9.過去(2)
部活の帰りは、一年のメンバーでまとまって帰ることが多い。
道花はいつもなかなか会話に入れなくて、後ろのほうでみんなの話をなんとなく聞いていることが多かったけれど、その日は隣を歩いていた陽菜が話しかけてくれた。
「道花ちゃん、すごいね。あっという間に控えのメンバーになって」
「あ、いや……」
こんな時、俯くだけで上手い返しが思いつかない自分が嫌になる。中学の時は詩織をはじめ、さりげなく仲間に入れてくれる子たちに助けられていた。それに頼り切りになっていたことを痛感する。
陽菜の困ったような空気が伝わってきて、道花は慌てて言った。
「なかなかみんなと話せなくて、その、話しかけてくれて、嬉しい……」
変な片言になってしまい、頬がかっと熱くなる。
でも気持ちは伝わったようだ。陽菜の顔が、明らかにほっとした表情になった。
「あのメニューで、話す余裕なんてないもんね」
「あれさぁ~、私らもいつかやらされるのかと思うとぞっとするんだけど。あ、私、春井菜々美」
「知ってるよ、よろしく」
前を歩いていた菜々美が振り返り、会話に入ってきてくれる。たしかバスケ推薦の子だったはず、と記憶を探る。
「あれは、私が体力ないだけだからなぁ」
苦笑いしながら、そう返した時だった。
「そうだよね。道花ちゃん経験者なのに、びっくりするほど体力ないなって思った!」
明るいけれど、棘のある言葉。びくりと肩が跳ねる。
「結衣、言い方ぁ」
「ええ? 冗談だってば!」
(たしか、最初に話しかけてくれた子、だったよね……?)
菜々美にたしなめられると、結衣は陰りのない笑顔で笑っている。普段からこういう冗談を言う子なのだろうか。言葉通り、冗談と捉えていいものか。
「……っ」
なんとなくその場の雰囲気に合わせて、曖昧な笑顔を浮かべていた時。笑顔を引っ込めてこちらを見た結衣の視線が、こちらに鋭く刺さった――気がした。
また頭に詩織の言葉が蘇って、ごくんと唾を飲み込む。
分からない。でも、過剰に反応する必要はないはずだ。きっと。
「戦略的にレギュラー狙ってかないとなぁ」
そう呟いた菜々美が、道花のほうを向く。
「道花ちゃん、シューティングガードは倉本先輩で固いよね?」
「道花でいいよ」
菜々美が、さっきの流れでガチガチになってしまった道花に話を振ってくれたのが分かる。仲良くなりたい。その思いを込めて、そう返してから続けた。
「倉本先輩はたしかに安定してるけど、だからといって一人だけだときついし、控えを誰にするかは監督もキャプテンも迷ってる感じがしたよ。新入部員も注意して見てるんじゃないかな」
「まじ? 頑張んないと」
「う~、私は違うポジション狙ったほうがいいのかな……」
陽菜も悩ましげに唸る。首を傾け、考えながら答えた。
「チーム的には、今パスが上手い子がいないのが課題、なのかもしれない。もし得意ならそれをアピールするといいのかも。あ、もちろん、今の四年生が中心の話だから、来年は変わってくると思うけど」
「へぇ~……」
菜々美は頷いてから、道花をじっと見た。何か間違えた? 突然饒舌になってちょっと変だっただろうか。だが、返ってきたのは予想していなかった言葉だった。
「道花、もしかしてキャプテンだったりした?」
「えっ」
反応したのは、道花ではなく結衣だった。
「中学の時? そ、そう……」
「ほーん、やっぱりね」
「えっ、な、なんで?」
結衣の視線がこちらを向いているのが目の端で分かる。でもそちらを向く勇気はなくて、まっすぐ菜々美のほうに顔を固定して答えた。
自己紹介でも、あえて自分から言う必要はないだろうと思って言っていなかった。うろたえていると、菜々美が素直に感心したという様子で言った。
「やっぱり。すごい全体見れてるもんね」
「あ、ありがと……」
照れくさくてまた俯いた。結衣が「ふーん、キャプテンっていうタイプじゃないよね」といっているのが聞こえたが、菜々美が心からそう思ってくれているのが分かったから、あまり気にはならなかった。
*
菜々美を含め、スポーツ推薦組は一組に集まっていて、道花たち一般のクラスとは教室も少し離れている。移動教室でもすれ違うことはほとんどない。だからその日廊下の向こうから歩いてきた男子バスケの集団は、とても目立っていた。
「わ、めずらし」
「推薦組だね」
道花は詩織と並んで窓から中庭を眺めながら、詩織の、友人から紹介された他校の男の子とのメッセージのやり取りが全然盛り上がらないという愚痴を聞いていた。周りがひそひそと声を潜めているのに気づいて視線の先を見ると、背の高い三人がこちらに歩いてくるところだった。
「アイドルかよ」
詩織がほとんど口を動かさずにそう言う。三人のうち一人が、にこにこしながら目が合う女の子全員に手を振っていたからだ。
(あ、あれ……)
真ん中には、先日道花が名前を覚えた水上舷がいた。隣のアイドルくんとは違い、心の底から周囲に興味がない感じだ。
詩織が耳元に口を近づけてきた。
「真ん中の子の近づくなオーラすごいけど」
「あの子がたしか、水上舷くん」
注目され慣れている彼らに目を向けるのはなんとなく嫌で、道花は彼らが近づいてくるとスマホに目を下ろした。
だが、その時だ。
「広瀬、道花?」
「え?」
突然フルネームを呼ばれて、驚いて顔を上げた。
水上舷が、まっすぐにこちらを見ている。
「ああ、女バスの?」
「先輩が言ってた子か」
残り二人の子たちもそれに反応する。先輩って何が? ていうかなんで名前知ってるの? 混乱でどこに目を向けていいかも分からず硬直していると、もう一度最初の声が落ちてきた。
「あんた、癖見抜くのが得意って本当か?」
「え」
(そんな話になってるの?)
道花はぎょっとなった。どこか見下ろすみたいな視線が向けられているのも居心地が悪い。
「いや……」
「得意だよ。チームメイトも相手の分析も強いよね~。そのおかげで私たち、全中ベスト四だったから」
「ちょっと!」
ハイと即答できる自信はないし、否定してさっさと行ってほしかった。だが、隣から身体を乗り出した詩織がVサインを出しながらそんなことを言ったから、この時間がまだ続くことが確定してしまった。
「へー、すごいじゃん」
まじまじと見られるのが嫌で、眉間に皺が寄った。
明らかに不快だと示しているつもりだが、三人は立ち去る様子を見せない。それどころか、詩織が道花を指差して言った。
「この子こんな感じだけど、中身はただのバスケオタクだからさ」
「ははっ、いいね。じゃあ舷と一緒だ」
「詩織」
道花がこういうのが嫌いなのを知っているはずなのに、詩織は場を盛り上げ始めている。
(私をダシにしようとしてない?)
詩織をじろりと見るけれど、彼女はとぼけた笑顔で首を傾げてみせた。
さっき道花と同じようにバスケオタクと言われた舷は、それを気にする素振りはなく、こちらを見たままだ。
「午後練のあと、時間ある?」
「いやー……」
居心地が悪い視線から目を逸らして、あえて不愛想な態度をとる。ほら、迷惑そうでしょ? さっさと諦めて! と心の中で願う。
だが。
「あるある。バスケ以外暇でしょ、道花」
「バスケだけでもう十分暇じゃないの!」
余計なことしか言わない詩織に、甲高い声が出た。でも詩織はにこにこして全く動じていない。そのせいで前の男の子たちからも、「ああ、もともとこういう子だから気にしなくていいんだな」みたいな空気を感じる。
正直、全く気が進まない。よく知らない相手だし、安請け合いもしたくない。そもそも、高校の男子と女子では身体能力に差がありすぎる。役に立てるかも分からない。
そう思っていると、背の高い舷に顔を覗き込まれた。
「いきなり悪かった」
「……っ」
整った顔がすぐ近くにあって、心臓が大きく跳ねる。
「い、いや……」
耳をぺたりと折った大型犬みたいだ、などと現実逃避していると、詩織がばんばん肩を叩いてきた。
「私も一緒にいてあげるからさ! いいじゃん、減るもんじゃないし」
「いや減るとかじゃなくて、期待に添えないから」
「やってみないと分からないよ」
詩織ともう一人の男子は、完全に意気投合しているようだ。もう、止められない。このままだとキリがないと認めて、諦めるしかなかった。
「……分かったよ」
しぶしぶ言うと、舷の目が細められた。
「ありがとう」
言うことを聞かない自分の心臓も嫌になって、この顔で誰にでも言うことを聞かせてきたのかもしれない、なんて相手のせいにする。きっとこの一回で満足するだろう。そんなふうに思って、引き受けることにした。
*
「なんで道花のこと知ってたの?」
部活後、一度身支度を整えて体育館に戻ると、すでにみんな揃っていた。他の子たちと世間話をしていた詩織が、その流れで私も聞きたかったことを舷に聞いてくれる。
「練習見てて、すごい気になってて」
あけすけな言葉に、また胸がどきんとなる。
「多分、一緒にプレーしてたら気づかないレベルだけど、広瀬さんは見てる範囲が尋常じゃなく広い。そこから頭で処理してプレーするまでも早い」
怒涛の誉め言葉に、かあっと頬が熱くなる。
「いや、そんなことしてな……」
「多分無意識でやってる。すごいと思うぞ」
またまっすぐな視線を向けられて、がちりと固まる。お礼を言うべきかと思ったが、彼はまた詩織と会話を再開して、タイミングを逃してしまった。
嬉しい。
あんな上手い人に、褒めてもらえるとは思わなかった。
にやけてしまいそうだけど、そんな顔を見られたくなくて、俯いたまま、彼らの一人がボールを取ってくるのを待った。
「水上くんは、シューティングガードだね。内田くんはパワーフォワード、宮崎くんがセンター」
事前の会話で分かった情報を整理するように呟いていると、隣に立った舷が手でボールをもてあそびながらさらりと言った。
「ああ。あと、俺のことは舷でいい」
そんなすぐに呼び捨てできるか、とじとっとした目で舷を睨む。休み時間にも思ったが、ちょっと無神経というか、人の気持ちが分からないタイプかもしれない。
「なんにも分からない可能性も、高いからね」
「分かってる」




