嫌よ嫌よも好きのうち
ケレンの魔力を追って、細い路地を行く。
魔力を追ってとか、私もついに普通の人間とは言えない芸当をしている。
目の前に見えている朱色の糸っぽい様な、髪の毛っぽい物は魔力だと私は思っているのだけれど……本当に魔力なんだろうか?
その魔力の塊の様なものは街の外れへと続いている。
古びて蔦が這い、壊れかけている廃墟のような建物が増えてきているのを見るとこの先はスラム街かもしれない。
クレメニスのちょうど中央部に位置している教会や学校からだいぶ遠く、港からも離れている。
ここからだと聖樹が良く見えない、山吹の屋敷からも遠そうだ。あの屋敷は聖樹が良く見えるからね。
空気が埃っぽい、ゴミもその辺に放置されているし……見てからに治安が悪そうだ。
廃れている様に見える家の中から私達を覗いている住人の顔は不快そうだ、……別に面白半分で見に来たわけでも、馬鹿にしに来た訳でも無いんだけどな。
悪気はないのだろうけど、物珍しいのかきょろきょろと辺りを窺っている白仮の頭を叩いて、もうだいぶ薄くなって消えそうな朱色の糸を追う。
私に頭を叩かれたのに、それでも辺りを窺ってしまうのは白仮の不安の表れだろうか。
まあ警戒するに越したことは無いけど、あからさますぎて善良な貧乏人を不快にさせるのはいただけないな。
「……本当にこっちで会ってる?」と白仮は不安そうに私に問う。
「白仮にはこの糸っぽい魔力の塊というか、跡みたいなのは見えないのか」
「……普通の生き物は目に見えないし、濃度が濃い状態で初めて目にする事ができると思う」
「それはスピリット系の魔物とか、石になる一歩手前のこと?」
「うん、あと目にする事は出来なくても聴覚とか嗅覚で感知できる生物もいるけど……」
「それができるのだって、スピリット系に近い生き物くらい」と彼は言った、白仮はノルマル系だからできないらしい。
そこのところは種族の壁を感じる、私がこんな事ができるのは夕闇の巫だからだろうか?
でも純粋な魔力の塊になるにつれて感情が単純化して、感覚も少なくなる(だが精霊は除く)らしいから何事も程々が良い。
誰に聞いたか忘れたけど、体は魂の器で魂は魔力の器……だけど魔力は器を溶かす事ができる、とか聞いた気がする。
だから魔力を使う時は十分な注意が必要だ、とか誰かが言ってたような。
まあ話がずれてしまったけど、今はケレンが大事だ。
魔力の先はスラム街の奥まった所にある、たぶん一軒家だ。ケレンの家かな。
入口は廃墟の間にある細い路地の先だから、よく見ないと入口だと分からなかった。
周りにある住宅は窓ガラスが割れていたり罅割れてたり崩れてたり、埃を被った過去の遺産って感じの家だったりしたがこの家は少なくとも人が住める家に見える。すっごく細長い感じで狭そうだけど、一応二階建て。
スラム街の入り口辺りは常に人の気配がしてたけど、この辺りは人の気配がない。
まあ私達の様子を窺う様に後を付けてきた人の気配はするけど、住人の気配はない。
此処に来るまでに廃墟の中に白骨とか見ちゃったけど、表道りには死体とかそれに値する様な物がなくってよかったなって思う。
白仮はだいぶビビってて……あぁコイツお坊ちゃまなんだなぁ、と私は思った。
私も現実世界の平和な日本に住む小学生だった筈なんだけど、なんか全然怖くない自分が逆に怖い程度でした。
無くしちゃった記憶とやらがハードな記憶だったらどうしよう……、思い出したくないんですけど。
「たぶん此処がケレンの家だと思うんだけど……君、大丈夫?」
「えっ、うん……この辺りって住んで平気なの?」
「平気じゃないけど、貧困層は住む場所を選べないんだよ」
「クレメニスにもこんな場所があったなんて知らなかった」と白仮は少々複雑そうに呟いていた。
ハクボにもこんな所あるのかなと一人呟く白仮を放って置いて、呼び鈴が無かったので扉を叩いた。
中から反応は無い、何度か叩いても物音ひとつ立てない。
……中から物音が無い、静かすぎるくらいだ。でも家の中から僅かに光が漏れていたから、中に居ると思いたい。
警戒しているのかもしれない、ここはスラム街だし……まさか私達が此処まで追いかけてくるなんて思っていないだろうし。
「どうする? 此処に留まるのは賢いとは言えないけど、此処で引いたらケレンとの関係は完全に切れると思うけどさ」
「んー……僕は賢くないからぜんぜん何も思いつかないよ」
「これだから馬鹿って嫌だよね」
「そうだね」
少し余裕が出てきたのか、白仮の雰囲気は少々明るい。お面の下でにやりと口元を緩めているのかもしれない。
もう少し粘ると結論付けて、私は付けてきた人達の気配を探ろうと魔力を使ってみて気が付いた。
確実に人が減っている、というか逃げてる気がする。
それに反して誰か近付いてくるから、その人から逃げてるんだろう……なんか怖い人でも居るの?
今表道りに出たら確実に鉢合わせになるし、此処は表道りから見え辛いから見付からない事を祈ろう。
その人がケレンの家に用があったら確実に意味が無いけどね。というか私達にとって怖い人か分からない訳で……うん、ポジティブに考えよう。でも用心するに越したことは無いと思うので警戒は怠らない。
白仮も誰か近付いて来るのに気が付いたのか、表道りを見ていた。
言葉にも成っていない音の羅列を口遊みながら現れた人物は、ケレンの家に用があったらしく私達の存在を認識すると僅かに驚いた様な表情を浮かべた。
黒ずんで濁った様な色の赤毛の男性は、よく見るとケレンに少し似ていた。
「あらまあ……今日はやけにゴミが多いって思ったけど、こんなところに餌がぶら下がってたら群がってくるのも当然か」
「ええっと、ケレンのお兄さん……ですか?」
「そう見えるならそうかもしれないねぇー、でもお姉さんの可能性も否定できないと思うのよ」
ニヤニヤと少々品の無い笑みを浮かべて、その人は私達を小馬鹿にした様な口調で語る。
白仮が改めて「ご兄弟ですか?」と尋ねれば、彼は「血の繋がりがあるのかどうかを問われればそうかもねー?」と発言した。
やけに曖昧だな……と思いながら見ていれば、彼は私達の前を通り過ぎて扉へと近付いた。
彼は行儀悪く扉を蹴って口を開く、手はズボンのポケットに入ったままだ。
「ケレーン、お前の大嫌いなお兄ちゃんですよー」
やっぱり男性だった、いや……見てからに男性だからお姉ちゃんだったらそれはもうオネエ系の人になっちゃうもんな。
彼はケレンに似て綺麗な髪をしている、色は濁っているけどサラサラのセミロングでオールバックだ。
服は結構良い物を着ている、コートもシャツも……靴だって上品な作りだ。それを着ている人物は、もしかしたらとても下品な人間かも知れないけど。
自称ケレンの大嫌いなお兄ちゃんの問い掛けですら、ケレンは答えなかった。
家の中から何の返答も無かったのにお兄さんは上機嫌な表情で笑いながら、ポケットから手を出すと唇に指を遣った。
人工的な濃藍色の爪先が、健康的な珊瑚色の唇を引っ掻いている。
「いやー、ねぇ……ケレンちゃんはこんなところでお友達をお外にほっぽり出してお家の中でなーにしてるのかなぁー? お忙しいのかなあ? こんなゴミ箱みたいな場所で待たせるのはかわいそうだなぁ、お兄ちゃんがお友達をお家まで送ってっても良いのかなあ?」
これは嫌われるわ、というかこの人に送って行ってもらった方が危ない気がするわ。
白仮もそう思ったのか、かなり引き気味な様子で彼を見ていた。
お兄さんはそんな私達を気にせずに、唇を触っていた指先を噛んだり歯を撫でたりしながら扉を注視していた。
しばらくすれば、戸惑いがちに扉がゆっくりと開いた。
お兄さんに視線を向けて、その後に私達の存在を視界に納めるとケレンは表情を顰めていた。
「はぁいケレン、遅かったねぇ……お兄ちゃんもう少しでドアに八つ当たりしちゃうところだったよ」
「――……爪に血が付いていますけど」
「ケレンがイライラさせるから、お兄ちゃんの唇が抉れちゃったの」
そう笑って言うと彼は血が滲んだ唇を舐めて拭ったが、すぐに唇は赤く染まってしまう。その事に苛立ったのか、それとも舌先が触れて沁みたのか彼は小さく舌打ちを打っていた。
私は僅かな間しかケレンのお兄さんを見ていないが、彼には暴力的な一面がありそうだなぁと思った。
というかこれってモラルハラスメントってやつじゃないのか。
「いつもはすぐに出て来てくれるのに、お友達と喧嘩でもしちゃったのかなぁ? イイコなケレンちゃんでもケンカしちゃうんだねえ?」
「喧嘩なんかじゃありません……」
「へーえ、ケンカじゃないんだあ? お兄ちゃんと一緒でイライラを我慢できなかったのかなって思っちゃったよ」
小馬鹿な物言いにケレンはムッと表情を顰めたが何も言わなかった。
そんなケレンにお兄さんが「あげて」と言えば、彼女は渋々と家の中へと彼を入れた。
その様子に慌てて何か喋ろうと口を開けば、ケレンは私達の方へと視線を向けた。
「中にどうぞ……外は安全とは言えませんから」
「えっと……ごめん、ありがとう」
白仮も私と同じ様に謝罪の言葉を述べて、共にケレン宅へと足を踏み入れる。
中は外観と同じく狭く、埃などは無いが家具は極端に少ない。椅子が二脚と大きなダイニングテーブル、そして小さめなチェストとその上にキャンドルランタンが乗っていた。天井にはちゃんと(古惚けてはいるが)照明器具が付いているので非常用の灯りだろうか。
奥には板が抜けてしまいそうな古い階段があり二階へと繋がっている。
階段の奥にも扉が見えるが、閉まっている為その向こうを知る事は出来ない。
お兄さんは二脚の椅子を見てニヤニヤと笑みを浮かべると、テーブルへと直接腰を掛けた。
「イスが足りないねえ」
「当たり前です、貴方が壊してしまったのですから」
「そんな過去は忘れちゃったよ、思い出したくもない……イライラしちゃう」
ニタッと口を三日月形に歪めるお兄さんを見て、ケレンは小さく「ごめんなさい」と謝罪をしていた。
ケレンを見る限りではお兄さんを恐れている様子はない、あまり好いてなさそうだが嫌いではなさそうだ。激情型だと思われるが、会話を聞いている限りでは暴力の対象は物か自分自身に向けられている様子。
二脚あった椅子をケレンは私達に勧めると、階段の陰から足場台を持ってきた。彼女はそれに座る様だ。
まあ白仮は口には出さなかったものの、ケレンが足場台を持って来た時に理解できなかったのかきょとんとした様子だったが、彼女が腰掛けてようやく理解出来た様で納得したのか声を小さく漏らしていたのは私だけの秘密にしておいてあげよう。
今それを指摘したらお坊ちゃまだと顰蹙を買ってしまいそうだ、天然かもしれない事は否定しないでおく。
お面で顔が隠れている分だけ分かり辛いけど、こいつたぶん感情が全部顔に出ちゃってるよ。逆にお面で隠してるから全部出ちゃってんの? ニヤニヤしてても声さえ出さなければバレないしな……。
「それで? ケレンのお友達はこんなところまで来ちゃってどうしたのかなぁ、こんなゴミ溜めなんかに何の用なのかなあ?」
「えっと……、不躾な言動を取ってしまった事の謝罪とこれからは気を付けるので今まで通りの関係を続行させていただく許可、と……欲を言えば新たに友好的関係を築いていきたいと思っている事を弁明しに参りました」
「なんでそんなにかしこまってるのー? 俺等は君達と違ってゴミ溜めのゴミクズだーよー?」
「身分とか関係なく目上の人を相手にする時は礼節を軽んじたらダメだって教えられた……ました、です」
ピシッと背筋を伸ばして、はきはきと物申したところまでは良かったけど最後間違えちゃったのはマイナスポイントだね。そういうのが愛嬌なのかもしれないけど。
同じ事を云うのもアレだったので、私は「私も彼と同じ意見です」と右に倣えで同意をしておいた。
もちろん目上の人への礼儀とかも含めてだよ、実行は出来ていない事の方が多いけどな。
私達の発言にケレンとそのお兄さんは同じタイミングで、同じ様な感じで眉を顰めた。
それを見て、やっぱり兄妹だなぁ……と私はぼんやり思った。
ふと……めっちゃ失礼な事だが、白仮の言い方は複雑かつややこしいので教養の無い人物が理解できるのかどうかを疑問に思った。
以前イクシィールと読み聞かせを行った時に聞いた話では、貧困層の識字率は高くないらしいから教養はかなり低いと思われる。
つまるところ教養の低い人達が多いスラム街では口頭言語は簡略化されているかもしれないから……もし白仮の発言を正確に捉える事ができていたらお兄さんは賢いのか、もしくは教養のある人物だと思っても良いのかもしれない。
簡単に言えば不躾とか礼節とか、そんなの口頭で使う人物がスラム街に居るとは思えないんですけどーって事だ。
まあでも、めっちゃ暗いお仕事の上の方の人なら分かるかもしれないけどね。
というかめっちゃ良い服着てるのにスラム街の住人だと言う時点でお兄さんがヤクザとかマフィアとかそういう人じゃないと否定できないのが怖いところだよね。それは考えない様にしておこう、知らない方が幸せな事だって世の中にはあるよね。
そんな事を考えていれば、お兄さんはめっちゃイライラしていたのかガリガリと親指の爪を噛んでいた。
「理性でそうだと理解しても、本能で理解できるかどうかは別問題で……、階層制によって構成された世界観の中では所詮ゴミはゴミな訳で友情だとか愛情だとか親愛だとか友愛だとか喚いてみても結局のところゴミは下の階層に居る事に変わりなく、常に上から物見遊山……満足したか?」
「嫌われたくねぇんだったら同じ階層のお嬢さんと同情ごっこでもしてろよ」とお兄さんは吐き捨てた、どうも私達の事が癪に障ったらしい。
お兄さんの物言いに不快そうな表情をしたものの、根本的な事は変わりない様でケレンは他に反応を示すことは無かった。
うーん……取り付く島があるのだろうか?
私のコミュニケーション能力ってば最悪だからな……、分からん。
ケレンのお兄さんの殺気立った様子に、肩の上に止まったままだったユーヴェリウスがそわそわしていた。
「――……ん、えー上の階層に居る事の何が悪いの?」
白仮がぽつりと吐き出した言葉に「ちょっ……」とか声を漏らしてしまったのは仕方ない事だと思う。
すごいよ白仮、お前この空気の中でその発言が出来るってすごいよ。
大物なのか天然なのかよく分からないけど、私には絶対できない行動だよ。
殺気立ってたお兄さんもピクリと反応していた、悪い方向で。ケレンはそんなお兄さんの様子を恐る恐る窺っていた。
でもお兄さんは別に怒り狂う訳でも無く、黙って白仮を見ていたので話を聞く気はあるらしい。
……視線で人を殺せそうだ、それだけ機嫌が悪い様です。
「えっと……だって、常に平等な事ってないと思うし……同じ階層内でも序列は生まれる。でもそれだけじゃ判断できないこともあると思う……たとえば僕の頭よりケレンさんの頭の方が良いとか、体育の授業で一度もケレンさんより良い成績を出したことがないとか」
「それに僕は学校内の階層制で言えば下の方の階です」と白仮は言うと、黙り込んだ。
なんか白仮が纏う空気が重いから、内心失言しちゃったのかもしれない、とか考えているのかもしれない。
「僕も同じ様な立ち位置に居るのに、ユヴェリア王子と比べると残念な感じ……あのキラキラしたオーラは本当に上に立つ人って感じで僕はやっぱり下の方の人です、能力的な話だけど……」
「……たしかに白仮くんは、ユヴェリア王子様と比べたらかわいそうな感じになってしまいますよね……」
白仮の発言に対して反応を示したのは、意外な事にケレンだった。
ユヴェリア王子を見た事がないからなんて言ったら良いのか分からないけど、たぶん正に王子って感じの人なのかな。
というか白仮は王族だったのか、お坊ちゃまどころの話じゃなかったのか。
「だから僕はクラス内階級で上に居るケレンさんと仲良くなったら、もう少し学校生活が快適になると思ったんです」
「普通の父兄だったらそれを聞いたら利用するんじゃない! って怒ったかもよ、君って本当に馬鹿なのねえ」
「本当に、困っちゃうくらい……です」
白仮の言動に怒気が殺がれてしまったのか、お兄さんは呆れた様な表情で狐面を見詰めていた。
怒りを抑える事は出来たらしい、良かったです。私今回も何もしてないけど。
お兄さんに「それで君はなんで?」と聞かれたので、コミュニケーション能力が皆無な私にも優しくしてくれたので仲良くなりたかったんです、と言っておいた。ついでに貴族ではない事と、学校に行ってない事と良い服を着ているのは着せられているからだと答えた。
その話を聞いてお兄さんに「君、どっかの家のペットかなんか?」と聞かれたので、まあ否定はできないかもしれないと答えておいた。
その事に付いてケレンと白仮に追求されることは無かった、気を使ってくれたのかもしれない。
まあ階層制の話になったらたぶんこの中で一番下になっちゃうのは私だよね、ペットに似た様なものって答えた訳だし。
本当は居候だけどね、愛玩されてないけどね。嘘も方便。
「ま、お兄ちゃんには関係ないねえ、好きにすればぁー」
お兄さんの許可が出た、まあ……肝心のケレンの気持ちはよく分かってないけどね。
ケレンを見れば困った様な表情を浮かべていたが、苦笑いに近しい感じだったのでそこそこ嫌ではないらしい。
後お兄さんは賢い人だった、やっぱりケレンのお兄さんなだけはあるよね。それと貴族とか成金とかが嫌いなタイプなんだろうな。
許可が出たからか白仮は正式にケレンに謝っていた、ちょっと形式化されたパフォーマンス用っぽい謝罪方法だったのは気にしないでおくよ。
貴い身分である事を鼻に掛ける様な態度じゃなかった事が良いのか、それとも自分の立場を理解した上でそれ相応の振る舞いを止める事無く、だからと言って見下す訳では無くそのままの状態で受け入れた事が良かったのか。
その辺の成金とは器が違ったって事なのか、王家に関係ある人物ならそりゃあ……そういう教育を受けていそうです。
偉いのに庶民派ってなんか良いよね、白仮の場合庶民派というよりは恍けてる感じがするけど。
そんなこんなで私も謝罪してケレンと仲直りした、いや……私は正確に言えば喧嘩していなかった様な。
「でも……私がスラム街の住人だという事は誰にも言わないでください、此処まで来てしまったから……仕方なくですよ、友人とは遠いものだと理解してください」
「僕にメリットが無いから言わないよ、あと隠してる訳じゃないけど僕も偉い身分なのは公言してないからよろしく」
「学童院に入っている時点で公言しているのと同義ですよ……」
「そう言えば、偉そうな人いっぱい居たかも」
「偉そうでは無く、偉いのだと思います」と訂正を入れるケレンを見ていると、この二人はなかなか相性が良いんじゃないかと思う。
そんなケレンを見たお兄さんはニタニタと笑っていて、ケレンと同じく整った顔が台無しになっていた。
そういえばよく見ると(よく見なくても)お兄さん色気全開だな、胸元ガッツリ開いてるし色合いもなんかセクシー。
ケレンとは真逆なタイプだ、造形は似てるけど中身はまったく似てない。そんなお兄さんの様子を見ていると視線が合って、ニヤッと笑われた。別に見惚れてた訳じゃなくて分析していただけなのでそんな笑いは止めていただきたいのだが。
まあ見惚れるほどの価値がある顔立ちをしているかもしれないけど、誤解だ。
「ケレーン、暗くなってから帰すのは危ないからお家にお帰りしてもらった方が良いかもよぉー?」
お兄さんはそう言うとにっこりと綺麗に微笑む、そんな笑顔を見てケレンは訝しそうな目付きになっていた。
だが反論する余地は無かったのか「そうですね」と肯いた。
お兄さんは用事があって街に行くから、ケレンと一緒に送って行ってくれるらしい。
なんか、すごく……嫌な予感がするんだけど。
――あやめとアヤメの交換日記、五十七頁




