足音は静かに忍び寄る……
「昨日はどうしたんだよ、お前が無断欠席なんて珍しいな」
案の定、教室に入るなり宮本に捕まった。
「えっと、体調が悪くてさ」
嘘でごまかす。それでも宮本はほっと顔を綻ばせた。本気で心配してたみたいだ。
「腕、治ったんだね。ノートは取っといたよ」
西尾に取って貰っていたノートを受け取る。綺麗に色分けされていたり、あちこちにポイントが書いてあったりと西尾のノートは僕が取るよりもずっと見やすい。
「ありがとう」
僕はこの二人を守れたんだ、そう思うと不思議と達成感のようなものを感じた。今までの恩の一部でも返せた気がした。
しかしそんな気持ちは一瞬で消し飛んでしまった。
「えー、今日は転校生を紹介する。皆、仲良くするように」
朝のホームルーム。いつも通り連絡事項を伝えた後、先生がそんなことを言った。
ガラガラと横開きの扉を開いて現れたのは見慣れたこげ茶の長いポニーテール。活動的に日焼けした肌。僕は開いた口が塞がらなかった。
「んじゃあ三好の席はそこな」
先生が指さしたのは一番後ろの廊下側。因みに僕の席は一番後ろの窓側。宮本はその前。西尾は教卓の真ん前だ。今日学校に行く前にタブレットはしっかりチェックした。でもこんなことは一切何も連絡されていなかった。全く訳が分からない。
昼休み。僕は屋上で食べるのが日課になっていた。
「ここにいたのね」
横を見ると三好がいた。
「何で来たんだよ」
「クラスの人達にはちょっと用事があるって言って抜け出してきた」
「そうじゃなくて、何で僕の学校にいるんだよ」
「夜神月さんの命令。自分は暫く動けないからメンバー同士でお互いを守りあえってこと。瀬名先生も保険の先生ってことでこの学校に居る」
僕は単純に『アンチデビルズ』の組織力に驚いた。転校なんてそうそう突然できることじゃない。それが先生なら尚更だ。
「あんたもあたしもまだ半人前って扱いなのかもね」
確かに三好が転校した理由はわかった。でもそれだけでは足りない。
「それじゃあ僕が転校すれば良かった」
三好にだって前の学校に友達がいただろう。おそらく僕よりもずっとたくさん。
「いいのよ、それにあたしには命を賭けてまで守りたい人なんていなかったし」
三好は僕の隣に腰掛けてお弁当のふたを開けた。女子らしい彩り豊かな中身だ。
「……あんた、ハブられてんのね」
「別に」
僕は宮本達の邪魔をしたくなかったっていうのと単に一人になれる屋上が居心地良かったってだけだ。尤も、三好が来た時点で後者は破綻してるんだけど。
「別に、あたしも一人で食べたかっただけ」
僕は居ても居なくても同じ、ってことだろう。何にせよ僕の方からここを退くつもりはない。そのままコンビニの袋からサンドイッチを出して袋を破く。
「あんたまさか毎日そんなの食べてるの?」
「ほっといてくれ」
三好は目を丸くする。別にいつどこで何を食べようが僕の勝手だ。他人にどうこう言われる筋合いはない。
放課後、今日のアンチデビルズ連絡を確認しようとタブレットを起動させる。メールの欄に『学校が終わり次第本部に集合』の文字があった。今日の件の詳しい説明があるかもしれない。タブレットを仕舞おうとするとホーム画面に『三好』と書かれた赤い点が見えた。かなりの速度で移動している。本部とは逆方向に。あの三好が、だ。
無視しようかともおもった。でも昨日……いや一昨日助けてもらったのを思い出した。
「……今回だけだからな」
宮本の誘いを断って三好の向かった方向に走る。……とても追いつけたもんじゃない。体力が違いすぎる。でも疲れて立ち止まったおかげで三好の動きがおかしいことに気づいた。点の動く速度が速いってことは走っているんだろう。でもどこかを目指している感じじゃない。細い道に入ったり、ジグザグに動いたり。例えるなら……そう、何かを追いかけているか逃げているか。他の皆はもう本部に集まっている。ということは三好からの連絡はない、ってことだ。となると逃げているより追いかけている可能性が高いか。それとも連絡する余裕がない程切羽詰まっているか。どっちにしろロクなことに巻き込まれてないだろう。
試しに電話をかけてみる。しかしコール音ばかりで出る気配はない。
僕から三好までの直線距離は五百メートル程。でも建物や何かで道程はその比じゃない。ちょっと迷った後、タクシーを拾った。あっという間に距離五十メートルの所まで近づく。そこからは徒歩だ。ここは閑静な住宅街。爆破なんてすれば相当目立つ。ちょっと探すとすぐに見つかった。家の塀が壊れて煤がついている。三好が能力を使った後だ。そこからは簡単だった。能力の痕跡を辿って行くと、居た。小柄な女を行き止まりに追い詰めている。
「おい!三好!」
三好が振り返った。
「あんた、何で来たのよ!」
小柄な女は確かタブレットのテイマーリストに載っていた人だ。でも『標的』になった、なんて話は聞いていない。
「それはお前だろ、そいつは標的にはなってないと思うけど」
「うるさいわね、私は早く夜神月さんに認められたいの!」
三好が夜神月さんに対して『尊敬できるリーダー』以上の感情を抱いていることは薄々分かっていた。そうでなければ一晩中看病を続けたりなんてできやしない。
「確かに夜神月さんと一緒に戦えるのは嬉しいよ、でも私だって一人で出来るってことを証明したかったの!」
その気持ちは分からないでもない。僕の見ただけでも三好は権藤さんや夜神月さんのアシストばかりだ。想いが強ければそれだけ承認欲求も強くなるだろう。でもそれに関係ない人を巻き込むのはお門違いだ。
「夜神月さんに……私を見て欲しいの……」
三好は握りしめたコンクリート片を投げる。
「やめろ!」
右腕を伸ばす。紅い光の壁で三好の投げたコンクリート片は消し飛んだ。
「何するの!」
だめだ、今の三好は完全に錯乱してしまっている。無理矢理にでも連れ帰るしか……
「ボク、ありがとう」
三好の腕を掴んだ時、正面の女が呟いた。
「上!」
三好の声で咄嗟に上に光の壁を展開させる。無数に降ってきたプランターが光の壁に当たると共に消し飛ぶ。確かこの女の能力は……そうだ、『念力』だ。
様々なものが四方八方から飛んで来る。僕は壁を半円状に展開する。今は何とか防げているがそれももう保たない。だんだん気が遠くなってきた。
「一瞬だけ足元にそれ、張れる?」
僕は頷く。一瞬だけなら。三好は地面に手を置いて目を閉じた。
「三……二……一、今!」
僕が足元に壁を広げる一瞬早く三好が爆発を起こした。彼女を中心とした広範囲に。僕は力尽きて仰向けに倒れる。あの小柄な女は消えていた。
「どうして昨日はあんなこと言ったの」
昨日と同じ屋上で三好はそんなことを言ってきた。あの後、僕たちは伊原さんに物凄く怒られた。たった二人で戦いに行くことがどれだけ危険か、と。今回ばかりは権藤さんも庇いきれないみたいでずっと黙っていた。それで、どっちが主謀か聞かれた時に僕はこう答えた。
『僕が三好を誘いました。早く皆に僕の実力を認めてもらいたくて』
自分でも何でこんなことを言ったのか分からない。ただ考えるより先に口が動いてしまった。あの日学校に残った時と同じだ。
「別に。三好だって夜神月さんの前で恥、かきたくないだろ」
三好は昨日早く自分の力を認められたい、って言ってたけど僕に言わせれば新入りの僕の面倒を見させられる時点で十分認められていると思う。
「そう。じゃあこれ」
三好は少し頬を染めながらお弁当箱を僕に押し付けてきた。昨日とは違う柄だ。
「何?」
「だから……これ、食べてもいいわよ。一つ作るのも二つ作るのも変わらないし」
お弁当を作ってきてくれた?僕の為に?信じられない。夜神月さんにならまだしも。まあでもくれるって言うんなら貰っておこう。
「ありがと、食べるよ」
お弁当を受け取ろうと手を伸ばす。その一瞬、制服の袖がはためき、三好の手首を垣間見ることができた。そこには何重もの横線が刻み込まれていた。僕にそのつもりはなくても三好には僕が自分の手首を見つめているように見えたんだろう。慌てて袖を伸ばして手首を隠した。僕も他人の詮索は好きじゃないし楽しい話でもなさそうだから深入りはしないことにした。
それでもお弁当は僕が久しぶりに食べた『温かい』食事だった。
「三好さんって昼休み、どこでお弁当食べてるのかな、カズくん、知らない?」
教室に入るとそんなことを西尾が聞いてきた。
「三好さんってあんまり皆と話さないから……」
面倒見のいい西尾としては三好が未だクラスに馴染めていないのが放っておけないんだろう。
「別に大丈夫じゃない?本人もそう言ってたし」
言ってしまってからしまった、と後悔してもてももう遅い。
「そういえば昨日も一緒にいたよね、仲いいの?もしかして……付き合ってる?」
西尾が悪戯っぽい笑みを浮かべる。冗談だとはわかっていても三好とそんな仲を疑われるなんてゴメンだ。
「まさか」
そこに三好が教室に戻ってきた。瀬名先生と何か話していたらしい。
「あ、私生徒会の用事があったんだった。ちょっと行ってくるね」
西尾は生徒会の書記をしている。ノートといい字は綺麗だし見やすい。彼女以上の適任者はいないと思う。
「あれ、杏はいないのか?」
残りの昼休みをどう過ごそうかと考えていたところに宮本がやってきた。
「西尾は生徒会だってさ」
「そっか、でさー聞いてくれよ、もうすぐ三年が引退するから新しいキャプテンを選ぶんだよ、それで皆俺にやれって言うわけ。ひどいと思わね?自分がやりたくないからってさ」
確かにキャプテンをやりたくないっていう気持ちもあると思う。それでも宮本にやってもらいたいっていうのは多分本心だ。宮本は二年の中でもずば抜けて上手いし、人望もある。キャプテンの素質はあると思うけど本人は謙虚というか自己否定的というかあまり主張しないタイプだからな……
「まぁそれはそうとして来週に西尾の誕生日があるだろ?そん時さ……」
宮本が何か言おうとした時、校内に放送が流れた。
『もしもーし、聞こえてますか?この学校のテイマーさん』
テイマー。その僕たち『身内』しか知らないはずの言葉。ということは必然的に相手もテイマー。でもまさか白昼堂々学校に進入してくるなんて……
『僕は人質を取っています。人質を殺されたくなかったら放送室まで来てください』
『ちょっと!やめてください!痛い!』
西尾の声だった。それで今までは冗談かと笑っていたクラスの雰囲気が変わった。ようやく自分達が置かれている状況がわかったようだ。
「杏!」
走って教室を出ようとする宮本を腕を掴んで止める。
「待って!今行ったら危ないよ、宮本も西尾も」
「じゃあいつ行くんだ!?このままだって安全ってわけじゃ……」
宮本が思い切り振りきれば僕の力じゃ敵わない。僕の手が宮本からはずれた。
「待ちなさい、今行ってどうするの、相手が何者かも分からないのよ?行って人質になるか、最悪殺されるわよ、あんた」
「……わかったよ」
三好が扉の前に立ち塞がった。ほとんど話したこともない三好の強い言葉は十分に宮本を落ち着ける作用があった。
「それで?どうするの」
この際非常時だ。教室で話しかけてもいいだろう。僕は三好の席まで歩いて行った。
「本部への連絡はしてみた?」
僕は頷く。放送があった瞬間にメンバーに一斉発信メールを送った。いや、送ろうとした。でも何故か何度やっても送信エラーになってしまう。
「まずいわね……」
この状態だと敵の能力も正体も分からない。その上人質を取られている。時間の制限だってある。 その時、メールが僕のタブレットに届いた。瀬名先生からだった。
『そちらは全員無事ですか?こちらは男の先生が数人放送室に向かいましたが戻ってきません。外部との通信もできないようです。敵の能力が分からない以上勝手な行動は慎んでください』
「やっぱり外と連絡が取れないみたいね、妨害電波でも出てるのかしら」
「それだったら学校内のメールもできないはずだよ。何かの能力じゃないかな」
三好と頭を悩ませているとまた放送がかかった。
『テイマーの諸君、僕はいつ教師をよこせって言った?これ以上待たせると……そうだな……五分毎に人質の指を切っていこうか』
最後に一瞬西尾の悲鳴が聞こえた。
「何だよ……テイマーって何だよ!」
教師達がやられたことがよほどショックだったようだ。教室内がざわつき始めた。
「五分……時間ないわね」
このままじゃ西尾が……そう思うと僕もパニックになりそうになる。今すぐ飛び出して行きたい。
「しょうがないわね、行くわよ」
「え?」
三好だったら絶対に言わなさそうな回答だったから余計に驚いた。
「え?じゃないわよ、まず人質を解放させないと私達も能力を使えないでしょ」
僕達は教室のある三階から放送室のある二階に降りた。すると異臭が鼻をついた。教室を出たあたりから何か臭うな、とは思っていた。でも階段の踊り場に着いた瞬間、それが一気に濃くなった。
「吸っちゃダメ!これ、神経毒よ」
見ると三好はハンカチで鼻と口を覆っている。僕も慌てて袖口で押さえる。
「これじゃ近づけないわよ」
三好が唇を噛む。あと時間は一分しかない。もう迷っている時間はなかった。
「三好、僕が部屋まで突っ込むよ」
「あんた何言ってるの?……死ぬわよ」
そんなことはわかってる。でも教室での宮本の取り乱し様を見たら、放送から漏れた西尾の悲鳴を聞いたら、立ち止まってなんていられない。
「それでも、さ」
大きく息を吸う。放送室まではここから階段を降りて廊下を曲がり、そこから十メートルの地点にある。全力で走れば何とか息はもつ。
しっかり鼻と口を押さえて階段を二段飛ばしで駆け下りた。それから廊下を曲がる。するとその先に放送室が見えた。そのドアを体当たりで破り、中に無理矢理入った。
「……間に、合った、だろ……その娘を……離せ」
息を止めて全力疾走なんてしたもんだから息も絶え絶えだ。肺はとめどなく新たな空気を要求してきてしゃべるどころじゃない。
「お前一人か?確か二人いたはずだろう。もう一人はどうした?」
目の前の男が持っているのは折りたたみ式のサバイバルナイフ。その隣には両手を結束バンドで縛られた西尾の姿があった。
「そん……なの……僕が……知るか」
「ふーん、そう。まあいいか、まずは一人、殺っとこうかな」
男が右手を振る。すると何もなかったら空間から何か液体が出てきた。それが僕めがけて飛んでくる。直感で辛うじて横に避ける。すると液体が当たった床が煙を上げて溶け出した。どうやらこの男の能力は『薬製』自分の思う薬を作り出せる、閉所、例えばこの放送室みたいな空間じゃすこぶる有利な能力だ。それにこれ以上あの強力な溶解性の液体を撒き散らされたら西尾にも被害が出る。
「これなら?」
再び男が右手を振る。次の何かが来る前に僕は全面に僕の能力、『消去』の壁を展開、そしてそのまま接近した。
「カズ君……」
その時西尾の顔がちらりと見えた。知られてしまったけど今はそんなことを言っている場合じゃない。
「このぉぉっ!」
そのまま伸ばした右手で男の顔を掴む。男のが左手のナイフを僕の右腕に突き刺そうとするのを今度は左手で消し飛ばして防御しようとした。
でも僕の能力は紅い光に触れた物質を跡形もなく『消す』能力。でも体積や質量が大きければ大きいほど消し飛ばすのに必要な力は大きくなるし、『光』だから物理的な拘束力は無い。
だから壁はあっさり貫通され、僕の左手に深々とナイフをが刺さる。
「あぐっっ」
痛い。今まで味わったどんな痛みよりも。でもこの手を離すわけにはいかない。右手に力を集め、男に流し込む。男が紅い光に包まれ、そして消えた。残ったのは僕の手に刺さったナイフだけ。西尾もあの男のことは全て忘れているだろう。西尾にどんな形で記憶が残っているかは分からないけど僕が奇妙な力を使った、という事実は消えないはずだ。
「か……カズ君あの、その、えっと……保健室行こうか」
男が消えるのと同時に神経毒も完全に消えていた。廊下を歩いて保健室へ向かった。
「それでね、あの人は誰なの?カズ君知り合い?」
瀬名先生の的確な手当てでナイフは無事取り出され、今は包帯が巻かれている。結局西尾には全部見られてしまった……ん?
「今『あの人』って言った?」
西尾にはあの『毒製』の男の記憶は完全に無いはずだ。
「あの……ナイフを持ってた人。それに、テイマーって何?」
何故か西尾にはテイマーの記憶が残っているみたいだった。
「ねえ……教えて?何か危ないことに巻き込まれてるんじゃない?」
澄そのんだ瞳に僕はそれ以上嘘をつくことはできなかった。それに記憶が残っている以上これ以上秘密を突き通すことも難しいだろう。そう自分に理由付けて僕は西尾に全てを話した。悪魔のこと。テイマーのこと。でも『アンチデビルズ』については省いた。そればかりは僕の一存で明かす訳にはいかない。一度堰を切った言葉はとめどなく次から次へと溢れ出る。最初は少々面食らっていた西尾も真剣な眼差しで聞いてくれた。僕はテイマーになって、いや、あのコンビニ強盗以来初めて誰かと腹を割って話した気がする。本当はずっとこうしたかったのかもしれない。そう思うほど話し終わった時の気持ちは清々しかった。
「……そう」
でも次に西尾から何を言われるのか不安でもあった。今の僕は西尾から見たら『化け物』そのものな筈だ。訳のわからない力を振り回して殺し合いをする。あの強盗達と何も変わらない。
「ありがとう」
「え……」
しかし西尾からの返答は僕の予想を大きく外れたものだった。
「こんな風にカズくんが私に話してくれたのっていつぶりかな」
西尾の顔には恐怖の色も、嫌悪も無い。ただただ優しい微笑み。
「でも僕は……」
違う。西尾とは。宮本とは。皆とは。僕だけが違う。人だって殺した。悪魔と何も変わらない……
「違くないよ。カズくんだって怪我をすれば赤い血が出るし、あの時も、今日も。私達を守るためにその力を使ってくれた」
西尾は僕の包帯の巻かれた左手を両手で優しく包み込む。
「だからカズくんは優しい人間だよ。それに……あんな必死なカズくん久しぶりに見たな、ちょっとかっ……見直したかも」
今の僕にはそれだけで十分だった。何かに赦された気がした。
「ありがとう」
でも僕には今の気持ちを表現するのに語彙が足りなくて。こう言うのが精一杯だった。
今日も屋上に行こうとカバンの中からコンビニの袋を引っ張り出す。するとそれと一緒に何かがカランと音を立てて床に落ちた。見ればそれは昨日三好がくれたお弁当の箱。洗ってからカバンに入れっぱなしだった。
「カズくん、そのお弁当箱……カズくんの?」
西尾だった。まずいものを見られた。このお弁当箱は薄い水色に白の水玉模様でとても僕が……というか男が持ちそうな色合いとは言えない。それにここで真実を喋ることを三好が望まないことくらい僕にもわかる。
「えっと、まあね」
なんとなく濁してみるけど僕から見てもあからさまに不自然だ。第一箱の中身は空だ。それだけで十分怪しい。
「じ、じゃあ僕はこの辺で……」
「待って」
逃げるように立ち去ろうとする僕の腕を西尾が掴んだ。
「カズくん、いつもご飯コンビニでしょ?私が作ってあげるよ」
少し前にも同じようなことを言われた気がする。デジャヴというやつか。
ホームルーム後、帰ろうと階段に差し掛かった辺りでタブレットの着信音が鳴った。メールファイルを開くとどうやら今日もメンバー集合の連絡だった。タブレットをカバンの中にしまおうとした時、叫び声が僕のすぐ前、階段から聞こえた。
下を覗くとちょうど踊り場の辺りで三好と西尾が折り重なるようになって倒れていた。三好の手の側にはタブレットが転がっている。どうせ階段を下りながらメールを見ていて階段を踏み外したんだろう。三好もちょうどしまう段階だったのかカバンの中のものがあちこちに散らばっている。
「大丈夫?」
両方に声をかける。先に起き上がったのは西尾の方だった。そのすぐ目の前に三好のカバンから飛び出したあのお弁当箱が転がっている。あっと気づいた時にはもう手遅れ。
「どうしてカズくんのお弁当箱か三好さんのカバンから出てくるの?」
「えっと……それはさ……」
助け舟を求めて三好を見る。
「私がお昼を作ったのよ。た、たまたま量が余ったから北上の分も作っただけだから」
まさかの直球。その場に沈黙が流れる。
「まさかそこまでカズくんと三好さん、仲よかったんだね。知らなかったよ……」
西尾から乾いた笑い声が漏れる。
その間に三好は荷物を拾い集め、階段を下りてしまった。でも僕はそうもいかない。昼休みに西尾のお弁当を断ってしまっているからだ。
「カズくん、私の提案は断ったのに三好さんのお弁当は食べたんだ」
ジト目で睨まれる。僕に言わせれば西尾は宮本の彼女なんだから僕じゃなく宮本に作ってあげればいいのに。でもそんなことを言ったらもっと怒られそうだ。
「まあいいよ。カズくんにも三好さんにも料理なら私の方が上だって教えてあげる」
西尾は僕の見たことのない顔をしていた。料理には自信があっただけに対抗心を燃やしているんだろうか。別れ際、こんなことを耳元で囁いてきた。
「カズくんの秘密を知ってるのは私だけなんだから」
それから僕はあの雑居ビルの地下、『アンチデビルズ』の本部にあるサロンのドアを開けた。でもそこに居たのはソファーに寝そべって携帯ゲーム機をいじっている修平だけ。権藤さんや伊原さんはおろか先に行ったはずの三好すらいなかった。
「お、和人じゃん」
「皆は?」
「伊原さんは多分病室で夜神月さんと話してる。権藤のオヤジと三好はワカンネ」
ゲーム機から一時も目を離さず答える。そういえば修平の能力は『瞬間移動』だったか。使えたら便利そうな能力だ。
「お前今俺の能力便利そうとか考えただろ」
考えてたことをまるっきり言い当てられた僕はギョッと目を見開いた。心を読む能力も持ってるのか?夜神月さんもそうだしありえなくはない可能性だ。
「言っとくけどお前の心を読んだわけじゃないからな。俺の能力を聞いた奴は大体同じことを言うんだよ」
「でも行きたい所に行きたい時に行けたら凄く便利だろ?」
実際に便利なんだから仕方ない。
「あのねぇ、北上は能力を使った後猛烈な疲労とか眠気に襲われたりしない?遠くまでま飛べばそれだけ疲れるんだよ。だから楽じゃないし、あと俺の『テレポート』は俺が実際にそこに行ってマーキングした所にしか飛べないの。だから最初の一回は歩いて行かなきゃいけないし」
なるほど、確かに僕も能力を使った後、特に人一人消した後とかは猛烈に疲れる。テレポートして疲れたらそりゃ楽じゃないか。
「そういやお前の能力は『消去』だっけ?やっぱ戦闘向きの能力かー、いろいろ辛いことはあると思うけど頑張れよ」
修平は見た目は金髪だし、口調も態度もチャラいイメージが湧くけど中身は案外紳士なのかもしれない。
「よっ、お前ら。北上、今日は何も無かったな?」
権藤さんだ。前回会った時は三好が暴走してお叱りを受けた時で、あの時の嘘も権藤さんにだけはバレてたみたいだ。その時から僕の呼び方が『新入り』から『北上』に変わった。
「はい。権藤さんは最近忙しそうですね」
そう言うと権藤さんは大きくあくびをしてソファーにどかっと腰掛けた。権藤さんはよく別の任務があるとかでいないことが多い。三好に聞いた限りでは今まではそんなこと無かったらしい。
「そうなんだよ。夜神月の奴、人使い荒いからな」
眠そうに目を瞬かせる。
そこにビニール袋を提げた三好と伊原さんがサロンに入って来て夜神月さん以外のメンバーが全員集まった。伊原さんがスクリーンの前に立って話し始める。
「最近テイマーの襲撃が多発しています。皆十分気をつけるように」
週に一度の定例会のようなものだったらしい。新しいテイマーの簡単な情報、僕や三好の件を含むテイマー絡みの報告などを終えて最後にそう締めくくった。各々帰る準備を始めている。
「あの」
僕は伊原さんを呼び止める。
「明日、友達の応援で大阪に行きます」
「そうですか。では明日の殺害任務は後回しににしておきます」
お礼を言って回れ右して帰ろうとすると今度は僕の方が呼び止められた。
「大阪にもテイマーは居ます。気をつけてくださいね。……それと、友人は大切にするように」
僕にはその瞳に悲しげな光が宿ったように見えた。
友達の応援っていうのは宮本のサッカーの大会だ。うちの学校は進学率を上げるために早い時期に三年生が引退する。だからこの大会が実質引退試合みたいなものだ。だから部員にもサポーターの応援にも力が入る。今は大阪に向かう新幹線の中だ。ちなみにサッカー部は昨日の夜に出て今頃はウォーミングアップをしてるはずだ。僕は新幹線の三人席の真ん中。別段外の景色が見やすいわけでもなく荷物が取り出しやすいわけでもない。なんとなく損に感じるポジションだ。
「カズくん、ほらこれも食べて」
「北上、いらないの?」
その上両隣に三好と西尾が陣取ってしきりにお弁当を食べさせようとしてくる。昨日の今日だから西尾はまだしも三好まで絡んできたのは想定外だった。
「わかったわかった、両方食べるから……」
新幹線の中で大阪のテイマーをチェックしようと思ったけどこれじゃあとてもそんな余裕はありそうにない。諦めて二人のお弁当に視線を落としてみる。西尾のは二段のお弁当箱の一段目におにぎり、二段目にから揚げや卵焼きといったオーソドックスなメニューが並んでいる。対して三好はサンドイッチ。レタスやトマト、ツナ缶が入ったフレッシュな奴やジャムやバナナのような甘いのまである。正直どっちも美味しい。ただ大前提としてこれは朝食だ。二人合わせるととても食べきれる量じゃない。
新幹線が名古屋を発車した。窓から外を見ると鉛色の空が遠くまで広がっている。確か今日は雨の予報だった。宮本の試合が終わるまでま保ってくれるといいんだけど。隣で安らかな寝息を立てている西尾と三好を見ながら思った。無理もない。朝早かったし、お弁当も作って来たから相当早起きしたんだろう。両肩に人の頭が乗っているととてつもなく肩がこるけどお弁当の対価と思えば安いものだ。
東京で新幹線に乗ってからおよそ三時間、やっと大阪に着いた。ここから三日かけて十チームがトーナメントで優勝校を決める。その間サポーターは近くのビジネスホテルに宿泊することができる。かなりの特別措置だ。なんでもこの学校が決勝トーナメントまで進んだのは十五年ぶりなんだそうだ。
ビジネスホテルで荷物を置く。他の人はサポーターだけのツインを使うが僕だけは人数の都合で宮本と同じ部屋だ。部屋にはもう宮本の荷物が置いてあった。宮本達の試合開始は今日の三時から。まだ大分時間があった。することもなく手持ち無沙汰になってぼんやりテレビをつけると自殺事件の特集をやっていた。気分が悪くなってテレビを消す。ベッドでゴロゴロしていると睡魔が襲ってきた。はねのける理由も無く、僕は睡魔に身を委ねた。
ドアをノックする音が聞こえる。
「カズくん?いる?」
ねむい目を擦りつつドアを開けると外にいたのは西尾だった。
「そろそろ試合、始まるんじゃないかな」
時計を見るともう二時半。スタジアムまでの時間を考えるとかなりのギリギリの時間だ。慌てて準備をして西尾とスタジアムに向かった。
スタジアムに入ると丁度選手の入場が終わった所だった。ちゃんと三好が席を二つ、確保してくれていたのが助かった。
「宮本は……あそこだ、いたいた」
背番号四番、ポジションはセンターバック。攻守の要だ。試合は相手ボールから。ボールを取った相手の九番が右サイドに走り込んだ十番にパス。見事なドリブルで二人抜き、次にディフェンスに入ったのは宮本だ。数秒間足の攻防が続き、しびれを切らした相手十番が強引に突破しようとする。宮本はそれをあっさりいなし、ボールを奪ってセンターサークル付近にロングパス。それが上手く通って味方の十一番にボールが繋がる。そこからドリブルで相手ゴールとの距離を詰めていく。敵陣にディフェンダーは三人。内一人をドリブルで抜き、もう一人は十番とのワンツーで抜き去る。でもそのすぐ後ろに相手の三番、かなりの大柄な選手に阻まれて足が止まる。それでも前にはキーパーを含めて二人。シュートを放つ。しかしポールに弾かれ、惜しくも枠に入らなかった。ボールはこぼれダマとなって敵陣を転がる。そこに走りこんできた宮本が滑り込んでシュート。ネットを揺らした。
「やったー!やったよ!」
横から西尾が抱きついてくる。会場は大盛り上がりだ。
結局試合は1ー0のリードを守り抜いて終わった。宮本にも得点のチャンスは何度かあったけどどこか精彩を欠いている気がした。西尾も同じことを思ったようで、
「翔伍、本調子じゃなかったのかな……」
なんて言っていた。それでも勝ちは勝ちだ。帰ってきたら思い切り祝ってあげよう。そこに宮本達選手陣がレストランに到着した。レストランって言ってもファミレスだ。でもその方が気兼ね無くいられていいと思う。
「一回戦勝利おめでとう」
宮本に声をかける。でも宮本はまるで僕の声が聞こえなかったかのように前を通り過ぎて行った。もしや聞こえなかったのかと思ってもう一度声をかけてみる。
「宮本一回戦勝ち抜きおめでとう」
「翔伍、おめでとう」
今度は確実に聞こえたはずだ。でも宮本は僕には目もくれず西尾の隣に座った。
「ありがと、つってもまだ一回戦だけどな」
西尾の声が聞こえて僕の声が聞こえないはずはない。だって西尾は僕の隣にいるんだから。もしかして……違う、そんなはずない。だって幼稚園の頃からの幼馴染でずっと親友だったのに……宮本がいなければ誰も僕なんかに話しかけようとする人はいない。僕にはこのファミレスが初めて入った『アンチデビルズ』のサロンよりも居心地悪く感じた。そこで外に出ることにした。頬を撫でる夜風が気持ちいい。
「どうしたの」
肩を叩かれた。振り返ると西尾がいた。流石に西尾の前で宮本に無視されたから居心地悪くて、なんて言えない。
「ちょっと気分が悪くて、先にホテルに帰ってるよ」
そう言って僕は一人、ホテルへ歩き出した。
やっぱり変だ。あの宮本が無視なんてありえない。本当に聞こえなかったのかもしれないし、試合直後でナーバスになってたのかもしれない。あんなに簡単に親友を疑った自分が嫌になった。ベッドから起き上がり、ファミレスに向かおうとホテルのドアを開けるとすぐ外に宮本がいた。
「宮本、あのさ、僕……」
そう言おうとした僕の横を宮本は素通りしてベッドに横になった。まるで僕がいないみたいに。なんでだよ、どうして……僕が何したっていうんだよ……
僕が朝目を覚ますともう宮本の姿はなかった。時計を見るともう昼過ぎ、試合が始まる二時間前だ。大分寝坊してしまったらしい。何か連絡は来ていないかとタブレットを探すととに液晶が割られ、中の基盤が引きずり出されたタブレットが僕の目に入った。僕が夜神月さんからもらったやつだ。これには疑う余地もない。この部屋は電子ロックだし、鍵は宮本が持ってるはずだ。とすればこの部屋に入れるのは宮本だけ。
「北上、いるの?」
外に三好が立っていた。
「どうしたの?」
「いいから開けて」
ドアを開ける。三好は寝起きの僕に呆れたようなため息を一つ。そして壊れたタブレットを一瞥するともう一度ため息を吐いた。
「やっぱりね、それで、やっのはだれ?」
僕は昨日から宮本の様子がおかしかったこと、この犯人は宮本しかいないということを三好に話した。
「そう……その宮本君だけど彼、今行方不明なの」
僕は驚きを隠せなかった。宮本は迷子になんてなったこと無いし、誰にも言わず姿を消すような奴じゃない。それに今は大会という超重要な時期だ。となると後残るは……
「誘拐、もしくはどこかで殺されてるか……」
もしそれなら警察沙汰だ。殺されているなんて考えたくもない。
「この付近にいるテイマーで関係ありそうな人物を洗ってみたわ」
「待って、これってテイマーが関わってるの?」
「可能性はあるわ。何せ私たち学校の生徒で二人もテイマーがいるんだもの、狙われても不思議じゃないわね」
僕は学校が毒ガスで一時占拠されたことを思い出した。あの時も狙われたのは僕達テイマーだった。もしあの時と同じで宮本が狙われたとしたら……そうでなくともテイマーと間違われる可能性は十分高い。何せ僕と同じ部屋なんだから。
「僕、探しに行く」
居ても立っても居られなかった。一秒でも早く見つけないと。
「待って、落ち着きなさい。学校の時とは状況が違うの。あの時はいざとなれば応援が呼べた。でもここは完全に敵地なのよ、わかってる?それにまだそうと決まったわけじゃ……」
「でも……」
もし僕が死んでもタブレットを持っていればGPSで場所を割り出せる。僕の命で宮本が救えるなら安いものだ。部屋を飛び出そうとした僕の腕を三好が掴んだ。いやしがみついたと言った方が正しいか。僕の腕を抱きしめる。温かくて、柔らかかった。
「お願い……もっと自分を見て。自分の価値を軽くしないで」
三好の瞳にはうっすら涙が溜まっていた。
「……わかった」
そう言うと三好の腕から力が抜ける。ベッドに腰を下ろして何か手がかりはないかと部屋を見回してみる。すると何かがおかしいことに気づいた。違和感。何か根本から間違っているような……
「そうだ、部屋が綺麗過ぎるんだ」
思わずそう呟く。三好もはっとしたように部屋を見回す。部屋は昨日の夜とほとんど変わっていない。壊れたのといえば僕のタブレットくらいのものだ。無理矢理連れ去ったとすれば少なからず部屋は荒れるはず。
「何か特殊な能力を使われたか……」
「もしくは自分から出て行ったか」
修平みたいな能力ならそれも可能だ。でもこの近辺にそんなテイマーはいなかった。となると……
「自分で出て外で何かトラブルに巻き込まれた可能性が高いわね」
それがわかってもこの広い大阪で宮本一人を探すなんて砂漠でダイヤモンドを探すようなものだ。不可能に近い。でも自分で出て行ったってことはあれを確実に持って行ってるはずだ。
僕は宮本のカバンの中を漁る。やっぱり無い。
「三好、そのタブレット、GPSがついてるんだよね、だったら携帯電話の逆探知、できるよね?」
「できるけど……それをどう使うの?」
それさえできれば何とかなる。
「無いんだよ、宮本のバッグに。携帯電話と財布が」
三好は黙って頷いた。そして携帯電話のケーブルで僕の携帯電話とタブレットを繋ぐ。
「いい?コールは一瞬よ?相手にばれたら元も子もないんだから」
そうだ。コールに気づかれて携帯電話を捨てられたらどうしようもなくなってしまう。
連絡先リストから宮本翔伍を選択してコールボタンを押す。そしてすぐに中止させた。
「……いた!」
タブレットの地図に赤い点が表示される。この場所に宮本の携帯電話があるはずだ。動いているところから気づかれてはいないと思う。
「……気をつけてね」
三好は自分の能力が白兵戦向きじゃないことを理解している。もし一緒に行けば僕の足手まといになってしまうであろうことも。
「うん」
それだけ言ってタブレットを受け取ると赤い点目差して僕はホテルを後にした。何も起きていないことを願って。
赤い点に近づけば近づく程道は狭く、暗くなっていく。でもその奥に宮本はいた。
「宮本!」
思わずそう叫ぶ。すると宮本は振り向いた。
「お前、誰?ああこいつの知り合いか、どうした?」
おかしい。こいつは宮本じゃない。違う『何か』だ。そう僕の直感がそう言っている。
「宮本をどうした、お前は誰だ?」
この時点でこいつが宮本じゃない、テイマーなのは確定した。能力をいつでも使えるように準備する。僕の右腕に不思議な文様の痣が浮かび上がる。
「なるほど、お前がそのテイマーか。じゃ、早く死んでもらおうかな」
宮本の姿をした何かは上着のポケットから銃を取り出し、いきなり撃ってきた。
「っつ!」
壁を作って銃弾を消し飛ばす。そのまま壁を維持しながら前進する。不思議とそいつは動かず、つっ立ってるだけ。僕は容易にそいつの頭を掴んだ。
「いいのか?ここでお前の力を使って」
余裕のある喋り方でそう言ってくる。
「この体はお前の友人のなんだろう?お前の能力でこの体ごと消し飛ばすつもりか?」
今頃気付いた。この体は宮本だ。でも中身は違う。じゃあどうすれば……
思わず腕の力が抜ける。そこに奴は銃を向け、引き金を引いた。『消去』か間に合わず弾が僕の腹を貫いた。
「あがっ……」
慌てて後ずさり、距離をとる。でも腹部からの出血は止まらない。奴は銃を向けて近づいてくる。そもそもこの能力は何だ?他人の体を乗っ取る能力なんてリストに無かった。
「こいつの記憶、漁ってみたらあったわあったわ。お前の姿が。
『そういえばカズ、昨日寄り道するって言ってたな』」
やめろ……
「『どうしたんだ?最近お前、何か変だぞ?』」
やめろ……!
「『おいカズ!昨日はどうしたんだよ、お前が無断欠席なんて珍しいな』」
「やめろ!……」
「『なあカズ、死んでくれよ、俺を助けると思ってさ』」
「やめろぉっ!その顔で、その声で、僕に語りかけるなぁ!」
僕が右腕を振りかざすより早く銃の引き金が引かれた。弾丸は僕の右肩を貫通する。痛い、痛すぎて声も出ない。右肩が上がらなかった。だらんと力なく垂れ下がるだけ。
「もういいや、じゃ」
引き金にかけられた指に力が入る。でもそれ以上引き金が引かれることはなかった。
「カ……ズ……」
その口から発せられたのは確かに宮本の声だった。声質も音程も全く同じ。でも確かにそれは聞き慣れた『宮本の』声だった。
「宮本!宮本なの?」
「すまん……俺……何も知らなくて……」
「この!やめろ!」
宮本の中で二人が戦っている。僕にはどうすることもできない。腹と肩からの出血で頭がぼーっとしてきた。
「俺さ……本気で杏が好きだったんだよ……でも一昨日位からお前と杏が一緒にいるのが目につき始めてさ……嫉妬したよ。お前に。確かにお前は親友だよ……でもだからこそ、許せなかったんだ……」
弾丸が僕の頬を掠めた。
「お前、すげーよ。一人で皆を守って、杏を守って……俺にはできねーよ」
「何……言ってんだよ……宮本は僕よりずっと強いじゃないか!サッカー部のレギュラーで、成績もトップで、かっこよくて……僕なんか足元にも及ばない……」
宮本が少しだけ笑った。その時僕は悟った。宮本が次に何を言うか、言おうとしているか……考えたくは無かった。
「このままじゃ俺……お前を殺しちまうよ。なあカズ……」
「そんなこと……できるわけ……ないだろ……宮本は僕の唯一の親友で……」
西尾も仲はいい。でも宮本がいなければ出会うことは無かった。物心ついた時から隣にいた。まるでもう一人の自分。遠くて、手の届かない親友。
「カズ……俺……こいつに乗っ取られてる時もお前達の会話は聞こえたんだ……あんなに嫌がらせした奴のために命張ってくれて……嬉しかったんだよ……」
「てめぇこよベラベラと!」
またしても弾は逸れる。でも今度は頬に一筋の赤い線を残していった。そこから血の雫が垂れる。
「カズ!」
嫌だ嫌だイヤだイヤだいやだ……
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
宮本の顔に手をかける。力が腕を伝って宮本の体を包むのを感じた。
「 」
宮本の体は跡形もなく消え去った。
僕が消した。
その後どうやって帰ったのか覚えていない。ホテルに着いた時にはもう空が赤く染まっていた。皮肉なほど雲一つ無く、どこまでもどこまでも赤い。僕の手みたいだ。血なんて付くはずがない。でも僕の手は真っ赤だ。親友を……自分の手で殺したんだから……
「カズくん?どうしたの?」
西尾は宮本の死を知ったら悲しむだろうか。悲しむに違いない。殺した僕をどう思うだろう。考えたくもない。
「試合……どうだった?」
「うん、勝ったよ!三点も差をつけて!」
西尾は興奮した様子で話す。僕はもはや自分で自分が何を言っているのかもわからなくなっていた。
「宮本がいなくても勝てたんだ」
それでもこの言葉だけは僕の心を貫いた。
「宮本?誰?」
誰……?何を言っているんだ?僕は今冗談に付き合えるほど心に余裕が無いんだ……
「冗談はよせよ、宮本だよ宮本翔伍。サッカー部で成績はトップで、西尾の彼氏で……」
「あはは、カズくん何言ってるの?私の彼氏はカズくんでしょ?」
頭が真っ白になった。西尾の目を見てもそれが冗談を言っているようには見えなかった。むしろ西尾の方が不思議がっているようだった。
まさか。そんな……自分の仮定を否定したくて、その証拠が欲しくて僕は僕と宮本の部屋に向かった。
扉を開けるとその先はシングル。宮本の荷物はおろかベッドすら一つしかなかった。
「は……ははは……」
その場に膝から崩れ落ちる。宮本が『存在しなかったこと』になっている?そうなるのはテイマーだけのはず……でもそれを否定する材料を探せば探すほど、僕は現実を突きつけられることになった。
この時僕は初めて権藤さんの『記憶からも消える』その言葉の重みを感じた。誰も宮本のことを知らない。宮本の生きた証全てが……その生涯の意味……それが全て否定された、そんなの……
「もう……いやだよ……もう……疲れた……」
二話目です!早いです!連載なのに一気に投稿します。何故かって?気分です。