7.交わらないはずだった(4)
「莉央、立誠大応援してたの?」
「いやそんなつもりはなかったんだけど、なんか自然と? 華があるから勝手にそっち寄りになっちゃった。道花には申し訳ないけど」
「なんで」
あはっと笑い、そして、さりげなく言った。
「実は試合始まった時、外で見てるって言おうと思ったんだよね」
「えっ、やっぱしんどかった?」
莉央が目を丸くする。それに素直に頷いた。
「うん、最初はね。でもあまりに面白くて、見てたくなった」
「すごかったもんね。あと、くっそかっこよかった」
その言葉にまた深く頷きながら、眼下でコートキーパーが素早くモップをかけるのを眺める。
「あのさ」
なんとなく出口の混雑が落ち着くのを待っていると、少しの沈黙のあと、莉央が口を開いた。
「水上くんって、元カレとか?」
「えっ? 違うよ!」
予想していなかった問いに、ぶんぶんと手を振る。
「えー、そうなの? なんとなくそんな感じがした」
「そういうんじゃなくて……」
なぜそう思われたのかは分からないが、とにかく否定しないと、という気持ちが先走った。
「私が部活辞めるってなった時に、まぁこう……説教をくらったというか」
「えっ、うざ」
途端に苦々しい顔で吐き捨てる莉央に吹き出す。
「違う、待って、言い方が悪かった。舷は悪くないんだよ。私が弱かっただけで……」
「いやぁ~、でもどうであれ説教男子はウザくない?」
道花の味方につこうとしてくれているのが伝わってくる。人が捌けてきたので、二人はどちらからともなく立ち上がり、通路に出た。
「なんだよ、せっかく硬派イケメンだなとか思ってたのに」
「高校の時もすごいモテてたよ」
「でもそういう押し付けタイプなのか、がっかりだわ~」
ぶつぶつと文句を言う莉央に、それが優しさと分かりながら、誤解は解かなければと思った。
「舷は……すごく優しいよ。いろいろ話とか相談も聞いてもらったし、不愛想に見えて情には厚いと思う。でもやっぱりバスケのことになると、厳しさもないとプロにはなれないし。あ、あと、プレーヤーとしてのスキルと、キャプテンとしてのスキルってまた別じゃない?」
「あー、分かる。プレーヤーとして上手くても、キャプテンになって苦戦する子は多いよね」
「そう、人間関係がなかなか。それをどっちもちゃんとこなせるタイプなんだよね、舷は」
「ほーん」
莉央は冷ややかな目でこちらを見る。
「つまり人の気持ちが分かんないやつだってことでしょ? えー、これどうしようかな」
「ん?」
これ?
莉央は立ち止まると、鞄の中をごそごそと探る。そうして取り出したのは、白くて四角い……。
「まさか」
「そう、色紙。頼めそうだったらサインもらってきて! とか言われたんだよね。おねぇに」
「あ~」
苦笑が漏れたのは、舷は絶対にサインをくれなさそうだなと思ったからだ。高校の時、差し入れやサイン、連絡先の交換をことごとく断っていたのを思い出す。
「まあいっか。もともともらえなさそうだもんね、話聞いてると」
「高校の時より大人になってるかもしれないけど……」
それでも、舷がにこやかにサインをしている姿は想像できないな、なんて考えていた、その瞬間だった。
近くを通り過ぎた茶髪の女の子を見て、道花の心臓が大きく跳ねた。
「ご、ごめん、ちょっと……っ」
「えっなに!」
それだけ言うと、莉央を引っ張ってずんずん逆方向へと歩く。
逃げずに背筋を伸ばして。そんな決意は一瞬でどこかへ行ってしまった。
――怖い。
「どうしたの、出口と逆なんだけど!」
「ごめん」
怒っているというよりは、ただただ驚いている莉央に申し訳なさしかない。
「さっき通り過ぎた子たちの中に、その……高校の時上手くいかなかった子がいて……」
「えっ」
上手く行かなかった、なんかじゃない。一方的な攻撃だった。本当はいじめられた、という言葉が適切だとは分かっていたけれど、自分では絶対に言いたくなかった。
「はぁ~~っ」
「大丈夫!?」
道花は、顔を両手で覆ってしゃがみ込んだ。
「会ったら絶対、堂々としてやろうと思ってたのに~~っ!」
悔しくて悔しくて、大きな声が出た。
道花に、キャプテンとして足りなかったところがあったのは間違いない。でもそれを鑑みても、あの子にされたことは、何度振り返っても理不尽な暴力だった。物理的に手を出されていないにしても、精神的な。
もっとみんなの力を伸ばせるキャプテンでありたかった。そう思うからこそ、あれは仕方なかったのかもしれない、と考えた時期もある。でも、今はそうは思わない。
だから、こっちが逃げる必要なんかなかったのに!
「まあまあ」
莉央がぽん、と手を肩に置いてくれて、道花ははっと我に返った。顔を上げると、優しい表情がこちらに向けられている。
「そういうのは徐々にって言うじゃん。まずはほら、今回は私のせいでもあるんだけど、バスケを久しぶりに観られただけでもよしとしない?」
「……そうだね」
まだ悔しさが胸に燻っているけれど、莉央の言葉で少し落ち着いた。
確かにそうだ。急ぎすぎないほうが、きっといい。
「ありがとう」
そう言って立ち上がり、きょろきょろと周りを見た。
「やば、ほんとに奥まで来ちゃったね。出口どっちだろ」
「今からさっきの所に戻って、また会っちゃうのも嫌じゃない? 違う出口探してみようよ」
莉央の言葉に甘えて、二人で壁にかかっている案内図を見る。
「あ、こっちいけそうじゃない?」
「たしかに。ん? 搬入口みたいな感じかな」
「ちょっと通るくらいだったらいけるかな……だめだったら戻ろう」
案内図にあった、狭い通路のような場所。段ボールが置かれていたりするのが気になるけれど、とりあえず進んでみる。
「あー、やっぱりだめか」
「戻ろっか。いい感じに時間も経ったし、その子にも会わないでしょ」
二人の前に現れたのは『関係者以外立ち入り禁止』の扉だ。もともとダメ元ではあったし、時間稼ぎになってよかった。くるりと背を向けて、さっさと引き返そうとした時だった。
ガチャリと、音がした。
「ミーティング何時からだっけ」
「三十分から」
「うわ、あとちょっとじゃん。漏れる、はやく行けって」
黒いジャージを着た二人が扉から現れて、突然その場が騒がしくなった。
「え」
一瞬頭がフリーズして、動けなくなる。視界の端で、隣の莉央も固まっているのが見えた。
(このジャージ、まさか……)
さっと血の気が下がる。やばい、さっきのあの子よりもやばい気がする。
逃げないと。
そう思って、一歩足を引いた時だった。
「あれ」
さっきまで試合に出ていた、二十番、ポイントガード。混乱しすぎて名前が出てこない。
彼が後ろのチームメイトに向けていた顔を前に向け、こちらに気づく。リラックスした表情が、途端に硬くなった。
「観戦しにきた方ですか? ここは関係者しか入れないですよ」
「あ、迷っただけで。すぐに行きます」
「若葉選手……」
強い警戒と今にも怒られそうな気配に、道花はさっさと立ち去ろうとしたが、隣の莉央は足を止めてしまっている。
「まさか、わざと入ってきたんじゃない……よね?」
若葉の声が一段低くなる。その視線の先を見てはっとなった。若葉の目が捉えているのは、莉央の鞄から飛び出たままの色紙だ。
待って、まずい。いらぬ誤解をされてる。
「莉央」
莉央の袖を引っ張ったその時だ。
「どうした」
後ろから聞こえたその声に、道花の身体は凍り付いた。
「や、この子たちが、サイン欲しくて入ってきちゃったみたいでさ」
(違う!)
そう心では叫ぶのだが、道花の意識は今、若葉の後ろから現れた姿にくぎ付けになっていた。
「サイン?」
怪訝そうな顔をしながら現れたのは、さっきまで噂をしていた、水上舷だった。
手の届かないコートにいて、もう一生交わらないだろうと確信した相手。
だが、三年前まで、毎日どころか朝も昼も夕方も、時には休日にまで顔を合わせていた相手だ。
舷の目が道花を捉えるまでの時間が、スローモーションに見えた。
こちらを向いた目が、大きく見開かれる。
「道、花……」
幽霊でも見たような顔だと、頭の隅で思った。道花の喉はひゅっと鳴る。
逃げ出そうとして足に力が入ったが、舷の様子を見ていた若葉が言った。
「ん? 舷の知り合い?」
「あの、私たち、間違ってここに迷いこんじゃっただけで!」
莉央が前に出て、庇うようにして舷の視線から逃がしてくれる。
「え、じゃあそれは?」
若葉に色紙を指差されて、莉央がぎょっとなる。舷の視線が動き、同じくそれに気づいたのが分かって、道花の顔はかっと熱くなった。
部活から、そしてバスケから逃げたくせに、ミーハーな気持ちでサインを貰いにこんな所に入り込んだ。そんなふうに舷に思われたら、耐えられない。
「こ、この子のお姉ちゃんから、サインを貰えないかなと頼まれてたのは本当です。でも、貰えるとは思ってなかったし、貰うつもりもありませんでした。ここには、本当に迷いこんだだけです」
どう聞いても言い訳にしか聞こえないが、もうこれで逃げるしかない。
「失礼しま……」
「誰の?」
頭を下げた道花の上から、低い声が降ってきた。
「え?」
莉央がぽかんとなり、さっと道花を見てから答えた。
「えっと、水上選手と、若葉選手、です……」
戸惑った莉央が、二人をそれぞれ手のひらで指す。
舷は無表情のまま、手を差し出した。莉央が信じられないという様子で色紙を手渡す。
「誰かペンある?」
「ペン、あ、私、あります」
そう言って莉央がまた鞄を探り、油性のマジックペンを取り出す。舷が受け取ってサインをする横を、「俺はいいよね!」と言って、残り一人が急いで通り過ぎて行った。
「えー、舷がするなら」
「ありがとうございます……」
まだ少し疑いの視線をこちらに向けている若葉も、そう言ってサインをしてくれる。
「間違いかもしれないけど、あんまこういうとこ来ないほうがいいよ。でも、これからも応援よろしくね~」
サインを終えた若葉の声色はさっきとは違って、きっと、コートで見た柔らかい笑みを浮かべているのだろうと思った。
道花はまるで見えない何かに頭を押さえつけられているように、ただ色紙だけをずっと目で追っていた。
「ほんとに、ありがとうございました。じゃ、じゃあ、これで……」
莉央が色紙をそうっと鞄にしまい、頭を下げる。道花は莉央と同時にくるりと方向を変えた。
とにかく、この場から去りたかった。
舷の口から、また聞きたくない言葉が出る前に。
またあの責めるような、軽蔑するような目で見られる前に。




