5.交わらないはずだった(2)
「勝手に練習メニュー変えられたり、無視されたりしちゃって」
そう言って、どうして私がこんなことを言わないといけないのかと悔しくなる。
「はあ!?」
でも、莉央の弾けるような声で、その気持ちは引っ込んだ。
「何それ! 高校生がやることじゃないじゃん。レベル低っ……あっ、ごめん、道花も通ってた高校だった」
莉央が慌てて口を覆う。そんな莉央らしい仕草に、ふっと笑うことができた。
「いいよ、ほんとのことだし」
それから、もう一度チケットに目を落とす。チケットには、『全日本大学バスケットボール選手権大会』の文字。
――通称、インカレ。
道花は額に手を当てた。自分が馬鹿すぎる。
大学バスケの、最も大きな大会だ。いくらなんでもここに来るまで気づかないのはありえない。
「どうする? 帰ろっか。ゆっくりランチでもしようよ」
「いや……」
莉央は後ろ髪を引かれる様子もなくあっさり言う。ありがたい、と思ったが、でも、素直に頷けない。
「無理しないほうがいいし。ほら、行こ」
「待って!」
思ったより大きな声が出てしまい、莉央が目を丸くしている。
「行く。行きたい。むしろ、ついてきてほしい」
「はぁ!?」
道花が地面を見つめたまま言った言葉に、莉央は眉間の皺を寄せる。
「ちょっと最近さ、もう、進路のこととかも、わけわかんなくなっちゃってて」
「え? う、うん、それは分かるけど」
「たぶん、高校の時のことをなんとかしないと、前に進めないのかなとか思って」
「ええ~? それがこれとどう関係が……」
「私、あれからずっとバスケ自体を避けてた。でも、今日のこれがいい機会かもしれないなって思って」
莉央は険しい顔で言った。
「勢いづいてるとこ申し訳ないけど、あんまりよくないんじゃない? 言いにくいけど、要はトラウマ、みたいなことでしょ? 真正面からぶつかってどうにかなるもんでもないと思うけど」
莉央の言う通りだ。分かってる。
「でも、お願い」
ぎゅっと拳を握りしめる。莉央の呆れた視線がこちらを向いている。
進路を決めた時みたいな、自分の悪いところが出ている。それは分かっていた。
でもこの機会を逃せば、きっともうバスケの試合を見に行くことはない。
道花はあの時、逃げた。でも、逃げ続けるのは嫌だ。
「はっきり聞くけど、会いたくない人に会う可能性もあるんでしょ?」
莉央の問いかけに頷く。
都内の会場。その可能性は十分にある。
「り、理想は……会っても、背筋をピンと伸ばして、こう、堂々と、してたい」
「絶対できないでしょ、その感じ」
「やっぱそうかな」
莉央にじろりと見られて、しゅんとなる。
「とりあえず中ちょっと覗いてさ。それでまずは一歩ってことでいいんじゃない? 無理そうだったら、ゆっくりカフェでも入ろうよ」
「うん……莉央、ほんとにありがと」
「いや、そもそもこっちがちゃんと言ってなかったのが悪かったし……」
ためらいながらではあるけれど、莉央は了承してくれたようだ。
莉央が歩き始め、束の間、その後ろ姿を眺める。
(無理やり付き合わせちゃったな……)
自分の理想の姿とのギャップを埋めたくて、意地を張っているだけだ。
それは分かっていたが、でも、やっぱり逃げたくない。
道花は小走りで、莉央の隣に駆け寄った。
野々木体育館に近づくと、道花は改めて、インカレだと気づきもしなかった自分がすごく恥ずかしくなってきた。
バスケットボールを持った選手のポスターがあちこちに貼られている。応援団や関係者らしき沢山の人、カメラマンにインタビューアーまで来ている。すごい盛り上がりだ。
道花も小学校からバスケをしていて、当然プロを夢見た時もある。インカレがどういうものかも知っているつもりでいた。でも、実際に現地に来ると想像以上だ。どれほど熱量高く、注目されているものなのかを実感する。
(こんなに人がいるなら、誰も私になんて気づかないな)
そう思うと、少し気持ちが楽になってきた。
中に入ると、チケットの提示と入場チェック。通路を進み体育館へ入った瞬間、圧倒された。
――すごい。
息を呑むほど広い会場の上部には、大きなディスプレイが設置されている。そこに流れるテレビCMのようなプロモーション動画。眩しい照明に照らし出されるコート。複数のチームが、事前のウォーミングアップを行っている。
――これが、インカレ。
しばらく瞬きも忘れていた。
大学バスケという言葉だけでは想像できなかった。
(これほど、プロを感じさせる大会なんだ)
懐かしい。でも自分の知らないバスケの世界に、目の前がキラキラと輝く。一瞬、辛かったあの頃をすっかり忘れるくらいに、華やかな世界に魅了された。
「道花、どう?」
その声にはっとなる。現実に引き戻されて観客席を眺め、夢から覚めたみたいにぼうっとして、そのまま莉央のほうを見た。
「ごめん、圧倒されてた……」
「あはは」
莉央は笑い、それから笑顔を引っ込めた。
「まあこんだけ大規模だと、会いたくない相手がいても大丈夫かもね」
「うん、思った」
観客席はうす暗くなっていて、よほどしっかり見ないと顔なんて分からない。会っても背筋を伸ばしていたいなんて言っておきながら、気づかれないと思うとほっとした。
「でも、よかった。念のためあのへん座ろっか」
「うん、ありがとう」
チケットは自由席だ。莉央が同じ大学らしき人たちが集まっているところは避けて、離れた端の席へ進んでくれる。椅子に座ると、ほっと息が漏れた。
「高校のウインターカップみたいな感じかと思ってた。舐めてたな。こんなに人が来てるんだね」
「あ、でも対戦カードによっても違うのかも。お姉ちゃん、今日のはもう自由席も取れないって言ってた」
「あ、え、どこだっけ」
「えーと、上城大学と立誠大学だって」
莉央がそう言ってチケットを差し出して見せてくれる。道花の動きは、そこでまたぴたりと止まった。
(……待って)
本当に、頭が回っていない。
バスケの強豪校。プロを目指す人間が、絶対に選択肢に入れる進学先。バスケの推薦で入れるのは一握りだが、道花のいた高校からも進学実績があった。
『プロ、目指そうと思ってる』
あいつは、そう言っていなかっただろうか。進路をどうするのか、大学をどこに決めたのか。あの時からそんな会話ができる状態ではなくなって、結局そのあと彼がどうしたのかを、何も知らない。
あの時から道花は彼を避け、バスケに関する情報は完全にシャットアウトした。自分の身を守るために。
道花の胸がざわめいているのをよそに、その瞬間、大音量の音楽とともに、会場の照明がちかちかと瞬いた。
一瞬の暗転から、直後、ドラマティックにコートが照らし出される。
わくわくするような光と音楽の演出に、隣で莉央が「わー!」と声を上げた。
「始まるね!」
道花の覚悟が定まる間もなく、スターティングメンバーがコートに歩み出る。その中の一人を見て、道花は、今度こそ呼吸が止まりそうになった。
「舷……」
「えっ?」
口から溢れた名前に、莉央がばっとこちらを向く。
「えっ、誰かいた? どこ!?」
「あそこ、に……」
呆然と下を指差す道花に、莉央がぎょっとなった。
「コート? ええ!? 選手ってこと!?」
道花はこくりと頷いた。
視線の先では、記憶よりさらに体格の良くなった彼が、ぶらぶらと首や手首を動かしている。ほかの選手に引け目をとらない背の高さ。目つきは少し悪くて、でも高校からファンも多かった整った顔。
「ど、どれ?」
「六番。水上 舷……」
「ええっ!? 水上選手……っ」
なぜかおそるおそるという様子で聞いてきた莉央が、大げさなほど仰け反る。その驚き方が、まるで何かに心当たりがあるみたいな反応だったので、首を傾げた。
「知ってるの?」
「お姉ちゃんがファンでさ、水上くんと若葉くんは目に焼き付けてきて! って言われてたんだ」
「そう、なんだ」
ファン。推し選手。その言葉をもう一度反芻して、下に目を遣った。
シューティングガード。高校時代から変わらない舷のポジションだ。スリーポイントシュートや、ドリブルによってディフェンスエリアに切り込み、得点を奪う。いわゆる花形ポジション。
――インカレ準々決勝。大学二年生で、強豪立誠大学のシューティングガード。
(すごすぎる)
くらりとした。
もう、全く別世界の人間だ。
「高校の同級生……ってことだよね?」
「うん。舷……水上くんが男バスのキャプテンで、私が女バスのキャプテンだったんだ」
莉央がこちらの様子を気遣いながら聞いてくれているのが分かる。
「やめる時に、ちょっと、水上くんともいろいろあって」
あの時まで、仲は良かった。一緒に帰ったことは何度もあるし、舷とバスケの話をするのは楽しかった。きっと、舷も同じように感じてくれていたと思う。
でも、道花はぶつかった問題と上手く闘えなかった。
舷がそんな道花をもどかしく思い、それが徐々に苛立ちに変わっていって……。
逃げるという選択肢しかなくなった時、舷と言い争いになって、そこで、二人はもう絶対に分かり合えないことが明確になった。
道花は弱かった。舷にそれが許せないなら、離れるしかない。
こちらを見る、あの幻滅した目。
それを思い出して、ぎゅうっと胸が痛くなった。
舷のプレーを、冷静に見る自信がない。
その時、ホイッスルが鳴った。ティップオフだ。
審判が投げたボールに、目が吸い寄せられる。




