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ゴールを揺らすのは、後悔以外で  作者: ひねみずうみ


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21.波乱(4)

 次の日、詩織からメッセージがきていた。


『舷くんに連絡先教えてもいい?』

『いいよ』


 ついこの間まで、連絡先なんて交換しなくてもいいという気持ちだったのが、今は特に抵抗はない。詩織に返事をして一時間もしないうちに、舷からメッセージが入った。


『昨日のことは忘れてほしい』


 それを見て、ふはっ、と吹き出してしまった。にやにやしながら返信を打ち込む。


「なんか、かわいかったよ……っと」


 送ったメッセージには、すぐに既読がついた。そして。


『忘れろ』


 また、んふっ、と笑いが漏れた。

 少し前まで、二度と会いたくないと思っていたのに。こんなふうに穏やかで楽しいやり取りができることが信じられない。

 大人になったんだなぁと思う反面、まだまだ幼いままの部分も垣間見えて、なんだか微笑ましい。

 自分も誰かにはそう映っているのだろうか。

 少しずつでも、前に進めていればいい。

 そんなことを思いながら、机の隅に置いた資料を手に取った。


「どうしようかな、ゼミ」


 少し早いけれど、道花は研究室訪問を始めてみていた。その時の資料とメモだ。そこから一枚、取り出して手に取る。

 やっぱり、アスリートのサポートができる研究に興味がある。かなり理系寄りだから今からたくさん勉強しないといけないけれど、道花の中で気持ちは固まりつつあった。


 まだ目標は漠然としているけれど、前に進めるかもしれない。そんなふうに、感じ始めていた。



 それから、一ヶ月ほど経ったある日のことだった。

 いつもの食堂の、窓際の席。前の講義が空きコマだった莉央と紬からそこにいるとメッセージが入っていたので、道花は二人の姿を探した。食堂の中はそれほど混んでいなくて、すぐに二人の頭が見えた。近づくと、向こうもこちらに気づいて手を挙げてくれる。だが。


「……?」


 あれ、と思ったのは、二人の表情がやけに険しかったからだ。嫌な予感がして、早足でテーブルに近づいた。


「席ありがと……え、どうしたの?」

「道花」


 莉央の言葉はそこから続かない。紬と顔を見合わせる。


「なにかあった?」


 道花は椅子に腰かけると、答えの分かっている質問を投げた。莉央は紬と頷き合ったあと、スマホを差し出してくる。


「ごめん、多分、嫌な気持ちになると思うんだけど」


 そう枕詞を置いて、莉央が見せてくれた画面はピクスタだった。みんなが日常の写真をコメント付きで投稿するSNS。道花はやっていないが、詩織からもよくこの画面は見せられている。


「これ、この投稿」


 道花は目を細めた。体育館、だろうか。少しぼやけていてよく分からないけれど、そこに三人の女の子が映っていて――そこで、ぞくりとなった。


『【要注意】真ん中は水上舷の粘着ファン。迷惑行為も多いし、運営は締め出してほしい』


 下に書かれてある文章を読んで、それを頭で理解しようとしても、できない。


「なに、これ……」


 声が震えた。

 この写真も、この文章も、道花のことだ。明確な悪意。それも、不特定多数が見るネット上で。

 感じたことのない恐怖。周囲から見られているような感覚。足の先から、冷たくなっていく。


「きも、隠し撮りすんなよ」


 そう紬が吐き捨てるように言った。


「ほんとだよ。微妙に誰か分かるやらしいモザイクかけやがって」


 大丈夫、味方になってくれる友だちがいる。そう自分に言い聞かせるけれど、恐怖を抑え込むことはできない。

 黙り込む道花を、二人が心配そうに見る。

 道花は、アカウント名に目を遣った。もう、驚きはなかった。


 ――YUI_basketbolllove。


 結衣だ。確かめるまでもない。

 道花は両手で頭を抱えた。


「……どうしよう。これって、なんかすべきなのかな」


 莉央と紬がまた顔を見合わせた。それから引き締めた表情でこちらを向く。さっき道花が来るまでに、その話をしていたのかもしれない。


「めちゃめちゃ気持ち悪いけど……これだけだと、どうしようもないかもしれない。道花だってはっきり特定できるわけじゃないし」

「無視してたら収まったり……しないか」


 紬が途中まで言って、自分で否定した。三人とも無言になる。多分、考えていることは一緒だ。結衣は、きっと止まらない。


「これからバスケを見に行く予定ってある?」

「いや、ない……あ、でも、クラブがまずいかも」

「小学生の? バスケの指導してるやつか」

「うわ、ほんとだね」


 まず山口に話しておいたほうがいい。子どもたちに影響が出ないようにして、少なくとも、舷と指導の日が被らないように。場合によっては、しばらく指導は休んだほうがいいかもしれない。

 そこまで考えて、悔しさに下唇を噛み締めた。

 なんで、私が。

 影響はない。怖くない。そう思って強くなったつもりでいた気持ちが、一気に萎れていくようだった。


*


「お疲れ様です」

「あ、広瀬さん、お疲れ様~!」


 ノックをしてドアを開くと、長い髪を一つくくりにした、院生の浜野(はまの)がひょこりと顔を出してくれた。吉田(よしだ)研究室。武智大学の中で、企業との共同研究を行っているゼミの一つで、今日で二度目の研究室訪問になる。

 ゼミを選ぶにあたり、道花の目を引いたのは、理系分野の研究だった。この吉田研究室では企業とのスポーツウェアの共同研究をしていて、実践的な研究ができることも魅力の一つだ。


「あ、こないだ言ってたエネルギー消費量と心拍数の計測データ、見せてもいいやつあったから見る?」

「ほんとですか! 嬉しいです」


 一度目の研究室訪問の際に質問の相手になってくれた浜野が手招きしてくれて、一緒にパソコンの画面を覗き込む。


「ここクリックしてくれる? そう、このデータをこうやってまとめたりして」

「うわ、すごく分かりやすいです」

「そう言ってくれるのはありがたいけど、企業に見せるには全然ダメらしくて。毎日へこみまくりだよ」


 萎れてみせる浜野に、これで? と純粋に驚く。何かダメなのか、全く見当もつかない。


「結構地味な作業だし、数字とのにらみ合いだよ」


 大丈夫? と首を傾げてくる浜野に、こくりと頷いた。


「いや、たぶん私、好きだと思います。あ、まだやってないのに言うなって感じですけど……部活でも、データ見るのが楽しくて」


 この数字の並びから何を見つけどう解釈するかは、読み取り手の力量によって変わってくる。そう思うと、すごくやりがいがあると思った。

 きらきらした目で画面を見つめる道花を、浜野がにこにこ笑って見ている。


「あ、そういえば広瀬さん、高校、晴翔って言ってたじゃん」

「はい」

「天音さんって知ってる?」

「えっ、はい!」


 予想していなかった懐かしい名前に、跳ねるように顔を上げた。


「知ってます! すごくお世話になった先輩です」

「前データ取りで恵海(けいかい)大学に協力してもらった時から付き合いがあって、こないだ会った時、広瀬さんの話になったんだよ~」

「ほんとですか」


 聞かなくても、浜野を通して天音が元気であることが伝わってきて嬉しい。

 天音には、バスケ部を辞める時にメールを送っていた。実力不足で本当に申し訳ない、という内容に、気にしないで、またご飯でも行こう、と返ってきてそれっきりだ。自分から連絡する勇気は、道花にはなかった。


「めちゃめちゃいい子だって言ってたよ。このゼミにぴったりだって」


 浜野の言葉に、じんと胸が熱くなった。あんな最後で交渉を途絶えさせてしまったのに、そんなふうに言ってくれる天音の優しさが胸に染みる。特に、今の道花には。


「浜野くんいる~? あっ」


 その時、吉田教授が奥の部屋から顔を出した。ロマンスグレーの髪に眼鏡をかけた姿は、まさに品の良いおじさまだ。初めて研究室訪問をした日に少し話をしただけだけれど、「熱心な学生が来てくれて嬉しい」と目を細めて喜んでくれて、道花の緊張を解いてくれた先生。

 だが、今日は少し様子が違った。彼は道花のほうを見ると、硬い笑顔を浮かべる。


「広瀬さん、このあと少し話をさせてもらってもいいかな」


 少し苦い顔だ。


(なに? なんだろう……)


 いい話ではなさそうだ。

 見学する時に、何か失礼があっただろうか。それか、あまり頻繁に見学に来てもらっても困るとか、もう候補の学生は決まっているとか、そういう……?


 暗く沈みそうな気持ちを奮い立たせて、本棚に囲まれた先生の部屋に入る。部屋と呼ばれてはいるけれど、研究室の一区画が本棚で区切られているスペースだ。

 小さな机にことりとお茶を置いてもらったけれど、正直、飲める気分ではない。


「えっと、ちょっと広瀬さんに聞きたいことがあってね」

「はい」


 先生が、一枚の紙を手に持ちながらそう切り出した時だ。


「先生、絶対広瀬さんの話じゃないですからね! 天音さんから聞いたこと話しましたよね!」


 本棚の向こうから浜野の大きな声が聞こえて、先生は眉を寄せ、困った顔をした。


「浜野くん、ちょっと出てて」


 先生が少し厳しめの声でそう言うと、すいません、と小さな声が返ってくる。

 ガチャリとドアが開いて閉まり、研究室がしんとなるのを待って、先生は紙を一枚差し出してきた。


「……?」


 先生が頷いたので、それを覗き込む。差出人、件名、という言葉が書かれている。メールの画面を印刷したもの? その下、メールの内容にあたる部分に書かれた文章を見て、道花は息を呑んだ。


『武智大学二年生の広瀬道花は、高校の時から迷惑行為を繰り返しています。大学のほうでも対応をお願いします』

「……っ」


 血の気が引いた。


「その感じだと、心当たりはあるのかな?」

「ち、違います」


 見透かすような先生の目に、焦って咄嗟に否定してしまった。すぐに、それではまずいと首を振る。


「待ってください。厳密には、違わないんですけど……これを送った相手には心当たりがあって、その相手と諍いがあったのはたしかなんですが、でも、私が迷惑行為を繰り返しているというのは、事実では……」


 たどたどしくしか説明できない自分が嫌になる。先生は冷静だ。なのに道花は、見るからに動揺してしまっている。


「諍いっていうのは?」

「これを送ってきた相手は、おそらくですが、高校の時の、バスケ部のチームメイトです。当時揉めた原因は、私のキャプテンとしてのマネジメントに不満があるというものでした」

「不満」


 静かにその言葉を拾う先生に、こくりと頷く。


「決められたメニューをしてくれなくなったり、無視されたりして……その子に、先日見に行ったバスケットボールの試合で再会して、その、観覧席で、口論になってしまいました」

「迷惑行為と言えなくもない、と」

「……っ」


 違う。そう言いたいけれど、否定できるかというと、そうでもない。

 唇を噛み締めて黙り込むしかないでいると、先生は眉間を揉んだ。

 困っていることが伝わってきて、どうしたらいいかますます分からなくなる。


「僕は、広瀬さんがそういうことをする人間だと疑ってるわけじゃないよ。これだって、本来は君に見せるべきじゃない」


 ほんの少しだけ、先生の言葉に希望が見える。でも、続きがある。


「ただ、きっといろいろな部署を介して、君に届くには時間がかかるだろうと思ってね。その間に加害者が君に近づいてもいけないし……というのと、もう一点」


 先生はそこで言葉を止めて、どこか鋭さのある目がこちらを向く。


「僕には、君が希望してくれるなら、うちの研究室に来てほしいという気持ちはある。でも、うちも大学バスケ協会にはお世話になってるからね。絶対に、研究に関わってくれる選手に迷惑はかけられない」

「はい」

「何も対策しないまま、君に来てもらうのは……難しいかもしれない」


 分かってくれ、と訴えかける声色だった。

 また、足先から冷たくなっていく感覚。

 先生は、言いたくない部分を言い終えてほっとしていた。少し雰囲気が緩む。道花を残して。


「僕もスポーツに関わる人間として……例えばSNSの炎上みたいなもので、ただでさえ短いスポーツ選手の時間が奪われることは苦々しく思ってる」


 全く取り付く島がない、という感じではない。


「君はスポーツ選手ではないけれど、同じようには思ってる。警察なのか弁護士なのか……僕は詳しくないから参考にはしないでほしいけど、どこかその道の専門に伝えて対処してもらえるなら、それを担保として、ここに来てもらうことはできると思う」

「警察……」


 ことの大きさに、自分のことだとは思えなかった。

 先生は道花に、安全だという証拠を出せ、と言っているのだ。


「僕に言えることはここまでだ……ごめんね」


 道花の様子に、先生は申し訳なさそうに謝ってくれた。

 彼の立場からしても、仕方がない。それは分かっている。理解できる。

 でも……。

 道花は、声を出せば泣いてしまいそうだった。警察、弁護士。そんなもの、今までの道花の人生で関わることもなかった。きっと、周囲の人間も。何をどうしていいか分からない。

 悔しい、怖い、辛い。


「す、すみません、一点だけ」

「うん、なにかな」


 すごく気まずそうな先生の顔に、腹を立てていいのか、虚しくなればいいのか分からなかったけれど、何か聞かなければならないと思った。先生は研究室にいなくて、捕まらないこともあると浜野が言っていたからだ。震える声に、先生は優しく眉尻を下げる。


「その、これって、どこに送られてきたんでしょうか」


 机の上の紙を指差しながら聞く。先生は一瞬迷う表情を見せたけれど、答えてくれた。


「この大学の、外部に公開しているメールアドレスに送られてるみたいだよ。どの学部とか関係なく無作為に」


 返ってきた答えに、恐怖は増した。

 その執着が、恐ろしい。

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