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王都の地下深く。
旧魔導院・最深部にある円形祭壇は、長年、封印されたままだった。
理由は単純だ。
使えば、戻れなくなる。
「……本当に、やるのですか」
若い魔導師の声は、震えていた。
祭壇の中心には、歪な魔導陣。
幾重にも重なった術式は、明らかに現代の理論ではない。
「今さら、何を迷う」
老魔導師は、杖を突いた。
「彼女が戻った時点で、我々は詰んでいる」
「正論と理屈では、もう勝てん」
それは、敗北宣言に等しかった。
「だが」
老魔導師の目が、濁った光を帯びる。
「恐怖なら、まだ支配できる」
祭壇の名は――
疑似災厄生成式。
かつて、結界を“必要悪”として王都に根付かせるために、
人知れず用いられた禁術だった。
「結界がなければ、世界は危険だ」
「守りを失えば、滅びが来る」
その“証明”を、人工的に作り出す。
「新結界が失敗したように見せる」
「それだけでいい」
「……でも、それは」
若い魔導師が、声を絞り出す。
「本物の災厄を、呼び出すのと……」
「同じだ」
老魔導師は、あっさりと言った。
「だが、それで世界が元に戻るなら、安い犠牲だ」
その言葉に、何人かが目を伏せた。
犠牲。
その中に、自分が含まれていないと、誰が言えるのか。
「始める」
老魔導師が、魔力を流し込む。
祭壇が、低く唸り始めた。
同時刻。
王都南区。
「……空気が、重い?」
通りを歩く市民が、立ち止まる。
「なんだか……胸がざわつく」
新結界の光が、わずかに濁った。
それは、破綻ではない。
だが――異物だった。
結界管理局。
「魔力密度、急上昇!」
「これは……自然現象じゃない!」
警報が、鳴り響く。
「発生源、地下!?」
「旧魔導院方向です!」
王城。
「……来たな」
レオンハルト王太子は、報告を聞き、目を閉じた。
「最悪の手を、選びおった」
彼は、即座に命じる。
「市民の避難を開始」
「原因は伏せろ、混乱を招く」
だが。
恐怖は、すでに伝播し始めていた。
王都の一角で、黒い霧が立ち上る。
「……魔獣?」
「いや……形が、おかしい……!」
霧の中から現れたのは、
魔獣に似て、魔獣ではない存在。
――歪みの塊。
恐怖と不安を糧に、形を得る疑似災厄。
「結界があるから、安全だったんだ!」
「ほら見ろ、新しい守りなんて――!」
誰かの叫びが、群衆に火をつける。
噂が、恐怖が、増幅される。
それこそが、術の本質だった。
一方、王城の回廊。
エリシアは、立ち止まっていた。
「……始まりましたね」
カイルが、青ざめた顔で問う。
「これ……新結界の欠陥、じゃないですよね?」
「違います」
即答だった。
「これは、“作られた恐怖”です」
エリシアの視線が、地下へ向く。
「旧魔導院は」
「世界を守りたいんじゃない」
静かな声。
「“支配できる世界”を、取り戻したいだけ」
彼女は、一歩、前へ出た。
「だから、禁じ手を使った」
結界の光が、彼女に呼応するように揺れる。
だが、崩れない。
それが、答えだった。
「……止められるんですか」
「ええ」
エリシアは、迷いなく言った。
「ただし」
その瞳に、強い光が宿る。
「これは、技術の問題じゃありません」
「“覚悟”の問題です」
恐怖で支配する世界か。
理解で支える世界か。
その選択を、
王都は今、突きつけられている。
そして――
旧い世界は、もう後戻りできない。
禁じ手を使った瞬間から、
敗北は、時間の問題になったのだから。




