夜の精霊と夕闇の巫の話
目を覚ましたら朝だった、部屋の雰囲気からしてまだ私は幻想世界にいるみたい。
なんてこったい、夢じゃなかった。
まず状況を整理していこう、私は叶山彩萌である。間違いない。
そしてなぜか同姓同名の人じゃないよく分からない生き物の体の中にいるらしい……――じゃあ私の本来の体はどうしたのさ。
私の本来の体も気になるが、その同姓同名の奴の自我というか意識というか、魂は何処へ?
まさか私が体に入った所為で消滅したとか、死んだとか、そんなことになってたら地味に凹むわけですけどもどうすれば良いのか。
うーん……、と唸りながら考えてたら、なんか真っ黒いやつが部屋にいた。
どんなお手入れしてるの? と聞きたくなるくらいムカつくほど綺麗なさらさらした黒い長髪と、赤い双眼と服装の所為でマジで幻想だなお前と言いたくなるような男が居た。なんだか、見覚えがあるような気がしてくる。
というか、なんというか、ええっと……彼を見ていると地味に居心地が悪くなる。
なんだろう……すごい、居心地が悪い。
こう、張り詰められる居心地の悪さじゃなくて、もぞもぞしてむず痒い感じの居心地悪さ。
喧嘩しちゃってあんまり仲良くない友達と隣の席になっちゃった時に似てる、もしくは二人組を作れって言われて運悪くその子しか残ってなかった時の感じ?
そんで余っちゃった子とかが入って三人組になれば救われるんですけど、ならなかった時のアレだ。
ギクシャクした空気って感じだ、その黒いのはなんか本に意識落としてるけど。
なんか視線を逸らしたら負けな気がして、私はずっとその黒い頭を見ていました。
そうしたらそいつはなんか、呆れたような感じで溜息を吐いたんですよ。ムカつくんですけども。
「……お前にそんな、熱い視線を向けられても嬉しくねぇな」
「はぁ、……そうですか。ええっと……私達どこかで会ったことありましたっけ?」
「記憶が無い? それとも、俺を口説いてるのか? それにしてはお前らしくないずいぶん使い古された表現だな」
「お生憎様ですけど、ロン毛は好みじゃないですねぇ」
「俺だって好きでロン毛にしてる訳じゃない、見分けがつかなくなるからロン毛のままで居るだけだ」
痺れを切らして「それでアンタ誰?」と私がそう聞けば、そいつは小さい声で「精霊の方のリーディア・マクレンシア・ドルガー」と答えた。
精霊じゃないほうのリーディアが居るのか、この世界同姓同名多くね?
まあ世界規模で見たら同姓同名が多くなっても仕方ないか、だって世界規模だしな。
たまたまこの地域に同姓同名が集まっちゃっただけだよね、そうだよね。
昨日の取り乱した私が嘘の様に、今は落ち着いている。
幻想世界? だからどうした! ってな具合だ、……自分はどうしちゃったんだろうか。
「リーディアなんて知り合い、私にはいません」
「ずいぶんな言い様だな、ずっと二人っきりの世界で暗い中、楽しんでただろ?」
やらしい言い方でリーディアはそう言って、椅子を引いて私が寝てたソファーの近くまで来た。
からかう様なニヤニヤした笑い方がムカつく、不快さに眉間に力が籠るのが分かる。
嫌そうな顔をすれば、さらにリーディアは人を小馬鹿にした様な笑みを浮かべている。
超ムカつく、性格悪い。キショイ。
「とりあえずリーディア、お前が変態なのは分かったけど、そんな記憶はございません」
「そうか、それは残念。だったら今から作るか」
「お前ロリコンだったのかよ、きめぇ」
「ロリコンではないけど将来の為だと考えれば余裕、俺の人生はバカみたいに長いからな」
というかこれ私の体じゃねぇから、そんなことしたらあの白いチビに殺されるね。
軽口叩くにしても、その発言はギリギリどころかヤバいような気がするんだけど、何となくだけど。
実行はしなくてもその発言自体がヤバいことは私でも分かる、白いチビ以外も敵に回す気がする。
まあここには私とコイツしか居ないみたいだけど。
ソファーに近づいて来たものの、距離の取り方は分かっているのかそれ以上近づいてくることは無く、リーディアは足を組んで木製の椅子に体を投げ出していた。なんだか少し、楽しそうな表情なのがさらにムカつく。
「記憶が無くてもお前はお前だな、まあ……猫被ってない今の方が昔よりも良いけどな」
「猫なんて被ったことねーよ、気色悪い」
「それは昔の体験を経て、無意識の内にそうしてるだけだろ。記憶にないだけでさ」
なんだか自分の中を見透かされている様で気分が悪い、吐き気がしてくる。
沈黙を貫くことは多々あるが、猫を被ったことはない。
それは昔の経験から無意識の内に最善を選んでやってるって? 冗談じゃない、冗談じゃない。
私は私だし、これ以上昔なんてないし、これ以上の何かになりたい訳じゃない。
むしろ、何にもなりたくない。叶山彩萌でありたい、普通の人間でありたい。
「それじゃあ、お前が今の叶山彩萌として始まった時点で一番古い記憶ってどんなの?」
「何が言いたいの? もっと現実主義の私でも分かる言語で話してくれない?」
「無理矢理にお前は現実世界に戻ったんだし、普通に生まれた訳じゃねーだろ? お前が思い出せる中で一番古い記憶は何歳だって聞いてんだよ」
そんなの……、とそいつに言おうとして、私は口を開いたまま止まった。
思い出せるのは、途中まで。小学四年の終わり頃、そこから始まっている様な気がする。
そんな訳が無い、と思いだそうと頭を抱えても、それ以上出てくる気配がない。
そんなことを突然言われたから思い出せないだけだ、精神的に不安定だからだ、と言い聞かせても不安に胸がドクドクと嫌な音を立てている。
体が熱い、不安や焦燥が熱い。吐きそうだ。
「別に追いつめたい訳じゃねーし、お前から居場所を奪いたい訳じゃないけど……昔の感覚が無いと、巫にはなれねぇよ」
「……なりたくないし、なる必要ない」
「なってみたら意外と楽しいかもしれねーよ? 俺は精霊になって良かったって思うし、チビは意外と可愛いし」
「チビって誰よ、あの白いの?」
「ムールレーニャを可愛いって言える猛者はその体の本来の持ち主だけだぞ、俺が可愛いって言ってるのはその体の本来の持ち主のこと」
「やっぱり、ロリコンじゃない」と私が言えば、リーディアは笑うだけだった。
そのチビこと、私と同姓同名のこの体の持ち主についてリーディアは語った、私は何も言えなかったけど。
懐かれるとやっぱり可愛いと思えるらしい、そのチビちゃんの好きな人とリーディアは顔が同じだからそれで遊ぶのがマイブームらしい。
最初は戸惑うだけだけど最後はめっちゃキレるらしい、それが可愛いらしい。
よく嫌われないなこの変態、って思ったけど何も言わないであげた。私超優しい。
なんかよく分からないけどリーディアが笑うから、私は少し落ち着いていた。
なんだか居心地は良くないけど、これの側に居ると安定すると気付いて私は今すごく不快な気分だ。
過去とか認めたくないけど、こいつとは腐れ縁があるという事だけは認めよう……不快だけどさ。
小さく溜息を吐けば、リーディアは「幸せが逃げるぜ」って笑うのでかなりムカついた。
前言撤回したいところだけど、今はそれをしている場合ではない。
覚悟を決めろと時間に急かされている訳で、このままウジウジしていたらいけない訳だ。
過去を認めて、それを取り戻すような行動を起こさないといけないんだ。
幻想世界では魔法とか、異端なことが普通だけど現実世界ではそうではない。
巫になるという事は、つまり異常者になるってこと。
それは非常に恐ろしい、あの冷ややかな目に晒される瞬間を想像しただけでもゾッとする。
「俺は縁と夜の精霊じゃないけどさ……やっぱり分かり合うことって大切だと思うよ、お前も巫の皆さんと仲良くしてみれば?」
「首絞めたり、騙したりする様な奴らと仲良くするなんてごめんだね」
「言葉が足りねーんだよ……、俺とお前は似てるから、どうせ分かり合うことを最初から放棄してんだろ」
「違うよ、決定的な違いがある、リーディアは一度諦めてもまた立ち上がる粘り強さがあるけど、私にはないよ、無理だよ、怖いじゃん。死にたくない、痛いのは嫌なの。仲間外れにされたくないけど、自分を捨てるのも嫌なの、分かり合いたくない」
「普通な人の叶山彩萌を捨てたくないから、分かり合いたくない?」
肯けば、リーディアは黙り込んだ。俯いているから、今の私からでは彼の顔は見えない。
ぎしっ……と椅子の軋む音が聞こえて、顔は上げずにリーディアの方へと視線を向ければ椅子から立ち上がった姿が見えた。
リーディアは馴れ馴れしく私のパーソナルスペースにずかずかと入りこむと、ソファーに座りこむ。
人の許可なく勝手に近づくなよ、馴れ馴れしい。
ソファーに凭れて足を組んだリーディアは、勝手に私の髪の毛を触る。
それが不快で不快で……その手を払えば笑われたような気がしてさらに不快な気分になった。
そうすると思ったぜ、的な雰囲気止めろ、キモチワルイ。
「しょうがねーなぁ外行くかー」
「いってらっしゃい、一人の方が良く考えられるから助かるね」
「何言ってんだよ、お前も一緒に決まってるだろ。デートだぞ、デート」
「喜べよ」とか言うこの男はやっぱり異常だな、とか思いながら不快そうな表情を見せればにやにや笑われた。
「というか唐突に何言ってるの?」って聞けば「憂さ晴らしだ」と答えられた。
気がつけば、何処から取り出したか分からないモコモコした帽子を被せられていた。
「よくよく考えてみれば……お前幻想世界を実際の目で見たこと無いよな、ずっとあの暗い世界に居たからさ」
「止めてよ、幻想なんて分かりたくないから」
「分かれなんて言ってねーだろ、遊びに行くぞって言ってんだよ」
「もっと嫌なんですけど」と渋い顔をして見せれば「大丈夫だって」と笑顔で言われた。
大丈夫じゃない、私は嫌なんだ。不快なんだよ。
いつの間にか暖かい格好をさせられていた、手際の良いことで。
体の中身が入れ替わっていると知られたら面倒な奴が居るから、とリーディアは私にマスクをさせた。
これじゃあ風邪をひいてるみたいじゃん、というか行く気はありませんけど?
足に力を入れたりして抵抗をしてみたが、やはり無駄な抵抗でした。
体格差、年齢差、性差の所為で私はずるずるとリーディアに引きずられて部屋を出ることになった。
この野郎……調子に乗りやがって、大声で助けを呼んだら困るのは私なんだぞ!
それが分かっててやってるだろ! そうなんだろ、性悪野郎!
リーディアを見上げたら、ニヤーッと笑われた。やっぱりムカつく野郎だな!
「あぁ……それとな、外では俺のことはリーディアって呼ぶなよ」
「分かったよ、クソ野郎」
「クソ野郎はねぇだろ、口がわりーなぁ……やっぱり猫被ってた前世の方が可愛かった」
「ロン毛」と言ったらリーディアは「まあそれでもいいけど」と呆れたような声で呟いた。
繋がれた手が不快で不快で、振り払おうと必死で引っ張ったり振ったりしてみたけど小さい体では無理だった。
そんな無駄な足掻きを見てさらにリーディアがニヤニヤ笑うもんだから、私の気分は最高に最悪で不快だ。
「その顔って最高に気色悪くて気持ち悪い、一種の天才なんじゃないのっ……!?」
「素直じゃないな」とリーディアは言うけど、私は素直にそう思っているんだよ。
誰の家か知らないけど、大きなお屋敷の様な家から出れば素敵な街並みが広がっている。隣がコイツじゃなかったら最高です。
ちょっと曇ってるけど、曇は嫌いじゃないわ。隣がコイツじゃなかったらもっと良いんですけど。
出来るだけ離れたくて、トロトロ歩いていればリーディアに腕を引っぱられて転びそうになった、最悪です。
「無駄な抵抗は止めろって、往生際が悪い」
「お前が手を離してくれたら、隣を歩いても良いよ」
リーディアはしばらくしたら手を離してくれた。
ははっ、よく分からんがなんか気分が良いぞ。勝ったような気がする。外出してる時点で私の方が負けてる気がするけど。
気分が良くなった私は、ここどこ? とか 人は少ないけど落ちてるゴミ多くね、なんか祭りでもあったの? とか色々尋ねてみた。
いつ戻れるかも分からないし、取り戻すにしたって今自分が置かれている情報を把握していなければいけないと思うし。
とりあえずここがクレメニスっていう国で、降誕祭っていう聖女様を祝う祭りがあったのは分かった。
私の誕生日と同じ日なんだな、とぼんやり考えてたらまたリーディアに手を掴まれて、嫌だなって思った。
立ち止まりそうになった自分が悪いのかもしれないけどね。
でも「誕生日おめでとう」って言われたから、少しだけ許そうかなとか思った自分が嫌だなって思った。
感謝の言葉は伝えずに不快そうな表情を見せれば、リーディアは呆れたような溜息を吐いていた訳です。
「素直じゃないな」ってまたリーディアは言ってたけど、これが素直な気持ちだって。
お前とは腐れ縁で繋がってるかもしれないけど、それは赤い糸じゃないし、デレる気持ちもないから。
でも誕生日を祝われたのは、すこしだけ嬉しいです。
久しぶりだったから、祝われるの。
――あやめとアヤメの交換日記、四十一頁
貶し愛




