楽園より愛をもって、
虚無に力を注ぐと、暗闇が溶け落ちた。それを夜と名付ける。
長い事夜と向き合っていると姿が抜け落ちてしまう、形を取り戻す為に明かりを灯した。それを昼と名付ける。
姿を取り戻したが、自身を確かめる事はできない。姿を確かめる為に、液体を掬い上げた。それを海と名付ける。
海は隙間から零れ落ちてしまう、それを防ぐ為に海を器に注いだ。それを大地と名付ける。
昼が有り続けると、夜を見る事ができない。夜を存在させる為に、昼に息を吹きかけた。それを風と名付ける。
夜を見る事ができるが、姿を確かめる事までは出来ない。夜に姿を与える為に、小さな明かりを灯した。それを月と名付ける。
月だけでは夜の姿しか確かめる事ができなかった、月よりも小さな明かりを幾つも灯した。それらを星と名付ける。
長い年月を経て、虚無は虚無ではなくなった。小さな世界を見詰めて力を注ぐ――を、魔法と名付けた。
――フィルウェルリア聖書より、世界の創造。
つるりとした黒い手を引いた、大きな背の人が見えた。短めな紅い髪を揺らしながら、獣道を歩いてる。
ゆるやかな登り坂、その人は振り返って髪と同じ色の目を細めて笑った。
その顔には傷がいくつもあって、よく見ると手もボロボロだった。
「もうすぐ着くよ」って言った声はディーテさんと同じで、ディーテさんにも髪の毛が短い時代があったんだなぁってぼんやり思いました。……あっ、ディーテさんの三つ編みは尻尾だから、髪の毛じゃないのかな?
ディーテさんはなんだか楽しそうで、でも彩萌と一緒に居る時とはちょっと違う感じで楽しそうだった。
ディーテさんと彩萌はどんどん山の中に入って行って、周囲はちょっぴり暗い感じです。
しばらくするとちょっぴり開けた場所に出たんです、どうやら目的地に到着したみたい。
ちょっとそこでディーテさんと二人で待ってると茂みの奥からガサガサと音が聞こえてきて、誰かがこっちに向かって来たんです。
その人はすごく髪が長くて、手足が細長くて紅い眼をしていました。手足がちょっと長いだけで、それ意外は普通です。でもちょっぴり痩せています。
でも近くに来たらすごく大きい感じでした、何ていうか全体的に長いです。背が高い。
あと耳が尖がってて、先っぽが二つに割れてました。
ディーテさんよりも大きいから、二メートル越えしてるのかな?
「この人から俺は産まれたんだよ、テニア、彼女は友達のウェル」
ディーテさんのお母さん……すっごく大きいです。
ディーテさんのお母さんはボロボロなディーテさんを見て、ちょっと悲しそうな、不快そうな顔をしてた。
「ウェルと友達になれたら、テニアも寂しくなくなるね」
そう言ってディーテさんが笑えば、ディーテさんのお母さんもちょっと悲しそうだけど笑ったのです。
彩萌もなんだかちょっぴり悲しくなったけど、笑ったんです。そうしたらディーテさんのお母さんが頭を撫でてくれました。
大きな手だったのでお父さんの手みたいだったけど、優しい感じだったのでお母さんみたいな雰囲気でした。
あぁ……見た目は違うけど、この人が神社に居たお姉さんなんだぁ……って彩萌は思ったのです。
――ディーテさんのお母さんだったのかぁ……、と思いながら彩萌は目が覚めたのです。天井の木目ってやつが人の顔に見えます。
布団から出ると、布団の周りにミギーくんとむーちゃんが死人みたいにうつぶせで倒れてた。
たぶんめっちゃ暇だったんだろうね、二人は眠れないからね。
ユースくんみたいに我慢したりするのが好きな人じゃないからね。
むーちゃんの尻尾がゆらゆらしてたから、ついつい手でキュッて感じで握ったら尻尾でパシッて叩かれた。
ユースくんに獣人族さんのしっぽとかは触ったら駄目だよって言われた事があったけど、むーちゃんは獣人族さんじゃないので良いよね?
そんな感じで調子に乗ってツンツンしたり捕まえたりして遊んでたら怒られた。
やっぱりむーちゃんはネコちゃんなので、フシャーって感じだった。
ムスッとした顔で睨んできたけど、折角なので夢で見たディーテさんのお母さんについて聞いてみよう。
「むーちゃんはディーテさんのお母さん知ってる?」
「前世?」って聞いて来たので、彩萌はうんって肯いた。
やっぱりむーちゃんは前世知ってるんだね、知っているというか完全に思い出してるのかな?
でも、リセット前の世界って前世って表現で合ってるの……?
そういえばディーテさんとか、他のみんなは前世思い出してるのかな? 彩萌はたまーに夢でそれっぽいの見るけど、すぐ忘れちゃうよ。
というかむーちゃんはいつ前世を思い出したんだろう?
りっちゃんの……ふういん? が解けたから、徐々に思い出したんじゃないかなって彩萌は思った。
じゃあ精霊さんの記憶が無かったのは、りっちゃんとか巫な彩萌の魔術の所為?
そんな事をぼんやり考えてたら、むーちゃんに「目開けながら寝てんの?」って言われちゃった。
彩萌はそんな器用なまねできないもん、……たぶん。
「ぼくは会ったこと無いけど、人間のプロトタイプ。ぼく達に近いポテンシャルを持ったほぼ精霊な人間」
「ぷろとたいぷ、ぽてんしゃる……」
「本当は一対で生まれる予定だったらしいけど、片方を吸収しちゃって倍の力を得たってわけ」
「双子だったの?」
「そうじゃなくて、番い。現実世界で言うところのアダムとイブ的な」
彩萌はアダムとイブを聞いたことがある様な気がしたけど、よく分からなかったので「……アダム、あなたはどうしてアダムなの?」って言ったらむーちゃんは「それ違う、ロミオ」って突っ込みを入れたんです。むーちゃん現実世界に住んでないのに詳しいね、シェイクスピア知ってるんだね。
彩萌がアダムとイブを知らないから、むーちゃんは説明してくれたんだけどよく分からなかった。
土がどうとか、肋骨がどうたらこうたらで、善悪な知識の実がアルターピースでなんとかかんとか、むーちゃん的には絵画も良いけど彫刻が好みらしくって彩萌にはさっぱり理解できなかったのだ。というか途中でアダムとイブから芸術の話になってたよ。
彩萌は結構忘れちゃってるけど、むーちゃんは狂戦士でありながら芸術家だったね……。
でもシェイクスピアは文学だよ! 文学とか音楽はグラーノさんの担当だよね?
彩萌ちゃんへの気持ちを手紙に認めてきたんだよ、ってグラーノさんが分厚い紙の束を渡してきた時はちょっとうわーって思った。
中身はポエムとか、なんか歌詞みたいな感じになっててちょっと彩萌には理解できなかったけどね!
そんでいつの間にかむーちゃんの話は彫刻から現代アートとかの話になってたから、彩萌は着替えることにした。
とりあえずディーテさんのお母さんはぷろとたいぷなんだね、ところでぷろとたいぷってなに?
彩萌が着替えたのはシホちゃんの昔の服なので、ズボンです。だぼだぼです。
もしかしたら男の子に見えるかもしれないね!
ほら、彩萌って実年齢より若く見えるからギリギリ男の子に見えるよ。
むーちゃんとミギーくんと並んで歩いたら完璧だよ、まあミギーくんは彩萌と同じ見た目してるんだけどね……。
そんで彩萌とむーちゃんは朝食を作るお手伝いとかをしたり朝ごはんを頂戴したりしました。
昨日まではいなかったシホちゃんの従姉のお姉さんが帰って来てて、むーちゃんを見てずっとかわいいかわいいって言ってました。
むーちゃんは不機嫌そうだったけど、従姉のお姉さんに何も言わなかった。
そしてむーちゃんが月の精霊のムールレーニャだって知ったお姉さんは「えっ、じゃあ少年なの……!?」って吃驚してた。(そして彩萌も実は男の子なんじゃないかって疑われた)
ご飯を食べた後はミギーくんの様子を見に借りているお部屋に戻ったら、ミギーくんは最初見た時と同じ場所で倒れてたんです。
微動だにしないから、えっ……まさか死んじゃったの!? って彩萌はびっくりして側に近寄ったんです。
抱き起したミギーくんはなんかボーっとしてる様子でした、ぐだぐだって言うかだるだるって言うか……そんな感じ。
「み、ミギーくんどうしたの? 死にそうなの?」
「――生き物で例えると、空腹? ……紫の魔力が足んない」
ミギーくんは「動きたくねー」と呟くと、彩萌の腕から逃げ出して畳の上に横になってました。
そんなミギーくんをむーちゃんは蹴って転がしてた、酷いやつだ。
そういえば今日のミギーくんは昨日の彩萌が着てた服のまんまだ、同じ姿に変身する力もないのかな?
むーちゃんによると、スピリット系の魔物は同じ系統の力を吸収しないと本来の力が発揮できなくなってくるらしい。
生命維持に関してはどんな魔力でも良いんだってさ、だから月の精霊の側に居るミギーくんが死ぬことは無いらしい。
じゃあ大丈夫なのかーって彩萌は安心して、ミギーくんの隣にごろっと寝転がってみた。襖が開いてるのでお部屋は開放的になってて、縁側の向こう側の青空が見えました。もう秋なのに、まだまだ暑いです。
「ミギーくん、アゲハチョウ飛んでる」
「理の世界にもアゲハチョウ居るんかー……」
あの雲はシビー先生っぽいとか、アゲハチョウの色合いってジェジア先生に似てるとか、早く帰らないとシュガーさんに名前だけじゃなくて顔も忘れられそうだよねって、空を見ながら幻想世界の事を話したりしました。
ミギーくんはぼんやりしてるからか「うん」とか「おぉー……」とか返事してた。
話す事も無くなって、ボーっとしていたらミギーくんは何でも無いような声でぽつりと「帰りたいなー」って呟いたんです。
だから彩萌も「そうだね」って返事した、なんか返事したらちょっと寂しくなった。
「帰ったらクーリーに理の世界はすごいって自慢してやるしー」
「えー、クーリーちゃんと喧嘩してたんじゃないのー? ……というか、白仮くんとかシェリエちゃんにも自慢してあげようよ」
「一時休戦、だって最近シェミューナウザくないしー」
「シェミューナちゃんはね、夢から覚めたのだよ!」
「訳わかんねー」とミギーくんは笑ったのです、でも本当に夢から覚めたんだよ。
そんな感じの話をしてるとね、なんか廊下の方からギシッて足音が聞こえたの。
むーちゃんが居る方を見ると猫の姿でごろごろしてたから、家の人かなーって思って空の方に視線を戻したんです。
イクシィール先生は今日も好き勝手してるのかなーって話をミギーくんとしてるとね、なんか視界の隅っこに紫色が見えたんです。
「なにイチャイチャしてんだよー……このリア充め、リア充爆発しろ!」
「あーシホちゃーん……シホちゃんの目はフシアナだー、だって私とミギーくんは友情を育んでるんですよ!」
「そうだぞ、シホちゃんなんてガァク以下だ! イチャイチャなんて気持ち悪い事言うなし!」
突然現れたシホちゃんに文句を言えば、シホちゃんは「ガァクってなんやねん」って突っ込みを入れてた。彩萌も知らん。
ミギーくんが「害虫」って言えば、シホちゃんはしゃがみ込んでミギーくんにデコピンをした。
その姿を見て、彩萌は良い事を思い付いたのです。
「あっシホちゃんって次の世代の紫の巫じゃん! たぶんちょっとしか生産してないけど、紫の魔力出てるんじゃないの?」
そう彩萌が言えば、ミギーくんは素早くシホちゃんの足にへばりついてました。
「シホちゃんをイケニエにする!」とミギーくんが言えばシホちゃんは「ぎゃーやめろ」とふざけた感じで言ってたんです。でもちょっとすると慌てた感じでミギーくんを引き剥がそうとしながら「マジで止めろ! なんかリアルに疲労感出てんだけど!?」と叫んでた。
そんなシホちゃんに「命までは取らん」とミギーくんはかっこよく言ってた。
なんかちょっとシホちゃんがぐったりしてたけど、ミギーくんが元気になって良かった。
そんな感じで笑ってたらね、むーちゃんが人型に戻ったのが見えたんです。
ジッと廊下の方を見てたから、何かなーって思ってそっちに顔をむけたら紺色のセーラー服を着た見覚えのある女性が見えたのです……!
夕闇の巫な彩萌が居たのです! しかもなぜか中学生バージョン!
――あやめとアヤメの交換日記、六十二頁




