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第二話 金色の花

 


 季節は初夏。生い茂った木々はその緑の濃さを増し、空はからりと晴れ渡る。ついこの間まで続いていた長雨が嘘のようだ。その鮮やかな景色を映し出すのは、祐にサッカーグラウンド一つ分はあるだろう広大な池。吹き抜ける風に揺れる水面は、いかにも涼しげであった。


 そんな中、木陰のベンチに座り込む制服姿の一人の少女。


 背中の中程までに伸ばした黒髪を持ち上げて、智世は暑いと言わんばかりに片手で扇いでいる。額に乗るのは、濡らした白地に桃色の水玉模様のハンカチ。

 夏に相応しく涼しげに見える制服の水色のリボンも今は邪魔でしかなかった。無造作にリボンを取ると、智世は首元にあるシャツのボタンを外す。


 高校生にもなって『見学先ではしゃぎ過ぎて倒れた』、とおおっぴらに公言するのは恥ずかしい。心配した友人が何人か付き添ってくれようとしたが、さすがにそれは申し訳なかった。ということで見学から一人抜け出し、今に至っているのである。


 「郷土学習なんて、資料でも調べられるのに」

 

 文句じみたことを呟きながら、同級生達がいる池の対岸の(やしろ)を眺める智世。今頃、皆は中で神主の説明を聞いていることだろう。

 

 深い朱色で彩られた社には、独特の風格が漂っている。ここからだとよく見えないが、細部には様々な彫刻が施されており、社の華やかさを引きたてていた。

 何を隠そうこの咲明(さくよし)神社は周辺地域一帯の産土神(うぶすながみ)を祀った、由緒正しき神社である。建立されたのは、今から五百年以上も前のことらしい。公共交通機関が十分に整備されていない、郊外の奥まった場所に位置しているにもかかわらず、隠れた人気スポットでもあった。


 「・・・暑いなあ」

 

 悠久の気分に浸ろうとしても、暑いものはやはり暑い。じんわりと首元が汗ばんでくるのがよく分かる。そんな智世の目に飛び込んで来たのは、透明な水を(たた)えた池。その水のなんと冷たそうなことか。


 智世は立ち上がると池へと歩き出す。そう、やることはただ一つ。




 「んー、気持ち良い!!」


 素足に触れる、ひんやりとした冷たい水の感触が心地良い。エアコンには実現不可能な絶妙な冷たさだ。つい先程までの具合の悪さが嘘のようにはしゃぐ智世は、膝下まで池の中に浸かっていた。白シャツと紺地に水色のチェックのスカートが加わり、さながら避暑地にでも来たような光景である。

 

 間近で見れば、池の水は一段と澄んでおり、水底までよく見える。水面が空を反射し、透明なはずの水が真っ青な空を映し出す。


 「おい! 何してんだ!」


 智世が水の冷たさを満喫していると、突如後ろから声がした。担任かと思い、恐る恐る振り返った智世。しかし、すぐに安堵の溜息を漏らす。


 「もう、驚かせないでよ真尋」


 智世から数メートル離れた岸辺に、苦笑いをしながら立っている真尋。若干、いらついているようにも見えた。


 「こっちの台詞だ。クラスの奴に、お前が具合悪くなって休んでるって聞いて来たんだけど」

 「休んでる・・・わよ?」


 説得力ゼロの苦しい言い訳だ。真尋の冷やかな視線に、さっきまでかいていた汗が冷や汗に変わる。


 「いいから早く上がれよ。この池は立ち入り禁止だって、散々言われただろ」


 いつになく厳しい真尋の口調。まるで何かを焦っているような、真尋にしては珍しい様相だった。


 「真尋も入ればいいのに」

 「・・・沈めて欲しいわけ?」


 冗談で言った言葉が、黒い笑みとなって返ってきた。身も心も冷え、智世は渋々と真尋の立つ岸に戻ろうと足を動かした。踏み出された片足が地面に着く。


 次の瞬間、智世の姿が激しい水音と同時に忽然と消えた。




◆◇◆◆◇◆




 突然のことに智世は空気を吐き出してしまう。吐き出された空気が無数の白い水泡となり、上へと消えていく。

 

 一瞬にして地面がなくなったような感覚。うっかり、深みにでもはまってしまったのだろうか。

 全身が冷たい感覚に包まれる中、智世は何とか水面に浮きあがろうと体を動かす。

 ふと身動きの取れない足を見れば、暗い底から伸びた黒く長い何かが智世の片足に絡みついていた。ゆらゆらと水中を揺らめくそれは、幾本もの糸がまとまったような物。


――――か、髪の毛!?


 智世は必死にもがくが、水面に浮かび上がることも出来なければ、地面に足が着くこともない。むしろもがけばもがくほど、その髪の毛と思しきものがギリギリと足へ絡みついて来た。髪自体に意思があるとでもいうように。

 その髪の毛は、智世の体をさらなる深みへといざなうように、底へと引きずり込もうとする。底には奈落の底と見まごう程の暗闇ばかりが広がっている。


 遠ざかっていく、水面に差し込む陽光。

 息が出来ない苦しさ。

 ほの暗く、ぼやけた視界。

 

 薄れる意識の中、智世の頭をよぎる“死”という言葉。何とも言い難い恐怖と不安が智世を襲う。


――――・・・誰か・・・助けてっ!


 その時、視界の片隅で何かが(またた)いたような気がした。朦朧としながらも目を凝らす智世。

そして、自らの目に映った光景に思わず息を呑んだ。 


 花だ。


 いくつもの花弁を持った、金色(こんじき)の花。 


 咲いているのは一つや二つではない。智世を取り囲むがごとく、無数の大ぶりの花が水中に咲き乱れている。明りの灯った灯篭のように、柔らかな光を放つ花。

 その光に照らされたためか、あれ程強い力で智世の足に絡みついていた髪の毛が一瞬で(ほど)け、あっという間に水底へと消えていく。脱兎とはまさにこのことを言うのだろう。


 足が自由になると、それまで抵抗していた疲労が一気に智世を襲った。


 すぐにでも遠のきそうな意識をなんとか保ちながら、金色の花へゆっくりと伸ばされる手。

 何故か分からないが智世はそれらにとても惹きつけられた。


 金色の花まであと少しという距離にまで近づいた途端、智世の腕が強い力に掴まれる。

 それと時同じくして生じた膨大な水泡が智世の視界を埋め尽くした。




◆◇◆◆◇◆


 


 目を開ければ、そこに広がるのは白い天井らしきもの。少しずつ焦点が合い、青ざめた様子で覗き込む真尋の顔が真上に見えた。


 「・・・真・・・尋・・・」


 智世の声に真尋は表情を緩める。


 「良かった」


 心地よい温もりが智世の右手を優しく包み込んだ。 


 「私、一体どうし―――」


 体を起こした智世はそのまま盛大に咳き込んだ。智世の背中をさすり、そっと布団に横たえさせる真尋。


 「無理しなくていいから。お前、溺れたんだぞ」

 「溺れた?」


 その一言に、水中でもがいていた記憶、助けられた時の記憶が鮮明に蘇る。そして、咲き乱れていた金色の花と、妖しく漂う髪の記憶も。


 「真尋、助けてくれてありがとう」


 よく見れば、もう乾き始めてはいたものの、真尋の制服は上下ともに濡れていた。

 あの時、智世の腕を掴み、引き上げたのは紛れもなく真尋だった。


 「いいって。・・・でも、もう危ないことすんなよな」


 懇願にも聞こえる真尋の言葉に、智世は小さく頷く。


 助けられ、意識をなくした智世が運び込まれたのは、神社の敷地内にある神主の自宅。智世が着ている灰色のジャージも、神主の娘のものだ。

 見学に保健医が同行していたのが、何よりの幸いだった。他の生徒達を引率するため学校へ戻った担任に、真尋は付き添いを任せられたらしい。

 智世の家に連絡を入れに行った保健医と入れ違いに、初老の神主が智世の様子を見に来た。神主は装束である水色の水干袴姿。顔には近代紳士のようにちょび髭を蓄えている。 


 

 その神主によればあの池は“静鏡池(いきょういけ)”と呼ばれており、神社が建てられる遥か昔から(けが)れを落とす“(みそぎ)”が行われていた場所だった。

 現代にまでその名残が残る程に。しかし、十数年前に池で溺れる参拝客が相次いだため、やむを得ず立ち入り禁止としたそうだ。


 「本当にすみませんでした」


 智世が深々と頭を下げれば、真尋もそれに合わせて頭を下げる。

 

 「気に病まないでください。お嬢さんに大事がなくて本当に良かった」


 神主はにこやかに笑いかける。

 

 「前は一時意識不明になった人もいたくらいですし。いやあ、お嬢さんはついてましたね」


 そう言って、部屋を出ようとした神主を智世が呼び止める。


 「あの、池の中に咲いてる花は、何の花なんですか?」

 「あそこには苔と藻しかありませんよ? それで足元が滑りやすいんですけどね」


 人が良さそうな神主は、不思議そうに答えると部屋を後にした。

 

 「智世?」


 横に座って首を傾ける真尋に、智世は自分が池の中で体験したことを話し出した。


 「金色の花と、長い髪の毛?」

 「すっごく綺麗で、本当に怖かったんだから。ねえ、真尋は何か見なかった?」

 「俺は何も見てないけど」

 

 智世が落胆するように肩を落とすと、真尋が少し間を置いてから口を開く。

 

 「その花、どういう花だった?」

 「花びらがいっぱいあって、丁度両手に収まるくらいで・・あっ、こんな感じ!!」


 寝ていた布団にある柄を指差した智世。真尋はほんの一瞬驚いた表情を浮かべてそう呟くと、こう続けた。

 

 「“蓮”の花だな」

 「お盆によく見る花のこと? でも蓮の花びらはピンク色よね?」


 花屋で見かける蓮の花は濃淡の差はあれど、どれも桃色に染まっている。金色のものなど見たこともなければ、聞いたこともない。


 「夏になると池とかに咲く花だけど、水の中には咲かないし、両手に収まるほど小さくもない」

 「でも、私本当に見―――」


 言いかけた智世の頭を真尋がポンポンと叩く。


 「極限状態で幻覚でも見たんだろ。それに髪の毛の話も、お前の足にそんな痕なかったし」

 「・・・本当に見たのよ」


 智世は真尋の手を振り払うと布団の中に潜った。

 

 



 

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