05 デイジーとリックの逃避行の夜
冒険者になって二年弱。
街中で買い物袋を抱えて歩くデイジーを見かけた。
嬉しくなる。たまに孤児院に顔を出して話をするが、二人きりになる機会は少ない。
――また綺麗になった。
デイジーは自覚がないようだが、明るい栗色の髪と深い緑眼だ。どうしても目立つ美少女になった。
ルイーズは、自分が貴族の落とし胤だと吹聴しているが、デイジーもそうなのかもしれない。
街中で変な男に声をかけられないように、大声で話しかけた、が――。
「デイジー!久しぶりだな!誘っても中々食事にも付き合ってくれないから寂しかったぜ〜」
「下手なナンパ野郎みたいな事は止めてちょうだい、リック」
肩に手を回そうとした手をペシリと叩かれる。相変わらずの塩対応だ。
「しばらく見ないうちに、だいぶ男前になったじゃない?」
マジマジと俺の顔と身体を見て、感心したように褒める。
「おま……!いきなりそういうのは止めろ!」
腕で顔を隠してしまった。
ヤバい、照れる。会えて嬉しい。それを悟られるのも恥ずかしいのにこの不意打ち、これは反則だ!
彼女はスッと俺に紙切れを渡す。
孤児院ではレターセットなんて高いものは手に入らない。
「後で読んで。ちょっと困った事が起こりそうなの。それで、私はリックにお願いしたい」
「……な!ちょっと、もう少し説明を……」
ほんの五分も話さずに、デイジーは行ってしまった。
(やっぱりアイツ。人を、いや主に俺を振り回してばかりだわ)
――デイジーが渡してきた小さなメモ。
『ルイーズに濡れ衣を着せられて、大変な目に遭いそうなの。貴族がルイーズを迎えに来るんだって。星夜祭の前日の深夜。孤児院の裏の森で待ってる。来れるようなら来てほしい』
ルイーズ。あいつ、まだデイジーに絡んでいるのか。
あいつは質が悪い。
何があっても大袈裟に自分が被害者だと訴える。
同じ人間だと思えない思考回路だ。
挙げ句にはデイジーに罪を着せてくる。
デイジーも、そろそろ孤児院を卒業する歳になったことだ。これが本当なら、逃げ出した方がいいだろう。
――これ、俺を頼ってくれたんだよな?
ムズムズとした嬉しさから無性に叫びたくなるこの感情。くそ!アイツは俺の気持ちなんて全然気づいてないのに。でも嬉しい。
リーガルさんにも、親方にも相談しよう。
別に、彼女に頼られただけだ。冒険者をやってるから都合がよかったんだろう。
――駆け落ちとか考えるな俺!あのデイジーだ!またツンツンした態度で躱されるだけだ!
でも、俺はその夜を待ち切れないくらいにドキドキと胸を高鳴らせてしまった。
◇◇◇
「シスター?デイジーです」
深夜に近い時間帯。部屋の子ども達が寝ている時間にシスターの部屋をノックした。
「今晩は、シスター。少しお話があります」
「あらデイジー、こんな時間にどうしたの?」
温かい白湯を渡してくれた。身も心も温まり、じんわりと心に染み入る。
「シスター、転生者って言葉知ってます?」
彼女はコトリ、とテーブルにカップを置いた。
「やっぱり、貴女もそうなのね?」
お互いになんとなく気付いていた事実。でも、踏み込まなかったその話。
この世界には魔法がない代わりに『天恵』と言われるギフトや特別な記憶を持って生まれてくる人が存在する。
それはとてもとても珍しく、滅多にお目にかかれないが……。
「はい、私には前世で大人だった記憶があります。そして、話したいのはルイーズの事です。彼女には、物語に転生した記憶があるみたいです」
それから、シスターにルイーズの話していた事を伝えた。
星夜祭の事。彼女がネックレスを盗まれたように誰かに罪を着せる可能性がある事。私が彼女を虐めていると周りに言いふらしている事。
「私、星夜祭の前にここを出ます。でも、私以外に濡れ衣を着せられる子が居るなら、助けてあげてくれませんか?」
「デイジー、貴女はとてもいい子だったわ。下の子の面倒もよく見てくれた。世の中を恨まず真っ直ぐに育ってくれた。私の自慢よ。自由に貴方の思うように生きなさい」
シスターは私のお願いを快諾してくれた。これで、ルイーズの件は安心出来る。
そして私に少しばかりの金銭も持たせてくれた。
「たくさんお世話になりました。本当はここに残ってお世話になったシスターのお手伝いをして、子供たちの面倒を見て生きていきたかったんです……」
「大丈夫よ、デイジー。あなたなら、きっと大丈夫。元気でね。あなたの幸せをずっと願っているわ」
実の母と別れる時もそうだった。
私はお母さんに恵まれている……。堪えきれず、私は泣いてしまった。
――星夜祭前日。
しきりに、ルイーズがネックレスを貸してくれようとした。
私がそれを断ると、彼女は舌打ちしながら部屋を出て行った。
ここからが本番だ。さっき、ルイーズはネックレスを私に見えるように仕舞って出て行った。
――思惑に乗ってあげるわ、ルイーズ。
他の誰かが濡れ衣を着せられるより余程いい。私は彼女の狙い通り、ネックレスを盗んでポケットに入れた。
皆が寝静まった深夜、私は黒いマント姿で待っていた。
孤児院の裏庭が彼との約束の場所だった。
(来てくれるかしら?)
数時間待って来なかったら、1人で出ていこう。
ネックレスは、侯爵邸か衛兵の詰所にでも投げ入れようか。
それよりも、川にでも捨ててしまう方が楽しいかもしれない。
「おい、デイジー。にやにやして気持ち悪いぞ」
ガサリと木の葉をかき分け、待っていた彼が現れた。
ダークブラウンの髪が、闇夜で黒に見える。
「あら、もう来ないかと思ったわ。その時はどうしようかなって考えててね」
――リック。来てくれた。
こんな時にくらい、少しは素直になれればいいのに、私。いつも、助けてくれる彼に感謝を伝えられたらいいのに。
「ほら、早く行くぞ。バレたら厄介だ」
私に手を差し伸べ、荷物を詰めたトランクを掴む。
「あ、やっぱり待って。今日脱走した私と一緒に、ルイーズのネックレスが無くなるとやっぱり追われるかも。置いてこようかしら……」
ニヤリとリックが笑う。
「いや、そんな物さっさと捨ててやろうぜ」
私と考える事が一緒だ。でも、迷った時にすぐに決断してくれる人の存在は有り難いかも。
ネックレスは、リックが捨ててしまった。
ルイーズが貴族になるのが気に食わないんだそうだ。
「ねぇ、そういえばあなたは鍛冶屋になるって言ってたのに、なんで冒険者になったの?シスターもみんなも凄く心配してたのよ?」
「あぁ、俺の今の師匠が『天恵』持ちでさ。俺には天恵があって、鍛冶屋じゃ勿体ないんだって皆に説得してくれたんだ。皆で快く送り出してくれたよ。鍛冶屋と冒険者は切っても切れない大事な縁もあるしな。いい人達だよ」
「そっか。リックって凄かったんだね。……ある意味チートって事かな?物語では、きっとヒロインの為に色々としてあげたんだろうな」
「は?……お前言っている意味が分からないぞ。まぁいいか。早く宿に行くぞ!貴族が絡むと面倒だ。予約は取ってあるけど、聖夜祭で一部屋しか空いてなかった。……俺と同じ部屋で大丈夫か?」
月明かりの中、少し緊張して肩が強張っているリック。
いつもみたいに顔を見せて欲しい。私に断られるのが怖いのかしら。
それとも恥ずかしいの?私はその顔が見たいのに。
リックの顔、結構好きなんだから。
「私が、ただの打算であなたに頼ったと思う?人生を懸けるならリックが良かったからよ。それに、いきなりあんな事を頼まれて、全てを投げ擲って私を助けてくれる人なんて、リック以外にいないわ」
逞しくなった彼の肩に手を乗せる。
駄目だ、背伸びしても届かない。
「リック。私、今から目を閉じるから。ちゃんと空気読んでよ?」
彼の肩に両手を乗せて、首を擦る。
ここまでしてるんだから――。
リックは逞しい腕で私を抱き込み、最初は恐ごわと最後は大胆に。私の唇に口付けした。
「デイジー、お前って本当に俺を振り回すよな」
「私は、それに付き合ってくれるリックが大好きだったわ。いつもお節介焼いて、面倒見が良くて、優しくて。誰よりも素敵な私のリック。……でしょ?」
三歳の頃からの付き合い。
いつも、心配して構ってくれて助けてくれた。
「一緒に逃げるのはリックが良かったの。一人でも逃げていたけど、今リックが一緒だから最高に幸せだわ」
「デイジー、お前可愛すぎる……。取り敢えず、宿に着いたら覚悟しとけよ。ちょっと俺も色々我慢できそうにない……」
月夜に二つの影が伸びる。
本当に夜逃げなのにドキドキと期待してしまうのは何故だろう。
貴族の物を盗んだ罪で追われたとしても、怖くない。
リックを巻き込んでしまう恐怖はあるけれど……。
それを忘れるように、リックの胸に抱きついて歩いた。
――私は、やっぱりリックがいいんだわ。それに、ちょっとは素直に伝えられた気もするし。




