生まれなかった英雄
彩萌たちは一階におりたのです、お母さんはキッチンでから揚げを揚げていたのです! 彩萌たちを見て、早いわねって笑っていました。
でもそろそろ学校とかもやばいし、彩萌やミギー君は早く帰らないといけないのです……山吹君も心配です。ディーテさんはそのことに残念がっていました、夕ご飯を食べたかったんでしょうね。
揚げたて熱々のから揚げをつまみ食いしたのです、ちょっと火傷するかと思ったけどおいしかったです。
ディーテさんは火傷する心配がないからバクバク食べてたけどね、欲張りさんです。
「お母さん、から揚げ美味しかったです。手紙はいっぱい書くので、見てね!」
「うん……私もいっぱい読むし、いっぱい書くね」
「行ってらっしゃい、彩萌」とお母さんは涙ぐみながら、彩萌を抱きしめてくれたのです……。
本当はお父さんの帰りも待っていたかったけど、彩萌は全員に会ったら泣いてしまうと思うのです。幻想世界に帰るのが惜しくなってしまうのです。
だからお姉ちゃんとも顔を合わせないです、お父さんとも会わなくていいのです……帰れなくなっちゃうからです。
本当はお母さんとも会わない予定でした……だって悲しくなるんだもん。彩萌は家族が大好きなのです。
「いってきます、お父さんとお姉ちゃんによろしく」
「……本当に、待ってなくていいの?」
「良いの、彩萌は……いってきますなので、永遠のお別れじゃないから良いの!」
そうです、最後のお別れだよーって言ってお別れすると次会うときに恥ずかしくなるのです。だから良いの。
ギューってしてもらうと涙が出ます……、でも永遠のお別れではないのです。
お母さんに離してもらい、彩萌はディーテさんや夕闇の巫さんたちと一緒にお部屋に行くのです。チラッと見たお母さんは寂しそうでした……彩萌も寂しい。
彩萌のお部屋は、やっぱり彩萌が居た時の部屋とは違うのです。
そしてミギー君はグラーノさんに任せて先に帰ってもらうことにしたのです、彩萌とディーテさんは寝の国に行かないといけないからです。
ミギー君はシホちゃんにお別れの挨拶をして、彩萌に「先に帰ってるからな!」って元気いっぱいで帰ったのです。グラーノさんはディーテさんを睨んでから帰りました。
彩萌はちょびっと寂しそうなシホちゃんに近付いたのです。
「シホちゃんに良い縁がありますように祈ってます! 夕闇の巫さんと仲良くね」
「御利益在りそうだわ」ってシホちゃんは苦笑いしながら彩萌の頭を撫でたのです、シホちゃんは良いお兄さんですね。
シホちゃんともハグをして、夕闇の巫さんとディーテさんの方を向くのです。夕闇の巫さんはちょっとだけ、ちょーっとだけ表情が柔らかくなっているような気がします。
よく見ると夕闇の巫さんはお面を持っていました、彩萌が夢で拾って白仮君に渡したお面です。夕闇の巫さんのところに戻ったのですね。
「夕闇の巫さんにも手紙を書くので、ちゃんとお返事くださいね! お母さんにも見せてくれるとうれしいです」
「まあ、良いよ……ウェルサーの肉体はこっちにないから、魂が剥き出しの状態になるから気を付けて」
「またね」と夕闇の巫さんは言って、彩萌の方に手のひらをかざすのです。
もう行かないとなのかーとしんみりしていると、浮遊感を感じたのです。浮かび上がる感覚が全体を包むのです、でも視界は落ちていくのです。
彩萌が瞬きをすれば、周りは真っ暗闇に包まれていたのです。まるでお湯につかっているような感覚が全体を包んでいます。
彩萌はぷかぷかと暗闇に揺られながら、どこかに流されていくのです。本当に寝の国に行けるのかな……。
なんとなく目を閉じると、眠くなかったのに彩萌は意識を失ってしまったのです。
――泣いているのか、荒い息遣いと鼻をすする音が聞こえたのです。
意識を起こしても視界は荒く、周囲をしっかりと確認することが出来ません。ただこの場所が薄暗い場所だということだけは分かりました。
「――せんせいが……死んでしまったのもボクの所為だ」
彩萌と同じくらいか、もしくは彩萌よりも幼い男の子の声が聞こえたのです。
声の聞こえたほうへと目を向ければ、はっきりとは見えないですが……うつむいて涙を拭う子供の姿が見えたのです。
……フルールフェニアは、小さい子だったんですね。ぼんやりとすごく長い耳が赤紫色の髪の間から見えていました。前に見た図書館の魔人のお兄さんよりも耳が長いかもしれません、耳先にアクセサリーをつけているのかヘニョリとたれ下がっていました。その耳は肩を通り越していました。
彩萌の意思とは関係なくその少年に近付くのです。そうするとぼやけていた視界が、少しだけはっきりしたのです。
ボロボロと涙をこぼす目も髪の毛と同じ赤紫色でした、どちらかと言うと赤い色に近いのでディーテさんの色に少し近い感じがします。
その子は長い距離を歩いてきたのか、高価そうな靴とズボンがボロボロでした。
よく見ると、腰の辺りに細身の剣が差してありました。
「ボクが余計な事をしなかったら、ボクが……もっと早く知っていれば」
「全部ボクの所為だ」と少年は泣くのです、事情をよく知らないけど……彩萌はそれは違うと思うな。
黒い腕が少年の頭を撫でるのです、そうしていると大きな音が聞こえたのです。
彩萌は何の音かよく分からなかったけど、少年は顔を上げて明るい方向を見たのです。
「――女神さま、遠くへ……どうか逃げてください」
少年のお願いを聞いて、ウェルサーが何か言うのです。でも少年は首を振ったのです。
「ボクは逃げない」と小さく呟いたのです。
「ボクは……ボクは、せんせいを尊敬してるから!」
少年は泣いていました、でもウェルサーは止めることが出来なかったのです。
少年は薄暗いこの場所から出て行ってしまったのです、あの子が戻ってくることは無かったのです。
ディーテさんは、王宮に仕える学士だったのです。学士というのは研究職でもあるけど、勉強を教える先生でもあったのです……あの子は、ディーテさんの教え子だったんですね。ディーテさんがあの子を大好きな理由が分かった気がします。きっとあの子がリェサーニアだと彩萌は思ったのです。
――目を開くと、彩萌は灰色の世界に居たのです。浮遊感は無くなっていました……どうやら寝の国についたようです。
寝の国はうっすらと霧がかかり、白いモヤモヤで前が少し見辛いです。
夕方なのか朝なのか分からない明るさです、空を見上げても太陽は見えません。
土は柔らかいです、草木も生えているし、鳥っぽい鳴き声とか虫の声とかが聞こえるので人間さんの魂だけが生活している訳ではなさそうです。
どうやら彩萌は森に居るようなのです……ここでディーテさんを待つの? 彩萌ちょっとだけ心細い……。
そんなことを考えていると、誰かがやってくるのが分かったのです。りんりんって、鈴の音が聞こえたのです。
クマ除けの鈴みたいだなってちょっと思いながら、彩萌はどうしようか考えたのです。鈴を鳴らしている人が良い人だといいんですけど……。
少しすると、霧の中に人影が見えたのです。頭の部分がぼんやりと霧の中で光っていました。
……なんか、人間っぽくない。なんか、頭の部分がなんか……ちょっとだけ大きくないですか。背も高いんですけど……。
彩萌が心配になっていると、その人は濃い霧の中でも見た目がはっきりと分かる距離に来たのです。その人はやっぱり人間ではありませんでした。
頭が水風船のようになっていたのです。首から上が透明な膜に覆われていて、中に赤黒い色のついた液体が入っています。その中で光る球体のような目がこちら側を見ていました。
頭部だけが人じゃないです、肌は見えてないけど下は男性っぽい。服装はふぁんたじーっぽい。
リンリンって鳴っていたのは、どうやら杖の先端に付けられている大きな鐘っぽいです。
「お待ちしておりました、お帰りなさいウェルサー」
水の中で声を出したかのような、くぐもった声でその人は言うのです。どうやら悪い人ではなさそうです!
この人はどんな人なんだろう、一応は人間さんなのかな?
「あなたは誰ですか? 人間さんですか?」
「いいえ、いいえ、私は人ではありません……此処に溜まった魔力で生まれたものです。そして名前はまだありません」
「名前がないのですか」と彩萌が言えば、水風船の人はグルンと光る球を頭の中で回したのです。それ……頷いたってことなの?
名前がないのはちょっと困りますね、水風船の人って言うのもなんだか可愛げがないです。
彩萌は少し考えて「リゴールって名前はどうですか」って聞いたら、水風船の人はグルグルと光る球を回しながら「ありがとうございます!」って喜んでくれたのです。なので、今から水風船の人はリゴールさんです。
リゴールさんは自分の来た方向を指さして「あちらに国があるのです、貴女が暮らした家もあるのです」と言うのですが、彩萌はディーテさんを待たなきゃいけないのです。
彩萌がそう伝えると、リゴールさんは一緒に待ってくれると言うのです。
どうもリゴールさんが言うには、自分と同じように寝の国に溜まった魔力から生まれた魔物さんが居るから国の外はちょっと危険らしいです。だから魔物除けの鐘が付いた杖を持っているんだそうです。
近くに切株があったので、リゴールさんと一緒に切株に座ったのです。リンリンってリゴールさんは鐘を鳴らしていました。
そういえば彩萌たち霧の中に居るのに、ぜんぜん寒くないね。これって魂だけの状態だからかな?
ディーテさん早く来ないかなぁ……。
――あやめとアヤメの交換日記、七十九頁




