18
王都の朝は、静かだった。
結界の光が消えた空は、驚くほど澄んでいる。
人々は恐る恐る外に出て、空を見上げていた。
「……本当に、何も起きていない」
「息が……楽だ」
ざわめきの中に、戸惑いと安堵が混じる。
だが、王城と魔導院では、別の緊張が走っていた。
「新結界の展開を確認」
「第一層、起動準備完了」
これは、再建ではない。
“再設計”だ。
王都から遠く離れた辺境ルーンフェルト。
結界制御塔の最上階で、エリシアは静かに立っていた。
眼下には、複雑に重なり合う魔導式。
「始めます」
彼女の声は、落ち着いている。
「今度は、閉じません」
「世界と、繋ぎます」
カイルが息を呑む。
「結界って……遮断するものじゃ?」
「それは、旧式の考え方です」
エリシアは、魔導盤に手をかざした。
「脅威を拒絶するから、歪みが生まれる」
「なら――拒絶しなければいい」
指先が、軽く動く。
その瞬間。
王都の地下深く、目に見えない流れが変わった。
魔力が“溜まる”のではなく、“巡る”。
「新結界は、壁ではありません」
「水路です」
世界に満ちる魔力を、都市へ。
都市で生まれる余剰を、再び世界へ。
循環。
それは、生き物が呼吸するのと同じ構造だった。
王都の上空に、淡い光の輪が浮かび上がる。
だが、それは以前のような圧迫感を伴わない。
柔らかく、温かい。
「……結界、展開確認」
「魔獣反応……無効化されています」
管理局の報告に、ざわめきが走る。
「無効化?」
「排除じゃなくて……?」
老魔術師が、震える声で呟いた。
「……理解された、のか」
「魔獣と、敵対しない仕組みを……」
新結界は、魔獣を“弾かない”。
魔獣が持つ過剰魔力を、自然に中和する。
結果として、侵入理由そのものが消えるのだ。
「なんて……発想だ」
「今までの結界理論を、全部否定している……」
王太子レオンハルトは、光の輪を見つめていた。
「いや」
「否定ではないな」
彼は、静かに言った。
「……ようやく、理解しただけだ」
守るとは、閉じ込めることではない。
共に、生きること。
王都の大聖堂。
聖女リリアは、窓辺に立ち、その光を見ていた。
「……綺麗」
もう、胸を締め付ける痛みはない。
魔力を吸い上げられる感覚も。
「これが……本当の守り……」
彼女は、知らず微笑んでいた。
誰かの犠牲の上に成り立つ奇跡ではない。
仕組みとして、続いていく未来。
辺境の塔で、エリシアは深く息を吐いた。
「……成功ですね」
「はい」
カイルが、感情を隠しきれずに答える。
「歴史が……変わりました」
「いいえ」
エリシアは、首を振る。
「やっと、進み始めただけです」
この結界は、彼女一人のものではない。
引き継がれ、育てられ、改良されていく。
だからこそ。
「私は――管理者にはなりません」
「え?」
「“仕組み”に、個人は要らない」
それが、彼女の答えだった。
王都に、新しい朝が広がる。
恐怖ではなく、信頼で支えられた守り。
搾取ではなく、循環で成り立つ世界。
人々はまだ知らない。
この日を境に、
王国が“守られる国”から
“世界と共に生きる国”へ変わったことを。
そして――
その変革の中心にいたのが、
かつて婚約を破棄され、追い出された令嬢だったことを。




