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第三話 招かざる来客 【上】



 「終わったー!」



 校庭から聞こえるヒグラシの鳴き声の中、智世は書き終えたレポートを高々上げると、机に突っ伏した。


 池で溺れたのあの騒動から、早いものでもう三日が経つ。大事を取って一日学校を休んだこともあり、昨日は担任から説教を長々と聞かせられたばかりだ。一方、お叱りを受けてもおかしくない神主には、水難防止のお守りを貰ってしまったというのに。


 そして今日は、見学中断の補填としてレポート提出を言いつけられた。その題名は『冷静な行動と、沈着な思考おける相乗効果』であり、あからさまに難しい内容のそれはレポートという名の反省文である。

 そもそも、非は自分にあるので反発することも出来ず、放課後、智世は誰もいなくなった教室で原稿用紙五枚分のレポートを必死に書き上げた。その反動か、しばらくは原稿用紙を見れそうにない。

 

 窓の向こうは薄暗くなった空と、閑散とした校庭が広がるばかり。

 思いのほか遅い時間になっていたことに気付いた智世は、おずおずと携帯電話を取り出す。慣れた手つきで“守岡悠大(もりおかゆうだい)”と表示されたデータ画面を開くと、そのまま通話発信ボタンを押した。



 「もしもし、悠兄? 今、終わったから」

 『じゃあ、マッハで迎えに行くから待っててな』



 電話越しの悠大の声は、どこか楽しそうである。



 「安全運転でいいからね」



 智世は苦笑いを浮かべながら電話を切った。こうでも言っておかなければ、とんでもないことを本当にやりかねないのが悠大である。しかし、智世を我が子と分け隔てなく育ててきた伯母・(きょう)はある意味で悠大より遥かに手強い。

 

 何を隠そう、二日前に悠大へ智世の送迎を言いつけたのは、彼女なのだから。

 

 悠大が智世を実妹のごとく溺愛するのは、伯母の影響が少なからずあるはずだ。大学生が従姉妹の送迎をするために、わざわざ大学の講義を途中で抜け出して来るだろうか。ほとんどいないといって良いだろう。それはあくまでも、一般的な大学生ならばの話である。 

 さすがに智世も断ろうとした。しかし二人のやる気に押し負けてしまい、今に至っている。

 本当は伯母自身が送迎したかったようだが仕事の都合上、無理だったらしい。その代わりにと、普段はほとんど貸すことのない自分の愛車を悠大に託したのだった。


 陽がすっかり沈み、人気もなくなった校舎。陽があるうちは運動部で賑やかだった校庭も、今は人影すらない。職員室の照明も、徐々にまばらになっていく。


 そんな中、数本の蛍光灯に照らされた昇降口には、いそいそとローファーに履き替える智世の姿があった。心なしか、その横顔は解放感に満ち溢れているように見える。

 そこへ息を切らした荒い呼吸音と共にやって来るのは、中年と思しき男性教師。体育教師でもないのに、ジャージ姿が周知のトレードマークになっている。



 「ちょ、ちょっと待ってくれ、伊佐木(いさき)!」



 悲しいかな、上がった息が年齢を感じさせる。



 「レポートなら、さっきちゃんと出したじゃないですか」



 呼び止められた智世は渋々、つい先程レポートを出して来たばかりの担任に振り返る。



 「違う違う。この進路関係のプリント、千藤(せんどう)に持って行ってくれ」



 そう言って、担任は智世に真新しい白い封筒を手渡した。



 「――真尋にですか?」



 厚みのある封筒に書かれた名前を見て、智世が訝し気に聞き返す。



 「家が隣同士のお前に頼もうとしてたのを、すっかり忘れててな」



 数時間前、落ち着いた行動とは何たるかを長々と説教しておきながら、痛恨のミスに担任はバツが悪そうに笑っていた。


 智世ははここ二日間、真尋の姿を見ていない。

 あの日、真尋に自分が体験したことを信じてもらえず、それから一言も言葉を交わすことなく自宅に帰った。そのため、学校に来るまで真尋が欠席していることを知らなかったのだ。

 若干の気まずさが残りながらも心配した智世がメールを送ったが、返信は『風邪をひいた。見舞いには来なくていいから』の二行のみ。それ以降、何の連絡もない。



 「優等生のお前に頼めば、もう安心だ。それじゃあ、頼んだぞ」 



 親指を立てた拳を智世に向けると、くるりと方向を変える担任。



 「先生!? 私、まだ良いって言ってませんてば!」



 智世の制止も虚しく、担任は手をひらひらと振りながら職員室へと戻って行ってしまった。


 

 「もう、私は伝書鳩じゃないんだから」



 一人残された智世は文句じみたことを言いながら、白い封筒に書かれた名前をじっと見つめる。

 小学校の頃から、いつも目にしてきた名前だ。


 

 「……電話くらい、くれたっていいじゃない」

 


 そう呟きながら封筒を鞄に封筒を仕舞いこむ智世。

 ふと、足音が聞こえたような気がした。智世は自然に視線をそちらへと移す。


 そこには玄関扉の前に佇む一人の青年がいた。


 外見から推測するに、二十代半ばくらいだろうか。

 色白、細身のその体型から女性のようにも見えた。 美しい造形をした顔立ちに、前下がり風の焦げ茶色の髪がかかる。着ているのは白いシャツに黒いズボン。その上に緩く(まと)うは灰色の薄手の上着。彼の周りだけ、空気が違うように見える。

 有名ファッション誌の表紙を飾れんばかりの美貌だ。

 

 終始、無言で智世を見つめる青年。

 

 智世にはこんなカリスマモデルのような知り合いは未だかつていたことがない。まして、夜の学校に訪ねて来るような。もしかしたら変質者の可能性だってある。独特の雰囲気を持つ青年に思わず見とれそうになった智世だったが、あくまで平静を装った。



 「あの、何か?」



 途端に青年はうっすらと口角を上げた。



 「皮肉なものだ」



 その容姿からは想像もつかないような、低い声が響く。



 「え?」



 智世が呟いた瞬間、青年は智世のすぐ目の前にいた。青年がさっきまでいたのは智世から数メートル離れた場所。それを縮めたのだ、僅か一瞬で。

 そして、美しい顔を嘲笑で満たしながら囁く。




 「――消えてくれないか?」




 青年の切れ長の目が、妖しく細められた。



 「っ!?」



 ゾワッとした冷たい何かが背中を撫でつける。


 気付けば智世は青年を力任せに押しのけ、一気に校舎内へと駆け出していた。

 突然のことに驚かなかったはずがない。だがそれよりも、早くこの場から逃げろと本能が体を動かした。

 

一番近い職員室に助けを求めようと飛び込んだが、すでに電気は消され、人の気配はなかった。

 焦ったように身を翻し、職員室を飛び出す。そして右側に向かったものの、すぐさま振り返って左側へと方向を変えた。

 慣れ親しんだ校舎がまるで迷路のようだ。智世は無我夢中で長い廊下を走り抜け、階段を駆け上る。暗闇の中、非常灯の明かりだけが唯一の希望だった。

 

 途中、体育館へと続く渡り廊下で段差に(つまづ)き、したたかに床に打ちつけられる智世の身体。鞄の中身が派手な音をたて、辺りに飛び散る。

 拾い集める暇などあるわけがない。智世はすぐ傍に転がっていた携帯電話だけを掴み、鋭く痛む右足を引きずりながら先へと急ぐ。足元が何かで濡れていたが、それを気にする余裕はなかった。



 ※



 どうにか体育館までたどり着くとすぐさま扉の鍵を閉め、一番奥にある器具庫の隙間に入り込んだ。

 肩を上下させて呼吸をし、その場に座り込む。初夏だというのに、智世の身体は震えが止まらない。

 両手を組んで抑え込もうとしても、力が上手く入らない。


 青年のあの目は、殺気に満ちていた。

 智世を殺そうとしている“目”、そして背筋が寒気立つほどの殺気。


 震える手で携帯電話の画面を痛む右足にかざせば、膝が大きく擦り剥け、赤い鮮血が床へと滴り落ちていた。


 歩けたのが不思議なくらいの怪我だ。

 それが同時に、現実を突きつける。


 次はもう逃げられない、と。


 暗く静まり返った体育館で、智世の荒い息遣いだけが聞こえる。あの青年のもとから逃げだして、もうどれくらい経ったのか分からない。

 一分一秒がとても遅く感じられる。

 少しづつ落ち着きを取り戻し始めた智世は、周りを確認しようと立ち上がった。




 ガシャアアアァァァァァァアアアアアンッ!!!!




 何の前触れもなく、耳を覆いたくなるほどの凄まじい衝撃音が響き渡る。金属がしたたかに打ちつけられたような鈍い音だ。

 同時に、智世の頬を生温かい風が撫でる。


 智世は自分の瞳に映り込んだ光景に、目を見張った。


 数百キロは裕にあるであろう、鉄製の大扉が床に倒れている。つい先程、智世が鍵をかけたはずの扉だ。


 そして、無残に倒れた扉の向こう側には、片腕を突き出すように前へと出した青年の姿。その目は真っすぐと物陰に隠れた智世を捉えている。

 気付けば、智世は身動きをとることさえ出来なくなっていた。



 「諦めろ」



 青年の声がだけが体育館に響く。



 「君は俺から逃げられはしない」



 青年はゆっくりとした足取りで、智世が身を隠す器具庫へ歩き始めた。

 足音が近付くにつれて鼓動が速く、そして大きくなっていく。


 両手で口元を押さえ、必死に息を殺す智世。


 そんな中、床に置かれた携帯電話が軽快な音楽と共に光りだした。


 ――――なんでこんな時にっ!?


 絶望的な状況にすぐに切ろうとしたが、画面に表示された通信者の名前を見た智世は、とっさに通話ボタンを押していた。




 「助けて、――真尋っ!!」




 震える智世の口から発せられるか細い声。やっとの思いで出した声だった。

 言い終えた途端、器具庫の格子扉が乱暴に開かれる。


 視界に入る細身の影。見上げるとすぐ隣に、あの青年が無表情で立っていた。

 


 「“隠れんぼ”は終わりだ」



 気付けば、青年の手には智世が持っていたはずの携帯が握り壊されていた。

 青年は智世の腕を強引に掴み上げると、そのまま体育館の中央へと連れて行く。

 負傷した右足のせいで立つことが精いっぱいの智世は、半ば青年に引きずられるようにして歩かせられた。



 「放して!! 放してくださいっ!!」



 どうにか青年の手を振り払おうとするが、智世の抵抗は青年には全く効く気配がない。



 「痛っ…!!」



 智世の細い腕を青年はしかと掴んでおり、抵抗する度にその拘束は強くなる。



 「    」



 青年が何かを囁いた。

 唐突に腕が解放されたと思えば、智世の首元に冷たいものが触れる。




 まるで恋人同士のように、向かい合って立つ二人。 

 けれど青年の手は智世の細い首を――絞め上げていた。




 徐々に力が強められ、息が出来なくなっていく。智世は無意識に青年の両腕を掴んだ。



 「……や…めて……」



 その声にほんの一瞬、青年の顔が歪んで見えたのは智世の錯覚だろうか。



 「もうすぐ楽になる」



 絞める手に一段と力が入る。



 「――っ!!」



 目を閉じ、声にならぬ悲鳴をあげる智世。



 ふと、不思議な感覚が身体を包み込んだ。

 ついさっきまでの苦しみが嘘のように掻き消されていく。気が遠くなるとは、こういうことなのだろうか。無重力空間にいるように、ふわっと身体が浮き上がるような感覚。

 以前にも、同じようなことがあったような気がする。






 声が聞こえた。






 遠くから、名前を呼ばれた気がした。


 ――――私を呼ぶのは、誰?


 智世が目を開けようとすると、不思議な感覚が瞬時に消え、一気に肺へ大量の新鮮な空気が流れ込んで来る。



 「智世!」 



 聞き馴染んだ声に、むせながらも智世は目を開ける。

 月明かりに照らされたそこには、智世をしっかりと抱き留める真尋の姿があった。

 

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