妖精のススメ
――目に眩しいほどの青い空、もこもことした服装はかなり暑かった。
汗を思いっきり拭いたいと思うが、マスクを外す事は出来ない。この顔を見られてはいけないと、山吹に言われたから。
帰ったら風呂だなとか、汗疹とかできるかもしれんとか考えながら私は分厚い紙を枠から引き抜く。
「そうしてグラージェは海の底へと帰って行ったのでしたー、おしまい!」
ぱちぱちぱち、と手を叩く音と小さな子供特有の甲高い声が聞こえる。
耳に痛いと思いながら、私は隣に仁王立ちしている小さい子供の様な教師へと目を向ける。
……イクシィール、あなたが教師だったなんて意外だ。
私は絵の描かれた分厚い紙を纏めている、……所詮紙芝居である。
私は現在公園に居た、外出禁止だと山吹には言われたがディーテに外出したいと言ったら簡単に出してもらえたのだ。
ふらふら当てもなく歩いていたところをイクシィールとばったり出会い、公園へと連行されたと思ったら……読み聞かせのお手伝いでした。
なんでこんな事をしているのか? とイクシィールに問うたところ学の無い子供は文字が読めないから、読んで上げているのだとか。
ずいぶんとボランティア精神旺盛だねと言えば……、まあこれでも教師だからね! と驚きの答えが返ってきたわけだ。
「ねえ、いくしーるどうしてぐらーじぇはうみのそこにかえっちゃったの?」
「さあねーなんでだろうねー、なんでだと思うー? 私は美味しいティネフィニアを飲むためだったらすぐに家に帰るよ!」
「ゆうごはんのまえにかえらないとごはんなしだもんね!」
「ティネフィニア?」と私がイクシィールに聞けば、とってもいい笑顔で「花のお酒」と答えた。
飲酒もしているのか、普通に大人だね……。見た目詐欺しているんですね。
考えたくない可能性だが、魔法でその姿になってる訳ではないよね?
そんな若作りはしてないよね?
というか花のお酒かぁ、そんなものがあるのか。
「というかイクシィール先生、今日は平日じゃないの? 授業は無いのでしょうか」
山吹だって学校に行ったんだから、イクシィールだって学校に行かなきゃいけない筈だ。
そう聞けばイクシィールは私の問い掛けに答える事なく、視線を合わせる事なくチビッ子とグラージェの行動について話をしていた。
学校行けよ、教師が登校拒否してどうすんだよ。
文字の読めない子供達の為に読み聞かせなんて大変素晴らしい心掛けかもしれませんけど、休日にやれよ。
そう思って私が舌打ちを打てば、イクシィールはぐすぐすと鼻を鳴らして泣き出した。
「だってだって、ジェジア先生が苛めるんだもん……」
「私はジェジア先生知らないけど、たぶん十中八九イクシィール先生が悪いんじゃない」
「そんなことよりも先生なんて呼ばないで欲しいな、もっと友達っぽい感じでイクシィールとかが良いなー!」
泣き真似だった様で、ケロリと普段の表情に戻るとイクシィールは無理矢理と話を変えた。
あーなんか暑くていらいらする、一応杖はワンドホルダーとやらに入れて背中に背負ってるから魔力的なアレは大丈夫だけど。
気が付いたら子供たちは解散しており、イクシィールは紙芝居を片付けていた。
「ねえねえ編入生じゃない叶山さん、この近くに美味しい宝石を売ってるお店があるんだよ」
「私は宝石食べませんよ、そんな事より学校に戻った方が良いんじゃないですかね?」
「そうなんだけどねー……、でももうちょっと遅くに行かないとージェジア先生の代わりさせられちゃうからなー」
「学校は好きだけど仕事だるー……」と眠そうな顔で呟いた。
好きな事だけにしかやる気が出ない人か、何で教師出来てるんだろうね。
そう言えば……現実世界にもやる気がない教師が居たなぁ。
「編入生じゃない叶山さん、喉乾いてるんじゃない? 暑いんじゃない? なんか飲んだ方が良いよー」
「まぁ、こんなもこもこしてるし……しかも帽子まで」
「もこもこーもふもふー、角も生えてるからヒツジみたいでステキ! 美味しそう!」
「赤ワインで煮込もう」と笑顔で言ってくれたけど、なんて反応していいのか……ちょっと反応に困る。
まあでも、ラム肉良いよね……というか柔らかい物も食べるのか。
そんなことをぼんやり考えていたらイクシィールがグレープジュースを買ってきてくれた、……ワインではないよね?
高いテンションを維持したままイクシィールは私をベンチに座らせて、彼もその隣に座った。
イクシィールも厚着だが、彼は汗を一切掻いていない。涼しげな顔をしている。
本当に冷たそうなので、イクシィールの複雑に色の入った水晶の耳へとついつい手を伸ばしていた。
触った感じはひんやりしており、つるつるしていた。
イクシィールはにこにこしているだけで拒絶はしない……耳に触れられたら普通は嫌じゃない?
ついでにぷにぷにしてそうだから頬を突いてやったが、これも拒絶しない。
寛容的過ぎるだろーマジでー、私だったら角に触れられたら嫌だなって思う、頬もだけど。
拒絶されなかったことに違和感というか、何とも言えない気分を抱いているとイクシィールは私の顔を窺って笑っていた。
「編入生じゃない叶山さんは寂しいのかな?」
「そんなことないですけど」
「そっか、じゃあせっかくだし編入生じゃない叶山さんも学校に行こう! 一緒に魔法勉強しよう!」
「それは困る」とイクシィールに言ったが、彼は良い笑顔を浮かべながら私の手を引っぱって立たせると元気よく歩き出した。
がっちり掴まれてて逃げられそうにないが本当に困る、山吹に怒られてしまうだろうし。
山吹の機嫌を損ねたら屋敷から追い出されてしまうのでは、とかなり不安に思っているとイクシィールは振り向いて元気な笑顔を見せてくれた。
「へーきへーき、分かってくれるよ! でも、何かあったら私がちゃんと責任取るよ!」
「……イクシィールが?」
「もっと楽しいのが良い、悲しいのは嫌いだもの、辛いのも嫌い。楽しいことは気持ち良いことだもの、幸せはみんなで味わうものだもの」
つまるところ、イクシィールは快楽主義なのか。
みんな幸せで楽しくできれば良い……か、とっても平和的で可愛らしい快楽主義だね。
みんなそうなら、とっても幸せなのにね。でもみんなそうだと社会は成り立たないからね、仕方がないね。
「だから魔法勉強しよー! どうせ編入生さんの体に入ってるんだから学費なんて気にする必要ないしね!」
「でも、お世話になってる人に怒られるから」
「そんな時は家出しちゃえばいいんだよ、私の家に来たら色々あるから楽しいよ!」
「でも……これは私の体じゃないし」
「うーんとねぇ、まあなんとかなるー!」
「学校いこー」と楽しげな声を上げて、イクシィールは私の背中をぐいぐい押して歩かせる。
これは……大人しくするしかなさそうだ、たぶんイクシィールは妖精だから機嫌を損ねたら面倒臭いことになると思うし。
意外と残酷な事したりするらしいからね、妖精は怒らせると怖いね。
イクシィールは最初は楽しそうだったんだけど、校舎に近づくにつれて口数が少なくなり緊張したような面持ちに変わっていた。
裏口から学園の敷地内に侵入したイクシィールは、周囲を慌ただしく確認していた。
「編入生じゃない叶山さん、静かにね……ジェジア先生にばれないようにね! まずはグアリエ先生に事情を話してからジェジア先生の神経を逆なでしないようにグアリエ先生から事情を話してもらうってプランで行こうと思う! だって……ほら、ジェジア先生って聖職者だからグアリエ先生には少し遠慮というか、気を使ってるから……私みたいなちゃらんぽらんには厳しいからさ!」
「……イクシィール先生もう遅いんじゃないかな」
私はアレがジェジア先生なのか分かんないけども、校舎を眺めてたら全体的に金色っぽい人と目が合った。
三階の窓辺にその人は居た、その人も小さい先生でした。
遠目だったから正確には分からなかったけど、イクシィールの方を見て微かに不快そうな表情をした様な気がしたんだよね……うん。
やっぱり私帰っちゃダメかな、というか私ここに居る意味無いよね。帰っていい?
というかすっごいなんか、嫌な予感がするから帰りたいんですけど。
「何時如何なる時も、私は聖女の冥加を信じてる!」
「――へぇ……信心深いんですねぇ、イクシィール先生は。それでは信者は何を美徳とし、どう行動することが正しいとされているのか……知ってます?」
「ええっと……き、清く正しく美しく……」
「相手を敬い、何時如何なる時も中立の立場を取り、自身を律することだよばーか」
「ジェジア先生だってできてないじゃーん! 私のことを敬ってくれてもいいじゃあん!」
「敬って欲しいなら、敬われるだけの行動と態度を見せるべきではないでしょうか? 貴方のどこを敬えと言うのですか? 反面教師としてなら、まあ……なんとかなりますかねぇ?」
「酷い!」とイクシィールは泣き真似をしながら、私に抱き着いて来た。
……これじゃあ私を盾にしてるだけですよね、何かあったらどうにかしてくれるのではなかったのですか。
ジェジアは私の事を不審な物を見るような目で見てきた、たぶん……私が編入生の方の叶山彩萌では無いと気が付いたのだろう。
そう言えばこれ、何処まで見られてるの?
内心まで見られてたら恥ずかしくて死ねるんですけど、どうしよう……恥ずかしくなってきた。
「……なるほど、不思議なこともある物ですね」
「ジェジア先生、編入生じゃない叶山さんを飼っても良いですか」
「グアリエ先生がそんな発言を聞いたら卒倒しますよ、冗談が通じない人なんですから」
その問題については「好きにしなさい」とジェジアは一言呟いただけで、イクシィールへのお説教を始めていた。
何ともあっさりしていて、ちょっと身構えていた身としては拍子抜けというか……なんというか。
イクシィールへのお説教をしてから、何かを思い出した様な表情でジェジアはこちらへと視線を向けた。
「あぁ……そういえば、教師の中でも魔術や魔法が扱えない人は大勢居ますから、正体は一応隠して置いた方が良いと思いますよ」
「……どうしてそんなにあっさり受け入れられるんですか? 中身が変わってしまったんですよ?」
「え、中身が変わってしまっただけですよね?」
私が不思議そうに聞けば、逆に不思議そうに問い掛けられてしまった。
え? スピリット系の魔物にとって中身が変わるって別に大したことじゃないの?
いや、でも不思議なこともある物ですねって言ったわけだし……そうよくあることじゃないよね?
私が混乱していれば、何故かジェジアは納得したような声を上げていた。
「巫については精霊や理世界について勉強する時に少々調べる機会がありますし、それにイクシィール先生に付き纏われてたら何も出来ないでしょう」
「イクシィール先生の事を信用なさっているんですね」
「もう何十年も同じ職場にいますからね……嫌でも性格を把握してしまいますよ、うんざりしますね」
「ジェジア先生は私の教育係だもんね!」
「貴方……それで恥ずかしくないんですか?」
「恥ずかしいなんて感情は生まれた時から持ってないもん」
何を言っても無駄だと判断したのか、一つ溜息を吐くと「もうチャイムが鳴りますから」と言って早々に立ち去って行った。
……それにしても、イクシィールやジェジアに私はどんな風に認識されてるんだ?
巫だってわかったからって、中身が変わってしまったわけで……元の叶山彩萌をもっと心配しても良いんじゃないのか?
ぐるぐる色々と考え込んでいたが、イクシィールに顔を覗きこまれていたことにすぐに気が付いた。
「どうしたの?」
「いや、……編入生のことは心配じゃないのかなと思いまして?」
「編入生さんなら大丈夫な様な気がする、あとジェジア先生は叶山さんが行方不明なのは知らないから言っちゃダメだよ?」
「……あぁ、叶山彩萌が病院とかそういうところに居るって思ってたからあんな反応なんですね」
……ん? あれ、なんでイクシィールは編入生の方の叶山彩萌が行方不明なのを知っているんだ?
イクシィールの方を見ればにこにこ笑顔を浮かべているだけで、何も言おうとしなかった。
つまり、黙秘するということですね……。
じゃあ学校行こうかー、とイクシィールは何事もなかったかのように言うと私を連れて歩き出した。
「こんなこと言うとうぬぼれーって思われちゃうかもしれないけど、私の方が天才なのだよ!」
「秀才のジェジア先生マジカッコいいです、と言っておきますね」
「顔だけならカルヴィン先生がカッコいいのです、ジェジア先生は可愛い顔をしているのです、だよ!」
「可愛い顔……それはイクシィールもですよね」
「ありがとう!」
お説教されたことなんて忘れて、イクシィールは非常にご機嫌に校舎の中へと入って行ったのでした。
校舎の中に入るのを少し躊躇していれば、チャイムが鳴り響いた。とても綺麗な音色だ。
ゆっくりと校舎へと入れば、急いで教室へと向かう生徒たちが見える。
マスクで顔を隠している私を見て一瞬だけ吃驚した様な表情をする生徒が居たけど、隣に居たイクシィールを見て生徒たちは何故か納得して通り過ぎて行く。
イクシィール先生なら何でもありなのか、そうなのか。
そんなことを考えながらイクシィール先生について行けば、少し他とは扉の雰囲気が違う部屋の前にたどり着いた。
イクシィール曰く、自室らしい。ちらりと部屋名を確認すれば、うっすらだけど図工室って書いてあった。
大分改造されちゃったんだなぁ……と私はその室内を確認して思ったのです。
壁に格納するタイプのベッドとかあるんですけど、何このくつろぎ空間。
イクシィールが誇らしげな顔をしていたけど、教室を改造するなんて誇れる事じゃないから、教室の私物化なんて誇れる事じゃないから。
此処に居て良いよって言われたので、此処に居る事にするけどさぁ……。
――あやめとアヤメの交換日記、四十七頁




