16
辺境ルーンフェルト、結界制御塔。
朝の光が、静かに床を照らしていた。
その中央で、エリシアは立っている。
背筋は伸び、表情は穏やかだった。
「……王都からの使者、到着しました」
カイルの報告に、彼女は頷く。
「通してください」
やがて扉が開き、一人の男が入ってきた。
王家の紋章を身に着けてはいるが、その姿に威厳はない。
彼は、部屋に足を踏み入れた瞬間――
迷いなく、膝をついた。
「エリシア・フォン・リーネ殿」
額が、床に触れる。
「王国を代表し、お願い申し上げます」
「どうか……我らを、お救いください」
その姿を見ても、エリシアの表情は変わらない。
「顔を上げてください」
淡々とした声。
「あなたは、命じられて来ただけでしょう」
男は、恐る恐る顔を上げた。
「書状を」
差し出された黒封書。
王家の印璽が、はっきりと刻まれている。
エリシアは、それを開き、目を通した。
謝罪。
全面委任。
無条件受諾。
そして最後に――
『王国は、あなたの判断に従います』
「……確認します」
彼女は、書状を机に置いた。
「これは、交渉ではありませんね?」
「は、はい……」
「条件の提示は、すべてエリシア殿に一任すると……」
「そうですか」
その一言で、空気が変わった。
「では」
エリシアは、はっきりと言った。
「私の条件を、伝えてください」
男の喉が、鳴る。
「第一に」
エリシアは、指を一本立てた。
「王都結界は、一度、完全停止します」
「……っ!」
使者が、思わず息を呑む。
「延命では、意味がありません」
「不可逆歪みが発生している以上、再構築が必要です」
「そ、それは……」
「王都が……」
「一時的に、混乱します」
淡々と、事実だけを告げる。
「ですが、滅びません」
「私が、管理します」
反論は、許されなかった。
「第二に」
指が、二本になる。
「王都結界の再構築後」
「管理権限は、王家・聖堂・魔導院のいずれにも属しません」
使者の顔色が、明らかに変わる。
「すべて、第三管理機関へ移管します」
「責任者は――私が指名します」
「そ、それは……」
「前例が……」
「前例が、王都を壊しました」
静かな一言が、すべてを封じた。
「第三に」
三本目の指。
「聖女リリアは、結界維持から即時離脱させます」
「……え?」
「彼女は、結界に“組み込まれている”状態です」
「このままでは、死にます」
エリシアの声に、わずかな感情が混じった。
「――それは、私が望む救いではありません」
使者は、震える声で尋ねる。
「聖女様は……助かるのですか?」
「助けます」
「ただし、“聖女”ではなくなります」
沈黙。
それが、何を意味するのか。
誰もが理解できた。
「第四に」
エリシアは、最後の条件を告げる。
「私への謝罪は、不要です」
使者が、目を見開く。
「代わりに」
「二度と、同じ過ちを繰り返さない仕組みを作ってください」
視線は、まっすぐだった。
「個人に責任を押し付け、使い潰す王国は」
「いずれ、必ず滅びます」
静まり返る部屋。
条件は、苛烈だった。
だが、理不尽ではない。
「以上です」
エリシアは、きっぱりと言った。
「受け入れられない場合」
「私は、関与しません」
使者は、深く、深く頭を下げた。
「……すべて、伝えます」
「いえ――必ず、受け入れさせます」
その背中を見送りながら、カイルが静かに言う。
「本当に……変わりましたね」
「いいえ」
エリシアは、首を振った。
「やっと、“正しい位置”に戻っただけです」
誰かの犠牲の上に成り立つ守りではない。
仕組みとして、世界を支える。
それが、本来あるべき形。
遠く、王都の方角で、結界の光が一瞬、揺れた。
終わりが、始まる合図。
そして同時に――
再生の、始まりでもあった。




