14.バスケットボールクラブ(1)
「最悪だよ!」
道花の話を最後まで聞いた莉央は、音が鳴るほど強く机を叩いた。
「止めるひといなかったわけ? みんな同罪だよそんなの!」
「落ち着いて」
「落ち着けるかァ!」
お店のほかのお客さんが振り返るほどの声に、道花のほうが慌ててしまう。
いつも生き生きした莉央の顔が、般若みたいになっている。
「超ガキ。そんなん小学校で終わらせとけっつーの」
低く唸るような声で言う莉央に、道花はあの頃を思い出し、苦々しい笑みを浮かべた。
「私も、もっと上手くやれたらよかったんだけど」
「反省する必要全くナシ。全員性格悪い」
腕組みして言いきる莉央が心強い。
「道花、辞めてよかったよ。そこは、頑張るとこじゃない」
一緒に怒ってくれることに、情けないと怒られなかったことにほっとした。どこかでずっと後悔がある。それでよかった、と言ってもらえるだけでほっとする。
「水上舷~っ、あいつ~」
莉央は今度は天井を仰いで言った。
「最悪だよ、トドメ刺してるじゃん、完全に」
「いやぁ……今思えば、八つ当たりされてかわいそうだったけどね」
遠い日を思い返すようだった。自分で思っていたよりもずっと、あの時のことを話せるようになっていることに安心した。
「それに、そういう強さ……というか鈍感さとか、傲慢さとか、そういうのがあるから、あんだけ上に登っていけるんだと思うけど。人の細かい気持ちなんて拾ってたらキリないし」
「まあそうだけど……」
納得いかない、という顔をしたまま莉央がジュースを飲み、それからまたもの言いたげに道花の顔を見る。
「さっきの顔見た感じだと、後悔してそうな気はしたけどね」
「後悔?」
正直、全く見ていなかった。見るのが怖かったし。早く逃げたかったし。
「舷くんとはそれっきり? さっき会うまで」
「い、や……?」
お店の天井のくるくる回るファンを見ながら、思い出す。
「三日後くらい、かな? 誰から聞いたか分かんないけど、めちゃめちゃ怖い顔して私のクラスに来て」
「えっ、こわっ」
「怖いでしょ」
「で、どうしたの?」
莉央が前のめりになる。そんな面白い話じゃないけど、と前置きして続けた。
道花呼んでるよ、とクラスメートに教えられて、教室の入り口にいる舷に気づいた道花は、すぐに立ち上がり、反対側の扉から逃げた。
舷はすぐ追いかけてきて、人気のない中庭で向かい合った。
その時の舷の顔は、よく覚えていない。
「たぶん、その日先生から聞いてはじめて知ったんだと思う。どういうつもりだって絶対怒られると思って、舷が何か言う前にもう、『何が言いたいかはわかってる、でももう聞きたくない、話すことはない、幻滅したままでいい、私は舷みたいに強くない。私は舷の期待するような人間じゃない!』って捲し立てて」
「ふふ。しゃべる隙ないくらい?」
「そう」
自分でも思い出してみるとちょっとおかしくて、くすくす笑う。
「舷は何も言わなかった、気がする。詩織……あ、仲良かった友だちが追いかけてきてくれて、道花はもう行きなって言ってくれて、代わりに舷と話してくれた、気がする」
「その子いい子だよね。友達になりたい」
「めちゃめちゃ仲良くなれると思うよ」
笑いながらそう返す。あの時は、とにかく、自分の心を守るので精一杯だった。舷の表情を覚えていないのは、多分、意識的に見ないようにしていたからだと思う。
「そのあとも、謝ってくる気配とかはなかったってこと?」
「何回か話したそうな気配? 視線? は感じたけど、バスケに戻れとか言われても嫌だし……完全に無視してた、かな……」
「それなのにさっき、サインくれたんだ」
「……たしかに」
怒って幻滅している可能性しか考えていなかったけれど、たしかに、それにしては優しかった。というか。
「なんか、大人になったの、かな……?」
「どの目線?」
「分かんない」
また莉央と笑い合う。
サインをしてくれた舷の心境は、やっぱり、顔をよく見ていなかったから分からない。
「めちゃめちゃ後悔してる可能性は?」
「うーん? そういうタイプじゃないんじゃないかな。ついてこれない人間はわりとズバッと斬り捨てるタイプだと思うよ」
「ふぅん?」
莉央は何か言いだげだったが、そこで言葉が途切れる。少しの沈黙。
「大変だったね」
莉央の出した声はすごく優しくて、道花はその言葉も受け止めて、自然に微笑むことができた。
「そう、だから自分の中でいろいろ解決できてなくて、スポーツ科学部に入ったのもよかったのか悪かったのか……って」
「そこで避けないのが、道花らしい気はする」
「そう?」
くすくすと笑うと、莉央が優しい目をしていった。
「なんていうの……負けたくなかったんでしょ、自分の後悔に」
その言葉は、不思議なくらい心にすっと入ってきた。
「そう、だね。負けたくなかった」
そうだ。完全に蓋をして、逃げることはしたくなかった。
その選択に悔いはない。
だったら、私はこれからどうするべきなんだろうか?
*
「道花、ひっさしぶり~!」
「久しぶり!」
詩織とは別々の大学に進学したが、今でも二ヶ月に一度くらいは会ってご飯を食べに行く。お互いの大学の友だちの話をしたり、詩織の彼氏の話を聞いたり。卒業して以降、バスケの話は一度と言ってもいいほど出なかった。
「なんか、店員呼ぶときとかめっちゃ偉そうなんだよね! お前、親に学費出してもらってる大学生だよな? って冷めちゃって」
詩織の別れ話は、申し訳ないけれどいつも面白い。たまに相手の浮気だったり、本気で笑いごとじゃないこともあるけれど、なんでも笑い飛ばそうとする詩織の姿勢は好きだ。
「なかなか難しいわ、人と付き合うのって。誰とも続かなくて結婚できなかったらどうしよ」
「もう結婚の話!?」
「いやだって私らもう二十一でしょ? 考え始めとかないと!」
道花はぽかんと口を開けて宙を見た。結婚……。進路とか、これから自分がどう生きていくかも分からないのに、今度は誰とどう生きるか考えろってこと? 難易度が高すぎる。
「女友達でも合う合わないあるのに、男はもっとよくわからん」
詩織はそう言って首を振るが、何も知らなさすぎて、同意したらいいのかどうかも分からない。
何とも言えない笑顔でごまかしていると、詩織が突然じっと見つめてきた。
「なに?」
「道花、なんかちょっと元気そうだね。何か吹っ切れた?」
「あー……そう、かもしれない。実はこないだ、大学の友達とバスケ見に行ったんだ」
「え! ほんと!?」
詩織がやけに大きな声で言って、浮きかけた腰をまた落ち着ける。
「すごい反応」
「いや、正直嬉しいなって思って。道花がバスケ好きなの知ってるからさ、あんなので離れちゃってそれっきりっていうのを……心配はしてて」
「そう、だね……」
実は舷にも会ったんだ。それをどう切り出すか迷っていると、詩織が口を開いた。
「あのさ、実は、代松市で、地域のバスケクラブのボランティア指導員を探してるんだけどぉ……」
「え」
「道花、やらない?」
「え~……」
道花は氷の入ったグラスをストローでぐるぐるかき混ぜた。
少し前なら、即答で断っていただろう。でも今は迷う気持ちがあった。詩織もそれに気づいたようで、目がきらりと光った気がする。
「私も行くし、お試しでどう? コーチの指導実績にもなるし。いい人が見つからなくて困ってるんだって。強豪校のスタメン経験者がくるってだけで、みんなめちゃめちゃ喜ぶと思う」
「そんな看板背負いたくないな……いや、やるならお試しは失礼でしょ。ちゃんと決まった期間はやらないと」
「お! やる気になってくれた?」
即答せずにまた黙った。やけに押しが強い気もするけれど、なんだろう。
詩織が道花の視線に負けて目を泳がせる。そこでピンときた。
「あ、もしかして気になる人がいるとか?」
びくんと詩織の肩が跳ねる。
「まあ、そんな感じかな~?」
「人を利用しようとしてる……」
じろりと見ると、詩織は開き直ったのか、背もたれに身体を預けて、なんだか若干偉そうな態度で言う。
「そーーれは否定できないけど! なんかほら、道花の為にもなって一石二鳥かなと思って!」
「押しつけがましい~」
やり取りがおかしくて、そこでぶはっと吹き出した。
「相手は小学生だし、素直でかわいいよ。小学校の時点で道花に教えてもらえたら、みんなすごい上達すると思う。やりがい、あるよ」
その言葉には素直に揺れた。やりがい。未来のバスケットボール選手の成長の為だと思うと、たしかに魅力的だ。それに、コーチ指導実績になるというのも、打算的だけれど、就活の時に有利になるかもしれない。
「もっかいさ、初心に返るというか、純粋に上手くなりたい! 楽しい!っていう気持ち浴びたくない? ほんと、こっちが元気になるから」
「初心……」
きらきらした、バスケが上手くなりたいという気持ち。上手い選手への憧れ。上達していく楽しさ。
道花の中にまだその気持ちは残っているけれど、今はすごく遠く感じる。あれにもう一度触れれば、何か変わるだろうか。
いいかもしれない。もしかしたら、何に迷って悩んでいるのかも分からない今の状況から、抜けだせるきっかけになるかもしれない。
「いい、よ」
「やった!」
詩織がガッツポーズをするから、その大げさな仕草に苦笑が漏れる。
「よっぽど仲良くなりたい相手なんだ? いい人なんだね」
「まぁね~?」
におわせるような言い方は気になるけれど、詩織の照れ隠しかもしれない。
「じゃあ、来月の日曜日にね~!」
駅で詩織に手を振り返したが、その時にやっと、舷と会ったことを話すのをすっかり忘れていたと思い出した。
(そういえば……)
思い出すと同時に、インカレの決勝戦の結果が気になった。電車に乗るとスマホで検索する。そして。
(あの強さでも、優勝できなかったんだ……)
70対63で、日東体育大学の勝ち。
スマホを伏せて、顔を上げた。
悔しがっているだろうか。いや、あの試合の様子からすると、静かに結果を受け止めて、何事もなかったかのように帰っていきそうな気もする。
(舷と会ったことは、また、次に会う時でいいや)
そう思って、流れていく夜景をぼんやり眺めた。




