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王都中央大聖堂。
高くそびえる天井に、白銀の光が淡く反射している。
祈りの場として設計されたその空間は、いつもなら静謐と安らぎに満ちているはずだった。
――だが、今日は違った。
「……聖女様」
「もう一度、結界の強化を……」
縋るような声に、聖女リリアはゆっくりと振り返った。
白を基調とした聖衣。
柔らかく整えられた金髪。
慈愛に満ちた微笑。
その姿は、変わらない。
「大丈夫です」
「神は、私たちを見放したりはしません」
そう答えながら、胸の奥で、かすかな焦りが広がっていくのを、彼女自身が一番よく分かっていた。
――おかしい。
祈りは、捧げている。
魔力も、注いでいる。
それなのに。
「……光が、弱い」
大司祭が、ぽつりと呟いた。
祭壇中央に展開された結界補助陣は、確かに作動している。
だが、かつてのような安定感がない。
光は揺らぎ、まるで“何かが欠けている”かのようだった。
「聖女様」
大司祭が、慎重に言葉を選ぶ。
「一時的に、別の補助方法を――」
「必要ありません」
リリアは、即座に言った。
「私がいます」
「私が、王都を守ります」
その声は、少しだけ強すぎた。
周囲の神官たちが、視線を交わす。
誰も口には出さない。
だが、疑念は確実に芽生えていた。
――本当に、それだけで足りるのか?
祈りの後。
控え室に戻ったリリアは、扉を閉めるなり、椅子に腰を下ろした。
「……どうして」
震える指先を、ぎゅっと握りしめる。
「私は、聖女なのに」
魔力は、確かに強い。
祈りに応じて、神聖魔法も発動する。
それでも。
王都全体を包み込むような、あの“安定”が、どこにもない。
脳裏を、よぎる名前。
――エリシア・フォン・リーネ。
追放された、元婚約者。
地味で、目立たず、評価も低かった令嬢。
「……違う」
リリアは、首を振る。
「私は、選ばれた存在」
「あの人は、ただの補佐役だった」
そう、聞かされてきた。
そう、信じてきた。
だが。
――なぜ、彼女がいなくなった途端、すべてが噛み合わなくなったのか。
その夜。
王都外縁部で、小規模な魔獣の侵入が発生した。
即座に騎士団が対応し、被害は最小限に抑えられた。
だが、問題はそこではない。
「結界が、反応していませんでした」
報告を受けた大司祭の顔色が、変わる。
「……聖女様の祈りは?」
「確かに、届いていました」
「ですが……侵入を“防ぐ”力ではなく」
「侵入後の被害を“抑える”だけの作用しか……」
沈黙。
それは、決定的だった。
リリアは、その報告を聞き、立ち尽くした。
「そんな……」
唇が、かすかに震える。
彼女は、初めて気づき始めていた。
エリシアは、“魔力の源”ではなかった。
“奇跡を起こす存在”でもない。
――けれど。
世界の歪みを、毎日、黙々と整え続ける存在だったのだ。
「……私には」
リリアは、呟く。
「それが、できない……?」
答えは、返ってこない。
王都の夜空に浮かぶ結界は、今日も辛うじて保たれている。
だがそれは、いつ崩れてもおかしくない、綱渡りの光だった。
そして、王都の誰もが、薄々理解し始めていた。
――本当に必要だったのは、誰だったのか。
一方、その頃。
辺境ルーンフェルトでは、結界が静かに、安定して回っていた。
誰にも崇められず、
誰にも祈られず。
ただ、“正しく在るべき形”で。
それこそが、
エリシア・フォン・リーネの力だった。




