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婚約破棄された王太子妃候補ですが、私がいなければこの国は三年で滅びるそうです。  作者: カブトム誌


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3/22

3

 その異変は、静かに始まった。


 王城・中央塔の地下。

 王国の魔術研究を担う魔導院で、夜明け前の当直をしていた老魔術師が、ふと眉をひそめた。


「……おかしい」


 水晶盤の上に描かれた魔力波形が、微かに乱れている。


 誤差と言えば、それまでだ。

 だが、三十年この装置を見続けてきた彼にとって、その歪みは見過ごせるものではなかった。


「結界値、再測定だ」


 助手が慌てて応じ、魔力を注ぎ込む。


 水晶盤が淡く光り――次の瞬間、警告音が鳴り響いた。


「なっ……!? 結界出力が、低下しています!」

「馬鹿な。昨日まで、基準値を保っていたはずだ!」


 老魔術師は、震える指で数値をなぞる。


 王都を覆う防衛結界。

 魔獣や災厄を遠ざける、王国最大の守り。


 その出力が、確実に――下がっていた。


「原因は!?」

「不明です! 魔力供給源は正常、魔石も劣化していません!」


 研究室に、重苦しい沈黙が落ちる。


 その時、誰かが小さく呟いた。


「……“調整役”は?」


 一斉に、視線が集まる。


「……まさか」

「いや、しかし……」


 言葉は続かなかった。

 昨夜、王太子によって断罪され、追放された令嬢の顔が、皆の脳裏に浮かんだからだ。


「エリシア・フォン・リーネ……」


 その名を口にした瞬間、空気が冷えた。


「彼女は……確かに、毎週、地下祭壇に出入りしていたな」

「魔力は低いが、結界の安定値だけは、異常なほど正確だった」


 老魔術師は、苦々しく唇を噛んだ。


「……彼女がいなくなった、たった一晩で、これか」


 否定したかった。

 だが、現実が、それを許さない。


「すぐに王太子殿下に報告を!」

「結界低下は、国家存亡に関わる!」


 慌ただしく人が動き出す。


 一方、その頃――。


 王城・私室。

 レオンハルト王太子は、紅茶を飲みながら報告書に目を通していた。


「結界値の低下?」


 彼は鼻で笑った。


「誤差の範囲だろう。あの女を追放したからといって、何が変わる」


 隣では、聖女候補リリアが不安げに首を傾げる。


「でも殿下……昨夜、地震のような揺れが……」

「偶然だ」


 きっぱりと言い切る。


「エリシアは、ただの調整係だ。代わりはいくらでもいる」


 だが、その言葉とは裏腹に。


 王城の外壁を覆う結界が、淡く――一瞬だけ、揺らいだ。


「……殿下?」


 リリアの声に、レオンハルトは窓の外へ視線を投げる。


 遠く、王都の上空で、空気が歪んだように見えた。


「気のせいだ」


 そう言いながらも、胸の奥に、言い知れぬ不安が広がる。


 ――知らない。


 自分たちが、どれほど重大なものを失ったのかを。


 結界の最深部。

 誰にも気づかれず、魔法陣の一部が、静かに崩れ落ちていた。


 修復する者は、もういない。


 その夜、王都近郊で、通常では現れないはずの魔獣が、確認された。


 それは、すべての始まりに過ぎなかった。

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