18.波乱(1)
試合当日、駅の改札を出たところで待ち合わせた紬は、ルールブックを片手に現れた。
「そこから入るかぁ」
「いや、そういうもんでしょ! ほかの競技への敬意の示し方として!」
莉央の突っ込みに紬は胸を張る。道花は莉央と顔を見合わせた。
「どちらかというと最初はルールとかあんまり気にせずに、なんていうか、出し物見るみたいに楽しんだほうがいい気がするな」
道花の言葉に、莉央もうんうんと頷く。
「そう思うよ。今のプレー、なんかわかんないけどかっこいい、から始まって、なんで今ファウルなの!? とか思うところがあればルールを調べる、みたいな」
「え~、そういうもん~?」
会場になっている桜日大学に向かって歩きながら、紬が不満げにルールブックを鞄にしまう。うんうんと頷きながら莉央が言った。
「とりあえず私としては、まずは舷くんを見てほしいかな」
「それもどうかと思う」
道花は莉央の言葉に突っ込みを入れつつ、スマホで地図を確認する。道を曲がると大通りに出た。左右は桜並木だ。大通りの突き当りに見えるのが、目的の桜日大学のようだ。
「これ、春めっちゃ綺麗だろうね」
「うちの大学あんまり桜ないからなぁ」
目に入ってくるものについてほとんど反射で会話を交わしながら、大学構内に入る。試合が行われるのは体育館のBコートらしい。
「よかった、今回は普通の体育館だ」
「え、なんで?」
会場に入った道花は、ついそう零してしまった。紬がきょとんとする。
「インカレの準決勝、野々木体育館だったんだよ」
「え、ライブとかもやってる?」
「そうそう。プロモーション動画とか音響とか証明とか、なんかめっちゃお金かかってた」
「言い方」
周りに人もいるのに。莉央の背中をぱしっと叩くと、今度は紬がむくれている。
「え~、そっちがよかった」
「あっ! また紬が思い出して騒ぐ! この話はやめよう!」
莉央がはっとなって、腕を交差させて大げさなバツ印を作っている。道花は、まだ何か言いたげな紬を強引に席に座らせた。
「こんな近くで見れるんだ? 舷くんどこ?」
「えっとね、あ、あそこ」
紬の意識はすぐにコートに向いてくれたようだ。莉央がその隣で身を乗り出して下を指差している。道花は苦笑しながら、そちらは見ずに、会場を見渡した。
(これは、たしかに近すぎるかも)
シュートの練習をしていた選手たちがボールを片付けて、コートを横切るダッシュを始めている。
高校の時をますます思い出しそうだ。久しぶりに見たバスケの試合がここじゃなくて、あの大きな会場でよかったかもしれない。
「背ぇたっか、かっこよ」
「でしょ?」
二人の声に釣られて、莉央の指の先を見る。舷だ。
息一つ乱さずに、軽やかなダッシュを繰り返している。ぼんやりとそれを眺めていると、コートを横切った舷がこちらを向いて、目線を上げた。
「あ」
莉央の声がして、
舷と目が合う。
その目が、ほんの少し細められた。
「ふぅ~ん」
一瞬、時間が止まったかと思った。気づけば、莉央と紬に生ぬるい目で見られていた。
「……なに」
「いや、そういう感じなんだぁ~って思って」
「なにそれ」
「紬」
莉央が「みなまで言うな」みたいな顔で首を横に振っている。
(そういう感じって、なに)
面倒くさくなりそうだったのでそれ以上突っ込まなかったが、熱くなった頬をごまかすように、頬杖をついて顔を半分隠した。
舷が観覧席に目を向けた理由が、道花を探すためだったかもしれないこと。こちらへ向けられた目が、一瞬ではあったけれど、とても嬉しそうだったこと。
それに気がつかないわけじゃない。
心臓はまだうるさく音を立てている。
からかわれるのも嫌で二人のほうを見られないでいると、またホイッスルが鳴った。
「あ、始まるのかな?」
二人の意識がそちらにいったことにほっとして、道花も顔を上げた。選手たちが監督の周りに集まっている。
「ちなみにおねぇの一京大学の推しは、中野選手らしい」
「すごいなお姉ちゃん、全大学の試合見てるの?」
「分かんないけど毎回すごい早口で説明してくる。中野選手はドライブが果敢でイイって言ってた」
「専門用語?」
紬がルールブックを出そうとするのを笑って止める。せっかく試合を見に来たのに、コートから目を逸らすともったいない。
「ドリブルでゴールに攻めていくこと、かな」
「へ~」
それぞれのチームが円陣を組み、掛け声を上げる。
中央に選手が集まり始めた。いよいよだ。
「始まるよ」
そう声を出した直後、ボールが高くトスされた。ジャンプボール。試合開始だ。
「あっ、えっ、はや!」
紬がそう声を上げたのは、早速立誠大学が駆け出し、そのままファーストシュートを決めたからだ。
「なんか早すぎてよく分からなかった! あっ、しかももう反対側に! あっ止められた!」
「落ち着いて」
「確かに展開は早いよね」
莉央が訳知り顔で頷く。
「あっ、舷くんだ」
舷にボールが渡った。なぜか、道花の心臓も跳ねる。
(いけ……!)
祈るように手を組みたいところだが、それを我慢して欄干を握りしめた。
「あっ、すごい一人で抜いて……あーっ、何いまの!」
紬の言葉が何よりも先に出てくるから笑ってしまう。シュートは無事に決まったが、決めたのは舷ではない。
「オシャレだったね」
「オシャレって言うよねバスケの人」
莉央の突っ込みに笑って、解説を待っている紬のほうを向いた。
「舷は今二人がかりでマークされてて、あのままゴールすると決まらないと思ったんじゃないかな。直前まで自分で行くと見せかけて、味方にパス」
「しかもなんか後ろでパスしてた。なにあれ」
「かっこよ~」
目をキラキラさせている紬の横顔を見て嬉しくなる。
「あっこれは知ってるぞ! スリーポイントってやつだ!」
「紬、ちょっと声抑えようか」
また舷がシュートを決めた。ボールが美しい弧を描き、すぱん、と音が鳴る。
周囲がくすくす笑っている気配がして、苦笑しつつ紬の背中をぽんと叩いた。微笑ましいけれど、これ以上ヒートアップして試合に影響が出ないようにしないと。
紬の向こうで真剣に試合を見ていた莉央が、こちらを向いた。
「なんか、前の試合と違うね、舷くん」
「うん」
道花は頷いた。インカレの時は、久々にバスケと舷の姿を見たせいで余裕がなかったけれど、それでも、あの時とは違うのが分かる。なぜだか、胸が熱くなる。
舷は、楽しそうだった。
正直、インカレの時よりもミスは多かった。針の穴を通すようなパスを出してみたり、おそらくまだ、チームでも試行錯誤しているフォーメーションを試してみたり、チャレンジが多い。でも決してヤケになっているという感じではなく、時には選手同士で笑顔で耳打ちし合っていて、雰囲気は悪くない。
案の定というか、スコアも立誠大学のリードだ。
「水上、めっちゃいいな」
後ろから聞こえた声に頷きたくなる。
舷が、観覧席を魅了していた。みんなの目が、舷に吸い寄せられる。
そして。
直後、ディフェンスも付いてこれないスピードで舷がシュートを決めた。観覧席からつい「おお」という溜め息が出るほどの速さ。シュートを決めた舷が振り返り、チームメイトに向けて、ふはっと笑顔を見せた。
きゃあ、と観覧席のどこかから声が聞こえた。
莉央と紬が胸を抑えている。
「ぐっ、今のは! 攻撃力が高い!」
「なんでこっち見るの」
「いや、間違ってもガチ恋しないようにと思って」
莉央と紬がなぜかこちらを恨めしそうに見てくるから、よく分からなくてスルーすることにした。先日の笑顔を見ていたぶん、道花にはまだ耐性はあったけれど、それでも心臓に悪い。まだ胸はきゅんと疼いている。
「あ、今のなに? なんかしたね!?」
「シザースカットっていうフォーメーションになるかと思うんだけど、今のは、まず舷が若葉くんにパスを出して、そのあとそばを通り過ぎる時に手渡しでパスを受けた。そのあとはディフェンスと一対一のプレーになる」
「ていうか道花もすごいな。これ考えてやってるわけ?」
「私は考えるのは好きだけど、身体がついてこない。今下でプレーしてる選手は、正直みんな化け物だね」
語弊はあるかもしれないけれど、そう返した。スポーツ選手にもいろいろ種類があって、とにかく身体が先に動くタイプもいれば、考えて冷静に分析して、それを動作に落とし込むタイプもいる。
自分に合ったやり方が一番だけれど、舷は後者。再現性が高く、ミスも少ない。
(きっと、舷はプロになる)
道花はそれを確信した。前、インカレで見た時よりも、ずっと強く。




