24.取り戻す(3)
「でもこれ読んでると、水上くんに対しては、ごめんね、語弊があるかもしれないけど、よくある話じゃない。君たちはこう、お付き合いしてるわけではないん、だよね?」
「渡辺さん、それは」
もう一人が止めようとするが、あくまでポーズで、本音は聞きたいように見える。
その視線が、舷と、道花のほうにも向いた。
「違います」
言葉を発したのは、道花のほうが早かった。自分の声が思ったより通って、心臓が跳ねる。向こうも、一瞬気圧されたように目を瞬かせたが、気を取り直したように言った。
「そうなると、どうして君にもここまで攻撃が向いちゃうのかな」
そこで、ようやく道花は気づいた。一気にもやもやとした気持ちになる。これは、道花にも原因があるのではないか、と言われているのだ。
「この子は、バスケも勉強にも真面目に取り組む子です。この子に否はないと断言できます」
その時、父の毅然とした声が響いた。力強い声に、心の中に、ぽっと明かりが灯ったような気持ちになる。
でも、向こうはまだ納得したわけではないようだ。親はみんなそう言うんだよ、とでも言いたげな、生ぬるい笑み。
「わ、私は」
どもってしまったけれど、勇気を出して口を開いた。自分のことなのに、ここで黙っているのは耐えられない。
「彼女――尾澤結衣ではなく、私がキャプテンになったことと、プロになる可能性もある水上くんと今でも交流があることに嫉妬してる、んじゃないかと思います」
たどたどしくだけれど、言い切る。もっと言うべきことがあった気がするけれど、何も思いつかなくて悔しくなる。
「まぁ、思春期の間違いの一つなのかなぁ」
渡辺、と呼ばれた人が言った言葉に唇を噛み締めた。私の苦しみは、そんな言葉一つで納得されるようなことなのだろうか。
「すいません、僕からもいいですか」
その時。舷が、隣で手を挙げた。
視線が一気に舷に向く。何を言うつもりなのかと、道花の心臓は跳ねた。
「広瀬は、俺がバスケを続けてきたきっかけになった人です。選手を見て、その成長をさせるためのアドバイス、課題が瞬時に浮かび、本人に適切に伝えることができる」
道花は目を見開いた。まさか、そんなことを言い出すとは夢にも思っていなかったのだ。
「どの道に進んでも、広瀬に指導してもらった人は、きっと救われます。今後の日本のバスケットボ―ル界に必要な人だと思っています。尾澤はおそらく、そこに嫉妬してる。自分には、手の届かない才能に」
しんと、沈黙が落ちた。おそるおそる顔を上げると、前に座る二人と、それから父も、ぽかんとした表情で舷を見ている。恥ずかしい。
ごほん、と咳払いが鳴った。
「熱い言葉をありがとう」
茶化すような言葉に、ますます顔が熱くなる。おそらくこの部屋で今照れていないのは、きっと舷だけだ。
「……今後の動きと、誓約書についても承知しました。またその後の動向だけ、共有していただけますか」
「はい」
「ありがとうございます」
なぜか恥じらうようなおじさん二人が、表情を引き締めるようにそう言うと、監督と父が返事をした。
また、元の雰囲気に戻る。
(これで、終わり……?)
不快なことはなかったとは言えないが、なんだか、あっけない終わりだった。きっと、話し合いは成功ということでいいのだろう。
道花はほとんど何もしてない。舷が本庄監督と、事前にそうなるよう、念入りに準備と根回しをしてくれたのだ。
「あれ、言う必要、あった?」
監督と舷にお礼を言ったあと、父は仕事があると言って駅に向かって行った。監督も車を停めているらしくパーキングへ。改めて舷と二人きりになると、気が抜けたのもあって、まずそれを突っ込みたくなった。舷はじろりとこちらを見る。
「あっただろ。誰も、バスケに関してお前のことを分かってる人間がいなかった」
「それは……」
そうだけど。実を言うとちょっと責めたい気持ちがあったのが、舷があまりにも堂々としているので、こちらが圧倒されてしまう。
「道花」
舷が言い聞かせるような声を出した。
「今後、お前がどの道に進むとしても、お前は自分の才能を信じてほしい」
出てきた言葉に、一瞬、周囲の音が聞こえなくなった気がした。
舷の真摯な目だけがこちらを向いている。道花の才能を、おそらく道花よりも信じてくれている目。
「……うん」
舷は道花が頷くのを確認して、よし、というように頷いた。
「……じゃあ、俺ももう行く」
「うん、ほんとにありがとう」
次に会うのは、彼女と対面する場になる。今日みたいに穏やかには終わらないだろう。
去っていく背中は広く、頼もしかった。
絶対になんとかするという気持ちが、その背中から伝わってきた。
*
「頑張って」
詩織と、そして莉央と紬。詩織は二人と初対面だけれど、三人はその日、近くまで一緒に来てくれた。
「なんか、人数が必要そうだったら駆けつけるから」
「ありがとう」
勢いのある詩織の言葉が心強い。少し離れたところで父が待っていて、三人の視線を感じたのか、ぺこりと頭を下げた。
「似てるね」
「え、やだ」
紬の言葉に、反射でそう答えてしまう。詩織と莉央が吹き出して、ちょっとだけ緊張が解けた。
「じゃあ、行ってくるね」
「うん。終わって、会いたかったら連絡ちょうだい。会いたくなかったら連絡なしでほっといていいからね。三人で適当に遊んで帰る」
「ありがとう」
莉央のサバサバとした気遣いがありがたい。今日、何が起こるのか、終わったあと自分がどうなっているか、本当に分からない。
「そろそろ行こう」
「うん」
三人に手を振って、父と歩き始めた。
舷と本庄監督がどう動いてくれたのか分からないが、今日は、結衣の通う文城大学の一室を借りるそうだった。大学を通して、彼女と親を呼び出したらしい。
大学の構内に入ると、緊張がぐんと高まった。先に結衣に偶然会う可能性だってある。そう思うと、心臓がばくばくと音を立て始める。
「えっと、こっちだよな」
「事務センターだったから、うん、合ってる」
いつもの頼りなさげな父の声が不安を駆り立てるような、逆に、力が抜けてありがたいような。
構内に掲示されている地図で確認してそちらに進むと、本庄監督と舷が立っているのが見えた。
「先日に続き、どうも」
「どうぞ宜しくお願いします。まぁその……前回よりは、ちょっと大変かもしれませんが」
「そうですね」
二人の大人が苦笑いし合っていて、道花の緊張も高まる。舷を見ると、さすがというか堂々としたまま、こくりと頷いた。
本庄監督が受付に声をかけると、女性が一人出てきてくれた。
「こちらの部屋を使ってください。えっと、何かあればお声かけいただけたら」
「ありがとうございます」
大学の人は同席せず、この場所を提供するだけのようだ。
前と同じ並びで中のパイプ椅子に座り、また監督と父の世間話を聞きながら、何度も唾を飲み込んで、しばらくした時だった。
――てか、なんなの話って!
――いいから入りなさい!
扉の向こうから聞こえた声に、身体がびくりとなった。
「大丈夫か?」
舷の言葉に、机をまっすぐ見て頷く。
怖い。でも、私には味方がいる。大丈夫。そう言い聞かせる。
今聞こえた声は、片方は結衣のものだった。では、もう一人は母親だろうか。
「なんか揉めてますね。外に出たほうがいいかな」
「そう、ですね。誰が中にいるか分からないよりは、入室を促しやすいかも」
「じゃあ、私が」
本庄監督が父の了解を得て外に出る。
三人が話す声がする。監督がどう話をしたのか、結衣の声が心なしか落ち着いたようだ。そして、再び扉が開いた。
「え、舷くん? ……は?」
「いいから、止まらないで」
結衣は舷を見ると一オクターブ高い声を出し、そして、道花を見つけると、別人のように顔を歪めた。後ろから、辛そうに眉を寄せ、見るからに恐縮している、スーツを着た女性が入ってくる。
(あれが、結衣の……)
「まじで、なんなのこれ」
「彼女にはお話されてないんですね」
「すみません、話すと、絶対来たくないと言いそうだったので」
監督の言葉に、結衣の母親は縮こまるように背中を丸めて、申し訳なさそうに言った。強引なやり方だとしても、こうして連れてきてくれたということは、こちらへの理解はあると思っていいのだろうか。
結衣が入ってきてからずっと、その視線が道花にぐさぐさと突き刺さっていた。どうしてお前が舷くんの隣に座っているんだ、この場はなんだ。全ての憎しみが自分に向けられているように感じる。
「尾澤結衣さん、ですね。今日はなんでここに呼ばれたのか、心当たりはありそうかな?」
「いや、わかんないです」
本庄監督がいてくれて、本当に良かったと思った。普段おおらかな父の顔にもはっきりとした不快感が浮かんでいて、監督がいなければ、冷静に話が進められたか分からない。
結衣はふてぶてしい態度で首を振る。
バレているとは夢にも思っていないのだろうか。怒りで、拳をぎゅっと握り締めた。
「じゃあ、手っ取り早くお伝えしたほうがいいかな」
本庄監督はそう言うと、この間大学バスケ協会にも提出した書類を結衣の前に置いた。先日のものとは違い、大学名や研究室名が出ないように、一部黒塗りされている。
結衣は怪訝そうに目を近づける。その顔が、一瞬でさっと青ざめた。
「立誠大学の水上に対するこれらの行為、それから、広瀬さんに対するSNSの書き込み、大学へのメール送信を行ったのは君だね」
「ち、違います!」
ぶんぶんと首を振る結衣の顔は、明らかに引きつっている。
嘘だ。そう言いたかったけれど、ぐっと堪えた。
「え、これって冤罪ってやつですよね。私、ほんとに心当たりありません!」




