は元気だ。その元気が羨ましい。僕もついさっきまではあったのだが……
「桃子ちゃん、この前男の跡をつけた時なんだけど、最終的に何ていう所に入っていったの?」
「えっ? いきなりどうしたんですか? 京神テクノロジーっていう所ですけど」
出た! やはりその名前が出てきたか……
どうする? 正直に話せば桃子ちゃんの身が危険に晒される。今回の事は見逃して、レベル3の正体が分かってから行動に移した方が良いんじゃないだろうか。じゃないと本当に桃子ちゃんの身が……
「いや、ちょっと気になったから……」
突然こんな話をしたからか、桃子は僕の様子を窺うようにジッと見つめてくる。
まるで全てを見透かすような目だ……
そう、僕は今嘘をついてしまったんだ……
桃子の身を案じてはいたが、本当はそれだけではない。桃子を言い訳に使っていただけだ。
本当は我が身可愛さゆえに黙っていようとしていた。正直50万程度で命を懸けるほど、僕は正義感に溢れてはいない。僕は本当は薄汚い人間なんだよ……
とりあえず心の中で開き直ったので、黙っていようという気持ちが強くなる。
「実は明日の夕方なんですけど、京神テクノロジーに警察から査察に入る事になったんです」
「えっ? 何で?」
「あの男が入っていった建物なんで、一応調べておこうという事になりまして」
「そうなんだ……」
明日の夕方に警察か。今日朝6時に通信が来たから、明日の午前2時に京神テクノロジーを奴らが襲う事になる。このタイミングはさすがに無関係ではないだろう。
どうしたもんか。黙っているのがバレた時のリスクが上がってしまった。何とか黙っててもいいという言い訳を探してみるが、さすがに無理か……
諦めの気持ちから、思わずため息が出てしまう。
「どうしたんですか? 元気無いですね?」
「うん、ちょっとね……」
通信が来たと言うなら早い方が良い。この後、洗濯も干さないといけないので仕込みの手伝いをしている暇は無さそうだ。
「長沢さん、来たばっかりなんですけど用事思い出したんで抜けさせてもらっていいですか?」
「うん、いいけど。こんな時間に?」
「すいません、緊急事態で。桃子ちゃん、また後で!」
二人に頭を下げ、小走りで食堂を後にする。
たしかこのフロアって言っていたはずだが。
建物の奥の方に在る、普段は立ち入り禁止のエリア。研究施設などが在るこの研究所の心臓部だ。そこに部屋が在ったほうが利便性が良いという事で村井はそこに自室を設けている。
このフロアのドアにはネームプレートが掛かっており部屋の用途が書かれている。それを見ながら探していると、一枚のドアに村井と書かれたプレートが掛かっていた。
以前に村井から用事があった時の為に部屋の位置を聞いていたのだが、頻繁に僕の様子を見に来るし、わざわざこちらから部屋を訪ねないといけないような急用がなかったので、村井の部屋を訪れるのは今回が初めて事だった。
コンコンとノックする。
「はーい」
まだ時刻は6時半だが村井はもう起きているようだ。
「前田ですけど、ちょっといいですか?」
「どーぞ。入っていいよ」
扉を開け中に入ると、壁一面に並んだ本が僕を出迎えた。さすが研究所で主任と呼ばれているだけあるというような本の威圧感だ。背表紙を見ても読めないどころか何語で書かれているのかすら分からない。
村井は机に座って本を読んでいたようだ。まぁ本ばっかりの部屋なので、本を読む以外やることなさそうだが……
「おはようございます」
「おはよう。こんな時間にどうしたの?」
本当に言っていいのだろうか……
ここまで来たのにまだ心が決まらない。優柔不断な自分の事を自分で嫌になる。
「何かあったの?」
迷っている僕を見て村井は更に聞いてくる。言うしかないか……
「あの、今朝なんですけど通信が来ました」
それを聞いた村井は顎に手を当て宙を見つめる。
どうしたんだろう? 思っていたリアクションと違う。もっと大騒ぎすると思っていたのに、村井は何か考え込んでいる。
「それで?」
先を促してくる。まだ言っていない事があるのを分かっているようだ。
「場所が京神テクノロジーっていう所なんですけど」
村井は背もたれに体を預け、上を向き両手で頭を抱えてしまった。少し唸り声も聞こえる。
「村井さん?」
「やっぱりか……」
その言葉と共に頭を抱えていた両手を解き、体を起こして座り直す。そして僕の事をしっかりと見据える。
「何でわざわざボクの部屋まで言いに来たの?」
何かを見定めるような目で僕に聞いてくる。悪い事はしていないのに居心地が悪くなる。
「今朝、桃子ちゃんから京神テクノロジーに査察が入るって聞いて、偶然じゃなさそうだから急いで知らせに来た方がいいのかなと」
「そう。通信があった事はボクの他には誰に言った?」
「いえ、まだ誰にも言ってないですけど」
「そう。前田君、良い判断だよ。そのタイミングで場所が被るのは、何処かから奴等に情報が漏れてると思っていた方がいいね」
褒められてしまった。僕の所で情報を握り潰そうと思っていただけなのに……
「僕はこの後どうしてればいいでしょうか?」
内通者がいるとかは正直どうでもいい。それより僕は明日どうなるのかが気になる。
「また呼びに行くから部屋で待機しててもらっていい?」
保留か……
「分かりました。洗濯だけ干したら部屋に戻ってます」
軽く頭を下げ、部屋を後にする。今日は鬱々とした気分で過ごさなければいけないようだ……




