5
街の鐘が鳴り終わっても、周囲のざわめきは収まらなかった。
「今の、見たか……?」
「結界が、安定した……?」
「魔術師が詠唱もなしで……?」
私は、視線を集めていることに居心地の悪さを覚え、そっと一歩下がった。
(……やりすぎたかしら)
その時だった。
人垣の向こうから、静かな足音が近づいてくる。
不思議と、誰もが道を空けた。
現れたのは、一人の男。
黒に近い深紺の外套をまとい、腰には長剣を下げている。
装飾は少ない。だが、その佇まいだけで分かる。
――強い。
「ここで結界を安定させたのは、あなたですね」
低く、落ち着いた声。
私は顔を上げ、彼を見た。
鋭い灰色の瞳が、真っ直ぐにこちらを捉えている。
値踏みではない。警戒でもない。
――観察。
「……はい。応急処置ですが」
そう答えると、男は目を細めた。
「十分すぎます」
「この街の結界は、構造自体に問題がある。普通の魔術師では、触れない」
周囲が、どよめく。
「団長……?」
「まさか、直々に……」
団長?
男は、私に一礼した。
「失礼。名乗りが遅れました」
「辺境防衛騎士団団長、カイル・ヴァルグリムです」
――辺境防衛騎士団。
魔獣の侵攻を食い止める、実戦最前線。
王国でも屈指の精鋭部隊。
(……どうして、そんな人が)
「あなたは――」
彼は、私の手元と、先ほど私が描いた円の跡を見て、静かに言った。
「“結界を張る者”ではない」
「“結界そのものを理解している者”だ」
その言葉に、息を呑む音がいくつも重なった。
私は、目を瞬いた。
「……それが、何か?」
すると彼は、ほんの一瞬だけ、困ったように笑った。
「普通、その力を持つ者は、王城の奥に幽閉されています」
「こんな街道都市を、一人で歩いているはずがない」
周囲が、凍りつく。
「つまり」
彼は、私をまっすぐ見て言った。
「あなたは、“捨てられた”」
――核心。
私は、否定しなかった。
「ええ。追放されました」
「無能だと」
その瞬間。
彼の瞳が、僅かに冷えた。
「……そうですか」
それ以上、王家を評する言葉はなかった。
だが、その沈黙こそが、何より雄弁だった。
「エリシア嬢」
「一つ、提案があります」
私は、首を傾げる。
「この街の結界――」
「いえ、この“辺境全体”を、見ていただけませんか」
周囲が、息を呑む。
「報酬も、立場も、安全も、こちらで保証します」
「あなたの力は、ここで必要だ」
彼は、最初から疑わなかった。
最初から、私を“価値ある存在”として扱っていた。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「……考えさせてください」
そう答えると、彼は頷いた。
「ええ。急かすつもりはありません」
「ですが――」
彼は、静かに言葉を続ける。
「あなたが去った国は、近いうちに必ず、助けを求めてきます」
「その時、どうするかを決めるのは、あなたです」
私は、遠く王都の方角を思い浮かべた。
(……助けを求める、ですって?)
――まだ、彼らは何も知らない。
自分たちが、どれほど致命的な過ちを犯したのかを。
「……分かりました」
私は、カイルを見て、静かに微笑んだ。
「まずは、この街からですね」
彼は、はっきりと笑った。
「ええ。歓迎します、エリシア嬢」
「ここでは、あなたを無能だなどと呼ぶ者はいません」
その言葉は、何よりも私を救った。
――新しい居場所は、確かに、ここにあった。




