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奇跡のコバルト・リヴァー  作者: バーラト・ニラ・インダストリーズ
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第2部:青き聖水の産業化  2-4.聖なる犠牲者

工場の周囲に広がる古びた集落では、いつしか日常を彩っていた活気ある音が変質していた。かつては夕餉の支度をする鍋の音や子供たちの笑い声が響いていた路地には、今や胃袋を裏返しにするような激しい嘔吐の音と、肺の奥底から絞り出されるような重苦しい喘ぎ声が、絶え間なく漏れ聞こえるようになった。住民たちの多くは、ある日突然、視界が乳白色の霧に包まれたように霞み始める異常を訴え、指先からじわじわと感覚を失っていく不気味な麻痺に襲われていた。彼らの皮膚は、激しい日差しによる日焼けとは明らかに異なる、金属的な光沢を帯びてボロボロと剥がれ落ち、その下からは未熟な果実のような、どす黒い赤色をした肉が露出し始めていた。


BNI社はこの急速に広がる惨状に対し、驚くべき迅速さで対応した。「シヴァ神の癒やしセンター」と銘打たれた無料診療所が、集落の中央に突如として建設された。しかし、その実態は高いコンクリートの塀に囲まれ、窓には頑丈な鉄格子が嵌められた、外の世界から情報を遮断するための隔離施設であった。白衣の下にBNI社のロゴ入りTシャツを隠し持ったスタッフたちは、運び込まれる患者たちの凄惨な症状、すなわち重金属中毒特有の痙攣や幻覚を前にしても、眉ひとつ動かさなかった。彼らは事務的に手元のタブレットへデータを打ち込み、それを「聖なる変容の記録」として蓄積していった。


一人の若い母親が、激しい痙攣を起こして白目を剥き、小さな体で虚空を掻きむしる我が子を抱えて、狂ったように泣き叫びながら施設に駆け込んできた。彼女の悲鳴が診察室に響き渡る中、施設の責任者は一切の動揺を見せず、聖者のような慈愛に満ちた表情を作り、彼女の震える肩をゆっくりと叩いた。


「お母さん、落ち着きなさい。これはお祝いすべきことなのです。お子さんの体から、前世からの深い業が不浄なものとして排出されている、尊いプロセスなのです。この激しい震えこそが、体内に巣食う悪しき毒素が、神の光に抵抗して暴れている証拠なのですから。これに耐え抜いた時、この子は神の愛に満たされた新たな存在へと生まれ変わるのです」


その言葉は、科学的な治療を求める母親の正気を、信仰という名の甘い麻薬で塗りつぶしていった。周囲でその様子を見ていた他の信者たちも、責任者の言葉を疑うことなく、痙攣する子供の姿を「神との対話」として羨望の眼差しで見守っていたのである。


ラジェシュはこの集団的な健康被害という「危機」を、自らの帝国を盤石にするための最大級の「商機」へと鮮やかに転換させた。彼は隔離診療所の広場に、ボレロ風の豪華な装飾が施された特設ステージを一夜にして設営させた。スピーカーからは腹に響くような大音量の賛歌が流れ、極彩色の花吹雪が舞う中、彼は再びステージへと登壇した。今回の主役は、視力を失い、自力で歩くこともままならなくなった重症者たちであった。


「諸君、見よ! ここに並ぶ者たちこそ、我らの中で最も純粋な魂を持ち、シヴァ神の青き試練を乗り越えた『選ばれし聖者』たちである!」


ラジェシュは、脂ぎった顔にこれ以上ないほどの歓喜を湛え、車椅子に固定された男の首に、販売利益から捻出した金メッキの巨大なメダルを恭しくかけた。その男は、全身の皮膚が広範囲にわたって剥離し、重金属に侵された喉からはもはや呻き声ひとつ出せない惨状であったが、ラジェシュがその痩せ細った手を高々と掲げると、詰めかけた群衆からは割れんばかりの拍手と羨望の叫びが巻き起こった。


群衆の中にいた者たちは、爛れた肉体から溢れ出す浸出液を、まるで聖なる雫であるかのように指で拭い、自らの額に塗りつける。彼らにとって、ステージ上の重症者たちは公害の被害者ではなく、神のあまりにも強い光を浴びて現世的な美醜を超越した、輝かしい精神的指導者に見えていた。ラジェシュは、隣で冷徹にドローン撮影の指示を出す李に対し、満足げに耳打ちをした。


「どうだね。痛みを名誉で包み、絶望を羨望に変える。このメダル一枚のコストで、彼らは一生、毒を求めて私の足元に跪くことになるのだ。これこそが、民衆を支配する真の錬金術だとは思わないかね」


ステージの裏側では、出番を待つ次の「聖者候補」たちが、激しい嘔吐に耐えながら、自分もあの金メッキのメダルを手に入れたいと、血走った目でステージを見つめていた。彼らは、自分の体が崩壊していく恐怖を、選ばれし者になるための期待感という狂気で完全に塗りつぶしていたのである。


やがて、隔離施設の中で最初の「聖なる犠牲者」が出た際、ラジェシュはそれを隠蔽しようとする卑屈な真似は一切しなかった。むしろ彼は、これを神話的な物語の完成と捉え、過去最大規模の国葬にも匹敵する絢爛豪華な葬儀を企画した。遺体は工場から提供された、あの毒々しい廃液と同じ色調の、コバルトブルーの最高級シルクで贅沢に包み込まれた。ラジェシュは、特設の演壇に立ち、悲劇のヒロインを演じる俳優のような重々しい足取りでマイクを握ると、朗々と弔辞を述べ始めた。


「親愛なる兄弟たちよ。彼は死んだのではありません。我々がまだ囚われている、この肉体という名の卑俗な器を脱ぎ捨てたのです。彼は自らの命を青き炎で焼き尽くし、生きたままシヴァ神の懐へと召された偉大なる聖者となったのです。我々が彼に続くためには、さらなる浄化、さらなる『青』が必要なのです」


この巧みな演出に心酔した住民たちは、自分たちの内臓を焼き、関節を強張らせている原因が、毎日競うように飲み干しているあの青い水にあるとは夢にも思わなかった。むしろ、未だに健康体で症状が出ない者たちは「自分の信心が足りないのではないか」「神に拒絶されているのではないか」という激しい焦燥感に駆られた。彼らは我先にと工場の排水口へと走り、土を掘り起こし、ドロドロとした不気味なほど鮮やかな青い液体を直接手で掬い取っては、喉を鳴らして胃袋へと流し込んだ。


集落の狂乱が最高潮に達する深夜、隔離施設の裏口では、華やかな葬儀の表舞台とは対照的な光景が繰り広げられていた。ラジェシュが雇った無口な男たちが、深夜の静寂を切り裂くようにして、エンジン音を殺した無機質なトラックを横付けにした。そこには、連日次々と息を引き取っていく「聖者」たちの変わり果てた遺体が、産業廃棄物のように積み込まれていく。トラックが湿った夜の空気の中へ走り出す際、古びたサスペンションが重みに耐えかねて嫌な音を立てたが、その排気音さえも、暗闇の中で信者たちが合唱する熱狂的な祈りの歌にかき消されていった。


ラジェシュは、社長室の窓からそのトラックのテールランプが遠ざかるのを、高級なブランデーを片手に見送った。彼の足元では、李が静かに次の四半期の収益予測を更新しており、そこには「聖なる死」が増えるほどにBNI社の支配力と利益が、青いグラフとなって無限に伸びていく未来が示されていたのである。


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