12.過去(5)
新体制になって、結衣は、懸念していたより普通だった。
ほかのメンバーと話す時より、道花に対しては形式的で目も合わない気はしたけれど、事前に想像していたよりは、胃をキリキリさせるようなことはなさそうだと思った。
最初は。
「道花、次からこのメニューいれようよ」
「え?」
ある日突然そう言われて、きょとんとなった。練習メニューは、顧問の早森とも相談して決まっていることだ。思いつきでころころ変えられるわけではない。
「早森先生とも相談してみよっか」
事前に、もし即答に困ることがあればそういう話にしようと早森と相談していた。一緒に話をしに行って顧問に説得させられた体にすれば、角は立たない。
だが、そう答えると、結衣は突然興味を失ってしまったようだった。
「あ~。んー、いいや。道花から相談してみてよ」
丸投げかよ、と少しイラっとする。でも、ここで感情的にぶつかれば、崩壊一方だ。
「分かった。また報告するね」
そう言って、早森にはちゃんと相談をし、回答を持ち帰った。
「こないだの結衣の提案なんだけど、今はまだチームとして基礎練が大事な時期だから、六月まではこの内容にして、それから結衣の言ってくれたメニューを入れようと思うんだけど、どうかな」
「あー、あれ? 分かった」
(なんでそんな面倒くさそうなの)
そんなこととっくに忘れていた、という態度に、もやもやとしたものが溜まっていく。でも、今のところ、たまに出るようになったこういう相談以外は特に道花を悩ませるものはなく、バスケをする上で障害になっているわけではない。
このまま耐えれば、何かが表面化することなく、終わるはず。
そんなある日、最後に一人で部室を出ると、舷が待っていた。
「おい」
ぺこ、と他人行儀に頭を下げて通り過ぎようとした道花を、ぞんざいな声が止める。
「なに」
声をかけられてまで無視するのは、舷に対してあまりに申し訳ない。そう思って返事をすると、舷が視線を伏せて言った。
「お前、俺のこと避けてる?」
「えー……」
離れていく人間をわざわざ追うタイプではないと思っていたから、こんな直球で聞いてくるのは想定していなかった。
そうだよ。避けてる。結衣をこれ以上刺激して、面倒くさいことになるのが嫌だから。
でも、そこまではっきり答えてしまうと、また別の問題が起きそうだ。
「何かしたか、俺」
迷っているうちにぼそりと落とされた声は、あまりにも寂しそうだった。
「なにもしてないよ。ほら、キャプテンになって、いろいろ面倒くさいからさ」
「面倒くさい? 何が」
慌てて返すと、舷が怪訝そうに首を傾げる。
舷自身も、男子バスケのキャプテンになったと聞いていた。だからこそ、よく分からないのだろう。案の定引く様子がないので、道花は少し迷ったが、ある程度事実を伝えることにした。
「舷、人気だからさ。男子に媚びてるって思われたり、いろいろあるんだよ」
「なんだそれ。媚びてねぇだろ」
「それはそうだけど……」
舷には分からないだろうなぁ、と苦笑する。道花が困っているのを察したのか、また舷がぼそりと言った。
「……迷惑だったら、分かった」
理解はできなくても、飲み込んでくれたことに、少しほっとした。
しゅんとした姿はかわいそうだけれど、距離をとってくれたほうが助かる。
「舷はさ、その態度でみんなと上手くやれてるの?」
ふと、そう聞いてみたくなった。斜め上からの質問に、舷がぴくりと眉を動かす。
「なんで」
じろりとした目がこちらを見下げるけれど、全く怖いとは思わない。結衣の目に比べれば全然だ。
「そんな圧かけてビビらそうとしても意味ないよ」
「してねぇよ」
そう言って目を逸らす。自分でも無意識だったのだろう。きまりが悪そうな姿がかわいく見える。
「……礼儀はちゃんとしてるし、掃除もボール出しもなんでもしてる。別にキャプテンだからって偉そぶってはない。実力差に関しては、申し訳なく思う必要はない。どう受け止めるかは相手の問題だ」
「そっか」
同意も否定もせずに、微笑みながら小さく溜め息をついた。
舷は正しい。でも、正しさだけではどうしようもないこともある。
舷は決してそうは言わなかったが、実力がないことはそれ自体が罪、とでも言いそうな傲慢さが根底にあるのが伝わってくる。
でも、そんなメンタルがあるから、彼はプレーヤーとしても、キャプテンとしてもやっていける。
*
菜々美が正式に、部員からマネージャーになった。
「悔しいけど、こればっかりは仕方ないって思ってる。どうしてもらったら嬉しいか分かってる分、頑張ってサポートするよ!」
菜々美は立派だった。でも、以前のなんの陰りもない表情とはやっぱり違って、自分を奮い立たせて笑顔を作っているように見えてしまう。
本当は、助けてほしい、と言いたかった。でも、そんなことを言える状況じゃない。はっきり意見を言って、結衣のことも上手く嗜めてくれていた菜々美。彼女がプレーヤーじゃなくなったことが、どう影響を与えるだろう。
黒い雲が立ち込めるように、道花を心細さと不安が襲う。
『そんな態度で上手くやれてるの?』
そう道花が舷に尋ねたのは、本気で舷を心配したからではない。
道花自身が、迷子になっていたからだ。
案の定、その直後から、はっきり問題が起き始めた。
「なんかさぁ、キャプテンの独断多すぎない?」
ある日、結衣がそう言い、部室はしーん、となった。菜々美はいない。名指しされたからには答えるしかない。
「独断って?」
「メニューも、道花がどんどん決めちゃってるし。先輩の代はもっとうまいことやってたと思うけどな」
煽るような言葉にむっとなった。
結衣の提案やみんなの声は拾って、全部言いなりというわけではないが、ちゃんと早森に相談して取り入れてもらっているつもりだ。
「だって結衣、一緒に先生のとこ行こうって言ったけどこなかったじゃん」
「えー、そんなの、二人がかりで言いくるめるつもりでしょ?」
「は?」
かちんとなった。そんなふうに思ってたのか、と愕然となる。
だが、結衣の言葉は止まらない。
「道花はお気に入りだからいいけどさ、私がそんなふうに意見言ったら、ベンチに入れてもらえなくなりそうだし~」
「お気に入りでもないし、そんなことあるわけないじゃん……!」
「どうかなぁ~」
そう言ってにやにや笑った結衣が周りを見渡すと、何人かが同じような笑いを浮かべていた。
背筋がぞくりとなる。
(最悪……)
自分のいないところで、確実に、悪口を言われている。
急に、誰一人味方がいないような、常に言動を監視されているような気持ちになった。
部活から離れても、ずっと。
*
誰も味方がいないかもしれない。
それを錯覚だと思いたくて、道花は、詩織に話すことにした。
「え、まじ。そんなことなってんの?」
怒られるかと思ったけれど、そんなことはなかった。詩織の顔には、純粋に道花を心配していると書いてある。
詩織のそばなら、大丈夫だ。
道花は、久しぶりにちゃんと呼吸ができるような気持ちになった。
「ごめん、せっかく忠告してくれたのに」
「ちょっと待って、もしかしてそれで今まで言わなかったの?」
詩織が頭を抱えている。
「ほんとにごめん、あれは……そういうつもりじゃなく……いや、そうだったのかな。でも、道花が責められることじゃない。そういう相手は当たり屋だよ。100%、相手が悪い」
はっきりとそう言ってもらえて、内心ほっとなる。
「ちなみに、誰?」
ごめんね、ともう一度謝ったあと、そう尋ねた詩織の声色はさっきまでと違った。なんだか、獲物を狙うような。
「三組の……尾澤結衣って分かる?」
「尾澤結衣? あー、あいつか。ちょっと派手めな?」
「そう」
詩織が不快そうに顔を歪めながら言う。
「中学のバスケ部にはいなかったタイプだよね。地学の授業で一緒だけど、なんとなくアレかな。自分が中心にいたいタイプ?」
「多分、そう」
自分が中心。その言葉が刺さった。そうだ。結衣はずっとそうだった。分かっていたのに。
道花は別に、そんなことどうでもよかった。キャプテンになりたくなんてなかった。なのに、選択を間違えてしまった。
机に額を当てる。
「悔しい。あの子もすごいいいプレーはするし、本当なら、いいチームになるはずだったのに」
今は表面上チームを保てているが、これからどうなるか分からない。
「道花が背負うことじゃない」
優しく頭をぽんぽんと叩かれて、じわりと涙が浮かんできた。
「あんたが推薦されたのは多分、チームを上手くまとめてくれそうとか、そういう理由じゃないでしょ。そもそも、本来キャプテン一人で全部背負うのが無茶だって。大人のチームだって、何人もに分けてマネジメントするんだよ? あ、そういや顧問……監督は? まあこうなるまで放っておくようなやつ、期待できないけど」
「メンバーに任せる主義というか……あんまり、人間関係のことは相談してくれるなって感じ」
「なんだそれ」
詩織は呆れたように言って、「厳しいな」と零した。
「私がそいつに言いに行ってもいいけど……それじゃ解決しないもんね。くっそ~、バスケ部入っとくべきだった」
「いやいや、詩織は詩織の高校生活、楽しんでくれてたらいいよ」
そう言いつつ、道花は少しだけ、心の中の重荷が軽くなっているのを感じた。何も解決はしていないけれど、話を聞いて共感してもらえたのはありがたかった。
道花の頑張りに関係なくどうしようもない状況だというのが、逆に気を楽にしてくれたのもある。
陰口だって、今のところ道花の想像だ。
面と向かって言われていないなら、ないものとして扱えばいい。
(とりあえず、現状維持で。なんとかこのまま、のらりくらりとやっていければ……)
一年だけ。たった、それだけだ。




