事は彼の手の上で踊る
いっその事何もしなければ何も起こらないのではないかと思い、暫く二人に弄られるジェリを眺めていた。
ちょっとの間しか観察していないけど、彼女は何も知らないのだとなんとなく思った。
それにケレンのお兄さんことファフルゼアはジェリに対して、イズマや私と違った雰囲気で接している様に思える。
少し前に彼の瞳には生気が無いと表現したが、時々パッと光を映した様に輝くのに直ぐにまた灯りを消した様に黒っぽく澱む。
何かに期待している様な目でジェリを見ている、そしてすぐに彼は絶望している様な、そんな目で彼女を見る。
きっとそれは、彼女が何も知らないからなんだろうなと思った。
ファフルゼアはジェリに何かを望んでいて、たぶんその事をイズマは知っている。そんな気がする。
現にイズマは話題提供はするが積極的に会話に参加しようとはしない、参加しない癖に会話を途切れさせない様に口を挟んでは取り持っている。
私に視線を向ける事があるが、その意味は何だろうか。
「――……というか、そんな事はどうでも良いんすよ! チビッ子はもう帰らないとヤバイっす、私が送るんで運送費と住所を要求しまっす」
「唯付き添うだけの癖に金を要求するのは図々しいんじゃなぁい? 伯父さん、俺が送るから人件費も追加してぇー」
「こんな怪しい奴に送らせられないっすよ、立派な大人として! もしもの時の為に保険も込みでえー!」
「怪しいなんてお前に言われたくないんだけどぉ?」
ファフルゼアの言葉に「同類だって言うんすか!」とジェリは怒ったけど、彼は本当にそういう意味で発言したんだろうか?
彼は今ニヤニヤと笑っているけど、通常だったらこんな時“貰う為の傷は俺がつけてあげよっかあ?”くらいの事は言う様な気がする。
ファフルゼアを良く知っている訳じゃないけど、私は彼らしくないと思った。
イズマに視線を向ければ、彼は私を見ていた。私が何か行動するのを待っている様に見える。
彼は私に何を見たのだろうか、私が彼の望む様な事ができるのだろうか。
過度な期待を掛けられると困ってしまう、私が小さくたじろげば彼は視線を逸らした。
「もういいだろう、俺が責任を持って送る。だからお前らはさっさと巣に帰れ」
「えー……えーイズマさんめっちゃ怪しいし、ロリコンっぽいから嫌っすー……」
「悪食が行き過ぎていつか人にまで手を出しそうだよねえー? ほらぁ、なんか子供って柔らかそうだしぃ?」
「どっちにしろファフルゼアもイズマさんも怪しいっすよねぇ」
「へぇ……お前らは俺が人肉嗜食する様に見えると、そう言いたいのか」
不快そうに顔を顰めて発言するイズマに「そう言ってるのはコイツだけっすよ!」とジェリは顔を青くしながら言う。
今までずっと静かに髪の毛を突いて暇を潰していた梟が、間違えたのか故意なのか……、白仮に押し付けられた薄汚れたやっすいお面のゴム紐を引っ張り、ボーっとしていた私に痛い一撃を浴びせた。バチンと大きな音がして注目を集めてしまったが、それよりも耳の辺りが痛い。マジで痛い、なんか古そうなお面なのになんでゴム紐ヘロヘロになってないの……?
耳の下辺りを押さえて体を丸め込めば、ユーヴェリウスは椅子の背凭れに飛び乗った。
「なんかごめ~ん」と軽く謝られたが、なんかごめんじゃねぇよ、ゴム紐痛いんだよこの野郎。髪の毛が生えてない場所をピンポイントで攻撃しやがって。
「あれー? 星王居たんすねー、気が付かなかったっす」
「うっ……ユーヴェリウスの通り名って星王なんだ……ッ王って感じ、しないけど、鳥類の癖に烏滸がましい……!」
「んー、えっとぉ~だからぁ……ごめんねってー?」
「すべての風切羽毟ってペンにして売られたいのか……、そんな軽い謝罪で許せる痛みではない」
思いっ切りやっただろ、かなり痛いのがその証拠だぞ! もし引っ張ったのが髪の毛だったとしても、そんなに引っ張ったら抜けるわボケ!
鳥は齧ったりして遊ぶのは知ってるけど、加減ってものがあるだろうよ。お前は常人以上の知性があるんだからさ……。
痛みは引いたけど、まだ熱もってるよ。
きちんとユーヴェリウスが「すみませんでした」と謝れば、それを見ていたジェリが「星王にきちんとした謝罪を求めるのは君くらいっすよ……」と言われた。
だってめっちゃ痛かったんだもん、それになんかごめ~んって謝られたのにイラッとしちゃったんだもん。
精霊だか何だか知らないけど、謝罪だけはきっちりと要求していくからな。
「星王の羽ペンかあ……、なんかすごーく金運上がりそうじゃなぁーい?」
「……た、たしかに! じゃあ……魔王の髪の毛で作ったカツラ装備したら、頭が良くなりそうっすよね!」
「あやかりたいねぇ、一儲けできそーだねえ」
「そんな事したら罰が当たりそうですけどね……、そういう訳なので私にはコレがあるので一人で帰れます」
「言い出しっぺは君っすけどね」と言われたけど知らないよ、本気じゃないもの。
椅子から立ち上がれば、ジェリは暗いし危ないからと私を引き止めた。でもなんか行動しないと会話を止めそうにないし、そもそもマジで付き添い無しでも帰れるし……。この体の持ち主の叶山彩萌と違って私は魔法使えるし、敵と認識した相手を傷付けて傷付く良心なんて持ち合わせていない。
きっとユーヴェリウスもそうだと思うんだよね、彼も穏やかではあるが心優しい訳じゃない。
少し前に本に書かれていた残酷なイメージ像は本当かどうか聞いたけど、一部は本当だと言ってたから地味に残酷な性格をしている。
ウェルサーである幻想世界な叶山彩萌が知ったらショックを受けそうな話だ。
でもまあその残酷な事だって、ユーヴェリウスにとってはアリジゴクにアリを落とす様な些細な事なんだろうけどね。
だって彼が人へと行った残酷な事は、残酷ではあるけど人間の子供が小さな生物に行う様な事に似ていたから。
それも昔の話で今はやっていないのだから、一応は成長しているのだろうけどね。
ふと思う、私はいつ成長したのだろうか。長い間生きていた気もするけど、私は成長できていたのか。
私の成長とはなんだろうか、流されない事だろうか……自分から一歩踏み出す事だろうか。
変化を嫌い、行動しない事は成長を妨げる行為では無いだろうか。
取り戻す事と、成長は私の中で同等のものなのかもしれない。白雪だって神社の変な女性だって取り戻せって言ってた訳だし、行動しなければ私は成長できない、そして現実世界に帰れないという訳だ。
行動して経験値を溜めて、レベルアップしてスキルを身に付けて初めてチュートリアルが終わるのかな。
私に要求されているのは行動する事なのか、此処までタイミングが良いと神の御業ってやつだよねぇ……。
ぼんやりと自分について考えていれば、ジェリに頬っぺたを突かれている事に気が付いた。
「自分の世界に入っちゃってるんすかねー……」と呟いていた、……なんかごめん。
「――……じゃあジェリさん、送って行ってもらっても良いですか?」
「何がじゃあなのか分からないんすけど……でも全然良いっすよ!」
「いやあ全然駄目でしょー? この子ってばあ、自己防衛もヤバイしぃー自分が転んで怪我させるかもよお?」
「うっ……でも、そこまで悪くないっすよ!」
言い争いが始まりそうだったので「じゃあケレンのお兄さんも一緒で良いんじゃないですか?」と言えば、ジェリは変化に乏しかった表情を顰めた。
でもなあ……いやでもと呟くジェリを無視して、私は帰る為に店の扉へと近付く。そうすれば後ろから慌ててついて来るジェリの足音と、悠然と歩くファフルゼアの足音が聞こえた。
店を出る前にユーヴェリウスが肩の上に居ない事に気が付いて振り向けば、店の扉が開く音がする。
扉の真ん前に居た訳じゃないから大丈夫だろうと思っていたけど、どうやら私の神の御業への認識は甘かったらしく、慌ただしく店の中に入ってきた人物に突き飛ばされてしまった。床についた手と背中が痛い……絶対これ蹴られたわ。
神の御業恐るべし……いや、どこの誰だか知らねぇけどお前の目は節穴か! 目の前に居る背丈の低い子供くらい見えてろバーカ!
心配して側に駆け寄ってきたジェリを見上げて、私は気が付いてしまった。
気が付いたというよりも、力を使って見てしまったと言った方が正しいけれど。
「ジェリさん――……そんな力の使い方をしていたら、記憶どころか肉体にも影響が出ちゃいますよ」
少し前にケレンを追い掛けた時、私の眼には体外に出た魔力が糸の様に映っていたが、彼女のソレは糸と言うにはほど遠い――……ネバネバとした黒っぽい血液の様だった。
私の発言を聞いたジェリは、よく分からないのか首を傾げて不思議そうだった。
魔力は器を溶かす事ができる、その言葉はこういう意味だったのか。
床に落ちた血液に類似した魔力に、消えてしまう前に触れれば彼女の記憶の一端を見る事ができた。
私……いや、私ではない叶山彩萌と楽しそうに話している、そんな記憶が溶けるように消えていった。
何か言わなければと思い口を開いたが、私が喋り出す前に店内に慌ただしく入ってきて、息を整えていた男性客が声を荒げた。
「――……本当に、本当にフィルオリーネなのか!? ……いや、その前に待て! そこの隠れようとしてるお前!」
男性客はお洒落で渋くて男前なおじ様だった、カッコいいじゃん……クソー責める気が半減しちゃうじゃん。
そんなイケてるおじ様は、何故か店の奥へと逃げようとしていたファフルゼアを指差していた。
「その頭……ファフルゼア、やはり娘を拐かしたのはお前だったのか! イズマもグルになりよって……!」
えっ、何の話? ……えっ、誘拐されてたの? 誘拐しちゃったのかよー、マジでー。
顔を真っ赤にして怒る男性客を見て、席を立ったイズマはカウンターの奥から出てきた。その表情は冷静そうに見えるが、少し焦りの色が窺えた。
「ティアーズ教授、落ち付いてください。どうか、落ち付いて……すぐに彼女について連絡しなかった訳を聞いていただけませんか?」
「聞きたくない! お前の言葉は信用ならん、肥え太った成金が!」
だいぶ血圧が上がってしまっているのか、真っ赤な顔でティアーズ教授は鼻息荒くイズマを罵った。
いつの間にかファフルゼアは隠れたらしく、それについても教授は怒りを露わにしていた。今すぐアイツを連れてこい! と声を張り上げて叫んでいた。
今にもイズマを殴りそうだなとぼんやり眺めていれば、ジェリが二人に近付いた。
「たしかにイズマさんは金にがめついっすけど、地味に良い人なんすよ。すぐにお金貸してくれるしー、それにイズマさんは大量に食べる癖に細くて気持ち悪いってリーディア先生が言ってた、あの食事量で細マッチョなんだって」
「今はシリアスな雰囲気なのでそういう口出しはNGですよ、あと肥え太ったってそういう意味じゃないと思うけど」
「えっ、でも私ってたぶん当事者っすよね? 当事者なのに口出しダメっすか?」
「口出し自体はNGじゃないです、でも雰囲気を壊すような発言はNG」
教授がぽかんとした顔をしていたのでそう言えば「了解っす!」とジェリは元気に言うと私の側に戻ってきた。
たぶんジェリが無駄な発言をしてると話が長引く、悪い方向には転がらないと思うけどね。
「本当に……本当にフィルオリーネなのか!? 君は……あの、フィルオリーネなのか!?」
イケてるおじ様なティアーズ教授のジェリを見る目が変わった、信じられない物を見る眼をしている。
「残念ながら彼女はたしかにフィルオリーネですよ」とイズマさんが言えば、ティアーズ教授は頭を抱えて蹲った。
そんなティアーズ教授に、イズマは説明を始めた。
「彼女には記憶がありません。精神的、または身体的要因での記憶喪失でしたら直ぐにでも送り届けても良かったのですが……記憶を対価に力を使い、尚且つ未だにその力を無意識に使用しているので記憶を留めて置く事が難しい」
「私が忘れっぽいのって年の所為じゃなかったんすね……」
「使用を止めさせるか、誰かがコントロールしてあげないと生活もままならない状態だったんですよ」
「幸いな事に私はその様な力に長けていたので」と神妙な面持ちでイズマは言ったけど、それって教授に連絡しなかった理由にはならないよねと私は思ったが言わない事にした。この事に教授が気付いちゃったら面倒な事になるもんな……。
でもやっぱり何処か引っ掛かるのか教授は口を噤んだままだ。
「突然環境が変わったらパニックを起こしかねない、此処からだとドルガー宅も近いですし」
へぇ山吹の屋敷ってここから近いんだ……、でもやっぱり連絡しない理由になってないな。
「そう……だな、リーディア君も……知っていたのか」と教授は疲れた様な声で呟いていた、ドルガーの名前って強いんだな……。
「イズマさんはリーディア先生の家庭教師だったんすよー」
「フィルオリーネ……イズマに良くしてもらっているのか? 酷いことはされていないな?」
「良くしてもらってるけど、あの人かなりドSっすよ」
「……変なことは、されていないな?」
「イズマさんはちょっとロリコンっぽいから私は大丈夫っす!」
教授はジトーッとイズマを疑わしい眼で見ていたけど、今回は否定も肯定も彼はしなかった。
此処で否定したら娘を如何わしい眼で見ていたんじゃないだろうな!? とか難癖つけられそうだからしょうがないとは言え、変なレッテル貼られちゃってかわいそうな気がする。というか彼がロリコンだという説はどこから来ているのかちょっと気になる。
そんな事を考えていれば教授が立ち上がるのが見えた。
彼は怖い顔をして、イズマに視線を向けた。
「だがファフルゼアを匿う理由は無いだろう、彼を此処に連れて来てくれるな?」
「それに付いての異存は全くもってありません」
そう言われたイズマはすぐに店の奥へと姿を消し、騒がしく音を立てながらファフルゼアを引き摺る様に連れてきた。
首根っこを掴む様に連れて来られたファフルゼアは「少しは庇ってくれても良いじゃあーん!」と、少々目尻に涙を溜めて喚いていた。
「俺はやってない! 誘拐なんて、俺はやってないしこれからもやらない!」
必死に弁解するファフルゼアは、先程とはまるで別人だった。
「友人を……知り合いを貶める程、俺はまだ落ちぶれていない!」
そんなこと知ったものかと言わんばかりの眼を向けて、教授は不快そうに鼻を鳴らした。
というかイズマ、お前は悪魔か……知り合いだったんじゃないの?
その庇い立ては絶対にしないよって雰囲気が清々しいよ。
「ですが教授、どうして彼が誘拐したと? なにか決定的な証拠でもあったのですか?」
あ、一応は庇うんだね……纏ってる雰囲気は一貫して教授寄りっぽいけど、ファフルゼアを見る目が汚物を見る様な眼だけど。
一見したら唯の小さな疑問だけど、この人無駄とか嫌いそうだし面倒事に口出しとかしなさそう。というか異存は全くないって言ったのに、引き渡す際に証拠を求めるのはちょっと矛盾があるよね。
自分の地位を陥れる事無く庇うとは遣り方が巧いというか、卑しいというか……たしかに悪魔っぽい。
まあこの解釈はイズマを良い人だと仮定した解釈だからなぁ、マジで庇う気ゼロかもしれない。
「――決定的な物は無い、が……コイツは色々と怪しい。時期が時期だしな……」
「それは、誤解です……二人とは良き友人であって、それ以上の何かはありませんでした」
ファフルゼア、敬語出来たんだね。いや……今はそれは関係なくて、事情が分からない人間からしたらちんぷんかんぷんな話が展開されてるよ。
もちろん私は分かってない、たぶんこの中でこの会話を理解できてるのって教授とファフルゼアだけだよね。
だってイズマも考え込んでるよ、ジェリは私の隣で暇そうに黙ってるし。
そもそもジェリは教授が父親だって気が付いているのかどうかも不明だしね。
「そもそもなところ、卑しい生まれのお前がフィルオリーネの近くにいた事が間違いだったんだ」
「よく分かんないっすけど、生まれで物事を判断するのは良くない事だと思うんすよね……子も親も選べるものじゃないっす」
「そうだったとして、育ちも悪いコイツがまともな品性を持っているとは思えない!」
娘が大事で頭に血が上ってるのか、それとも元々ファフルゼアを嫌っていたのか。
まあどっちにしろ教授とファフルゼアは面識があって、ジェリとファフルゼアが友好的関係にあったのは分かったよ。
そしてファフルゼアの“二人とは良き友人であって”という発言から、この事件にはもう一人関係者がいるのか。
“時期が時期”という発言も気になるところだけど、謎を解く為の情報が少なすぎるから謎解きはイズマに任せて私は傍観しよう。
そう思いながら私は、椅子の上でソワソワと落ち付きなく事態を見守っていたユーヴェリウスを迎えに行った。
「――……そういえば教授、貴方はフィルオリーネが何処で発見されたのかご存じないですよね?」
「ファフルゼアもですけど」とイズマは続けて言った、どうやら考えが纏まったらしい。
でも、発見場所って何か関係あるの? イズマ以外の人は、私も含めて不思議そうな表情をしていた。
「彼女が見付かったのは、エウロの今はもう無いオークション会場ですよ」
それを聞いた時の教授とファフルゼアの表情といったら……、正に愕然といった感じだ。
イズマの発言で驚いたって事は、つまり教授とファフルゼアはジェリが人身売買にあった事を含まない話だった訳だね?
つまりそれだと、教授の推測は外れてるって事になるのかな?
「そんな話……聞いてない、おじさんなんで黙ってたの!?」
「話す必要が無いのと、ショックを受けると思ったからだ。現に今受けただろ? 教授には知る権利があると思ったので、今話しました」
シレッとイズマはそんな発言をした。
なんだかイズマはこの事件の全貌を知っていそう、うわーこの人本当に性格悪いんだな。最初の内に言ってあげればファフルゼアの容疑が解けていた筈じゃない?
いや、でもタイミングを間違えると容疑が自分に降りかかるのか……?
どっちにしろ犯人じゃないって知っていたのに、知り合いをあんな冷たい目で見れるとは正に悪魔ですね。
教授は驚きすぎて放心状態だった、真っ白に燃え尽きていたのだった。
――あやめとアヤメの交換日記、五十九頁




