1.大学生活(1)
武智大学 西奏キャンパスは、最寄りの駅からバスで15分、カラオケやショッピングに行くにはやや不便な、静かな住宅地の中にある。
広瀬道花はバスを降りると、大学内に散らばってそれぞれの方向に歩いていく人の流れの一つに乗って、共通教育棟に向かって歩き始めた。春は一瞬で過ぎて、もう夏の気配がする。微妙な気温に、長袖でもない半袖でもないと迷う季節。
(もう、二年生か……)
そう心の中で呟いたのは、道花の心に焦りがあるからだ。大学一年を無駄に過ごしたつもりはないが、だからといって、来年からのゼミをどこにするか決めるほどの決め手が見つかったかというと、そうでもない。
武智大学スポーツ科学部スポーツ科学科。
道花の進学した学部は、その名の通り、スポーツに関わる様々なことを学ぶ学部だ。スポーツをビジネスとして経営や産業目線で分析したり、有効なトレーニング法やスポーツにおける救急処置を学べたりもする。アスリートを目指す人、トレーナーを目指す人、それから、なんらかスポーツに関わる仕事に就きたいと思う人。いろいろな志望動機と背景を持った人が、ここに通っている。
道花が目指しているのはプロのアスリートではない。自分にはプロを目指せる才能はなかったけれど、スポーツをする人を支えたい、なんらかスポーツには関わって生きていきたいというのが、ここに進学した理由だった。でも今になって、それがもやもやと自分の中で違和感を生んでいる。
『本当に大丈夫なの?』
進路を決めた時、母にはそう何度も聞かれた。
『無理しないで、スポーツから離れてみたら?』
『道花、あなたの人生ではバスケをしている時間が長いけど、あなたが思っているよりもずっと、スポーツに触れずに生きていく人のほうが多いんだよ』
そう言われれば言われるほど道花は意固地になって、その言葉を振り払うようにここに進学することを決めたようなものだった。自分はもう大丈夫。そう思いたかったし、周囲にもそれを示したかった。
(学校の先生、スポーツトレーナー、営業職、販売職……)
具体的な選択肢を挙げてみて、どれもぴんとこない自分に呆れた。贅沢なことを言っている場合だろうか? どの進路も狭き門だ。選考があって、そもそも選考の舞台に立つために、すでに準備を始めている人がいっぱいいる。こんな甘い考えでは、きっとどこにも採用してもらえない。
心に厚い雲が立ち込めていくような気分になって、道花はぶんと首を振った。最近は特に、こんなふうになる日が多い気がする。
友人の莉央が紹介してくれたOGの先輩も、みんなそんなもんだって言ってたじゃないか。奢ってもらったファミレスのケーキをつつきながら、せっかくの機会だからと進路のことを質問したら、真面目だねと笑われたことを思い出した。進路ややりたいことがはっきりしているほうが珍しい。私なんか学生時代遊んでばっかりだったよ。カラオケに飲み会に合コン……。
そこで溜め息が出た。大学でできた友人と遊ぶのは楽しい。高校の時とは違って、みんな大人――大人というのは道花の中では、集団でいなくても自立していて、それぞれみんな、自分の進む方向を自分でちゃんと決めようとしていることだ。だから、大学で道花が一人でいたってそこまで浮かない。
でも、飲み会はまだ何が楽しいのか分からない。合コンは、もっと分からなかった。
先日初めて合コンというものに参加して、ほぼ机の上を見つめて愛想笑いしながら終わったことを思い出した。
正直、遊びも、向いてない。
向いていたのはバスケだけだった。バスケだけは――……。
そこまで考えて、余計なことを思い出しそうで考えるのをやめた。もう、だめだったんだ。終わった話。忘れようって決めたじゃないか。
「道花、おはよ~!」
「おはよ」
語学の講義を受ける大学の講義室は、高校の教室とほとんど変わらない。開かれたままのドアをくぐると、莉央がパッと手を上げて道花を呼んでくれた。こういうところも、高校と同じ。だけど講義室の中にいる学生は私服で、みんなそれぞれ好きな場所に座っていて、あの頃とは違う。道花にとっては、それがとても楽だ。
「今日の三限、休講だって!見た?」
「えっ、そうなの?」
莉央の声は朝から元気だ。鞄からノートとペンケースを取り出しながらそう聞き返すと、莉央が隣の席から身体をぐいと乗り出してきた。
「さっきメール届いてたよ。ねーねー、カラオケ行かない?」
「ええ~? うーん、どうしようかな」
まさにさっき向いていない、と思ったことだ。気が向かないという態度を隠さず苦笑いする。だが。
――こういう時、うん行く! って元気に返せないところが良くないんじゃない?
頭の隅でそんな声がして、はっとなった。
「あ、い、行こうかな!」
勢いよく顔を上げて、莉央と目が合う。強引に明るくしようとした声はひっくり返って、顔が熱くなった。莉央がぱちりと目を瞬かせて、それから吹き出した。
「行きたくなさそうすぎる!」
こちらを指差して笑われて、少しむっとなる。せっかくほんの少しだけでも自分を変えてみようと思ったところだったのに。
「いや、なんか、ノリが悪いのはよくないかと思って……」
「どうしたの今さら」
明らかに面白がる笑みがこちらを向いていて、ごにょごにょと言い訳をする。自分でもはっきりした答えを持っていなくて黙り込むと、莉央はぴしゃりと言った。
「正直すぎるし、そもそも道花には向いてないよね」
「ひどっ」
「何? 朝から説教?」
ショックを受けたことを隠せずにいると、後ろから、荷物を置く音と一緒にそんな声が飛んできた。
「あ、紬、おはよ~」
「道花がかわいくて笑ってただけ」
「思ってもないことを……」
莉央がからかうように言うから、そちらをじろりと見た。でも、これは道花が苦手なからかいとは違う。
「かわいいといえば、こないだの合コンもだよね。面白くない……何コレ……って顔してて」
「あれやばかった」
くっくっくっと二人は顔を見合わせて笑う。人のことを面白がりすぎだ。苦手なからかいではなくても、文句はつけたくなる。
「だってあんなの、何が面白いのかわかんないよ! 二人、ほんとに楽しかった?」
「え~、楽しかったよ」
「雰囲気イケメンくんもいたじゃん。あれは当たりの回だよ」
嘘をついているようには見えない二人を、信じられないという気持ちで見返す。
あの日、二人は確かに、いつもの二人とはほんの少し違って、キャッキャッと高い声を出し、初対面の男の子との会話を楽しんでいた。
道花は、はぁっとわざとらしく溜め息をついた。
「コミュ力が違いすぎるよ……」
「道花、それが道花のいいとこだよ。自信持って?」
褒められているのか蔑まれているのか、よく分からない微妙なラインで慰められて、道花はまた莉央をじろりと見た。




