20.波乱(3)
「どう? 続けてみて、負担になってない?」
「全然大丈夫です。忘れかけてたものを思い出せて、むしろありがたいっていうか」
「あー、分かるよ。心が綺麗になるよね」
道花は、コーチ陣での打ち上げに初めて参加していた。お酒が入っているからか、隣に座る山口も、いつもより正直だ。以前はもっと頻繁に飲みに行っていたそうなのだが、舷と女の子たちの問題があって、こちらも一旦中止にしていたらしい。
「はい、カシスオレンジ」
「ありがとう。ふふ、なんか変な感じ」
「なんでも言うてくださいねぇ」
道花の前にお酒を置いてくれたのは西宮だ。
山口から、できれば貸し切りにできるいいお店を知らないかと聞かれて、道花は採用はされないだろうと思いつつ、自分のバイト先を紹介してみたのだった。
以前から店長夫妻に「団体で使うことがあったら声かけてね」と言われていたし、おそらく大学のサークルや合コンのように羽目を外しすぎることもないだろうという安心感からだった。結果、参加者の住まいからちょうど真ん中で都合がよく、こうして今日は客として席に座っている。
いつもは働く側の店内で、西宮に接客されながら飲み食いするのは少し照れくさくもあったが、せっかくなので初めてお酒を頼んでみた。二十歳になって三ヶ月くらい経つけれど、思い切れなくてまだ飲んだことはない。
目の前の、オレンジジュースとしか思えない液体に目をやる。こくりと一口飲んで、ぎゅっと口を引き結んだ。オレンジジュースに似ているが、苦い。これならジュースのほうがいいかも、と内心思う。
「そうなんですよ、道花とは中学から一緒で~」
詩織の、いつもよりワントーン高い声が聞こえてくる。道花はそもそも交流が苦手で、自分から他のコーチに話しかけにいくことはほとんどないが、詩織はほかの大学生の子たちとも仲が良さそうだった。流石だなと思いながら舷のほうを見ると、同じように、別の日に来ている女の子と話している。
「バスケ関係なんやな、今日」
「そう、小学生のバスケクラブのボランティアコーチの」
「偉いなぁ」
「もしかして君もバスケ経験者だったりする?」
「いや僕はサッカーなんですよ~」
山口がどんなチャンスも逃さないとばかりに西宮にそう尋ねて、西宮が残念そうに首を振っている。
二人の会話を聞いているのは楽しいけれど、道花は少し落ち着かなくなってきた。みんなそれぞれちゃんと交流してるのに。山口もきっと、気を遣って道花の隣に座っていてくれるのだろう。
「なんか落ち着かないな。料理出すの手伝おうかな」
「あかんあかん、ちゃんとお客さんしといて」
「待って、俺と話すの嫌?」
「違います!」
山口が愕然とした表情で言うので、慌てて顔の前で手をぶんぶん振った。
でも、自分から何か話題が提供できるわけでもない。どうしたらいいか分からなくて、とりあえずグラスからもう一口お酒を飲んでみる。その時だった。
「悪い」
上から影が落ちてくる。続いて聞こえたぼそりとした声に顔を上げると、舷が申し訳なさそうな顔をして立っていた。なんだか心もとないというか……目が潤んでる?
「あ、もしかしてしんどい? じゃあ俺あっちいこうかな」
「すいません」
二人のやりとりについていけないうちに、すとん、と舷が隣に座った。
「え」
「ごめん、ちょっと、休憩」
舷と話していた子は、お手洗いに行ったのか席にはいなかった。山口がさっきまで舷のいた席に移る。
「もしかして、酔った?」
舷の目の下が少し赤くなっているのに気づいてそう尋ねた。舷はこくん、と頷く。なんだかいつもと違う。頼りなさげで、まるで子どもみたいだ。
気心が知れているから、道花の隣で休みにきたということだろうか。それにどこかむずむずした気持ちを抱きながら、水を差し出した。
「飲んだら?」
「ありがとう」
舷は差し出されたそれを素直に飲み、はぁっと息を吐く。
「舷、誕生日何月だっけ」
「五月」
「ああ、よかった、じゃあ大丈夫だね」
未成年飲酒なんてしてしまったら選手生命に関わる。舷に限って間違いはないと思うが、ほっと胸を撫で下ろした。
「そりゃ、そこはちゃんと、考えてる……」
そう言って力を抜いて椅子にもたれかかる姿に、なんとなく、さっきまで舷も少し背伸びをして頑張っていたのかなと思った。
「……」
「……」
だが、特に話すことがない。そして、今さら交流を深める相手でもない。周りの様子を見ながらまたお酒を一口飲む。そこでふと思い出した。
(あ、ある、話さないといけないこと)
これがお酒が回るということなのか、少し頭がぼんやりしていた。何を話すか準備ができているわけでもないけれど、なんとなく、このくらいのほうがいい気がする。
「こないだ、試合おめでとう、すごいよかった」
「……ざす」
先輩に言うみたいに頭を下げる舷がなんだかおかしい。
「えっと、そこでさ、……結衣に会ったんだ。尾澤結衣、分かるかな」
どこか緩慢な仕草でこちらを向いた舷の目が、徐々に見開かれた。
「実は高校の時、私が辞めるってなった原因というか……いや、原因っていうと他責すぎるか。ぶつかった相手で、こないだも、もう、すっごい小学生みたいなみっともない言い合いになっちゃって」
「どこで」
返ってきた舷の声は堅い。ああこれは怒られるなと思ったけれど、なんだかいつもより気は楽だった。何を話しているかあまり自分でもよく分からない。
「ほんとにごめん、試合会場の、立誠大学の観覧席」
舷の眉が寄る。険しい表情から逃げるように俯いて、ぼそりと言った。
「ごめん、迷惑だった。もう見に行かないようにす……」
「それだけは、絶対やめろ」
低く這うような声だった。はっと顔を上げると、こちらを睨むような鋭い視線がそこにある。
怒っている。その厳しい表情に、あの、高校の時を思い出して、背筋が冷たくなっていく。
「違う」
だが、その瞬間だった。
「違う、待て、そうじゃないんだ、俺は……」
舷は自分に言い聞かせるように言って、首を横に振る。
道花は、震えそうになる声を抑えながら尋ねた。
「違うって、なに」
「お前が何かを諦めたり、やめる必要はないんだ。それだけはやめてほしい」
切なそうに潤んだ目がこちらに訴えかけてくる。
「私が揉めたのが結衣だって知ってたんだ?」
舷はこくりと頷いた。
「お前が辞めるまで……気づいてなかった。あのあと、鈴原とか、女バスのほかのメンバーに聞いて」
「そんなことしてたんだ」
「ごめん」
自分よりはるかに身長も高いのに、なんだか舷が小さくなっていくみたいな錯覚を覚える。
「謝らないで」
あの時、舷を拒絶したのは道花のほうだ。その間に舷が誰に話を聞いたとしても、仕方ない。
「あのあと、女バスがどうなったかは、どこまで?」
「いや、知らない。もう全部見ないようにしてたから……特に発表がなかったから、勝ち抜けなかったのかな、とは思ってたけど」
「そうか」
そう言うと、舷は俯く。
「俺は、馬鹿だった」
俯いて掠れた声を出す目が水面のように揺れている。
ちょっと待って。
道花はびくりとなった。まさか。
「後悔しても、しきれない、ずっと……」
「舷、ま、待って、ちょいまち」
そう言って、舷に立ち上がるよう促す。さすがにここではまずい。
「あ、なんか気分悪いみたいで!」
周囲にそう言って、隠せているかは分からないけど舷との間の壁になる。
そのまま、外に引きずり出した。
店に来た時はまだ明るかったけれど、外はすっかり夜だ。
後ろを振り返ると、舷は鼻を啜りながら立ちすくんでいた。
泣いてる。あの舷が、泣いている。
「ほら、タオル……っていうかおしぼり」
「これ、誰か使ったやつ?」
「分かんないけど、いいでしょ」
すんすんと鼻を啜る舷の顔に、ぐいぐいそれを押し付ける。舷は少し抵抗を見せたけれど、諦めて大人しく涙を拭いた。
「ちょっと待って、お酒弱いの?」
「知らん、はじめてだから、わからん」
鼻を鳴らしながらぶすっと言う姿に、とうとう道花は我慢できなくなった。
「笑うなよ」
「いや、だって……」
舷の顔は、道花の顔を見て、切なく歪む。
「バスケを、続けてほしかった、お前がキラキラした目でバスケをしてるのが、好きだった」
「え」
掠れた声で伝えられた内容に、心臓が大きく跳ねる。舷は熱に浮かされたように続ける。
「あの時、かける言葉を間違えなければ……」
こちらを見ているけれど、なんだか、どこか別のところを見ているみたいだ。そこで言葉を止めて俯く舷に、きっぱりと言った。
「舷、申し訳ないけど、それはない」
顔を上げた舷の目が潤んでいる。やっぱり大型犬みたいだ、と場違いなことを思った。
「舷があの時どういう態度をとったとしても、私を助けてくれようとしたとしても、結局あの時の選択は変わってないよ」
舷が眉を寄せる。そんなことないはずだ、と顔に書いてある。
「あの時の私にできたのは、あれが限界だった。きっと、遅かれ早かれ、やめてた」
舷は首を振った。もう涙は止まっているみたいだ。
「お前が弱かったからじゃない。あんな状況で続けられるわけがなかった」
その言葉に、道花の心に、少し意地悪な気持ちが沸いた。
「大人になったね……高校の時の舷は、そうは言わないんじゃないかな」
「そうだな、あの時俺は、なんていうか……傲慢だった」
舷がどこか遠くを見るみたいに言う。もう取り戻せないものを、憂いているような。
「それがかわいくもあったけどね」
今この現実に戻ってきてほしくて、冗談めかして言う。舷の眉がぴくりと動いた。
「そんなふうに思ってたのか」
「不満そう」
「当たり前だろ」
くすりと笑いを落とすと、眉を寄せた、面白くなさそうな顔がこちらを向いていた。
懐かしい。変わっていない、あの頃のままの舷だ。なんだか、久しぶりに会った気がする。
そのまま見つめ合った、どちらからも言葉が出せなくて、胸は切ないのに、温かい。
そんなふうに感じた瞬間。
「お二人大丈夫そう~? あっ」
「あ、大丈夫、ありがとう」
店から顔を出した西宮がぎょっとなり、なんだか慌てている。
「えーっと、なんかみんな帰り支度はじめてはって……」
なぜか言い訳のように言いながら、目を泳がせている。舷が西宮に小さく頭を下げて中に入ったあと、西宮は道花に向けてぱちんと手を合わせた。
「すまん! ごめん! めっちゃ邪魔したっ」
「なにが? え? 何も邪魔してないよ」
きょとんとして言うと、今度は愕然としている。
「天然と……天然ってこと?」
西宮は眉を寄せて首を傾げている。よく分からなかったが、とりあえず舷に続いて店の中に戻った。




