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ゴールを揺らすのは、後悔以外で  作者: ひねみずうみ


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8/12

8.過去(1)

 道花と莉央はそこから逃げるようにして、必要最低限の言葉だけ交わして足早に会場を出た。

 しばらく歩いたところで、ようやくはぁっと息を吐き出した。


「やっちゃった」

「やばかった。え、何が起こった?」


 莉央は、まだ現実に帰ってこれないという顔だ。

 道花は膝に手をついた。恥ずかしくて堪らないし、後悔してもしきれない。


「私が逃げたからあんなことに」

「いやわざとじゃないんだし……ごめんだけど、舷くんめっちゃイケメンだったね」

「なんで謝るの」


 我に返って一番に言うのがそれ? と笑いが漏れる。


「だって、昔やなこと言われたわけでしょ」

「まぁそうだけど……舷は悪くないからね」


 そうまた繰り返して、道花は背筋を伸ばし、またはぁっと息を吐いた。


 “悪くない”


 当時はそう思えなかったが、今自分でも、さらりとそう言えることに驚く。さっき、想像ではない舷の顔を見たからかもしれない。

 久しぶりにあった舷は、道花を見て、ただただ驚いているように見えた。そのあとはよく顔を見れなかったけれど、あの時の怒りも軽蔑も全部飲み込んでサインを書いてくれた気がした。

 なんだか、あのことが急に遠い過去になったみたいだ。


「聞いてもいい? 高校の時の話」

「うん」


 正直言えば、まだ抵抗感がある。いじめみたいな目に遭ったことも、上手く闘えなかった自分も恥ずかしくて、本当は、人には言いたくない。

 でも、何気なく話してしまったほうが、もしかしたら楽になるかもしれない。

 バスケとの再会も、舷との再会もできたことで、道花の胸に自信のようなものが芽生えていた。

 先に会場を出たはずの彼女とまた会わないためにゆっくり歩いたからか、ちょうど電車がいったところで、ホームにはほとんど人がいなかった。二人は待合いの椅子に隣り合って腰かけた。


*


 道花の通っていた晴翔(せいしょう)高等学校は、女子バスケ部はインターハイに二年連続出場、男子に至っては前の年にインターハイベスト四の実績を持つバスケ強豪校だった。

 道花は、バスケ推薦で入学したわけではない。そこまでの実力はなかったが、小学校から続けていたバスケを高校でも絶対にやろうと思ってここを選び、一般入試で受験をした。

 新しい友人を作るのは、正直得意ではない。

 同じ中学から進学した友人が高校ではバスケ部には入らないと言うので、道花は誰かに声をかけたりはせず、一人で部活の見学にやってきた。


「バスケ部?」

「え、うん」


 体育館前で背の高い男子に声をかけられて、道花はそちらをよく見もせず返事をした。

 同性ですら、気を許せる友人ができるまで時間がかかるのだ。中学時代は男子とはほとんど話もしなかった。

 さっさと行ってほしいな、と思っていると、そんな心の声が伝わったわけではないだろうが、彼は何も言わずに体育館の中に入っていった。

 よかった、と気づかれないように息を吐いて、その後ろに続く。

 道花はバスケ部に入学して、隣の男子バスケへ目を向ける余裕ができた頃ようやく、それが舷だったと知った。



「朝練は基本毎日、授業が始まるまでの一時間くらい。あ、朝練理由に授業に遅れるのは絶対やめてね」


 入部したての道花たち新入部員の前で、二年生の天音(あまね)がそう説明する。新入部員は十四人で、そのうちバスケ推薦が二人。左右に並ぶ同級生たちはみんなキリっとした顔をしていて、道花は、この中に馴染めるだろうかとドキドキした。


「昼練も、学校の用事がない限り毎日参加して。三十分くらい1on1をすることが多いかな。昼ごはん食べ終わったらすぐに来て」


 はい! と返事をする声が重なる。

 天音が先生と話しに行っている間に、隣の子が小さな声で道花に話しかけてきた。


「広瀬、道花ちゃん、だっけ?」

「う、うん。尾澤(おざわ)、さん?」


 気の強そうな目。こちらを値踏みしているように見えるのは、さすがに勘繰りすぎだろう。胸元に書かれた名前を見ながらたどたどしく返すと、彼女はにっこり笑った。


「うん、結衣(ゆい)って呼んで」


 こくこくと頷いて、すぐ前を向く。こうして、初対面の相手にも気おくれせず話せるってすごい。


「はい! じゃあ次は午後練の説明するから。こっち来て」


 天音がそう呼びかけてきたが、結衣のおかげで、先ほどまでの孤独感は薄れていた。



「なんか、道花と1on1するとやりにくいな」


 入部から一ヶ月ほど経ったある日のことだった。上級生に余りが出て、偶然、道花は天音と組むことになった。終わったあと天音がぼそりと言って、それだけでは終わらず、三年レギュラーの倉本(くらもと)が近づいてきた。


「あんたらの見てて、ちょっと気になった。名前、なんだっけ」

「広瀬です」

「どこまで分かってやってる?」


 追及するような言葉に、周りにいた一年のメンバーが息を呑んだのが分かる。道花も一瞬その圧にどきりとなったけれど、その顔に浮かんでいるのは純粋な興味という感じがする。


「天音先輩は、ドライブの時、右を抜こうとしてくることが圧倒的に多いです」

「……っ」


 正直に答えると、天音が息を呑んだ。得意な方向があるのは自然なことだ。でも、天音は特にそれが顕著だった。ちらりと天音のほうを見ると、呆然としたあと、ぎゅっと眉を寄せる表情を見てしまった。

 ショックを受けさせてしまった。せめて、こんなに人のいる場所ではやめておくべきだった、と後悔が押し寄せる。


「ふぅん」


 倉本の出した声には、生意気だという怒りみたいなものは感じられなかった。


「じゃあ、私ともやって」


 だが、そのあとさらりと続けられた言葉にぎょっとなる。

 新入部員が、三年レギュラーの先輩と1on1する機会なんて滅多にない。ほかの練習を始めるよう指示されたメンバーも、明らかにこちらを気にしている。

 注目されているのを感じて、背中を汗が伝っていった。


(こうやって完全に警戒されてると弱いんだけどな……)


 まだ入部して間もないが、練習中に倉本のプレーを見ることはあった。それを必死で思い出す。

 倉本は左利き。まずは基本に忠実に、効きポケット――左腰を抑える位置に。ゴールまでの直線距離は開けない。


「じゃあ、はじめ」


 まだ戸惑いが消えていない顔のまま、二人のプレーを見ているように言われた天音が合図をする。

 直後、倉本がドリブルで道花を抜きにかかった。

 すごいスピードだ。左右に揺さぶられ、必死でついていくしかない。

 一方、倉本には明らかに余裕があるようだ。冷静な、探るような目が道花を見ている。

 何度か、倉本の身体が道花の胴体にぶつかった。


(き、きつい……!)


 とうとう、道花の膝から力が抜けた。倉本はあっけなく走り抜け、ゴールを決める。

 なーんだ、という周りの空気。でも、それだけでは終わらなかった。


「今の、天音、分かる?」


 倉本の問いかけに、天音は険しい顔をしたまま答える。


「広瀬、ワンアームの距離、めちゃめちゃちゃんと取ってますね。このディフェンスされるとファウルが取れない」

「そうだね。これは苛々するよ。めっちゃ時間かかるもん」


 そう言うと道花のほうを向き直り、眉を寄せて、心底残念そうに言った。


「ちょっと~、こんくらいでへばってたら全然だめじゃん。せっかくいいもん持ってんのに」

「すい、ませ……」


 息を乱していない倉本に比べて、道花はこれだけでみっともなく息切れしてしまっていたのだ。


「めちゃめちゃいいディフェンスだよ、もったいないなぁ」

「ありがとう、ございます……」

「広瀬は中学の時のポジションは?」

「ポイントガード、です」

「ふーん。うち頭脳派が少ないからいいなと思ったんだけど、その体力じゃだめだな」


 倉本がきっぱり言ってからにやりと笑う。言葉は厳しいが、その笑顔がすごく優しいものだったから、道花はほっとした。


 倉本が顧問の早森(はやもり)にも話をしたようで、道花は翌日から、徹底的に体力増強メニューを行うことになった。スクワットに腕立てダッシュに足あげ腹筋……。怒涛のトレーニングにヘロヘロになりながら、でも、変わったのはそれだけではなかった。

 道花は、試合形式の練習で、レギュラーのチームに加わることになった。


*


「いいね、順調じゃん」


 中学の同級生・鈴原(すずはら) 詩織(しおり)は、口にぽいとチョコレートを放り込みながら言った。同じ中学のバスケ部で、詩織は副キャプテン。高校も同じ学校に進学したが、バスケ部には断固として入らないと決めているらしい。


「順調……順調だね、そうだね……」


 自分に言い聞かせるように頷いたが、毎日のトレーニングがきつくてとにかく眠い。道花の顔がよほどげっそりという感じだったのか、詩織がげぇ、と舌を出した。


「きっつそ。正直、中学の時は別にそんな体力つけなくても通用したもんね」

「ほんとに」

「そこまでガチじゃなければ入ってもよかったんだけどな~。楽しいけど、それ一色になるのが嫌だったんだよね。彼氏が欲しいんだよ、私は」

「強いね、思いが」


 くすくすと笑って返す。そこで、詩織がふっと笑顔を引っ込めて言った。


「これは真面目に。先輩はいい人でよかったかもしれないけど、道花のそれ、相手見て言い方考えなよ?」

「分かってる。気を付けてるんだよ、これでも」

「分かってない。相手のためになることだったらいいって、どこかで思ってるでしょ」


 びしっと指差されてぎくりとなる。違う、とは言い切れない自分がいる。


「道花ぁ、今度は近くで助けてやれないんだよ?」


 相手が詩織でなければカチンときたかもしれない。でも、中学の時何度も助けてもらった自覚があるからぐっと詰まった。

 頑固で人付き合いが苦手な道花がキャプテンとしてやれていたのは、コミュ力の高い詩織が支えてくれていたからだ。


「そうだな……具体的に言うと」


 詩織は腕組みをして、天井に視線をやる。


「先輩は、まだ道花にポジションを奪われる可能性は低いって思ってるから、そりゃ可愛がるよ。懐かせといたほうが、試合で自分にいいパス回してもらえるかもしれないし」

「そんな」

「最後まで聞く! 道花、同級生は違うよ。どれだけ仲良くても、それだけでポジションは回ってこない。実力が及ばないからって、ただ飲め込める子ばかりじゃない。そういう状況で、ちょっとでも尖ってる奴は容赦なく叩かれるよ」


 道花は言い返しはしなかったが、ただ眉を寄せて黙った。詩織の言葉を頭では理解していても……いや、やっぱり理解できない。誰だって、上手くなりたいと思っている。そのために正しいことを言えば、絶対にいつかは分かり合えるはずだ。


「忠告はしたからね」


 道花が納得していないのは伝わっているのだろう。詩織は呆れた様子でそう落とした。


*


「控えに入ったら、いつどのタイミングで出番がくるか分からない。メンバーの癖、ちゃんと見といてね」

「はい!」


 試合形式の練習が始まると、倉本が隣にきて、道花にそう声をかけてくれた。はりきって返事をしたものの、練習中にじっとメンバーを観察する余裕はない。


(試合動画とか見せてもらえないか、あとで倉本先輩に相談してみよう)


 そう考えていると、左側から天音が、とんとん、と道花の肩を叩いた。


「ミチ、あっちでも一年が控えのメンバーに入ったみたいだよ」

「えっ」


 試合中に呼ばれることに決まった名前は、中学の時と同じだ。

 天音は裏のなさそうな穏やかな顔で、男子バスケのほうを指差している。彼女が先日の件を根に持っている様子はない。


 ――先輩は、まだ道花にポジションを奪われる可能性は低いって思ってるから、そりゃ可愛がるよ。


 詩織の言葉を思い出してもやもやした。詩織はあれからその話を蒸し返すことはなかったが、道花の心にはずっと残っている。それだけじゃないはずだ。向いている方向は同じなんだから、打算とか、利益とか、そういうことなしに仲良くすることはできるはず。


「そ、そうなんですね」


 違うことを考えていたから、全然気のない返事になってしまって少し焦る。ただ、実際、男子バスケのほうを気にする余裕なんて全くなかったから、誰のことを言っているのかも分からない。


「興味なさそーだなぁ」


 天音はふはっと笑ってくれた。すいません、と謝ったものの、興味がないのは本当のことだ。


「ほら、あれ。一年の水上舷」

「あ」


 道花が天音の指の先に目を向けると、そこにいたのは、あの見学の日、体育館前で会った男の子だった。


「さすがに知ってるか」

「あ、はい、見学の日に偶然会いました」

「なるほど、ミチ、一番早かったもんね。水上くんもか」


 天音は何かに納得したように頷いている。

 道花は、水上舷、と教えられた相手を目で追った。

 切れ長の目が真剣にボールを追う。ガードから彼にボールがパスされて、リラックスした姿勢から一転。


「うおっ、ドロップクロス、キレッキレだな」

「わ」


 ディフェンスの逆方向にクロスさせるフェイントで相手を抜き去り、彼はあっという間にゴールに近づく。圧倒されて、間抜けな声が出てしまった。


「しかも一回パスしてからの、おぉ~」


 そのまま自分ではゴールに向かわず、一度仲間にパスしてディフェンスを振り切る。


(かっこいいな)


 素直にそう思った。


「味方の位置もよく見てますね」

「ほんっと」


 道花は天音と二人、ただただ感心したように頷く。

 力や体格で押し切るプレーでなく、細かい技術を使った、緩急をつけたオフェンスだ。


「あんなふうにできたら気持ちいいでしょうね」

「男子はね~、身長も体格も差があるから、そこはもどかしいよね」


 ポジションに戻ってきた彼が一瞬こちらを向いた気がしたが、道花と天音はそう交わしたところで試合に呼ばれた。

 道花もそのまま、そのことは忘れてしまった。

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