全て夢だった
外は少し暗くなっていました、夕焼けです。秋の夕焼けは綺麗です。
なんとなーく喋りづらい雰囲気だったので、家に着くまでみんな無言でした。
家の前でみんな足を止めたのです……そういえば、夕闇の巫さんは家族には見えないけど……どうするのかな?
「夕闇の巫さんは生霊だけど、どうするの?」
あっ、そういえばどうしよう……って雰囲気に一瞬なりかけたけど、グラーノさんが手を軽く上げて自己主張をしたのです! グラーノさんは「みんなの視界を操るから、まかせて」と言ったのです……さすがグラーノさんです、いざという時は頼りになるね。すぐにグラーノさんは霧状になって、家の中に入っていったのです。
それを見届けて夕闇の巫さんは一息つくと、呼び鈴を押したのです。
寂しさが漂う秋の空にチャイムの音が鳴り響いたのです……。
グラーノさんは視界を操るって言ったけど、家族のみんなには彩萌が三人いるように見えるのかな? ミギー君は彩萌と同じ格好をしてるからね。
彩萌たちは玄関前に立つ夕闇の巫さんの背中を眺めていました……すぐに足音が聞こえて、玄関戸が開かれたのです。
「はい――あやめ! どこに行ってたの!」
出てきたのはお母さんでした。驚いたような……泣きそうな表情で夕闇の巫さんに抱き着こうとしたのですが、夕闇の巫さんは後ろに下がってそれを避けていました。
生霊状態でも彩萌が触れたんだから、触れるんじゃないの? 嫌だから避けたのかな?
お母さんはすっごく悲しそうな顔をしていました、寂しそうです。
「夢を見たんでしょ、私と……もう一人の性格の違う彩萌が居た夢を見たんでしょ」
夕闇の巫さんがそう聞くと、お母さんは少し驚いた顔をしていましたが「うん」って小さくうなずいたのです。
「アレは実際にあった出来事なんだよ、私は……彩萌は二人居たの。でももう一人の彩萌は、神様だったんだよ」
お母さんは何も言いませんでした、でも拒絶とかそう言うのじゃなくて……真剣に夕闇の巫さんのお話を聞いていたのです。
背中しか見えないから、夕闇の巫さんが今はどんな表情をしているのかわかりません。
「私は普通じゃないけど……普通だから、みんなの理想通りにはなれない。みんなの理想の、良い子の彩萌にはなれない」
夕闇の巫さんは泣きそうな声になっていました、もしかしたら……もう泣いていたのかもしれません。
「みんなが見えないものが見えるし、みんなが聞こえない声が聞こえるし、普通じゃできないことが私にはできる……でも、私はそれでも普通に――普通にお母さんから生まれてきた人間だから、だから……」
「普通になりたい」と消え入りそうな声で夕闇の巫さんは言うのです、その“普通”にはいろいろな思いが込められているのが分かります。
普通の家族として、普通の親子として、普通の女の子として普通の生活が送りたい……そんな夕闇の巫さんの思いが込められているような気がします。
彩萌はもうすでにボロ泣きです、鼻水が出そうなくらいです……涙脆いんですよ。シホちゃんも泣いてたけどね、たぶん共感できるところがあるんだと思います。
お母さんは真剣な表情で夕闇の巫さんを見詰めて、両方の肩を掴んだのです。
「まだ……受け入れらないこともいっぱいあると思う、分からないこともいっぱいあると思う」
「でもお母さんは理想じゃなくていい、普通じゃない普通の彩萌が良い」と言ったのです、さすがお母さん! 彩萌、感動しています!
お母さんは夕闇の巫さんの頭をナデナデしてあげてました、たぶん抱き着こうとしたけど夕闇の巫さんがちょっと抵抗したからやめたんだと思います。
彩萌はディーテさんに涙を拭いてもらいながらその光景を見ていたのですが、突然お母さんはこちらを見たのです。
「ほら……彩萌もこっちに来なさい、星座の本とか無くなっちゃったけど……彩萌の大好きなから揚げ、用意してあるのよ」
「えっ、いや……えっでも、私」
「彩萌が帰ってこない所為でお母さん毎晩から揚げ作ってるんだからね! こっちの彩萌はから揚げよりもシチューが好きだから、シチューも作ってあるの」
「地味に大変なのよ」ってお母さんは笑ったけど……気付いてたの? いや、それよりもお母さん……彩萌が二人で良いの?
彩萌は別にお母さんが二人になってもいいけど、嬉しいけど……お母さんは本当に良いの?
「今日はしーちゃんはいないの? いっぱい用意しちゃったから、お母さんとお姉ちゃんとお父さんじゃ食べきれなくて朝も昼も食べるはめになっちゃうわ」
彩萌は戸惑いながらもお母さんに近付いたのです……。お母さんは近付いてきた彩萌を抱きしめたのです、そして「ちゃんとまっすぐ帰ってこなきゃダメでしょ、おかえり」って言うのです。
うぅ……母は偉大だよ! 彩萌は涙がいっぱい出てきたのです、諦めていたけど……やっぱり嬉しいです。
久しぶりのお母さんは懐かしい匂いがしました、お母さん……あったかいです。
「えーっと桜は部活の先輩と話してるけど……紫帆君と五郎君も寄っていくよね?」
あー……そういえばディーテさんって彩萌の家族に伊妻・カーマイン・五郎って名乗ってたっけ?
チラッとディーテさんの方を振り向くとね、シホちゃんとディーテさんしかいませんでした……ミギー君どこ行っちゃったの?
ディーテさんは笑顔で「お邪魔します」って言ってたけど、シホちゃんはちょびっと気まずそうでした。
こっそりディーテさんに近付いて、ミギー君どこ行ったの? って聞いたら、ディーテさんは紫色の十字架を見せてくれたのです。どうやらミギー君は気を利かせて化けてくれたようです。
夕闇の巫さんは何も言いませんでした、なんだか少しだけボーっとしているような気がします。疲れちゃったのかな。
彩萌が大丈夫? って聞いたら、小さく「平気」って言ってたけど……少し心配です。
家の中に上がるとシチューの良い匂いがしていました、から揚げはまだ揚げてないそうです。
わーい、久しぶりにお母さんのから揚げが食べられるー! あの日、から揚げを食べる前に幻想世界に行っちゃったからね!
ウキウキ気分でリビングに向かっていた彩萌は良いことを思いついたのです。
「お母さん、お願いがあるんです……」
「なぁに、どうしたの?」
「彩萌はこっちの世界にはいられないのです、しーちゃんのような幻想的な生き物が暮らす世界に帰らないといけないのです……」
「……そう、そっか。うん……彩萌は神様なんだもんね」
「うん……あのね、山吹君もね、あっちに居るんだよ。でもあっちには職人がいないから……かつお節ください」
彩萌の発言にね、お母さんは「えっかつお節……?」ってあっけにとられてたよ。
でも本当にかつお節ないんだよ! 山吹君がかつお節ご飯が食べたいって言ってたんだよ!
お米とか醤油とかは作れても、山吹君はかつお節の作り方が分からなくて困ってるんだよ。ハクボは煮干しとか干しシイタケはあるけど、かつお節は無いんだよ……。
彩萌がそんな感じでお母さんにお願いしたらね、お母さんは苦笑いをしながら「彩萌は本当に山吹君が大好きよね」って言ったのです。
当たり前ですよ、でもお母さんも大好きだから安心してね!
あと……ライちゃんがお土産をくれたから、永遠にお話しができないわけじゃないんだよ。お手紙なら書けるんだよ。
だから彩萌は毎日お母さんにお手紙を書きます、夕闇の巫さんいろいろとお願いします。
彩萌たちはダイニングに通されたのです。椅子に座らせるとね、お母さんはお茶を出してくれたのです。かつお節も持ってきてくれたの。
わーい、絶対に山吹君が喜ぶよー。ついでにお母さんはふりかけとか漬物とか、幻想世界になさそうないろいろな物をスーパーの袋に入れて彩萌にくれたのです。
ちょっとぼーっとしていた夕闇の巫さんですが、すこし疲れが取れたのかお母さんの方を見たのです。
「お母さん、少し用事があるから部屋に戻って良い? 五郎とシホさんに宿題見てもらうから」
お母さんは少し残念そうな顔をしたけど、「ちゃんと夕ご飯の時に下りてくるのよ」って言って夕闇の巫さんを見送ってくれたのです。
いろいろ入ったスーパーの袋をディーテさんに押し付けて、みんなで二階に行くのです。彩萌の部屋じゃなくって、お姉ちゃんの部屋に行くんだよね?
お姉ちゃんの部屋の前に立ったとき、シホちゃんがかなり恐縮していました。「本当に入って平気かな」って呟いていました。
まあ夕闇の巫さんは気にせずにノックをしてすぐドア開けちゃったけどね、シホちゃんは慌ててました。
お姉ちゃんはベッドの上に居ました、というか深い眠りについているようでした。
そして先輩さんはカーペットの上に直に座って、彩萌たちを見上げていました。
「あ……紫帆くん? あれ、妹さんも……どうしたの?」
「えー、あーえっと……渡田先輩ちょっと良いっすか、先輩って……あの、不思議なことが出来ますよね」
シホちゃんがその、渡田先輩? にそう聞いたのです。渡田先輩の表情はちょっと硬くなっていました。
夕闇の巫さんが部屋に入るので、全員で部屋に入ったのです。扉は彩萌が閉めました。
「最近金属バットで暴行事件起こしてるの、貴女でしょ。なんでそんなことしてるの」
夕闇の巫さんがズバッと聞けば、渡田先輩は完全に無表情になっていました。ちょっとストレートに聞きすぎなんじゃないかな……。
渡田先輩は膝の上に置いた手を遊ばせながら、室内に視線を泳がせたのです。
「……夢を見るのよ、事故に会ったあの日から」
夢? えっ、渡田先輩も何か夢を見ているのですか?
彩萌が不思議そうに渡田先輩を見ていると、先輩は本棚をじーっと見つめていました。
「きっと前世の記憶だと思うの、私は……近衛兵で、ある日突然この世界に落とされる。それは神の怒りを買った所為だと思うの」
「私には身に覚えがないけど、何か魔物を狩るって話は国全体であったから」って先輩は呟いたのです……これ完璧にあの国の人じゃないですか。魔物って、ウェルサーのことだよね。
彩萌はいろいろと気になってディーテさんを見たのです。ディーテさんの表情は少し強張っていました。
「でもね、あの人は……イレンス王は言うのよ、悪魔の呪いの所為だって、悪の所為だと、悪意を憎めと、独善的に支配する悪逆を許すべきではないって……私も、昔の私もそれは違うんじゃないかと思った。けどね、あの人の言葉にはそうじゃないって思ってても、そうだと思わせるような説得力があった。カリスマ性があった」
「Irensu...... kuregaruni a rensîa」
「そう、クレガルニの王……私は、そうかもしれないと思うようになった、そう思うと小さな悪意すらも許せなくなった」
「どうしようもなく、小さな罪も憎くなった」と呟いて、先輩はこちらを見たのです。彩萌を見たのです。
彩萌はかなり動揺しました、というかちょっと怖かったです。
「私……あなたのこと、知ってる」
そう先輩が言ったとき、グラーノさんが部屋の中に現れたのです。先輩の前に立ってて、その手の中には槍があったのです。
槍を先輩に突き付けていました……、グラーノさんの表情は無表情で怖かったです。でも、なんか……刺したりはしなさそうな雰囲気です。
先輩は恐れた様子もなくグラーノさんを見上げていました。
「イレンス王は何も言わなかったけど、ディーテが死んだのは本当のことなの? リェサーニアが……イレンス王はどうしてあの子を殺したの?」
泣きそうな表情で先輩がそう聞けば、グラーノさんは何か呟いたのです。そうしたら先輩は気を失ってしまったのです。
先輩の質問に一番の動揺を見せたのはディーテさんでした、普段は見せないような……絶望したような表情をしていました。真っ青な顔色になっていました。
ディーテさんは何かを言おうとするんだけど、何も言えなくて口を開けたり閉じたりしていました。
「イレンスが、イレンス王がどうしてそんなこと」
ディーテさんは頑張って聞くんだけど、グラーノさんは表情を顰めるだけで何も言いません。
……もしかして、もしかしてだけど、その……リェサーニアさんがフルールフェニア? じゃあ、たぶんグラーノさんは理由を知らない……と思う。
「――この子は、上手く転生できなかった。だから前世を思い出したのかな……この子の魂を救えるのはディーテ、今はお前しかいない」
「あっ、うん……そうだね……そう、だよね……」
ディーテさんはすごく気になっている様子だったけど、目の前のことを何とかしないといけないと思ったのか夕闇の巫さんの方を見たのです。
顔色がすごく悪いです。ディーテさんはリェサーニアさんと知り合いなのかな……いや、この反応を見るかぎり知り合い以上の関係っぽい。
もしリェサーニアさんがフルールフェニアだったら、ライちゃんもこのことを知らないよね……。何も言わないようにしよう。
「この子の魂を直す……器も小さくする、きっと魔法は使えなくなるから……その時はこっちの世界のルールで処分を決めて」
ディーテさんの言葉に、夕闇の巫さんは短く「了解」って返していました。
というか……前世でディーテさんが暮らしていた国の名前はクレガルニって言うんだね、聖書には載ってなかったから知らなかった。
クレガルニの王様のイレンス王さんは、この世界に落とされたのをウェルサーの所為だって国民に言ってたんだね。
ところで……このえ兵ってなんだろう? 彩萌は衛生兵とか歩兵しか聞いたことないよ。
「……どうして、リェサーニアが」
ディーテさんは小さく呟いていました。
……ごめんなさい、たぶんウェルサーの所為だと思います……。守ろうとしてくれたんだと思います。
「レーニィ……」とディーテさんは呟いたのですが……それは、レニ様のことじゃないですよね。リェサーニアさんのあだな? えっ……もしかしてレニ様の名前ってリェサーニアさんから来てるのかな。
ヤバいですよ、ディーテさんすごくリェサーニアさんのことが好きですよ! ウェルサーの所為だって知ったら、ディーテさん彩萌のこと嫌いになっちゃうのかな……。
たぶんディーテさんの中では山吹君よりも好きなんだろうな……、養子にリェサーニアさんのあだな付けちゃうくらいだもん……。
彩萌がどうしようって考えてたら、ディーテさんは魂を直し終ったのかこっちに来てしまったのです。
様子が変になっている彩萌を見て、ディーテさんは苦笑いをしたのです。
「たとえ死んだ理由がウェルサーに関連してても、お兄さんは怒らないよ。ウェルサーが殺したわけじゃないでしょ?」
「そ、そうですか……なんか、ごめんなさい」
ディーテさんはいろいろと察したようです、ごめんなさい、ありがとう。
先輩の魔力が無くなったから魔法が解けたのか、お姉ちゃんが呻き声をあげたのです。シホちゃんがめっちゃビビっていました。
うなされている様子のお姉ちゃんに、夕闇の巫さんが近付くのです。額の辺りに手をかざすと、お姉ちゃんは目を覚ましたのです。
夕闇の巫さんはすぐに手を下ろし、ぼーっとしているお姉ちゃんに声を掛けずに部屋を出て行ったのです。シホちゃんもそれについて行きました。
彩萌はどうしたらいいのか悩んだけど、ディーテさんと部屋を出ていくことにしました。グラーノさんはすでにいなくなっていました。
「――さよなら、あやめ」
お姉ちゃんは小さい声で言ったのです、チラッと見たけどお姉ちゃんはこっちを見ていませんでした。
さよなら、お姉ちゃん――彩萌は、静かに扉を閉めたのです。
――あやめとアヤメの交換日記、七十八頁
Irensu...... kuregaruni a rensîa
(イレンス…… クレガルニ ァ レンシィア)
《イレンス……クレガルニの王》




