雨の日の話
外は雨が降っていた。
その雨の中を、トボトボと下を向きながら歩いている者がいる。
傘もささず、外套すらも纏わない。
道行く人がすれ違う度に目を見張る。
土砂降りにも関わらず、外を出歩いていたことに驚いていたのではない。
未だ歩き続ける人ーーーそれは土砂降りでも流れ落ちなかった"赤いナニカ"を真っ白な軍服に付けたまま往来を真っ直ぐに進んでいた。
赤いナニカを付けたままの軍人は下を向きながら、何やらブツブツと呟いていた。
生憎と雨が地面に叩きつけられる音で聞き取ることは出来なかったのだが、"彼女"はこう、言っていたのだ。
「また見つからなかったまた見つからなかったまた見つからなかったまた見つからなかったまた見つからなかったまた見つからなかったまた見つからなかったまたーーーーーーー」
外は雨が降っていた。
その雨の中を、赤いナニカを服にベッタリと付けたまま、彼女は軍へ向かって歩いていた。
送迎してくれるトラックがあるにも関わらず、この雨の中を同じ言葉を繰り返しながら歩いている彼女は、自覚がないままに街の住人を怖がらせていた。
今の彼女は精神に異常を来しているとしか思えない。
住人たちは静かに彼女が過ぎ去るのを待っていたーーーと、
「また見つからなかったまた見つからなかったまた見つからなかっ……………?」
ピタリ、と動きを止め、彼女は緩慢な動作で顔を上げた。
ーーー突然、雨が止んだような気がしたのだ。
ゆるゆると顔を上げた先には、傷と剣ダコと、雨の滴で濡れた、手があった。
「ーーーそんなに雨に打たれるのがお好きなのかい、オジョウサン?」
「……………………ヒカ、ル……?」
目線を手から上へと移し、そこにいた人物の名前をポツリと呟いた。
「あーあー、ひどい顔をして。寒いだろうにワザワザ歩いてくるなんてお前はかなりの馬鹿と見た。」
大げさな態度に、やけに芝居がかった口調。"ヒカル"と言う名の黒髪の女は愉しそうに口元を歪めた。
"ヒカル"はすっかり濡れ鼠の目の前の女の手を、些か強引に引くと、もう大した意味もなさないだろうに、傘を手渡した。
「さて、"コノハ"。帰ろうか。」
甘く囁くように言うヒカル。女ーーーコノハはただされるままに黙ってついて行く。
ヒカルの足音と、自分自身の足音。雨の匂いに水が流れていく音。
そんな中コノハは口の中で、誰にも聞こえることのない声で、小さく小さく呟いた。
ーーーまた、見つからなかった
コノハは"ある者"を捜している。
未だ見つかることはない。いろんな場所を捜し歩いた今であっても。
コノハは願っていた。
その"ある者"を見つけ、愛を囁き、存分に甘やかし甘やかされ、足りなかった部分を補うように、胸の空白の時間を埋める。
そんな、愛しい時間を刻みつけたのなら、今までの苦しみと憎しみを持ってして、また自分が傷つくことになろうとも、その者を"殺して"しまいたい。
それは狂った愛情だった。
雨が降り続く中、会話も禄にないままに彼女たちは進んでいく。
そんな小さくなっていく後ろ姿を見送りながら、窓からこっそり顔を覗かせていた小さな子供は呟いた。年は5,6くらいだろうか。
「ーーーしろい あくま」
それは彼女たち、いや、"この国にある軍隊の呼び名"である。
白い隊服を赤く、ベットリとしたもので汚して帰ってくる兵隊たち。
住人たちはその姿に目を見張り、そして恐怖した。
いつしか呼ばれるようになっていた名前。兵隊たちはその呼び名を"誇り"として、掲げるようになった。
ーーーいつからだろうか。
お国を守るため、大切な家族を守るため、そう言って軍へと入っていった者たちが、
死んだような、地獄を見たような顔をして家へと帰ってくるようになったのは。
兵隊たちのちょっとした帰省は、ただの気休めにしかならない。
事実、戦場へ赴いて地獄を見てきたであろう年老いた兵隊は言った。
ーーー……死ぬ覚悟がないもんにゃ、ありゃぁちとキツいじゃろうて
そんな老兵士も、つい先日愛した女に看取られながら、静かに息を引き取った。
おんとし97の立派な兵士であった。
彼ら(兵士たち)は死ぬまで進むことをやめない。敵を前にした彼らは正に、悪魔。
嗤いながら、奇声を発しながら、頭から血をかぶり、片腕が無くなろうとも、足が潰れようとも、彼らは進むことをやめようとはしなかった。
国を守るためだ。
多少の犠牲は、仕方ないよなぁ…?
軍のお偉いさんの言葉が、この国の全てを決めていた。
そんな縦社会の国の、1日。