お偉いさんの話
お偉いさんはその呼び名の通り、偉かった。
地位は彼の国の中でも高いところにあり、また、そんな彼の取り巻きは多かった。
お偉いさんはいつも笑っている。
心からの笑顔ではないが。
お偉いさんの1日は、ランニングから始まる。
彼はその地位の高さ故に疎まれ、妬まれることが多かった。
ーーー命の危機に遭ったのはもう数え切れないほどである。
彼は体を鍛え、武術を極め、己を磨き、そんな自分を認めてくれる人が、いつの日か現れてくれるのを信じていた。
お偉いさんは孤独である。
両親はとうの昔に"殺され"、唯一の肉親であった大切な兄は、この、自分を、まもってーーー
「っーーーーーーー!」
嫌な記憶だ、とお偉いさんは頭を振った。目の前で息絶えた顔は、とても自分に似ていた。
ーーー自分も"ああ"なるのだろうか。
触れていた手は、段々と冷たくなっていった。何度兄の名を呼んだか分からない。
兄を殺したやつは、屋敷内で使用人たちに捕まり、ある程度の情報を引き出され、そして使用人たちに殺された。
命乞いが、見苦しかったのを覚えている。
小さくして家族を失ったお偉いさんは、叔父と叔母の屋敷で大切に育てられた。
叔父は厳しいながらも良くお偉いさんのことを考えてくれていた。叔母は優しく、暖かに包み込んでくれた。
実の両親の愛情を失ったお偉いさんは、その無くしてしまった愛情を埋めるかのように良く叔父たちに懐いた。
お偉いさんは幸せだった。
そう、家族を失いつつも、その心は立ち直り始めていたのだ。
ーーーしかし、
運命はお偉いさんを独りにさせることに拘った。
お偉いさんはつくづく"ツいていない"のである。
ーーーある晩のことだ。
まだ幼かったお偉いさんは不自然な"暑さ"で目を覚ます。
「……?」
意識がぼんやりとする中、首を巡らせ、周りを見渡した。
部屋に変わったところはない。
首を傾げ、寝間着の襟元のボタンを外した。あまりの暑さに汗が止まらないのだ。
「……………なんだこの暑さは………………………………煙……?」
ふと鼻孔をくすぐる焦げ臭さ。
不自然な暑さ、煙、焦げた……にお…い………!?
そこでぼんやりとしていたお偉いさんの意識はようやく覚醒した。
布団を跳ね上げ、自室の扉を開く。
ーーーバンッッッ!
そこにあったのは、
「なっ…………!!?」
一面赤に彩られた屋敷だった。
住み込みの使用人たちがお偉いさんを見つけて大声を上げた。
「お早くお逃げくださいませ!!」
「ここはもう長くは保ちませんわ…!」
「坊ちゃま!お早く!!」
肯こうとした瞬間、お偉いさんの頭の中で、叔父と叔母の姿が掠めていった。
慌ただしく逃げていく使用人たちの中に目を通すも、それらしき姿はない。
「ーーーじいや!叔父様は、叔父さまたちはどこに居る!!?」
「旦那様のことならご心配なさらず!!既に私めらが外に…!!」
聞けた事実にほっと胸を撫で下ろし、お偉いさんは自室へと歩を進めた。
窓からなら出られる。
いつの間にか屋敷が軋む音が大きくなっていた。それと共に煙が酷くなってきている。
お偉いさんは意を決して窓枠に足をかけたーーーと、
聞こえてくる叔父たちの悲鳴。
「……!?」
窓から身を乗り出せば叔父たちの姿が見えた。急いで屋敷から離れ、裸足のまま叔父たちの元へと駆け出す。
「ーーーっ叔母様!」
お偉いさんの声に弾かれたように叔母は振り返り、お偉いさんの姿を見つけるとほっとしたように目を細めた。しかし、
「アーノルド!!此方へ来るでないっっ!!」
叔父の今まで聞いたことのない大声に叔母はハッとしたように肩を震わせ、そしてお偉いさんーーーアーノルドへと駆け寄った。
「お、おばさまーーー」
「アーノルド、ここへ居てはいけないわ。ここは危ないもの。さあ、私と手を繋いで、一刻も早くここから離れなくては、」
「待って叔母さま!叔父さまはどうなさるのです。なぜ、なぜ叔父さまはあんな事を仰るのです!」
詰め寄るアーノルド。
そんなアーノルドの手を引っ張りながら、叔母は悔しそうに答えた。
「ーーーーーーあの人は、私達のために今日、ここで、死ぬのです。」
「えっーーーーーー?」
小走りでついて行きながら後ろを振り返った。燃えさかる炎が目に眩しい。
そんな炎の周りで、"何者か"に囲まれた叔父。
アーノルドは息を詰めた。
何故逃げないのだと。何故共に逃げないのだと、そう言いたかった、けど、
アーノルドは賢しい子供であった。その光景を見た瞬間、アーノルドは一瞬にしてその状況を理解した。
要は、叔父は犠牲になったのだ。
愛する妻と、自分を守るために。
「アーノルド」
叔母の凛とした声が名を呼んだ。
見上げればそこに、老いても尚美しい顔がそこにあった。
涙も見せぬまま、ただただ悔しそうに叔母は言った。
「前を、向きなさい。振り向いては、いけません。」
「叔母さまーーー」
「アーノルド、良いですね」
「っはい、叔母さま……!」
幸せは長くは続かない。アーノルドは叔母に手を引かれ、足をもつれさせながらも必死に走った。
屋敷を後にした叔母とアーノルドのそれからの人生は、辛く厳しいものだった。
叔母は慣れない仕事をアーノルドの為にこなし、そしてアーノルドもまた、そんな叔母を少しでも助けれたら、と家事を全てやるようになった。
貧しかったが、それはそれで幸せな日々だったのだ。
しかし、やはりアーノルドはツイていない。
アーノルドが16の時、叔母は流行病で呆気なく天国へと逝ってしまい、とうとうアーノルドは天涯孤独の身となった。
それからのアーノルドの人生は狂い始める。いや、最初から狂っていたのかもしれないが。
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ピシッ
手に持っていた万年筆の軋む音に、"お偉いさん"は意識を浮上させる。
長い長い、夢を見ていた。
「………アーノルド、か」
ひびの入った万年筆をごみ箱へと投げ入れ、お偉いさんは席を立った。
もう直ぐ次の戦への会議が始まる。その時までにこの嫌な震えを抑えなければ。
ーーーアーノルド、
嗚呼、その名は
ーーーねえ、アーノルド、
コンコン、
「"レイモンド閣下"、そろそろお時間です。」
「……ああ、すぐに向かおう。」
ーーーアーノルド、
"アーノルド"なんて、とうの昔に捨てたのに(それと共に暗い過去も捨てた気で居たのに)。
嗚呼、私はいつまでも過去に捕らわれたまま、一歩もそこから動けやしない。
分かりきった、結末だった。
男は一人、嗤った。