お隣さんのクオリティ
俺の恋人、彬 (あきら)はとにかく、笑える男である。
毎日勘違いや素で思い込み間違いを犯し、それによって生じるトラブルを、半泣きになりながら解決していく姿は、腹を抱えて撃沈させられるほどに、楽しかった。
そんな那智 (なち)の思い込みの激しい恋人はただ今、
「オレ、オレお前が好きなんだよーっ!」
半泣きでベッドの柵にベルトで那智の手首を拘束し、むしり取りそうな勢いで彼のシャツのボタンを外し、上半身を露わにしていた。那智はどちらかというと、縛られるよりは縛る方が好きなのだが……
日本では、男同士のカップルには世間の風当たりも強い。
那智の親はどちらかと言うと理解がある方で、放任という形で諦めている節があるが、彬は親御さんにどうしても自らの性癖を口にする事が出来ず、挙げ句の果てには期待されている息子らしく、見合い話が持ち上がった。当然、釣書に載っている人物は女性である。
彬の自由を束縛するつもりも、実家の家庭崩壊をもたらすつもりも無い那智は、彬が周囲の期待と板挟みになる姿に、「お前は見合いをするべきだ」と助言し、しばらく距離を置いていたのだが……捨てられる! などと思い込んだ猪突猛進な若人は、深夜に那智のマンションにまで乗り込んで来て、いきなり彼をベッドに押し倒して馬乗りになってきた。
「あっ、あれ……シャツが脱がせられない」
彬は那智のボタンを全て外し終えたものの、ぐいぐい引っ張る那智のシャツは、袖が拘束された腕の辺りで引っ掛かっている。
「あのな、彬。全部脱がす気なら、先に手首を縛る馬鹿がいるか」
「あ、あ、そっか」
「だから、俺を脱がしたいなら、これは外そうな?」
両手が自由になりさえすればこっちのもの……などと、内心ほくそ笑んでいる那智の性格を、彬は三年間交際していても未だに読み切れていないらしい。
那智のお馬鹿な恋人は、キョトンとした表情でこくこくと頷き、ベルトに手を……
「やだ、鍵閉め忘れてた? まっずー。たっだいま~。
……てゆか、廊下の電気点けっぱなしだし。
やだなー、あたし、今朝そんなに慌ててたの?」
その時、玄関の方から何故かそんな脳天気な女の声がして、スタスタという足音を響かせ迷いなく那智の寝室のドアの前で止まり、ガチャンとノブが回されてドアが開かれた。
栗色の髪をアップに纏め、シンプルなブラウスにカーディガンを羽織り、ロングスカート姿の20代半ばほどの彼女は、室内の様子を眺めて口をポカーンと開け、ドアを開いた体勢のまま固まっている。
那智とて脈絡もなく現れた謎の女に茫然自失だが、思い込んだら暴走逆走大爆笑の彬は期待を外さず、断片的に得た状況証拠を自分なりに解釈し、
「那智! おま、お前という奴はーっ!
やっぱり浮気してたんじゃないか! なんだよ『ただいま』って!」
涙声でそう叫んで、彬はドアを振り返っていた顔をぐりんっと勢い良く動かし、再び那智の方へと向けてきた。
うん。なあ彬? この状況でそんな結論に到達する、お前の頭の中の思考回路はどういった筋道を組み立てるようになってるんだ?
「落ち着け彬」
いつもながらの彬のマジボケに、一応宥めに掛かってみるが、全く効果は無し。
「オレを部屋に上げたがらないと思えば、この女といつの間にか同棲してたのか!?
なんだかんだ言っても、お前も結局は女が良いのかーっ!?」
どうもこの状況は、彬の過去のトラウマを刺激して誘発させるような条件が整い過ぎていて、思い込みの激しいこいつはもう『またしても恋人を女に横取りされた!』としか、思えないらしい。
心のどこかでは、自分にばかり落ち度がある訳ではなくて、俺にも責められるべき点があるのだと、そう思ってしまいたいのかもしれない。
「……お前がそのつもりなら、仕方が無い、よな」
「彬、俺は……」
お前を愛してる。
「良いんだ、何も言わなくて!」
だが、そんな俺の心の声は、他ならぬ彬本人によって遮られた。
「元々障害だらけの関係で、ずっと続けていくのは、難しいって分かってた……なのにオレは、なんでもかんでも那智のせいにして……こんなんじゃ、愛想尽かされたって、当然だよな」
那智の言葉を全て拒否して、彬は自分の思いだけをぶつけようとしている。
それは、いつも通りの彼の早とちりで。けれども今日ばかりは、ちっとも笑う事が出来なかった。
ベッドから下りた彬は那智を見下ろして、
「那智、オレ……見合い、受けるよ。そっちがどうなるかは分かんねえけど……でも、オレ達はこれで……サヨナラだ」
そう別れの言葉を告げて、那智の寝室のドアの前で未だにぼけっと突っ立っている女を突き飛ばす勢いで駆け出し、彬はマンションを後にする。
三年間も付き合ってきて、なんて呆気ない関係の終結なのか。
そうだな、彬。
お前の勘違いや思い込みを訂正する努力を、今のように必要としている場面ですらがむしゃらになるのを面倒臭がってる時点でもう、俺がお前との関係を続けてきていたのも、少しずつ惰性になってたのかもな。
そんな風に自己分析をしつつ、結局彬が縛り付けたまま放置していったせいで相変わらず不自由な手首が痛む那智は、ドアの方へ目をやった。
見知らぬ不法侵入者である女は、一昔前のプログラムのごとくまごまごしている。
「ええっと……」
初めて彼女が口を開いたのは良いのだが、それっきりやはりまごついていて、いつまで経っても次なるアクションを起こす素振りも無い。
本当にいったい何なんだ、この女は?
「今晩は、お帰り、俺の『同棲相手』さん?」
仕方がなく、彼の方から嫌味を込めて話し掛けてやると、彼女はまるで犯罪者にでも突如声を掛けられたかのように、全身をビクゥッと震わせた。
震えながらも、まるで救命具の如く人の寝室のドアをしっかり握り締めたままな辺りは、根性があるのか無いのか。
……よく考えたら、俺の今の状況は100%変態か。
怯えるのはまあ無理も無いとして、何故彼女はさっさと逃げないんだ? 泥棒でも酔っ払いでも身に覚えのない逆恨みでもないのだとすると……ああ、もう、今夜は頭を使うのは疲れた。
「こ、今晩は……えと、その……」
何でも良いが、こっちは手首がかなり痺れてきた。のんびりしていないで、サクサクと物事を進めて欲しい。
ややあって、再び彼女が恐る恐る口を開く。
「は、ハジメマシテ……申し訳ありません、部屋を間違えたヨウデス」
……はあ? 帰る部屋を間違えた事を自覚しているのなら、どうして延々人の部屋に居座ってるんだ? 理解出来ん。
バカだ。俺の目の前に超弩級のバカが居る。
「ああ、そうみたいだね」
那智は小さく首肯して、彼女の発言に同意を示した。それ以外に彼にどういった返事をする術があろうか。
そしてまた、彼女はそれっきり黙り込む。
……おい。
「なあ、俺の『同棲相手』の君。
いつまでそこに、まるで案山子同然にボケーッと突っ立ってるつもりなんだい?」
那智の至極当然の訴えに、彼女は鳩が豆鉄砲でも食らったかのような、間抜けな表情で口を開き、『え?』ばかりを繰り返す。ここまで言っても何故動かない。
……どうして俺が、このバカ女に懇切丁寧に説明してやらねばならないのか。
それもこれも全て、猪突猛進な若人の置き土産であるこの『ベルトdeベルベット☆』な俺の手首拘束状態からの脱出の鍵を握っているのが、最早このバカ女しか居ないからだ!
非っ常に不本意だが、このバカ女を動かさない事には、俺終了のお知らせが流れるぞ! 二週間後辺りに、締め切りだと部屋に乗り込んできた担当の脳裏にな!
彬……何故、最後の最後までお前は、俺に笑いの要素をもたらすんだ。別れ話の直後ぐらい、しんみりさせてくれないか。
「俺のこの状況を見て、不自由な両手を解放してくれるなり、最悪、部屋を間違えた事を自覚したなら、さっさと出て行くなりなんなりしたらどうなんだ?」
自棄っぱちでの訴えに、ようやく彼女的には救命具らしいドアノブから手を離してベッドに近寄り、那智の命を地味にジワジワと脅かすベルトを外しにかかった。
手際の悪い不器用っぷりを胡乱な眼差しで眺めつつ、那智は気になっていた事の確認に入った。
「で、今更だが。
君はいったいなんのつもりで、人の部屋に不法侵入をしてきたんだ?」
「じ、自分の部屋だと思って……間取り、一緒だし、飾りっけが無いのも」
なるほど、このバカ女はかなりの迂闊者らしい。
頭っからこうだと思い込むところは、彬と似てるな。
あいつよりも遥かにこの女は抜け作だが。
「玄関の鍵は」
「掛かってませんでした。だから、閉め忘れたかな? と」
数時間前の状況を思い返してみた那智は、乗り込んできた際の彬の形相や、寝室で縛られるに至るまでの過程からして、あの猪突猛進が玄関先にて背後を振り返らなかった場面を脳内から検索して弾き出した。
「……彬の奴、開けっ放しにしてたな」
「あの、それは今もそうじゃないかと」
……どこまでもブレない男だ。
「まったく。あいつは本当に落ち着きが無い」
そんな会話を経て、ようやく自由になった手首をさすりつつベッドから身を起こした那智は、ベッド脇に置かれていたデジタル時計にチラリと視線をやった。
現在時刻、午前三時過ぎ。
おバカな若人達とは違って、そろそろ徹夜が辛くなってきた那智としては、こんな遅くにまで遊び歩いた挙げ句、見知らぬ男の部屋の寝室の床に平然と座り込んでいるバカ女に怒りを通り越して呆れが湧いてきた。
「なるほど、君は随分遅くまでお勤めなんだな。
疲れて疲れて疲れ過ぎて、うっかり部屋を間違えて不法侵入した挙げ句、カップルに誤解を振り撒いてピリオドを打つのも無理は無い」
「はは……うっかり終電逃しちゃって。歩いて帰ってきたら、こんな時間に」
「……なんだって?」
だがしかし那智の予想以上に、バカ女は強者だった。頭をかきかきしながら信じがたい発言を口にしつつ笑う。
シャツのボタンを通し直そうとベッドから立ち上がったところであった那智は、仰天して振り返った。よくよく彼女の様子を観察してみれば、うっすらと汗をかいているようである。
「あ、すみません、長々と居座っちゃって。あたしそろそろお暇します」
バカだ。この女やっぱりバカ過ぎて、外に放り出すのがすっげー不安。
こんなバカな生き物がこれまで無事に生きていられるほど、日本は平和な国だったのか。まだまだ捨てたもんじゃないな。
「……茶ぐらい出すから、良かったら飲んでいきなさい」
気が付けば、那智の口からはそんな一言が漏れていた。
裏で企んでいるのではなく、嵌めようとするのでもなく。何も考えずに、ただもう条件反射的に。
「は? いや、そんなご迷惑をお掛けする訳には……」
キョトンとした表情で、両手を前に翳して遠慮のポーズを取る彼女の肩に軽く手を置き、
「喉は渇いてないのか?
どうせ俺が飲むついでだから、そう気にしなくても構わないさ」
やはり、悪巧みにほくそ笑む……などという事もなく、那智は『助けてやらなくちゃ』といった気分に何故かさせられ、そんな似合わない台詞を口にしていたのである。
なるほど、この手の無自覚マインドコントロールによって、このバカ女は数々の危難を庇われて生きてきたのか。
これ以上の不法侵入者を阻むべく玄関のドアにしっかりと鍵を掛け、那智は彼女をリビングに押し込んで緑茶を振る舞った。
ぽへーっと間抜けな表情で湯呑みを傾けるバカ女の名は清花 (さやか)といい、ぽへぽへした言動から総合したところ、那智のマンションのお部屋、そのお隣の部屋に住んでいる女の子らしい。
「清花ちゃんって、今までずっと一人暮らしだったの?」
このバカっぷりにも関わらず放り出す身内、というものがどうにもよく分からず、いったいどうやって一人暮らしの許可を得たのか那智は好奇心が刺激されていた。
「あ、いえ、あたしずーっと祖母と二人暮らしだったんですけど、三ヶ月前にお祖母ちゃんが再婚したから、それを機にこのマンションに越してきたんですよー」
「それは……再婚に反対だったから、抗議を兼ねて?」
「嫌ですねぇ、那智さん!
アツアツな新婚さんに、遠慮したからに決まってるじゃないですか」
……孫娘を育ててきたお婆さんが、ある日恋愛結婚で新婚ラブラブ生活をエンジョイ。何かドラマティックな老女だ。
「よく許して貰えたね」
「ここのマンション、新しいお祖父ちゃんの持ち物なんです。
ここで暮らすのなら安心だから、って言われました」
「へ、へえ」
因みに那智が暮らしているマンションは賃貸で家具付きの、そこそこお高いマンションである。
清花の口振りからするに、今彼女が暮らしているマンションの一室が祖父の借りている部屋という訳ではなく、このマンションそのものが……という印象しか無いのだが。
「清花ちゃんってもしかして、お嬢様?」
「え? まさか。お嬢様がタクシー代をケチって徒歩で帰宅なんて、すると思います?」
「……確かに」
「新しいお祖父ちゃんは、老後生活でちょっぴり余裕のある暮らしぶりしてるみたいですけど、あたしは単なる庶民ですよ」
……つまりなんだ。清花ちゃんのお祖母さんが、金持ちの爺さんの嫁に収まって現在は左団扇な新婚生活……
老後に一花咲かせた、リアルシンデレラストーリーか! あんた何モンだ清花祖母!?
そんな、物書きの好奇心が激しく刺激させられる清花とのお喋りをしている間に、気が付けば夜が明けていた。
清花は話の途中でこっくりこっくりと船を漕ぎ出し、椅子では寝にくかろうとソファに運んでも目覚める気配も無い。
「ほんっと、どこまで無防備なんだろうね、この子は?」
男の1人暮らしの部屋にヘラヘラ笑いながら居座って、うたた寝して、運ばれても熟睡。
普通の神経をした男なら、とっくに清花は美味しく食われている。
那智が清花にイタズラしてやろうという気分にならないのは、偏に彼女のバカっぽさが、彼の別れたばかりの恋人を彷彿とさせるからでしかない。
別れ話の苦味も、後味の悪さも、清花との内心でツッコミを入れずにはいられないバカ話のせいで、緩和されてしまっていて。
無邪気な寝顔を晒す清花の頬を軽くつつくと、那智は苦情混じりに彼女に掛ける物を取りに向かった。
そんな出会いを経て、那智は頻繁にお間抜けな清花の様子を確認してやるようになった。
とにかく彼女は、おバカな上に底抜けに楽天的である。
初対面の出会いからしてアレであったせいか、ふと清花の様子が気になってしまえば、彼女の無事を確認せずにはいられなくなっていた那智。
中途半端な感があった彬の方からも、義務的であろうが見合いを終えたという短い連絡が合い鍵と共に送られてきて、本当に終わってしまったんだな……と、一抹の淋しさを乗り切ってからは、那智は気になる清花に素直にアタックを始めたのだった。
ちょくちょくメールや電話をしたり、うっかり抜いてやしないかとご飯を一緒に食べてやるようにしたり、間違えてホラー映画を借りてきたけど観ずに返却するのは勿体無いと主張するので隣に座って鑑賞してやったり、気分転換にテーマパークやドライブに連れ出したり(清花ちゃんは電車によく乗るらしく、彼女が披露した車掌の名言は笑えた)お互いの仕事の愚痴を口にしたり酒盛りに付き合ったりと、かなり親密な友人以上ギリギリ恋人未満な関係を築き上げたのであった。
そろそろお互いに、正式な交際を申し込むタイミングを見計らっている状態で、ここは年の功だろうと那智の方から口にしたのだ。
十代のガキでもないくせに、非常に緊張しながらも告白をする那智に、清花の口から無事に「あたしも那智さんが大好きです」の台詞を引き出し。
清花ちゃんって、本当に抜けてて放っておけなくなるな……
俺、何かすっかり世話焼きになってる? まあ清花ちゃんだから良いけど。
清花と交際して1ヶ月半も経つ頃には、そんな自分が嫌ではないほどに、那智は年下の新しい恋人にメロメロになっていた。
それにしても、彼女の無自覚さと無防備さには本当に毎日苦労させられる。
「那智さん那智さん。一つお尋ねしたいのですが、会社の先輩かっこ男性かっこ閉じ、に、ちょくちょくお酒に誘われるのは、お仕事上での付き合いのうちなんでしょうか?」
「あたしもちょこっと携わっていた企画が上がって、今夜は会社の皆さんと打ち上げに行ってきまーす」
「仕事に追われて、気が付いたら終電逃がしちゃってるんですよね……まあ、歩いて帰るのもダイエットになりますかね!」
「何故か今日、会社の後輩から『可愛い』って連呼されちゃいました……ただ、休憩室でオヤツにドーナツを頬張ってただけなのに!」
「ふっふっふ……うちの部署が開発した新商品が、ついに販売開始されるんです!
とゆー訳で、皆さんで騒いできます!」
などと、それは俺が焦る姿を見たいのか? 煽って楽しんでいるのか? 的な台詞を笑顔で吐く。
これが清花の無自覚からの言動ではなく、確信犯であったならば、たっぷりお仕置きしてやる……と、内心黒い感情を抱きながらも、次の瞬間には全く理解していない素振りを見せられると毒気が抜かれてしまい、表面上は大人の余裕を見せながらも、結局のところ那智はぶんぶんと清花に振り回される毎日を送っていた。
そんな天然な恋人と過ごす、初めてのクリスマスに張り切って計画を立てていた那智であったが、清花の自覚無き挑発にまんまと乗せられ煽られ、甘い一夜を過ごした翌朝、驚愕の事実が判明。
清花ちゃんは、俺と付き合っているという意識を全く持ってはいませんでした。
ここ1ヶ月半もの間、ハグ止まりで我慢してきた俺に対してこの仕打ち。これはもう、たっぷり体に言い聞かせるしか!
という訳で、妄想だけで済ませてきたあれやこれやを、朝っぱらからたっぷり実行に移した俺でしたとさ。
「清花ちゃーん、いつまでヤドカリさん状態になってる気?」
「……」
そんな訳で、クリスマスの日を丸一日中ベッドの中で過ごす羽目になった清花は、目が覚めてからすっかりとふてくされていた。
毛布や掛け布団を頭からくるまるようにして巻き付け、ひたすら無言を貫いている。
「清花ちゃん、お腹空かない?
ご飯作ってあげるよ。何が食べたい?」
那智が毛布越しに頭を撫でてやっても、顔を出す素振りもみせない。ただもぞもぞと巨大な布地の塊が蠢くその姿は、やけに虫っぽい。
「清花ちゃーん」
「……き」
すっかり拗ねてしまった恋人の機嫌をとるべく、猫なで声で呼び掛けつつポンポンと布地の塊を軽く叩く那智に、内側からくぐもった声がしてくる。
んん? と、那智は聞き取ろうと耳を近付けた。
清花は幾重にも被った布地の向こうから囁くような声で、
「……くりすます、ぐすっ、デート、いきたかったのに……
や、やくそくしたのに……ぐすっ、なちさんうそつき」
と、泣きじゃくっていた。
「……」
那智は窓の向こうへと視線をやってみるが、既に日付も変わった現在、赤と緑の派手なクリスマスの雰囲気は忙しない年末の空気に一新されている。
「ご、ごめん清花ちゃん……
来年! 来年はたくさんデートしよう! ね?」
慌てて拗ねた恋人に申し出てみるものの、清花は益々固く掛け布団の布地を巻き込んでベッドの隅っこへと転がっていってしまうのみ。
えぐえぐと泣き寝入りしている清花が乗り気になるデートプランを打ち立てるまで、大いに焦る羽目になった那智であった。