銀の光
※
レンの手当てを終え、家を出ると一頭の馬が村に駆け込んできた。
馬上の男を見てラウムはため息を吐いた。
よく日に焼けた肌をした、銀髪の、黙っていればなかなかの美青年なのだが、今は見事に鍛え上げた上半身を晒し、顔にも、身体にも、いくつも痣が出来ている。
「アデル。またか」
馬上の男はラウムの呆れたような声に
「うっせえな。向こうが悪りぃんだよ」
と吐き捨てる。
「まったく・・・さっさと水浴びして汗を流してこい」
アデル=イルダ。ガンツの孫で、ラウムが8歳から一緒に育ってきた相手だ。
ガンツに似て体格は良く、腕っぷしも強いのだが、とにかく喧嘩っ早い。
ラウムは雑貨屋で布を買うと、自宅へと戻った。
村の中でひときわ立派な屋敷がイルダ家、ラウムの家だ。
ラウムは自室から殺菌効果の高いハジの粉末を手にすると井戸に向かった。
井戸の傍ではアデルが全裸になって水を頭から浴びていた。
長身でしっかり鍛えられたアデルは見た目はかなり良い。肌が水の粒を弾き、神々しくさえある。
「アデル」
ラウムが声を掛けるとアデルは振り向いた。
「手当てするから」
黙ったまま傍の石に腰かけたアデルの身体を検分する。
顔には大きく痣が出来ているが、頬と顎なので見た目は酷いが大したことはないだろう。
身体のほうに目を移すと胸板や腹筋に薄く痣はあったが、脇腹が酷く変色していた。
「相手は誰だ?」
「ハリマの連中」
ハリマというとアームネスタの警備兵の詰所だ。
「ここをこれだけ殴られてよく動けるな。普通なら一撃で戦意喪失するぞ?」
「鍛え方が違うからな」
「そういう問題じゃない。内臓をやられたら助からないんだからな。戦意を喪失するってのは生存本能なんだ。分かってるか?」
「うっせぇな」
ラウムはハジの粉末を布にまぶすと、脇腹の痣に貼り付け、包帯で止めた。
殺菌効果も高いが、腫れにも良く効く。
「で、理由はまた見た目か?」
大陸南東部は小柄で色白、髪は黒か濃い青の人々が大半を占める。
ガンツは大陸北方の大国、ドラゴニアの出身なのでこのあたりの人々と違い、大柄で銀髪、顔立ちもこのあたりとは全く違う。
ガンツの血を濃く受け継いだアデルも同様で、子供のころからその容姿を揶揄されていたのだ。
アデルが黙ったままなのをラウムは肯定と受け取り
「俺たちはもう17、もうすぐ18だぞ?少しは落ち着けよ」
と言うとアデルは
「さすがは16で医師として認められた天才は違うよな。大人なこって」
「アデル」
「テメェにゃ分かんねぇよ。俺の気持ちなんぞ」
ラウムは深くため息を吐く。
アデルはこうなると何を言っても無駄だ。
始めて会ったころから、そうだった。
「俺、アデル。よろしくな」
ラハンに着いてすぐ、ラウムの前に現れた少年―――
勝気な表情を浮かべた少年の、太陽の光に輝く透き通った銀色の髪。
なんて綺麗なのだろう―――ラウムはそう思った。
「ほら、こっち来いよ」
ラウムの手を引き走り出したアデルはまっすぐ森に向かった。
草いきれの中、まるで獣道のような細い道を進むアデル。
「お前、しゃべれないんだって?」
立ち止まりラウムを振り返るアデル。
首をひねるラウムを見て
「じいちゃんに聞いた。スッゲェ怖い思いをするとしゃべれなくなることがあるんだって。でもすぐに元に戻るって言ってた。だからさ、俺がお前をしゃべれるようにしてやっからな」
再びラウムの手を掴んだアデルは、道を進み始めた。そして―――
突然、森が切れ視界が開ける。
「やっぱ今日は見れると思った。ほら」
アデルはラウムの背を押した。
「―――――!!」
あまりの眩しさにラウムは目を細めた。
ゆっくり目を開くと眼下に空が広がっていた。
「どうだ?綺麗だろ」
視界の中央に走る白い線を境に太陽が二つ存在する世界がそこにはある。
「良く晴れてて風がなくて、この時間で、この場所じゃないと見られないんだ。向こうに見えるのがアームネスタの街だよ」
まるで中空に浮いているような錯覚を覚える世界に、ラウムは息を呑んだ。
アームネスタの街を出るときに大きな湖があることには気づいていたが、濃い緑や濃い群青を湛えたありふれた湖にしか見えなかった。
まさかこんなに綺麗なものだったなんて―――
横に立つアデルの顔を見ると、アデルは白い歯をこぼしニカっと笑った。
天からの光と、湖からの光に照らされたアデルの銀髪は、そのものが光を放っているかのようにラウムには見えていた。
村での生活にはすぐに慣れた。
いつも、寝る時も風呂に入る時も、アデルが一緒にいたからだ。
そんな生活の中で時折、アデルの瞳の奥に浮かぶ怯えが気にはなっていたが、その理由はすぐに判った。
村に同世代の子供はけっこういるのだが、アデルは誰とも関わりを持っていなかった。
それほど大きくない村にある立派な屋敷―――当主であるガンツが州の騎士団団長、アデルの父になるオリバーは重装兵部隊の部隊長と、軍人の家系であるイルダ家は、村にとって異質な存在だった。
当然、その家の嫡男であるアデルも村人からは特別視されていた。
親世代のそういった反応は、子世代にもそのまま継承される。
アデルは子供たちから避けられ、ずっと一人だったらしい。
ガンツがラウムを連れ帰った理由はここにあったのだろう。
アデルはいつも強気で明るく振る舞っていたが、それは自身の心の奥にあるモノを悟られぬための虚勢だったのだ。
ようやく得ることの出来た友人が自分から離れてしまわないか―――それが怖かったのだろう。
だが、アデルが避けられていた理由は他にもあった。
それは見た目だ。
ナバル教本山であったリジッドには様々な人々が訪れるので、様々な容姿の人々が訪れる。
ラウムはそれを見慣れていたので、アデルの銀髪も特に異質なものとは感じなかったが、村の中で生きてきた子供たちにとって、アデルの銀髪や少し彫りの深い顔立ちは異質なものに見えていたようで、アデルを見かけるたびにこそこそと「年寄り」だの「氷魔」だのと微妙に聞こえるように話しているところを何度も見かけた。
そのたびに拳を強く握りしめ、足早に通り過ぎるアデルがあまりにも痛々しく、ラウムはその手を取り繋ぐくらいしかできなかった。
アデルの母親でガンツの実子であるエミリアは、ガンツ、アデル同様に銀髪で、白い肌と相俟って神秘的で実に美しい人だったが、アデルの4つ下になる妹のリイザはオリバー同様の蒼髪だったこともあり、アデルはいつもその苦しさを押し殺そうと努力していた。
アリアが村を訪れてきたのはラウムが村に来て二月が経った頃だった。
「久しぶりね、ラウム。少し大きくなったかしら?」
ラウムを抱き締め微笑むアリアは紙束を出すとラウムに持たせた。
“何をしに来たのか”と訊くと
「薬の材料を集めに来たの。このあたりの森は色々と特別な動植物が多くて貴重な材料も手に入るから、毎年三月ほど滞在して薬を作ってるのよ」
するとアリアの背後から大きな木箱を抱えたガンツが入ってきた。
「じいちゃん!!」
ガンツに飛びつくアデル。
「おっと、危ないな。元気にしてたか?アデル」
木箱をおろし、アデルを抱き上げたガンツは
「ラウムも元気そうだな」
と笑った。
「じいちゃん、先生と一緒に帰ってきたの?」
「あぁ。先生が今回は山の奥の方まで材料の採集にいかれるそうだから、護衛役にな」
“山の奥?”と訊くと
「そう。あの山の頂上より少し手前の崖の中腹に泉があるんだけど、その泉の水を汲みに行きたいのよ」
と村から見える最高峰を指した。
「大陸内陸部で野生動物がかなり狂暴化しているという報告があってな。この村は警戒地域からかなり離れてはいるんだが、万が一ということもあるんで、今回は俺が護衛につくことになったんだよ」
大陸内陸部で動物が狂暴化?
ラウムが“それはアガルタのせいか?”と書くと二人は顔を強張らせた。
アリアはラウムの耳元に顔を寄せると
「ラウム。そのことは絶対に他の人たちに言ってはダメよ。今はまだリジッドのことは公表されていないの。皆が不安になってしまうから。領主様たちが今皆で相談して、今後どうするかを決めているわ。それが領主様たちから発表されるまで、絶対にアガルタのことは言ってはダメよ」
ラウムが頷くとアリアはラウムをぎゅっと抱きしめた。
その日の夜、厠に行こうと部屋を出たラウムは、大人の話声に足を止めた。
「では、公主様はご無事なのね?」
エミリアの声だ。
「とはいえ逃げ切れたのは、お付きの者も合わせてわずか3名だ。御心を病まれてしまわれたそうだし、もうシナルア公国という国体は保てまい」
ガンツがそう答える。
「ルーニエもラナサントも国境を封鎖してしまったし、法術師団を失った今、次のアガルタの侵攻を押さえる手立てはないわ」
というアリアの言葉に
「絶望的ね・・・」
とエミリアが返した。
「アガルタは一昼夜が活動限界だと言われているし、出来る限り沿岸部に避難するしかないわね」
「連中は日の光に弱いからな。だが、侵攻してきたということは、いずれその弱点も克服してくるだろう。早急に抗魔結界を展開できる者を各州に配置する必要があるが人数が全く足りてない。沿岸州に人民と資材をすべて移動させ、防衛力を集中させるべきなんだが・・・」
「当然、内陸の州の領主は反対するわね・・・」
なにやら難しい話をしていると思ったラウムは足音を忍ばせて厠へ行った。
戻ってくるとき
「そういえばラウムのことなんだけど」
というアリアの声にラウムは足を止めた。
「ラウムがどうにかしたか?」
「あの子、高等技能学舎への推薦がかかってたらしいのよ」
「高等技能学舎?あの子は孤児だろう?」
「ウェルデ司祭様からの推薦らしいわ」
「司祭様から?優秀なのね」
「こうなってしまっては高等技能学舎は無理だけど、上等学舎には入れてあげられると思うの。12になったら私からの推薦で入舎試験を受けさせようと思ってるんだけど、どう思う?」
上等学舎は各州都に置かれている、官僚を目指す子供たちが通う学舎だ。入舎には初等技能学舎での一般教養を12歳までに修得し、入舎試験に合格する必要があった。
入舎試験は初等技能学舎で履修する範囲より、より広い範囲の知識を必要とするため家庭で専門の教師をつけることが一般的だ。
教師を雇用できるだけの財力を要求されるため、自然と中流以上の階級の子供が集まっていた。
「それは良いと思うが・・・先生からの推薦ならば問題もない。が、あの子はそれを望むかね?」
「今、上等学舎で扱う範囲を広げようという話になってるの。高等技能学舎がなくなってしまったから、その代替が必要でしょ?あの子が優秀なのは間違いないし、どうせなら今後のこの国を背負っていく人材になって欲しいじゃない」
「そうね・・・」
「10歳になったら初等技能学舎に入らなきゃいけないんだし、あの子に何が向いているかはこれから見極めればいいのよ」
「そうだな・・・しかし高等技能学舎に推薦ということは本当に優秀なんだな。アデルに馴染んでくれてよかったよ」
「アデルはねぇ・・・お父さんと同じで、腕っぷしだけは強いんだけど」
エミリアの笑含みの言葉に
「騎士団長に向かって、だけ、とは失礼だな。俺は士官学校で首席だったんだぞ」
「ま、アデルもラウムを見習って、少しは落ち着いてくれないとね」
アデルは大人たちの前では殊更無理して明るく振る舞っていることにラウムは気付いていた。
誰も、アデルの苦しみを理解していない―――
比較的裕福な家に生まれ、家族は健在。
それでも、アデルは孤独なのだ。
ラウムは部屋に戻ると、ベッドの中で丸くなっているアデルをギュッと抱き締めた。
「ラウム?」
その孤独な心が少しでも温まるように―――ただギュッと抱き締めていた。
「ついていきたい?」
アリアを見上げ頷くラウム。
近場に採集に行くというので、アリアに自分も行ってみたいと頼んだのだ。
「いいけれど・・・退屈だと思うわよ?」
村の中にいればアデルが苦しい思いをする。
だから少しでも村の外に出ていたいという思いがあった。
それにラウムはアリアのところで見たあの医学書が気になっていた。
全く知らない、たくさんの知識が詰め込まれたあの本が。
アデルにも一緒に行こうと誘うと
「いいの!?前から気になってたんだ」
と笑った。
近場なので護衛も必要ないと、アリア、アデル、ラウムの3人で向かった先はアデルが気に入っている草原だった。
花の季節には、一面花が咲き誇り、花畑になるのだという。
「ここに薬の材料があるの?」
アデルが訊くと
「そうよ。あなたは見慣れているかもしれないけれど、このあたりに生えている植物は、本来なら虚無の砂漠の縁にしか生えていない貴重なものなの。ほら」
とアリアが手に取ったのは葉の縁がギザギザで鋭く尖った草だ。
「これはデグといって解熱剤、熱が出た時に、熱を下げてくれる薬になるの。でも」
とアリアはデグに良く似た葉の縁がギザギザの草を手に取った。縁の形状がわずかに違う。
「これはミルという植物なんだけど、こっちは精力剤、つまり元気になる薬になるわ。他の材料と混ぜる必要はあるけれど」
アリアは材料を採集するたびに丁寧にその薬効を教えてくれた。
「へぇ~」
アデルは相槌は打つが、興味がないのは一目瞭然で、すぐに飛んでいた蝶を追いかけはじめたが、意識しなければ何の変哲もない、ただの草が実はとても貴重な薬になるのだという事実はラウムを興奮させた。
ラウムはアデルを見る。
アデルのことだ。ガンツはああ言っていたが、祖父と父の後を継ぎ軍人になるだろう。
ならばラウムがアデルの力になるには――――
「先生!」
村に戻ったところで村の子供たちが集まってきた。
「どうしたの?」
「メルが熱出してるから先生を呼んできてって」
「わかったわ。薬を取ってこないといけないから、すぐに行くと伝えて」
「はーい!」
早足で屋敷へと戻っていくアリアを見送ったところで
「なんだ、お前ら。先生とどこ行ってたんだよ」
とアデルの肩を突き飛ばしたのは、村長の孫で子供たちの中心人物、ノリムだ。
ラウムたちより3つ上で、比較的大柄なアデルより頭一つ大きい。
本来なら初等技能学舎に通っている年齢なのだが、どういう事情か通っていなかった。
「先生の材料採集だよ。お前らには関係ねぇだろ」
「なんだ?その態度は。騎士の家だからって調子に乗んなよ?」
アデルの胸倉を掴んだノリムだったが「ぐうぇっ!」と呻いてその場にへたり込んだ。
ノリムの髪を掴んで拳を振り上げたアデルの腕にラウムはしがみつく。
「放せよ!!!」
首を振り必死に抑え込むラウムに
「お前もあいつらの仲間なのかよ!!」
と叫んだアデルは、ラウムを振り払うとどこかへ走っていった。
「あら、アデルは?」
戻ってきたアリアに訊かれたが、ラウムには首を振るしかできなかった。
夜になってもアデルは帰って来なかった。
「いったいどうしたんだ」
ラウムが昼間にあったことを伝えると
「仕方ないな。探しに行くか」
とガンツは愛刀を持ち家を出た。
ラウムは居ても立ってもいられず、部屋の窓から外に出ると山に向かって駆け出した。
きっとあそこにいる―――
二つの月が世界を照らし出す中、何度も通った道を駆け抜ける。
鬱蒼とした森の中にまでは月明かりは届かないが、身体に染みついた感覚を頼りに獣道を駆け上っていくラウム。
開ける視界―――
二つの月が小刻みに揺れる世界の中に、ポツン、としゃがみ込んだ姿が見えた。
月明かりを映して輝く銀髪。
その背中をラウムは抱き締めた。
「ラウム・・・」
小さく震える手を取ると、そっと引く。
“帰ろう”
そう口の形で伝えると、アデルは大人しくついてきた。
山を下りると獣道の入り口にガンツが待っていた。
「アデル」
「じいちゃん・・・」
ガンツはラウムとアデルを軽々と抱え上げると、屋敷へと戻っていった。
「なんだよ、ラウム。軍人になるのか、って」
ガンツの説教の後、部屋に戻ってきたアデルにラウムは訊いた。
「そりゃ、父ちゃんも爺ちゃんも軍人だし、俺もそれしか考えてないけど」
ラウムは薬師になろうと思うと伝えると
「薬師?医師じゃなくて?」
医師は高級職能であるため、一般人では資格を得ることが出来ない職業だ。
だが、自ら深山に分け入り薬の材料を採集する薬師ならば一般職能なのでラウムにもなれるはずだった。
それをアデルに説明すると、
「へぇ~、お前、何でも知ってんな。お前なら高等技能学舎に入れるんじゃないのか?」
というアデルの言葉にラウムは俯いた。
リジッドが壊滅し、高等技能学舎はもう存在しない。だが、そのことは誰にも言ってはいけないとアリアに言われている。
アデルに事実を伝えるべきか―――
迷ったが結局ラウムは伝えないことにした。
“アデルと一緒にいたいから”
そう書かれた紙を見てアデルは目を見開くと、ボロボロと涙をこぼし始めた。
止まらぬ涙を拭いながら、ラウムはアデルの手をずっと握っていた。