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辺境ルーンフェルトの朝は、静かだった。
結界制御塔の最上階。
エリシアは、遠隔観測盤に映る王都の魔力流を見つめていた。
「……表向きは、安定していますね」
カイルが、慎重に言う。
「はい」
エリシアは、視線を逸らさず答えた。
「だからこそ、危険です」
すでに仕掛けられた罠は、修正された。
だがそれは、“次がある”ことを示している。
「相手は、私が戻らない前提で動いています」
「王太子が対処しても、いずれ限界が来る」
彼女は、ゆっくりと手を握った。
「……行くんですね」
カイルが、確信をもって言う。
「ええ」
迷いはなかった。
「設計者が不在のまま、世界を試させるわけにはいきません」
それは、義務ではない。
責任だった。
彼女は、一枚の外套を手に取る。
かつて王都を追われたときと、同じ道具。
だが。
あの時とは、意味が違う。
「今回は」
エリシアは、静かに言った。
「“戻してもらう”ためじゃありません」
カイルは、息を呑む。
「……“止めに行く”んですね」
「ええ」
誰かの居場所を奪うためではない。
世界の進行を、妨げるものを止めるため。
「王都には、まだ」
「“旧い世界”を正しいと思っている人たちがいます」
エリシアは、外を見た。
風が、草原を渡っていく。
「変化は、必ず反発を生みます」
「それでも――」
視線が、鋭くなる。
「一度前に進んだ世界を」
「後ろに引き戻す権利は、誰にもありません」
その時、制御塔の通信晶が淡く光った。
「……エリシア殿」
レオンハルト王太子の声。
『王都で、再び微細な干渉が確認された』
『だが……民衆には、まだ伏せている』
「賢明です」
エリシアは、即答した。
「不安は、最大の燃料になりますから」
『……戻ってくる気は、あるか』
わずかな沈黙。
「ええ」
彼女は、はっきりと言った。
「すぐに」
『助かる』
その声には、王太子ではなく、一人の人間の安堵があった。
通信が切れ、カイルが問いかける。
「怖く……ないんですか?」
「ありますよ」
即答だった。
「また、否定されるかもしれない」
「理解されないかもしれない」
彼女は、微笑んだ。
「でも」
「それは、前に進んでいる証拠です」
かつては、拒絶がすべてだった。
今は、抵抗がある。
それは、世界が彼女の存在を“無視できなくなった”ということ。
馬車の準備が整う。
辺境の人々が、遠くから見送っていた。
「……戻るのですか」
「今度は、追い出されませんよね?」
その声に、エリシアは振り返る。
「ええ」
穏やかに、しかし確信をもって。
「今の王都は」
「私が、作った世界ですから」
馬車が走り出す。
王都へ。
過去と向き合い、未来を守るために。
旧い思想は、必ず牙を剥く。
だが――
彼女はもう、
守られる存在ではない。
世界を、守る側だ。
王都への道の先で、
次なる衝突が、静かに待ち構えている。




