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婚約破棄された王太子妃候補ですが、私がいなければこの国は三年で滅びるそうです。  作者: カブトム誌


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5

 街の鐘が鳴り終わっても、周囲のざわめきは収まらなかった。


「今の、見たか……?」

「結界が、安定した……?」

「魔術師が詠唱もなしで……?」


 私は、視線を集めていることに居心地の悪さを覚え、そっと一歩下がった。


(……やりすぎたかしら)


 その時だった。


 人垣の向こうから、静かな足音が近づいてくる。


 不思議と、誰もが道を空けた。


 現れたのは、一人の男。


 黒に近い深紺の外套をまとい、腰には長剣を下げている。

 装飾は少ない。だが、その佇まいだけで分かる。


 ――強い。


「ここで結界を安定させたのは、あなたですね」


 低く、落ち着いた声。


 私は顔を上げ、彼を見た。


 鋭い灰色の瞳が、真っ直ぐにこちらを捉えている。

 値踏みではない。警戒でもない。


 ――観察。


「……はい。応急処置ですが」


 そう答えると、男は目を細めた。


「十分すぎます」

「この街の結界は、構造自体に問題がある。普通の魔術師では、触れない」


 周囲が、どよめく。


「団長……?」

「まさか、直々に……」


 団長?


 男は、私に一礼した。


「失礼。名乗りが遅れました」

「辺境防衛騎士団団長、カイル・ヴァルグリムです」


 ――辺境防衛騎士団。


 魔獣の侵攻を食い止める、実戦最前線。

 王国でも屈指の精鋭部隊。


(……どうして、そんな人が)


「あなたは――」


 彼は、私の手元と、先ほど私が描いた円の跡を見て、静かに言った。


「“結界を張る者”ではない」

「“結界そのものを理解している者”だ」


 その言葉に、息を呑む音がいくつも重なった。


 私は、目を瞬いた。


「……それが、何か?」


 すると彼は、ほんの一瞬だけ、困ったように笑った。


「普通、その力を持つ者は、王城の奥に幽閉されています」

「こんな街道都市を、一人で歩いているはずがない」


 周囲が、凍りつく。


「つまり」

 彼は、私をまっすぐ見て言った。


「あなたは、“捨てられた”」


 ――核心。


 私は、否定しなかった。


「ええ。追放されました」

「無能だと」


 その瞬間。

 彼の瞳が、僅かに冷えた。


「……そうですか」


 それ以上、王家を評する言葉はなかった。

 だが、その沈黙こそが、何より雄弁だった。


「エリシア嬢」

「一つ、提案があります」


 私は、首を傾げる。


「この街の結界――」

「いえ、この“辺境全体”を、見ていただけませんか」


 周囲が、息を呑む。


「報酬も、立場も、安全も、こちらで保証します」

「あなたの力は、ここで必要だ」


 彼は、最初から疑わなかった。

 最初から、私を“価値ある存在”として扱っていた。


 胸の奥が、じんわりと温かくなる。


「……考えさせてください」


 そう答えると、彼は頷いた。


「ええ。急かすつもりはありません」

「ですが――」


 彼は、静かに言葉を続ける。


「あなたが去った国は、近いうちに必ず、助けを求めてきます」

「その時、どうするかを決めるのは、あなたです」


 私は、遠く王都の方角を思い浮かべた。


(……助けを求める、ですって?)


 ――まだ、彼らは何も知らない。


 自分たちが、どれほど致命的な過ちを犯したのかを。


「……分かりました」


 私は、カイルを見て、静かに微笑んだ。


「まずは、この街からですね」


 彼は、はっきりと笑った。


「ええ。歓迎します、エリシア嬢」

「ここでは、あなたを無能だなどと呼ぶ者はいません」


 その言葉は、何よりも私を救った。


 ――新しい居場所は、確かに、ここにあった。

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